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人魔闘諍  作者: ゆっけ
第肆章
68/112

67話 シチリア動乱 - 6 -

 ―――22時47分。


 重厚な木製の扉が閉ざされ、分厚い防音壁が世界の喧騒を遮断する。

 長大な楕円卓の中央、古代ローマの地図を模した天板に、イタリアの命運を握る者たちが集っていた。


 机の最上席に座る男――

 アンドレア・フェリーニ首相。

 かつて経済学者として名を馳せ、強い求心力と現実主義で政権を率いる。

 彼は深く腕を組み、窓外の夜景に一瞥をくれる。

 その視線はどこまでも冷たく、揺らぎがなかった。


「……では始めよう。議題は言うまでもなく、カルタジローネで起きた爆破事件についてだ。」


 低く、鋭い声が室内に響く。

 その一言で、全員の姿勢が正された。


 対面には、内務大臣のルチア・コンティ。

 五十代半ば、元検察官。強硬派として知られ、治安と統制を何より重んじる。

 彼女は資料をめくりながら、短く報告した。


「現時点で確認されている死者は一名――カルビニエリ所属の運転手です。現場には自動車の残骸と大量の血痕、そして複数の銃弾痕。だが肝心の目をつけていたADF隊員二名、八幡直弥および熊野璃久の遺体は確認されていません。」


 イタリア政府は各国と違い、表上では対魔特別排除協定を結んでいない。だが魔族からの脅威を払拭するには、彼らの力が必要だとはわかっていた。だからこそ、政府機関ではなくカラビニエリに対し特別に密約を交わさせ、彼らの監視のもとでADF隊員が国内活動を認めるようにしていた。


「つまりその得体の知れない連中だけは生きている可能性がある、とな?」と、防衛大臣のロドリゴ・アルベルティが唸るように言った。

 元陸軍参謀。筋骨隆々の体を黒いスーツに押し込み、軍人らしい無骨さを隠そうともしない。


「内務省の初動は? 現地はもう封鎖したんだろうな。」


 ルチアが眉を寄せる。「当然です。ですが――封鎖線をすり抜けた何者かが、救出か、あるいは奪還を試みた形跡があります。真っ黒の装束のような見た目の人物であったとの報告が現地警察から寄せられていますが、おそらく…ADF関連の者かと」


「ふん、やはりな。」

 法務大臣のマルコ・ヴィスコンティが椅子を軋ませ、鼻で笑った。

「奴らは亡霊に縋り付く狂信者共だ。魔族などというありもしない存在を盾に各国で内乱を引き起こす。前に日本国で起きた鳴矢高校事件も、かの国はそれを隠してはいるが、ADF関連が引き起こした事件だと聞いているぞ。」


 フェリーニは、低く唸るように言った。

「日本での実例は……たしかにそうだ。だが、ADFが引き起こしたものではない。あれは魔族によるものであり、ADFはむしろそれを鎮圧する側にいた。」


 その声には確信と、同時に測りきれない警戒が滲んでいた。

 室内の空気が微かに揺れ、誰もが言葉を選ぶように黙り込む。


 しかし、その沈黙を破ったのは、やはりアルベルティだった。

「――前々から私も、マルコ法務大臣と同じ疑問を抱いていた。」

 重い声が響く。

「その“魔族”とやらは、一体何なのです? 我々は誰一人として、それを目にしたことがない。幻か、造り話か、それとも……別の何かか。」


 机の上で、彼の指が一定のリズムで鳴る。軍人としての癖だ。

 慎重でありながら、怒りを抑えている時の音でもある。


「それに――」アルベルティは鋭く視線を送る。

「噂は耳にしている。ADF所属の数名がその“魔族”がマフィア内部に潜伏しているという情報を掴み、首相ご自身の要請により、カラビニエリ経由で派遣されたと聞くが。」


 会議室に一瞬、ざわめきが走る。

 ルチアが小さく息を呑み、マルコは薄く笑った。


「まさかとは思うが、首相、あなたは本気で存在自体が疑わしい“悪魔退治”を奴らに委ねたと?」

 その声は皮肉ではあったが、どこか恐怖を隠しきれていない。


 フェリーニは、ゆっくりと目を閉じた。

「……委ねたのではない。必要だったのだ。」


 その言葉に、全員が息を呑む。


 フェリーニの言葉が落ちるや否や、会議室は一瞬の静寂を経て、爆ぜるようにざわめいた。


「――何をおっしゃってるんです首相!」

 真っ先に立ち上がったのはマルコ・ヴィスコンティ法務大臣だった。

 その顔は怒りとも呆れともつかぬ紅潮に染まり、厚い掌で机を叩きつける。

「“人ではない何か”だと? まるで旧約の悪魔譚だ! 我々は政治家であって祈祷師ではない!」


 アルベルティも苛立たしげに続く。

「現実的にお考えください、首相。カターニャ県では軍も警察もすでに動員済みです。それでも鎮圧できないというのなら、憎たらしいがマフィアの武装勢力が一枚上手というだけのこと!“化け物”などという言葉は、現場の士気を削ぐだけだ!」


 彼の言葉に、重厚な木製の机を囲む閣僚たちの間で、押し殺した不安が広がっているように感じる。

 それは怒号ではなく、恐れに似たざわめき。

 ――誰も信じたくはないのだ。だが、“もしも”という仮定が心の奥底を震わせていた。


 ルチアが静かに口を開いた。

「法務大臣、防衛大臣。首相は荒唐無稽なことを言っているわけではありません。」

 彼女は机上の資料を滑らせ、タブレット端末を起動した。

 淡い光が会議室を照らし、スクリーンには複数の写真が映し出される。


「これは――対外情報庁(AISE)が取得した映像です。ご覧ください。」


 ルチアの声が静かに響く。

 照明が落とされ、会議室の中央スクリーンにノイズ混じりの映像が映し出された。


 そこに映っていたのは、イタリアの街並みではなかった。

 どこかの都市――だが、その荒廃した光景は、誰の目にも現実とは思えない。

 住宅街の合間を火の手が走り、銃撃音と爆発音が断続的に鳴り響いている。

 逃げ惑う人々、崩れ落ちる建物、そして、道端に転がる死者――。


「……これは……どこだ……?」

 アルベルティが小さく呟く。


 ルチアは表情を変えぬまま、淡々と続けた。

「――鳴矢高校事件発生時の記録映像です。日本政府は“局地的暴動”として処理しましたが、真実は違います。この映像に映るのは“魔族に操られた人間”です。彼らは自我を奪われ、命令に従って民間人を襲い、殺された者もまた傀儡として蘇りました。こうして、被害はネズミ算式に都市全体へと拡大していったのです。」


 会議室に重苦しい空気が落ちた。

 スクリーンの中では、警察特殊部隊――おそらくSATと思しき隊員たちが、道を進みながら銃を構えている。

 ブレの激しい映像の奥、遠くに映るその光景を、ルチアは指先で示した。


「ここをご覧ください。」


 画面の中央、SATの一人が民間人らしき人物に向かって発砲した。

 MP5の弾丸が確かに眉間を撃ち抜き、血飛沫が上がる。

 だが、倒れるはずのその人影は、

 ゆっくりと、ぎこちなく、再び立ち上がった。


 白目を剥き、口から泡を垂らし、

 なおも銃を構え、隊員に向けてAKの引き金を引く。


 乾いた銃声。

 隊員の胸が弾け、鮮血が宙に散った。


 その場にいた全員が息を呑む。

 画面の外では日本語の怒号、叫び、そして女性の甲高い悲鳴が混じり合う。


 ルチアは映像を止め、深く息を吐いた。


 ルチアはゆっくりと映像を止め、会議室の照明が戻る。

 淡い光が再び閣僚たちの顔を照らし出すが、そのどれもが蒼白で、現実を飲み込めずにいる表情だった。


「……これが、首相のおっしゃる“魔族”に寄生された人間の実例です。そして、この事態を制圧したのが――他でもない、ADFの人間です。」


 重く沈んだ声が響いた直後、

 アルベルティが椅子を軋ませ、苦笑まじりに口を開いた。


「……た、たちの悪いフェイク映像だな。こんなもの見せられたところで、誰が信じると……?」


 その声には、怒りとも恐怖ともつかぬ震えがあった。

 額には汗が滲み、唇は乾いている。

 彼の視線はスクリーンの一点に釘づけになったままだ。


 ルチアは冷静に言葉を返す。

「防衛大臣がそう信じたくなる気持ちも、よくわかります。ですが、これは紛れもない事実です。魔族による脅威は、もう遠い国の話ではありません。――すぐそこまで、迫ってきているんです。」


 沈黙。

 机の上に並ぶ書類の紙音ひとつすら響かない。

 誰もが否定の言葉を探しながらも、映像の残像が頭から離れなかった。

 銃弾を受けても立ち上がる人間。白目を剥いた顔。血の泡を吹きながら放たれた銃火。


「……もし、これが事実なら……」

 マルコ法務大臣が口を開く。声が震えていた。

「この国自体が、第二の鳴矢高校となるのか……??」


 その言葉に誰も返せなかった。

 フェリーニ首相だけが、静かに両手を組み、深く俯いたまま動かない。

 やがて、彼はゆっくりと顔を上げた。


「…魔族の存在自体が全世界で秘匿されている以上、現時点では、対外的にはあくまで“マフィアによるテロ行為”とする。」


 フェリーニ首相の声が、低く、だが決定的に響く。


「内務省を中心に、カラビニエリ、ポリツィア、財務警察を動員し、同時に極秘で対魔族、対ADF機関を臨時設置する。司法省には捜査令状の優先承認を、国防省には監視衛星のリアルタイム照合を許可する。」


「首相、それは――」

 ルチア・コンティが口を開きかけたが、フェリーニはその言葉を遮るように言った。


「……私も、彼らのすべてを信用しているわけではない。ないことを祈るが…もし万が一のことがあれば、カラビニエリを筆頭に奴らを…」


 フェリーニはそこで言い淀み、代わりに拳をぎりっと握る。


 重々しい沈黙。

 長机の上で、誰かの指先が微かに震えた。


「――ならば、その臨時局の指揮系統はどこに置くおつもりですか、首相。」


 ジャンニ・マルティネッリが、机に両手をつきながら低い声で問うた。


 鋭い眼光がフェリーニを射抜く。

 年齢は五十代半ば、元財務軍警出身で、幾度となく汚職摘発を指揮した男だ。

 その冷徹な視線に、数名の閣僚が思わず息を呑む。


 フェリーニは、ゆっくりと彼に視線を向けた。

「内務省だ。だが現場指揮は、カラビニエリ第九特務課に一任する。」


 会議室にざわめきが広がる。

 第九特務課、外交上の摩擦を避けるため、ADFとの接触を“水面下”で行ってきた部隊そのものだった。


「……つまり首相。」

 マルティネッリは低く言う。

「ADFを“監視”するために、ADFと取引を続けてきた部隊に指揮を委ねると?」


「皮肉な話だが、それが一番現実的だ。」

 フェリーニは眼鏡を外し、机の上に置いた。

 疲れ切った目の奥に、諦めにも似た決意が宿る。

「彼らは魔族の行動パターンを、この国で唯一、正確に把握している。同時に、ADFの行動原理をも理解している。――我々の中で、最も深層を知っている者たちだ。」


 ルチアが静かに口を開く。

「……つまり、内務省直轄の特務課を中核に、各機関を再編する、ということですね。」


「そうだ。」

 フェリーニは短く頷く。

「だが忘れるな。彼らの行動を容認するのではない。あくまで“監視”だ。……この国で、二度と鳴矢高校事件(あのような惨劇)を繰り返さぬために。」


 会議室の空気が一段と張り詰める。

 重い沈黙の中で、誰もがその言葉の裏にある“恐怖”を察していた。

 ――首相は、もはやADFの存在を「現実」として受け入れたのだ。


 やがてマルティネッリが、ゆっくりと胸ポケットから書類を取り出す。

「……では、まずは資金の割り振りを決める必要がありますな。」

 彼の声は冷静だったが、その目の奥には微かな焦燥が光る。

「財務警察として、我々も“異常事態”に備えねばなりません。ADF関連口座を追跡するため、中央銀行の協力を要請します。」


「許可する。」

 フェリーニの声が低く響く。

「加えて、情報庁には全データをリアルタイムで共有させろ。国外――特にADF管轄の地下都市・アルカディア方面との通信を重点的に監視しろ。」


「了解しました。」とルチア。


 重々しい沈黙のあと、フェリーニは立ち上がる。

「――以上をもって、“対魔非常局(D.S.N)”の設立を決定する。」


 その言葉が放たれた瞬間、厚い扉の向こうで、警備兵のブーツ音が静かに響いた。

 まるで、新たな“戦時下”の鐘の音が、ローマの地下から鳴り始めたかのように。


 続く…

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