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人魔闘諍  作者: ゆっけ
第壱章
6/113

5話 日常・裏 - 1 -

 事の発端は、日本政府の要請からだった。


 曰く、数年前から度々起こっている連続失踪事件に魔族が絡んでいる、との情報であり、当初、玄武隊にその情報が降りてきた際、大して難しい案件ではないと踏んだ四堂しどう桜田風音さくらだかざね―――通称・佳人かじんは、研修も含め新人二人と、付き添いでもう一人熟練隊員を任務へと送り出した。


 調査の経過報告で、容疑者の名前が八幡直弥やはたなおやとわかった。また、家族構成や交友関係、通っている高校名、生年月日、住所など、ありとあらゆる情報が調査を進めるたびに明らかになった。


 一見、順調に進んでいるように見えるが、桜田も四阿庸平あずまようへい―――通称・寛解かんかいもその報告に不満足さと困惑を感じていた。


 なぜかといえばそれは単純。種族判定がどの報告においても『不明』、だったのだ。


『不明』。正直なところ、意味がわからなかった。過去に魔族と生族の交配実験がなかったと言われれば嘘になる。だがどれも失敗に終わっており、またADF内からも非人道的との批判が相次いだため、100年ほど前に交配関連の実験は全面禁止された。


 何が言いたいかといえば、魔族と生族の混血など到底ありえない、馬鹿げたことというのが今までの常識であり、それが紛れもない事実だった。


 当然、桜田ら玄武隊幹部陣はその『不明』の箇所を再三問い詰めたが、3名とも不明は不明として譲らず、あやふやのまま調査は進んだ。


 だがある時、彼らは突如緊急応援要請信号を発信した後、一切の消息を絶った。


 そこから3日後、隊内での緊急会議が開かれた。桜田主催のその会議に八間や、その他にも(いち)型戦闘員の代表6名が参加した。


 四阿は『会議室』と書かれた部屋に数回ノックして入室する。その部屋は縦に長く、真ん中には部屋同様縦長の机と、左右に4つずつ革製の黒い椅子が置かれ、一番奥にも1つ、同様の椅子が置かれていた。


 その一番奥の椅子には、数々の勲章が付いた黒い軍服姿の桜田が座り、他の席もまばらに人が座っていた。


 四阿はその席の一つ、左側の桜田から一番近い席に座る。向かいには四阿と同じ八間である血沼けちぬま亜沙実あさみ―――通称・豊麗ほうれいが座り、横にはⅠ型戦闘員・熊野璃久くまのあきひさがいた。


 その後も数人が部屋に入り、9つの席すべてが埋まった時、沈黙を貫いていた桜田が話しだした。


「、、、定刻通り、これより緊急会議を始める。議題は言うまでもなく、先日の消息を絶った隊員らについてだ。」


 すると、亜沙実が風音に問う。


「佳人卿、その後本当に彼らから何のアプローチもないのですか?」


「ああ、一切連絡はない。」


「それはつまり調査対象である魔族に殺された、という認識で良いのでしょうか。」


「、、、確定とは言い難い。なにせ対象が魔族かどうかすら怪しいからな。詳しくは四阿、、、寛解公から説明がある。」


 そう言った桜田は四阿に目伏せする。四阿は立ち上がり、近くにあったいろいろな写真や地図が貼られたホワイトボードに歩み寄った。


「ここからは俺が。約一ヶ月前に日本政府からの要請で、魔族の撲滅を理由に暗殺、及び非合法的手段を黙認する、対魔特別排除協定に基づき、3名の隊員が今作戦に参加しました。対象の名前は八幡直弥やはたなおや。母、父、妹の四人家族で、私立の鳴矢高校へと進学し、現在も通学中です。」


 そういいながら八幡直弥と思われる者の写真を指差す。


 璃久が静かに手を挙げる。四阿が璃久へ目線をやると、彼は質問した。


「そいつの情報を聞いてる限り、種族が不明と聞いたんですが本当ですか。」


「ああ、本当だ。俺も佳人も実情は掴みあぐねてはいるが、報告上では一貫して『不明』とだけ記されていた。」


 会議室がにわかに騒然となる。当然の反応ではあった。


 璃久はそれでも冷静に質問する。


「不明、というのはどういう意味なんでしょうか。そこがわからなければ、我々も行動しようにもできません。」


「さっきも言ったが、こちら側も実情全ては把握できていない。ただその情報を鵜呑みにした場合、2つの可能性が考えられる。」


「して、その可能性とは?」


「一つは魔族と生族の混血、もう一つは第3の種族というものだ。」


 先程以上に場が騒然とする。すると、俯いて話を聞いていた桜田が突如大声を上げた。


「静粛にしろ!今は緊急会議中だ!発言したい者は挙手してから話せ!」


 その声に空気が凍りつき、誰も声を発しなくなった。それを確認してか、桜田はまた俯く。


 璃久はまた問う。


「、、、彼らの勘違い、という可能性も、なくはないとは思いますが。」


「たしかに新人二人だけならそう片付けていた。だが付き添いには熟練のⅠ型戦闘員をつけた。そいつが意味もなく不明などと送ってくると思うか?」


「それは、、、いやしかし、相手の魔術、、、としか表現ができませんが、それがなにかわからない以上は、、、」


「だからその調査に私が赴く。」


 その場にいた全員の驚いた目線が桜田へ向けられる。依然桜田は俯きつつ、独り言のようにつぶやいた。


「さっき、白虎から連絡があった。今から約一ヶ月以内に調査が完了しなかった場合、白虎隊らとともに作戦を行うよう上から指示があったそうだ。うちと白虎の関係性はいいほうだが、それでも白虎に頼りきりでは玄武の威厳に関わる。なので早期解決を第一とし、私が現地へ行く。」


 すると血沼は焦ったように桜田に言う。


「しかし佳人卿!だからって四堂が出動だなんて私は認められません!」


 璃久を始めとした他のⅠ型戦闘員も反対する。


「いくら早期解決を重きにおいたとしても、四堂である貴女様が行かれる必要は、、、!」


「そうです!ここは我らⅠ型におまかせを!」


 ただ、四阿だけは一貫して無言を貫く。彼自身、その案には賛成だった。その理由と全く同じ考えを、桜田は述べた。


「うちのⅠ型戦闘員の最年少でも28歳、比較的若い寛解でも24、だが私はまだ齢17だ。対象も高校生となれば、彼ら3人よりも比較的潜入しやすく、且つ十分な戦闘力がある私が行くべきだろう。」


「いやしかし、相手に貴女様の顔が割れていたら逆効果では、、、!」


「言っただろう早期解決と!相手も意味もなくうちの隊員に手を出したわけではないだろう!何かしら目的がなければ、わざわざ手を出してまで怪しまれる行動は避けたいはずだ!」


「でも、、、!」


 黙って聞いていた四阿がここで割って入った。


「俺は賛成です。年齢的にも戦闘力的にも、佳人卿が行かれるのが適切だと考えます。」


「四阿!」


 亜沙実が四阿へ厳しい目線を送る。彼女は昔から桜田に厚い信頼を寄せ、異常なほどに桜田へ依存していた。反対するのも、彼女の身を案じてのことだろう。だが四阿は亜沙実をしっかり正面に見据え、硬い口調でいった。


「考えてみろ。複数回に及ぶ報告の中で一度たりとも魔族か人間かを識別できなかった相手だぞ。それが本当ならいわゆる未知の存在だ。しかもそいつに熟練のⅠ型まで容易く殺られているかもしれないんだぞ。」


「だからって、、、!」


「お前が佳人卿を心配する気持ちは十二分に理解できる。だがこれが一番合理的なんだ。」


「、、、」


「、、、わかった。そこまで心配なら、俺が佳人卿のバックアップに回る。 、、、それだけは許してくれませんか?」


 視線を外し、桜田の方へ向けた。桜田は四阿の方を見ずに答える。


「、、、勝手にしろ。」


 そっけない答えだったが、四阿は特に意に介さず、再び亜沙実に目を向けた。


「そういうことだ、豊麗公。俺らが不在の間、お前に玄武隊を任せたい。」


「、、、わかった。ただもし佳人に何かあったら私が貴方を殺すから。」


 四阿を睨みながらもそう言った亜沙美を見て、他のⅠ型戦闘員も佳人の出動を渋々認めだした。


 そして全員の賛成の結果、異例である玄武隊四堂・桜田風音と同隊八間・四阿庸平の2名が今調査に赴くこととなった。




 ***




日下部純麗くさかべすみれといいます。よろしくお願いします。」


 先日、日本へ入国を果たした桜田は日本政府の援助を受け、八幡が通う鳴矢高校へと転入という形で潜入した。


 そして潜入1日目。制服を身にまとった桜田は、日下部純麗という偽名を用いて2年1組の教室で自己紹介をしていた。


 小さい頃から銃や血が日常だった彼女にとって、”高校”というものがどのようなものなのか、正直掴みあぐねていた。日本のドラマなどで少しだけ予習済みだったが、それでも少しだけ不安感は残る。


 簡素に名前と挨拶だけ済ませると、担任と思しき男性教員が桜田の座る席を教えてくれた。窓際の一番うしろの席だった。


 クラスメイト等の視線、特に男子からのものが痛い。『佳人』などというコードネームの所以を感じ、少しだけ恥ずかしくなる。目立つのだけは避けたい。


 だがそんな桜田の淡い期待は、1時間も立たないうちに崩れ去った。


 1限目の授業が終わった頃、教室前には人だかりができていた。無論、目的は桜田を拝むためだろう。そこまで早く噂が広まるとは桜田も予想外であった。


 誰も聞こえないような小さなため息をつく。亜沙実の助言はある意味正しかったと言えよう。目立ってしまっては元も子もない。


 昔から顔立ちが異常なほどにととのっていることは自覚していた。だが自分自身、目立つことは嫌いで、時たまこの顔を恨むこともあった。


 父も母もどのような顔立ちかわからない。自我が生まれる前に道端に捨てられていた、とだけ育ての親から聞いていた。だがそんなこと、今となってはどうでもよかった。大事に想う人が多いと、必然的に大きな負担となる。それが減っただけだ。むしろ感謝したい。


「、、、おーい、日下部さん?」


 はっとする。自分としたことが、考え事をしていて呼ばれている事に気づけなかった。偽名で呼ばれていたとはいえ、これが戦場だったら死んでいた。


 自覚はないが疲れているのかもしれない、そう考えつつ、名前を呼んでいた者に目を向けた。


 大人しそうな女子生徒だった。体格も細くなく太くなくで、どちらかというとほのぼのしているような印象を受ける。


「、、、なんですか」


「なんかぁ、廊下の男子たちが日下部さんとお話したい〜って言ってるよ?」


「、、、適当にあしらっといてください。」


「はぁーい」


 軽くそう言われて一瞬拍子抜けした桜田をよそに、その女子生徒はこちらの様子を伺っている男子生徒に大声でこういった。


「話したくねぇだって〜!」


「ちょ、、、」


 面食らった。あまりにもストレートすぎる。一瞬、自身が言葉遣いを間違えたのではとすら思った。


 話したくないのは事実だ。ただ、彼らのことが嫌いな訳では無い。単純に、関わり合いを持ってしまえば、いざというときに私情に引っ張られる可能性がある。任務遂行が命よりも第一であるとするADFの方針と、ましてや四堂が食い違うようなことがあれば他の隊員に顔向けできない。


 言ってしまえば桜田なりの優しさであり、我儘だった。自分と関わることでその人が巻き込まれてほしくないし、見たくもない。


 ただ、これはあまりにも直球過ぎる。極力人と話したくないが、情報を得るために必要最小限の関わり合いは必要だと考えていた桜田にとってかなり厄介な返し方だった。


 そんな桜田の様子や、呆気にとられる廊下の男子生徒らに構うことなく、例の女子生徒は笑顔でまた話しかけてきた。


「お顔きれ~い!いつもどんなケアしてるのぉ?」


「えいやあの」


「あ、わかんないよね名前。私は久佐野くさの都姫みやびって言いま〜す。あ、都姫は都市の都に、お姫様って書くのぉ。」


「いやだから」


「でさ、話戻るけどほんとにきれいだよね日下部さ〜ん。おすすめの美容品とか教えてよぉ〜」


 、、、だめだ。完全にペースを持っていかれている。階級差もあるのだろうが、生まれ育った環境でこんなにもグイグイくる人はだれもいなかった。


 亜沙実もかなり自分に併存しているが、それでも敬意と憧れの念が覗き、やはり上司と後輩感は抜けない。さすが同年代の小さなコミュニティ、慣れるのにはそれなりの時間がかかるだろう。


 そう思考していると、助け舟が来た。


「みやちーん、次移動教室だよ〜!」


 久佐野の友人と思しき女子生徒が遠くからそう言う。言われた当の本人は、時計があと4分弱で休み時間を終えるのを示すのを見て、ようやく桜田の元を離れた。


 そして彼女が慌ただしく教室の外へ出る前、


「日下部さんも早くしないと遅れるよぉ〜!」


 とだけ言い残して去っていった。


 いつの間にか、教室内や廊下に溜まっていた生徒もまばらになった。移動教室と言っても、どこに該当の教室があるかわからない。


 立ち上がる。転入初日で授業に遅刻は笑えない。急ぐとしよう。


 先日にもらった見るからに新品の教科書と、その他筆記用具を抱えて廊下に出る。奥にクラスメイトの背中が見えたので、それを追おうとし、そして、見た。


 写真で数十回は見た顔。大事な部下を屠った可能性のある、憎むべき存在。そして、桜田がここにいる理由が、いまそこにいた。


 八幡直弥が前方から歩いてきている。思ったよりも整った顔立ちをしていた。髪も綺麗にまとめられていて、ひと目見ただけでももてそうな印象を受けた。だが、桜田はそんなことよりも、あることに戦慄し、思わず立ち止まった。




 本当に、魔族の気配も、人間の気配も感じる、、、!




 衝撃だった。本当に混血や、第三の種族が存在するかもなど思いもよらなかった。彼らの報告にも納得がいく。これはたしかに『不明』だ。


 信じられない。まさか、本当に、、、


 内なる動揺を抑えつつ、彼とすれ違う。そして通り際に、事前にポケットへ入れてあった盗聴機能及び位置情報を搭載している極小の機器を、開いていた筆箱の口へ器用に投げ入れた。


 マイクロチップほどの大きさなので彼が気づくことはないだろう、ADFの技術の進化には毎度驚かされる。そう思いつつも、やはり動揺は拭いきれない。




 まさか本当に、彼は未知の存在なのか、、、?





 ***


 授業自体は、小さい頃にADFによる英才教育によって、10歳までの間に一般教養と基礎知識、更にはその発展教養までも習得していたので、わからないところは無いに等しかった。


 問題はいかにして八幡直弥に接触するかであった。先述した通り、交友関係はなるべく広げたくはない。だがある程度、誰かとは情報提供できる関係にはありたい。桜田自身、人との会話はあまり得意ではないので、少々難題ではあった。


 しかし、それをも凌ぐ最大の問題は、、、


「ねぇねぇ日下部さぁ〜ん、どこから転校してきたの〜?」


「ねぇねぇ〜、今日一緒に帰らな〜い?」


「日下部さぁ~ん、放課後カラオケとかどぉ〜?」


「ねぇねぇ〜、ねぇねぇ〜」


「、、、」


 久佐野都姫が、桜田の行く先々で話しかけ、付いてくるのだ。噂で聞いたのだが、彼女は昔からマイペースで友人に甘えたがり、しかし興味のない相手にはとことん冷たい人物なのだそう。


 あの男子たちにあれだけ冷たかったのは単純に興味がなかったからなのだろうが、なぜ自分はこんなにも好かれているのかはわからない。考えれば考えるほど都姫という人間がわからなくなってきた。


 調査開始から一週間が経ち、ろくに八幡直弥に接触できていなかった桜田は、そんな都姫に少しずつだがストレスが溜まってきており、そしてそんな自分にも少しだけ驚いていた。


 今日もなんとか都姫の追跡を振り切り、校門前で迎えの車を寄越すよう電話で伝えた。


 まさか高校というものが、これほどまで疲れるものとは思いもしなかった。現代人の苦労が伺える。


 一般人のふりをして生活することに、あこがれを抱いたことはない。むしろ銃や、血なまぐさい人生のほうが、性に合っていると自覚していたし、そちらのほうが居心地がいいとすら思っていた。


 初めて銃を握ったのは3歳の頃だ。その日は、地上世界に迷い込み、そして捕らえられた魔族の処刑を見学するために育ての親に連れられて処刑場へ来ていた。


 鏡越しに見る部屋の真ん中には、椅子にくくりつけられた青い肌の魔族が、目隠しを掛けられた状態で座っていた。見るからに怯えきり、魔族の言語でなにか叫んでいたのを覚えている。


 すると執行官が突然、その部屋へ自分を招き入れ、当時の自身の数倍の大きさははあるアサルトライフルを手渡してきた。困惑していると、育ての親が傍らに座り、持ち方と狙うべき場所を丁寧に教えてくれた。


 そうしてその魔族の脳天に銃口を向けた時、育ての親が一言、


『撃て』


 と。


 迷いや怯えはなかった。小さい指で、引き金を力いっぱい引いた。銃の激しい反動とともに、その魔族は青い血を吹き出して激しく痙攣し、そして息絶えた。


 その時、それを心底喜んだのを覚えている。自らが頑張って撃った銃が、憎むべき魔族を撃ち殺した、その達成感が胸をいっぱいにした。育ての親も傍らで笑っていた。


 これが狂っていると感じれるなら、根っから一般人なのであろう。桜田は狂っているなど微塵も感じなかった。むしろ、良い思い出として脳の引き出しに大事にしまっている。


 これを都姫が知ったらどう思うだろうか。幻滅するだろうか、怖がるだろうか。




 、、、何を考えているのだろうか。余計なことを考えすぎだ。戦場なら5回は死んでいるだろう。


 ふと、校舎の方を振り返った。するとこちらを見ていた人影が、焦ったように目をそらしたのが見えた。


 それが八幡直弥だと、すぐに気がついた。見られていることに気づかなかった。感覚の鈍りを感じるとともに、今すぐにでもあの窓を突き破って殺してやりたい気分に襲われたが、奥に友人と思しき人影も見えたので、今はやめておくことにする。


 そうもしないうちに、黒塗りのセダンが目の前に止まった。そしてスーツ姿の四阿が運転席から降り、後部座席の扉を開ける。


 桜田は無言のまま、開かれた後部座席の入口へと滑り込んだ。


 車内は物音一つせず、静謐な空間が広がっていた。四阿は開けた扉を締め、また運転座席へと戻った。


 車が発進する。窓の外の景色が横に流れていくのをしばらく眺め、小さくため息をついた。


 すると、それが聞こえたのか四阿が前を見ながらも話しかけてきた。


「珍しいですねため息なんて。いつも幸せが逃げるとかおしゃっているのに。」


「、、、別に、なんてことない。ただちょっとつかれただけ。」


「いくら佳人といえど、疲れることはあるんですね。」


「、、、どういう意味?」


「いえ、こちらの話です。」


 そう言いながらクスクスと笑う四阿を尻目に、窓の外をぼうっと眺める。


 まばらに、下校する生徒が歩いているのを見かける。彼、彼女らはこの小さなコミュニティが日常なのだと思うと、何も気にしなくていい生活が少しだけ気になる自分がいた。


 何も気にしなくていい、本当の殺意や悲しみ(・・・・・・・・・)を感じることのない生活。きっとこの先も無縁なものであろう。


 気持ちを紛らわすのもついでに、カバンからスマホを出した。そしてそこに登録してあった連絡先をタップし、耳に当てる。


 ツーコール後、相手が電話を取り、話し始めた。


『もしもし』


「もしもし」


『僕だ。任務・・の方は順調そう?』


「ああ、そっちはやっと見つけた。まあだいたいだけど。」


『だいたい?それは確定って言い切れるの?』


「、、、私がそんなことすらわからないとでも?」


『いや別にそういうわけじゃないけど。』


 淡々と会話が進む。これといって捻った話題はなかった。


『まぁ、そこからが大事なんだけどね、予定通りにいってるかい?』


「問題ない。全部予定どおりだよ。」


『そう、それでも掛けてくるってことは本題はそっちじゃないんだろ?』


「さすがだね」


『ああ、もしかして報告に挙がってたやつか?』


「そう、報告のやつ」


『、、、いや、それ僕未だに半信半疑なんだけど』


「私も疑った。そんなの私も見たことがない。」


『、、、ありえるのか?そんなこと、、、』


「ありえるんでしょ、実際いたしね」


『はぁ、、、』


「でその件も含めてどうすれば、、、」


『あーそうだな、まあでも任務は任務だからさ、捕らえても殺してもなんとも思わんよ』


「何その適当な指示」


『面倒くさそうな声してるね?』


「、、、いや、別に」


『判断するのは君だ。僕が口出しできることじゃない。』


「、、、まあ、適宜善処するよ。」


『、、、名前なんだっけ』


「え、名前?」


『その報告のやつ』


「ああそれのね、、、八幡直弥」


『ヤハタ、ナオヤ?ふーん、、、まぁじゃあ任務の方は任せたよ』


「うっすい反応。まあいいけど」


『へっ、じゃあまた』


 そういって電話を切った。無言を貫いていた四阿は、そのタイミングで桜田に話しかけた。


「大方予想はついてますが、先程のはどなたですか?」


「朽宮。あっちの隊とも歩調合わせなきゃだし。」


「おかみも面倒な指示出しますよね」


「それ聞かれてたら死ぬぞ、四阿。」


 やや真剣なトーンにおもわず黙り込んだ四阿を見て、少しだけ口元を緩めて笑う。そしてまた窓の外の景色を見て、今日何度目かのため息を付いた。


「、、、また幸せ、逃げちゃいましたよ?」


 四阿のその言葉に、視線を外さずにこう答えた。


「逃がしてあげたほうがいいよ。」





「私には『幸せ』なんて2文字、勿体ないにもほどがある。」





 ***


 次の日から、いきなりきな臭くなった。


 それも都姫から聞いた話だが、横井亮太よこいりょうたなる男子生徒が男性職員に暴行を加え、3日間の停学処分になったそうだ。


 それだけなら特に桜田も危惧しなかったのだが、噂によればその日、いつも優しい印象の彼がまるで人が変わったかのように女子生徒にも暴行を加えようとしたらしく、なにより横井という人物は八幡直弥の親友なのだそうだ。


 無関係には思えない。かといって証拠があるわけではなかった。ただ、彼の筆箱に仕掛けた盗聴器からも特に有益な情報は拾えず、そのまま一週間も無駄に過ごしていることもあるので、白虎の干渉の前に行動を起こすことにした。


 事件があった2日後、まず件の詳細を調べるために、2年3組、つまるところ横井亮太や直弥のクラスメイトに聞き取りを行う。


 最初は小柄な男子生徒。桜田は彼に校舎裏に呼ばれていた。普段なら無視するのが当然だが、2年3組ともなると話は別だった。


 放課後、1階まで階段を下り、校舎の裏手へと足を運ぶ。そうして裏口を抜けると、眼の前にあの男子生徒が見るからに緊張した面持ちで佇んでいた。


 黒縁メガネに、ぽつぽつと赤いにきびを並べ、黒くて長い前髪を持つ彼は目立たない印象が強く、ぱっとしない見た目が特徴的だった。


 桜田に気がついたその男子生徒は、更に顔をこわばらせながらも震える声で話しかけてくる。


「あ、、、えと、、、桜田、さん、、、あの、、、こんにちは、、、、」


 変に作り笑いをしながらそういった彼をまっすぐ見据え、鋭く言い放つ。


「先に私の要件聞いて。横井亮太はどんな様子だった?」


「へ?、、、いや、あの、、、」


「今周りでコソコソ隠れてる男どもに言われて、それに逆らえず私に思ってもない告白しようとしてるのはわかってる。それが嫌って思ってんなら私の要件にだけ答えてくれたらいい。」


 そう言った瞬間、驚いた表情で固まる彼の奥の草陰で、ゴソゴソという物音が聞こえ、そうもしないうちに5名ほどの、制服姿の男が姿を表した。


 いずれも、鳴矢高校の制服ではなかった。あるいは金髪、あるいはドレッドヘアー、将又手にナイフを握っている者など、風貌は多種多様ではあるが、制服自体は緑色のブレザーに赤のネクタイ、白のワイシャツに灰色のスラックスとどれも同じものだった。


 その中のトップであろう一人、一際身長や体格が大きくて、韓流アイドルのような顔立ちの男がゆっくり近づいてくる。


 その男をじっと見つめながら、桜田は無表情で話しかける


「ジミンにしては図体ゴリラすぎでしょ」


 それを聞いた男らは下卑た笑みを浮かべ、桜田と小柄な男子生徒を取り囲んだ。


 リーダー格の男が口を開く。


「ダイナマイトなら踊れるぞ。シャルウィーダンス? 」


「私入れたら6人だからブロビのほうがいんじゃない?ほら、ゴリラだし。」


 男の目から笑みが少し消える。だが依然として口元は笑っていた。


 男子生徒を指さして、男はこう言う。


「こいつが喋りやがったのか?、、、まぁ、それは後ででいいとして、日下部純麗、俺の彼女になれ。俺ならお前を世界一の女にできる。」


「ドラミングで求愛すれば?そのほうがもっといい雌が見つかるかも。」


 今度は明確な怒りが覗いた。男は片手を静かにあげ、それを見た取り巻き達は2人を包囲している距離を詰めて、今にも殴りかかろうとする姿勢に入った。


 男子生徒の方は先ほどから怯えていたが、依然桜田はひとつも感情を覗かさず、ただじっと男を見つめるだけだ。


「女に暴力振るおうだなんて最低。ほんとに野生動物なの?」


 苛立ったような目で桜田を睨め付ける男は声を張って怒鳴った。


「さっきから舐めた口を!女が勝てると思っ、、、」


「9秒。」


 遮るようにそう呟いた桜田は、その瞬間身を翻し、取り巻きの内の1人へと回し蹴りを加えた。


 側頭部に激しい衝撃を受けたその男は一瞬呻いて一撃で崩れ落ちる。その間1秒。


 他の者が状況を受け入れるよりも早く、回し蹴りした勢いそのまま近場にいた男にも後ろ回し蹴りを入れ、横に吹っ飛んだ男は激しく転がり、白目をむいて気を失った。3秒弱経過。


 ようやく状況を理解した残り2人の取り巻きは懐から折りたたみ式のナイフを取りだし、こちらへ刃先を向ける。


 臆することなく桜田は彼らに腰を低くして駆け寄り、1人の手にあるそれを奪い取ってふくらはぎににそれを躊躇なくめり込ます。絶叫をあげつつもまだ立てているその男に今度は足払いを掛け、こけかけているその男の頭を片手で掴み、そのまま地面にめり込ませた。


 あと1人の男は予想外の展開に焦り、桜田の背後から手の中にあるナイフを突き刺そうと突進してくる。


 それに気がついた桜田は、瞬時に地面に伏せた。


 男からすれば、目の前にいた突き刺すべき相手が一瞬で消えたという認識なので何が起こったか瞬時には理解できない、その隙をついて彼の腰辺りを、ウィンドミルの要領で巻き込む形で地面に頭から叩き伏せた。


 男が気絶し弛緩する。宣言通り9秒ジャスト、彼らと桜田の格差など一目でわかる。


 リーダーと思しき、一際体の大きいあの男は信じられないとも言いたげに目を見開き、後退りしていた。


 それを見た桜田は地面に転ばる男を蹴飛ばし、ゆっくりその男へと近づく。


 彼はバタフライナイフを取り出し、器用に刃先をこちらに向ける。そして怒りの様相でこちらへ突進してきた。


 だがもはやその程度のことで桜田に勝とうとするのは無謀に等しい。桜田はこちらへ勢いよく向かってくる巨体を軽々と避けてローキックを放ち、距離が空いたところをきれいに回転跳び回し蹴りで足先を勢いよくめり込ませた。


 気絶こそしなかったが、軽い脳震盪を起こした男は地面にうつ伏せで倒れ込んで苦しげに呻く。桜田は彼が取り落としたバタフライナイフを拾い上げ、器用に回しながらゆっくり近づく。


 這ってでも逃げようと必死の男に桜田は背中から馬乗りになり、彼の顔からわずか1センチ程度離れた場所にナイフを勢いよく突き立てた。


 男が固まる。顔のすれすれに凶器が刺さったのだから当然だろう。身震いする彼の耳元へ桜田は口元を近づけ、囁く。


「私のこの姿他の人に言ったら、一家ごと消すから。」


 静かにそう囁いた後、凍りついた男の首筋に手刀を振り下ろし、気絶させる。




 あの囁き声は、普段の彼女からは考えられないほど楽しそうであった。




 ***


 恒田佑紀つねたゆうきは1分も満たない時間、なにか悪い夢を見ているような感覚に陥った。


 普段から小柄で目立たなく、成績も普通、運動もあまり得意ではなくて友達も数人しかできたことがなかった彼は、中学校が同じだった不良グループにコマにされていた。


 殴る蹴るなどの直接的な暴力は、恒田自身が争い事を嫌い、彼らの言う事を素直に聞いていたためそこまでひどいものではなかったが、金銭の強奪やパシリは頻繁に受けた。


 だが、逆らうことなどできない。逆らえば最後、バックにいると言われているもっと大きな不良グループや暴走族に目をつけられ、いたぶられる。そんな人を何人も目にしてきた。


 今回のこともそうだった。リーダー格の桔梗ききょうという男が、日下部純麗という同じ高校の女子生徒の噂を聞きつけ、話せるよう機会を作ってくれと頼んできた。


 頼んできた、と言ったが、先述した通り逆らうことなどできるはずもない。簡単に言えば命令だった。しかもそれは、自分が先に告白し、その姿をさんざん面白がってその後、影から彼女を襲い、好きにしようという魂胆が丸見えだった。それを承知の上で、了承した。


 日下部純麗など、一生涯関わることのない人物だと思っていた。人形のように整った顔立ち、透き通るような白い肌、細い腕と脚、ふくよかな胸、、、どれを取っても自分がどうこうできる人物ではない。だから正直、彼女の靴箱に入れた、ラブレターという名の嘘の羅列など、破り捨てられて当然とさえ思っていた。その後、彼らに暴力を振るわれるのも、目に見えていた。


 だが、何を思ったのか彼女は、手紙に書いた場所―――校舎裏に、姿を現したのだ。


 本当に来るなど、予想だにしないことだった。あれだけ噂されている彼女が、今目の前に、、、そう考えるだけで、胸が緊張で張り裂けそうだった。


 最初何を話せばいいのか皆目検討もつかないが、とりあえず自分なりに震える声で、こういった。


「あ、、、えと、、、桜田、さん、、、あの、、、こんにちは、、、、」


 自分でもギリギリ聞き取れるかくらいの小さな声だった。後ろの草むらで、クスクスとこちらをあざ笑う声がかすかに聞こえる。恥ずかしさが体を覆い、死んでやりたくなった。


 だが日下部は、突拍子もなくこういった。


「先に私の要件聞いて。横井亮太はどんな様子だった?」


 拍子抜けする。一瞬、何を聞かれているのかわからなかった。


 横井亮太が先日から停学中であることは、3組では公然の事実である。いきなり女子生徒や教員に暴力をふるった彼は、普段は粗雑ながらもいい人で、人とかかわらない自分でさえ優しい人間という部類に脳内で分けていた。


 なぜあの様になったかはわからない。周りの人たちも、彼の変化の予兆すらつかめていなかった様子だった。


 だが、それが日下部となんの関係があるのだろうか。困惑していると、彼女はこういった。



「今周りでコソコソ隠れてる男どもに言われて、それに逆らえず私に思ってもない告白しようとしてるのはわかってる。それが嫌って思ってんなら私の要件にだけ答えてくれたらいい。」



 驚きと怯えが同時に襲う。なぜ彼女はそれを知っているのか。無論、彼らがいることは伝えてなどいない。だが事実、彼女は存在を認知していた。一体どうやって、、、?


 周りの草むらから人が這い出てくる。おもわず恐怖に固まってしまう。自分は一切彼らのことを口に出していないと弁明しようとも、耳を貸してくれないだろう。その先にあるのは殴打と罵倒だけだ。


 桔梗を中心に日下部ら二人を男が取り囲んだ。その全員が日下部には下品な笑みを、そして恒田には底冷えするほど冷たい目線を送る。緊張で、まぶた一つ動かせなくなった。


 日下部と桔梗がなにか話しているが、恒田の耳には届かない。全方向から少しずつ、男たちが距離を詰めてきているのが視界の端にあったためだ。このままいけば、日下部にも暴行が加えられる。自分が撒いた種なのはわかっているが、せめて彼女だけは救いたい。


 桔梗が怒鳴る。その瞬間周りの取り巻きがふたりに襲いかかろうとする姿が見えた。ありったけの勇気を振り絞り、日下部をかばおうとした、その瞬間。



 風が、横切った。



 長い前髪が揺れる。その合間から見えた景色に、先程までいたはずの日下部の姿がない。ならばどこへ行ったのか、そう思うよりも先に、背後から肉体を打つような殴打音とともに男らのうめき声が聞こえた。


 振り返る。そこにはもうすでに、二人の男が地面に倒れ込んでいた。状況を把握する前に、隣から絶叫が響いた。驚いて次はそちらを見ると、小さなナイフのようなものが太ももに刺さった男と、そのナイフの柄を握る日下部の姿があった。


 そして日下部は目にも止まらぬ速度で男を叩き伏せ、突進してきた男にも姿勢を低くしたうえで華麗に足を絡ませ、容易く失神させていた。


 度重なる衝撃で、今度は声すら出ない。思わず腰が抜けて座り込んでしまい、悠然と立ち上がった日下部をただ見上げることしかできない。細身な彼女からは考えられないほど優雅に、且つ無慈悲に男らをねじ伏せ、叩き伏せていた。


 一人残った桔梗もバタフライナイフを取り出し、彼女に応戦する構えを見せたが、そんな彼もものともせず、高い跳躍からの回し蹴りを彼へ食らわして打ち倒した。


 だが、男らを束ねていただけあり、桔梗はまだかすかに意識はあった。そんな彼に彼女はバタフライナイフを拾い上げて馬乗りになり、それを振り上げた。


 思わず目を覆う。だが、その後に響いたのは硬い金属音と、小さな殴打音だけだった。恐る恐る目を開けると、横たわりながら呻く数名の男らを背後に、清々しい顔の日下部が目の前にしゃがみこんでいた。


 見惚れるほどきれいな彼女の顔に釘付けになる。男らと戦っていたとは思えないほど身ぎれいな日下部は、優しくこういった。


「君も、このこと言わないって約束、できそう?」


 その瞬間、ふっと意識が遠のき、自分でも気づかぬ間に気を失っていた。



 ***



 四阿に連絡をとり、すぐに車を手配してもらった。彼は到着した途端、周りの状況に少々呆れた様子で言った。


「、、、佳人卿、これは一体?」


「、、、調子乗った。」


 横並びにされた男らの傍らに四阿はしゃがみ、じっとその顔を見た。


「致命傷は避けたらしいですけど、、、にしたってこんな大胆なこと、、、一人に至っては出血がひどいですし。」


 そのまま今度は、一人遠くで寝かされている男子生徒の方を見て、桜田に問いかけた。


「彼は?」


「ちょっとした参考人。ただ、私のあの姿を見られた。どうあれ何かしらの処置はしないとまずいかも。」


「見るにショック性の失神です。体の方はまず問題無いでしょうが、見られたのはまずいですね、、、」


 そのままゆっくりとこちらをふり返った。その顔は心底困っているように見えた。


「、、、で、どうするんですか。」


「とりあえず、こいつらはそのへんに放置。んでその子は、、、家にでも帰そう。」


「、、、放置って、大丈夫なんですか?そんなことして。」


「こいつらが私にボコボコにされたなんて言えるはずがない。そんなこと言ったら最後、舐められてバックの組織に使い潰されるのがオチ。まあそれを信じてその組織が彼らを擁護したとしても私だけで一人残らず潰せる。」


「潰すってまた大胆なこと、、、」


「どうあれ政府や国家権力は私の味方だしあいつらがどう言おうが捕まることはない。まあこいつら拷問して黙らせるのも手だけど、そんなことしてる暇私達にはない。」


「、、、まぁ、貴女様の指示とあらば逆らいはしませんが、、、そんでまた、彼を帰すってのもいささか、、、」


「そうならないよう脅しをかければいい。不本意ではあるけど」


 桜田は近場にあったホースのつながっている蛇口の口をひねり、水を出す。それをそのまま男達にかけた。制服が水を吸い、汗や指紋など様々な証拠を洗い流す。最終的には捕まらないとはいえ、ADFの存在を知っているのは警察組織のトップ層のみであり、釈放されるのには少々時間がかかるだろう。そんな無駄な時間を食うのは御免だった。


 男らや地面に満遍なく水をかけた後、手で水をすくいつつ、蛇口の把手をしめる。そこにも手ですくった水をかけた。


 そうして一通り証拠を隠滅した後、男子生徒へ目を向けた。彼は未だに気を失っており、目を覚ます様子はない。


 桜田は近づき、軽々と彼を担ぎ上げる。そのまま塀を越えて止めてあった車の後部座席にゆっくり寝かした。


 そのまま彼女は助手席へと座り、四阿は運転席へと滑り込む。そして彼は桜田に問いかけた。


「家の場所はおわかりなんですか?」


 前を見据えたまま、ブレザーの懐から先程とった男子生徒の生徒手帳を取り出し、片手で開いて器用に住所を指さした。


 半分呆れ顔で、四阿はつぶやく。


「仕事が早いことで、、、」


 ふん、と鼻を鳴らしながら手帳をしまうと、四阿はナビに書いてあった住所を打ち込み、発車した。


 しばらく無言が続く。腕組しながら外の景色を眺めていると、小さな物音とともに後ろで寝ていた人物がゆっくりと起き上がった。


 目だけを動かし、バックミラーで様子を確認しながら彼に話しかけた。


「無理しなくていい。辛いならそのまま寝てて。」


 ビクッと体を震わせ、彼は前を見る。そしてそれが桜田(彼からすれば日下部だが)だと気づき、安堵と怯えが混じったような顔を浮かべた。


「あ、あのっ、、、どこに、、、連れて行かれるんでしょうか、、、」


「あなたの家。そんな過度に心配しなくていい。」


 ほっとした様子の彼を見て、桜田は切り出す。


「、、、教えて、横井亮太はどんな様子だった?」


 一瞬きょとんとした表情を浮かべた彼だったが、すぐにはっとして語りだす。


「は、、、えと、、、横井、くんは、、、いつもは、すごい優しい人、でした。でも、なんでか急に人が変わったみたいに暴力的になりました。」


「暴力的って?」


「あの日、横井くんは学校に遅刻してました。普段は大雑把だけど、根はすごく真面目だからこれだけでもすごく珍しいことなんです。」


「、、、」


「で、でもその日はなんか違くて、、、その、、、なんていうんだろう、、、まるでなにかを恨んでるような感じでした。特定の人物ではなくて、もっと大きななにか、、、」


「、、、それで、そのまま暴行に及んだと?」


「はい、、、あれは、横井くんであって、横井くんではなかった、ような気が、します。」


「、、、そう、ありがとう。」


 無言になり、車の静かな走行音だけが車内に響く。そうして気まずそうに俯いた彼を尻目に、思考を巡らす。


 何かを恨んでいると言った。それも個人ではなく、もっと大きななにか。もしそのなにかが生族・・人類・・であった場合、かなり危険だ。


 しかも正直、彼が魔族であると仮定したならばかなり筋が通っている。そうなれば、警戒する対象が倍になってしまう。しかも、昼間だと姿を確認できない可能性が高い。横井亮太が停学処分から帰って来るのは明日からだが、もし彼がそうだった場合、わざわざ姿を見せるほどの愚行は何かしら意味がない限りしないだろう。


 疑問が疑問を生む。八幡直弥と横井亮太の件はそれぞれ別のことなのか、それとも深い関係性があるのか。桜田が睨んでいるのは無論後者だが、前者の可能性も証拠がない為捨てきれない。


 とりあえず、今できるのは横井、八幡両名の動向を随時追うこと、それに尽きる。


「あの、、、ほんとに、すみません、でした、、、」


 突然男子生徒が謝罪する。桜田は依然腕組を外すことなく、バックミラー越しに答えた。


「なにが?」


「いや、あの、、、あいつらに、日下部さんを連れてくるよう言われて、その、、、騙して、日下部さんが暴行、されそうになって、、、」


「結果的にゴリラ共は返り討ちにあったし、私も見ての通り無傷。つまり君が謝る必要はない。」


「で、でも僕はあなたを、、、」


「いい?世の中優しすぎる人はいずれ使い潰される。ちょっと図々しいぐらいが世渡り上手って言われるぐらいだし。んで君は優しすぎ。そんなんじゃまたカモにされちゃうよ?」


「、、、」


「、、、まぁ、もしそれでも負い目感じてんなら私を手伝ってよ」


「佳人卿、、、!」


 四阿が小声で咎める。それを無視しながら相手の反応を待った。


「、、、手伝うって、例えば何を、ですか?」


「八幡直弥と横井亮太近辺の情報収集。それだけ。」


 四阿は諦めたように小さくため息を付く。その姿を横目に見て、少しにやりと笑った。


 それに気づく様子もなく、男子生徒はこういう。


「そんなことが償いになるのなら、よ、喜んで、、、!」


「、、、ありがと。」


 そうもしないうちに、ナビが目的地に着いたことを知らせた。それを聞くと、男子生徒は急いで枕代わりにおいていた自分の制鞄を手に取り、去ろうとする。


 後部座席の扉を開いた男子生徒を、桜田はサイドウィンドウを開けて呼び止めた。


「君、ちょっと最後に」


 呼び止められた彼は緊張した様子で硬直し、ゆっくり後ろを振り返る。


 そこには白くて細い腕と、その先には先程の生徒手帳が握られていた。


「これ、返すの忘れてた。」


 恐る恐るといった様子でその手帳を受け取ろうとした彼だったが、桜田はその手帳をぎゅっと握りしめ、離さなかった。


 彼が困惑しているのを横目で見、低い声でこう告げた。


「君も、私のあの姿人に言ったら誇張なしに殺す(・・)から。 、、、信頼してるよ、恒田佑紀くん。」


 そこでようやく手帳を離し、窓を閉めた。そして呆然と立っている恒田を尻目に、車は発進する。


 車内でそれ以上の会話は存在しなかった。無言のまま桜田は、誰にも聞こえないような小さなため息をついた。



 続く、、、

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