57話 チルドレン
チルドレン、それは「神の子」と呼ばれる特異体質を持った人間たちを指す。
過去数千年の歴史の中で、その兆候は一度として確認されたことがなかった。
しかし、十三年前の〈厄災の日〉を境に、世界のどこかで少数ながらそれらは現れ始めた。
その原因はいまだ解明されていない。だが現在の有力な説として、〈厄災の日〉にユグドラシルの総数が八本から四本へと減少したことにより、生族が生きる力の根源とし、人術を形づくる際に必要な「生力」のバランスが大きく崩れた結果、世界そのものに“バグ”が生じて、その歪みが一部の人間に特異な性質をもたらした――と考えられている。
チルドレンの最大の特徴は、その肉体に現れる特異な兆候である。
極端に小柄な体格、年齢にそぐわぬ美貌、あるいは精神のどこかに欠落を抱える性格――その現れ方は千差万別だが、いずれも普通の人間としての均衡が崩れているかのように見える。
しかし、それは同時に「力」の証でもあった。
彼らは生まれながらにして人術への適性を常人の何十倍も持ち、通常なら長年の鍛錬を経て到達する領域に、わずかな期間で達してしまう。身体能力も同様で、反射速度・耐久力・知覚範囲など、既存の常識を凌駕する数値を示す者が多い。
その存在は祝福であり、同時に呪いでもある。
ファーストチルドレンでもある白虎隊四堂・朽宮言真は、齢三十一歳にして、外見は十歳前後の少年のままだ。
十三年前までは、ごく普通の成人男性だった。しかしあの「厄災の日」を境に、身長や骨格が急激に変化し、肉体年齢だけが逆行したかのように幼児化していった。生物学的には成長が停止しているのに、知能や記憶、戦闘経験はそのまま保持されているという異常な存在である。
彼が扱うのは「嵐術」――神化人術の一つで、風・雷・水の三属性を複合させた極めて稀少な系統だ。通常の人術師では一生かかっても扱えないほどの高密度な生力操作を、言真は無意識下でさえ制御できる。その力ゆえに、彼はADFの切り札として白虎隊に籍を置き、同時に「神の子」の実例として血沼蠟兆率いる上層部から監視されてもいる。
朱雀隊八間・空夜凪も、チルドレンとして扱われている。
彼は「感情の大部分を喪失する」という極端な代償を背負う代わりに、元来使いこなしていた療術が神化し、やがて「幻術」と呼ばれる神化人術へと昇華した。
その幻術は対象に「非現実」を見せ、対象に意思に関係なく五感や時間感覚に干渉する凶暴な術であり、完全に使いこなせれば敵味方を問わず現実を塗り替えることさえ可能だと言われるが、感情という指針を欠いた彼には、その力を戦術的・政治的に使いこなすだけの柔軟性がなかった。
そのため、ADFは彼を四堂に昇格させることを一度は検討されながらも、最終的には「判断の不確実性」を理由に八間のポストにとどまっている。
空夜自身もまた、その判断を受け入れているのかどうかさえ定かではない。表情に浮かぶものは、歓喜でも憤怒でもなく、ただ淡々とした空虚さのみである。
現在謹慎中である玄武隊四堂・桜田風音もまたチルドレンであった。万人の目を奪うほどの美貌を持ち、しなやかな肢体と透き通るような白い肌、そして氷のように冷たい双眸が特徴である。彼女の姿はしばしば「人間離れした美しさ」と形容されるが、それこそがチルドレンの証であった。
彼女の特異体質はそれ以外にもある。彼女はADF生まれなのにも関わらず、その体に人術を宿していないのだ。
表世界の人間は必ずというわけではないが、人術にはほとんど目覚めない。一方、ADF住人は100%人術に目覚める。これはユグドラシルとの直接的な距離が原因とされるが、厄災の日以前から風音はなぜか一切の人術発現の様子がなかった。
その特異さゆえ、彼女は当時の白虎隊四堂に見出され、引き取られ育てられた。しかし十三年前の厄災の日、街を襲撃した魔族により瀕死の重傷を負い、その生涯は終わるかに見えた。
だがその刹那、彼女は人術ではない、もっと古い特別な力に目覚めた。
――「神眼」。
今から四百年前まで存在した、当時ADF内で最高権力を握っていた天霧家相伝の特異体質である。
天霧家は「調停の家」と呼ばれ、四隊のさらに上に立ち、神族と生族の交渉・裁定を一手に担ってきた名門。その血脈にだけ現れる神眼は、莫大な体力を消費するかわり、対象の肉体・魂・記憶の層を“透視”し、さらに未来の分岐を“視定”することが出来るとされる。戦術・政治・裁定において絶対的な優位をもたらし、ゆえに天霧家は数百年にわたりADFを統べた。
しかしある時、現・朽宮家の祖にあたる家がクーデターを起こし、天霧家の人間はことごとく暗殺・処刑された。神眼の継承者はこの世から完全に姿を消し、それ以降四百年間、神眼を持つ者は現れなかった。
その神眼に、桜田風音は目覚めたのである。四百年ぶりの英雄の帰還に対する衝撃はあまりにも大きく、彼女は瞬く間に注目を集めた。厄災の日の唯一の生き残りとして知られる四堂・氷雨野与一にも匹敵すると評され、ADF史上でも稀有な存在として、その名は急速に広まっていった。
チルドレンはADF以外にも表世界に数名いるとされているが、その人数や所在は定かではない。本人も自身がチルドレンと気づかぬ間に各々の日常を過ごしているのか、将又謀反組織によって軟禁され、情報が闇に沈んでいるのか…数が未知数である以上、どの説も否定できない。
そして、そんな表世界のチルドレンの一人こそが八幡直弥だ、と朽宮言真は嬉しげに告げた。
「君の特異体質は紛うことなく“混血”。チルドレンじゃないと説明がつかないもん、それ」
言真の声音は、からかうようでいて確信に満ちている。
混血──生族と魔族の血が交わった存在。理論上はあり得ないはずの“禁忌”の系譜。
直弥の胸の奥に、理解と拒絶が同時に突き刺さった。
自分の身体を満たすこの得体の知れない力も、父母から授かったと思い込んでいた普通の血も、そのすべてが再び揺らいでいく。
「父母から授かった血ではあるさ」
見透かしたように、言真は淡々と続けた。
「さっきも言ったように、チルドレンが発生し出したのは十三年前の厄災の日以降。君は今十七歳で、そこから考えうるに──君は四歳まで、普通の人間だったんだろうね」
直弥は言葉を失う。四歳以前の記憶は断片的で、家族の写真の中の笑顔だけがかろうじて鮮明だ。だが、あの頃すでに何かが始まっていたとしたら?
言真は間を置かず、手を軽く振りながら続けた。
「ユグドラシルが保った生力が崩れ、世界の基盤が一瞬だけぐらついた。君の血脈はその瞬間、普通の人間の枠を超えて“混血”に変わったんだ。正確には生族の身体に魔族の因子が混じり込んだ、というべきかな。だからユグドラシルが君に反応した。だから君に“相反療術”が宿った」
その説明は、直弥の胸に冷たい針のように突き刺さる。
「普通はね、たった一人のためなんかにユグドラシルは反応しない。」
言真は直弥に近づき指先で顔をなぞりながら、言葉を区切るようにして続けた。
「ユグドラシルは“基盤”そのものだ。もっと簡単に言えば、世界を成り立たせる骨格みたいなもの。あれが揺らぐときは、世界が大きく“変化”するとき──その瞬間に、いくつかの存在が偶然にも巻き込まれた」
直弥の喉が乾く。鼓動だけが耳に響く。
「つまり、チルドレンは世界の異常そのものが“刻印”された個体なんだ。ユグドラシルが自分の欠損を埋めるために選んだ“補助因子”……あるいは“媒介”とも言える。」
言真は唇の端をわずかに吊り上げる。
「だからこそ、彼は君に術を宿らせた。故意ではなかったにしろ、君はユグドラシルに選ばれた人間なんだから。気に入られてるんだよ、直弥くんは。」
直弥は拳を握りしめる。指先が白くなる。胸の奥に、冷たいものと灼けるようなものが同時に渦を巻いていく。
言真は、その様子を愉しむように見つめながら、さらに低い声で囁いた。
「――それにしたって、相反療術かぁ…また謎の多い術を…」
そこでようやく、直弥は口を開いた。
「謎の…多い?」
「うん」
言真は頷き、指先を宙に走らせるように動かしながら言葉を続ける。
「人術っていうのは、全部もとをたどれば神族の“創造”の力なんだ」
言真は肩をすくめるようにして、指で数を折っていく。
「そこから最初に生まれたのが、俗に言う“神化人術”。過去の記録を遡れば、確実に六つ存在したって言われてる。……けど、残念なことに、現代ではそのうち四つしか克明な記録が残ってない」
彼はわざとらしくため息をついた。
「その四つはそれぞれ、炎術、氷術、嵐術、幻術。そこから派生して、火術や水術、電術、風術、鎖術、鉄術、妖術……まあ、その他いろいろあるってわけ」
言真はひょいと手を広げ、目の前にそびえ立つユグドラシルを見上げながら、呟くように続ける。
「でもねぇ、相反療術だけは一体どこから派生したのか、全くもって不明なんだよねぇ」
その声色には、好奇心と薄ら笑いが入り混じっていた。
「療術自体は幻術の派生だ。昔はその療術からさらに分かれた術だと思われてた――ああ、だからこそ“相反療術”って名前がついてるんだけどね。でも、技術の発展で研究が進んだ結果、療術との術式構造……いや療術だけじゃなく、当時存在したありとあらゆる術と、その構造がまるっきり違うことが分かったんだ。そりゃ〜もうびっくりするくらい!」
そう言って彼は軽やかに笑う。
「―――まぁだから、これも必然なのかもね。ユグドラシルからの、その謎多き術をしっかり使いこなせってお達し。」
彼は冗談めかした笑みを残したまま、ふっと視線を落とす。
「頑張りなよぉ。さっきも言ったけど、君は多分ユグドラシルに好かれてる。なんでかは知らないけど、その好意を無為にしないよ〜にね〜。」
直弥は思わず視線を落とし、掌を見つめる。さっきまで葉が乗っていたその手は、微かに熱を帯び、心臓の鼓動に合わせて震えている。
「好かれてる、って…なんで…」
「さぁね。僕だって神じゃないし。けど、ユグドラシルは君に対して今この世界に必要だって思ってることは確かさ」
言真はいつもの少年のような笑みを作り直し、指先で軽く直弥の胸を突く。
「それに、君はもう持っちゃってるんだろ? “相反療術”を。なら、使えるようになるしかない。世界がどうこうっていうより、君自身が生き残るためにもね」
すると、地下施設の入口付近が急に騒がしくなり、そうもしないうちに、重々しい扉が再びゆっくりと開いた。
白衣をまとった数名の技術員が、焦燥に駆られたように次々と駆け込んでくる。その中心には、骨ばった細身の体に不釣り合いなほど太いフレームの丸眼鏡を掛けた男がいて、喉を詰まらせながらも怒声を上げた。
「お、おお……おい! く、く、朽宮言真っ!! き、貴様、な、何をし、し、しておるのだっ!!」
吃音混じりの必死な声が、静まり返った地下施設に鋭く響く。
開発室室長──血沼糜嬋は、手にした端末を振りかざし、目を血走らせて言真に詰め寄った。
「む、むむ無許可でっ、でのっ、祝詞を行うな、など前代み、未聞だぞ! き、き、規定違、違反どころか、管轄のっ、の問題にまでっ、で発展し、ししかねんっ!」
その背後で、白衣たちは誰もが顔を引きつらせ、現場を直視できずにいる。
言真はしかし、軽く肩をすくめただけで、まるで子どものいたずらを指摘されたかのような表情を浮かべていた。
「そんなに肩肘張らなくても……ちゃんと生きてるでしょう? “降ろし”は成功したんですから」
言真はわざと軽い調子でそう言い、まだ膝をついたままの直弥に視線を投げる。
その目は獲物を見定める獣のようでありながら、同時に誇らしげな色を帯びていた。
血沼糜嬋の丸眼鏡の奥の瞳が、カッと見開かれる。
彼は半歩、よろめくように踏み出し、端末を握る手を震わせながら声を絞り出した。
「お、おお……お、お降ろし……? ま、まさか、ユ、ユユグドラシルが……や、やや八幡直弥に、人術を……っ、を、を与えたと……言、言、言うのか?!」
その声は、驚愕と恐怖の入り混じった悲鳴のようだった。
施設内の白衣たちが一斉に息を呑み、ざわめきが走る。
言真はその反応を楽しむように、唇の端をゆっくりと吊り上げた。
「そう。ユグドラシルの加護を受けた“媒介”──相反療術の新たな保持者が、ここに誕生したってわけです」
その言葉に、糜嬋の喉がひくつく。眼鏡の奥の瞳がさらに見開かれ、額に冷や汗が滲む。
「ま、まさかっ……チっ……チ、チルドレンか?! い、いや……いや、しかしっ、そんなこと……!」
「そのまさかですよ」
言真は軽く片眉を上げ、淡々と告げる。
「偶然か必然か、地上世界のチルドレンの一人が運よくウチに迷い込んだ。いや、迷い込んだってより──帰ってきた、ってのが正しいのかも。まぁ、何にせよ、彼は僕たちにとって大きな存在になり得る。それは、貴方もおわかりでしょう?」
「い、いや……し、しっ……ししかしだな……!」
「もういいでしょう?」
言真はおどけるように手をひらひらと振った。
「万事、無事で済んだんですから。ここは穏便に済ませませんか?」
「そ、それはっ……は、は……な、なんだ、黙認しっ……しろということか!? そ、それっ……れは断じてならん!! このようなことが起き、きた以上、せめてそ、総統閣下にほ、報告はせねば―――」
「……いいから黙って失せろ、って言ってんだよ」
それまでの飄々とした声色が一瞬で落ち、地下施設に重く沈むような低い響きが広がった。笑みの欠片もない、鋭く冷たい声音。
糜嬋は息を呑み、思わず一歩後ずさる。
「たった数十名の研究者の端くれだけで、僕を止められると本気で思っているのかい?」
糜嬋の喉がひくりと動く。骨張った頬に冷汗が伝い落ちる。言真はその反応を愉しむこともなく、淡々と続けた。
「正義感か何か知らないですけど、それでも上に報告しようって気なら、今ここで後ろにいる白衣の連中共々──皆殺しにしてやったっていいんですよ?」
「……き、脅迫……でっ、ではない、か……」
糜嬋の声はかすれ、足元がわずかに震える。
「脅迫? 違いますよ」
言真はゆっくりと視線を糜嬋に落とし、かすかに笑みを歪める。
「それに過去、あなた方が父や僕たちの家にしたことを思えば──むしろ、まだ優しい方じゃないですか」
その声音は鋼のように冷たく、しかし底に煮えたぎるものを秘めていた。
糜嬋は口を開けたまま、言葉を失い、ただその場に立ち尽くすしかなかった。
沈黙の中、彼は小さく喉を鳴らし、視線を逸らした。丸眼鏡の奥の瞳が揺れ、背後の白衣たちも息を潜める。
「……わ、わかった……き、今日はこれで退く……」
その声は震え、先ほどまでの怒気は跡形もない。
糜嬋は背中を丸め、部下たちに目で合図を送る。白衣の研究員たちは蜘蛛の子を散らすように扉へ向かい、ひとりまたひとりと姿を消していった。
言真は視線だけでその様子を追い、冷たく笑った。
「賢明な判断です」
糜嬋が最後に一度だけ振り返る。だが何も言わず、そのまま重い扉の向こうに消えた。
静寂が戻った地下室で、言真はようやく肩の力を抜いた。
「……さて、と」
倒れ込んだままの夏芽僚に視線を落とし、次に立ち尽くす直弥へと目を向ける。
「直弥くん。君も夏芽を連れて一緒に帰るといい」
その声音は、先ほどの鋭さが嘘のように柔らかい。
「僕はもう少しここで片づけをしていくけど、璃久に連絡して上で車を待機させておく。夏芽を医務室に運んだら、君はそのまま学校に戻りな。」
直弥は一瞬ためらい、しかし無言で頷いた。足元に倒れる夏芽の身体をそっと抱き起こす。まだ微かに息をしているその体温が、腕にじかに伝わった。
言真は軽く手を振り、背を向ける。
「気をつけて。あまり人目につかないようにね」
***
直弥は短く返事をし、夏芽を支えながら地下を後にした。背後で重い扉が静かに閉じる音が響き、冷たい空気とともに言真の気配が遠ざかっていく。
そうして扉が閉まる音が響き、言真は小さくため息を付いた。
「―――これで、クマとか最上シアも、少しは落ち着いてくれたらいいんだけどねぇ…」
続く…




