53話 役割を。
「じゃあまあ知ってるとは思うけど、自己紹介といこうか。」
眼の前の少年は貼り付けた笑みを浮かべたまま、そう言う。
「僕は朽宮言真。一応白虎隊の四堂と、今謹慎してる風音の代わりに玄武の四堂代理もしてる。まあ君の知っての通りって感じかな。」
直弥はごくりと唾を飲み込んだ。
名前も地位も、耳にしていないはずがない。
しかし少年――狂風卿・朽宮言真の纏う空気は、噂や肩書きの上で想像していたものより、はるかに不気味で、掴みどころがなかった。
直弥はごくりと唾を飲み込んだ。
名前も地位も、耳にしていないはずがない。
しかし目の前の少年――狂風卿・朽宮言真の纏う空気は、噂や肩書きの上で想像していたものより、はるかに不気味で、掴みどころがなかった。
「……はい。存じてます。」
そう返すのが精一杯だった。胸の奥に広がるざらついた不安が、言葉を細く押し潰していく。
言真は椅子の背にもたれ、片肘を卓上に投げ出したまま、小さく肩を竦めてみせた。
「ねぇ、だから緊張しないでって〜。ほら、僕そんな怖い顔してる? ただちょっとおしゃべりしたいだけだって、ね?」
その声音は柔らかく笑みを帯びているのに、目の奥はどこまでも透き通り、氷のように冷たい。からかわれているのか、試されているのか判別がつかない。
直弥は無意識に喉を鳴らし、背筋を正した。
「……おしゃべり…」
「うん。別に君を問い詰めるつもりもないし、脅すつもりもない。ただねぇ——」
言真は指先で机を軽く叩いた。コツ、コツ、と乾いた音が部屋に響き、直弥の心臓の鼓動をなぞるように刻まれていく。
「僕はいつも、初めて会う人間の“目”を見るようにしてるんだ。どんな色で、どんな揺れ方をするのか。嘘をついてるのか、隠してるのか、それとも……本当にまっすぐなのか。」
「……目、ですか。」
「そう。君の目はねぇ、澄んでるようで濁ってるし、迷ってるようで強がってる……そういう曖昧さを孕んでる。僕は結構、そういう目も好きだよ。」
言真はにやりと口角を吊り上げた。
それは人懐っこさを装った笑みであると同時に、獲物を値踏みする肉食獣のそれでもあった。
「――あれ?」彼は小首をかしげる。
「今君、僕のこと狼みたいに思ったでしょ。夜の森で、獲物を見つけて、舌なめずりしてる狼とかさ。」
不意に心を射抜かれたようで、思わず目を見開く。言い当てられた驚きに、呼吸が浅くなる。虎視眈々と獲物を狙う狼――その比喩はまさに彼にぴたりとはまっていたからだ。
「ふふ、図星かぁ。……安心してよ、得体の知れない君を食べようだなんて、そんな無謀なことはしないさ。」
彼は指先で机を軽く叩きながら、柔らかい声で続ける。「まあ、安心してそこにでも座りな。」
そう言って顎で示された方向へ目を向け――そして直弥は、言葉を失った。
そこには小さなパイプ椅子と、その横に立つ黒スーツの男。だが、さっき外で見た二人とはまた違う人物だった。
男は一切の感情を排した無表情で、ただ前を見つめている。まるで生きている人間ではなく、人形がそこに立っているかのように。
――いつからそこに? どうやって?
気配も足音も、衣擦れの音すらもなかった。背筋に冷たいものが這い上がり、直弥は思わず一歩、後ずさった。
言真はその反応を楽しむかのように、口元だけで微笑む。そして軽く指先を弾いた。
「驚いた? 彼、君がここに来てからずっとそこにいたんだけど、全然気づいてなさそうだったから教えてあげたんだ。」
小首をかしげ、さらに微笑みを深める。
「まあ、愛想はないけど……いいやつだよ、彼。」
パイプ椅子の横で立つ男は、相変わらず一切の表情を浮かべず、まばたきすらしない。ただ、そこに“在る”だけ。
それが、妙に不気味だった。
だが、座れと言われている以上、いつまでも立っているわけにもいかない。
直弥は心臓の鼓動を抑えようと深く息を吸い、ゆっくりと椅子へ腰を下ろした。
座面は意外なほど柔らかかった。だが、その安堵をかき消すように、言真の視線がこちらに突き刺さる。
「―――さて、次は君の自己紹介だよ。」
柔らかく、しかし逃げ道を与えない声。
目の奥は笑っていない。むしろ、直弥の心の奥底を覗き込もうとしているようだった。
「君のことはある程度調べてるけど……僕の知っている“君”と、今ここにいる“君”が同じかどうか、ちゃんと聞きたいんだ。」
言真は机の上で指を組み、軽く前傾姿勢になる。
距離が一歩、近づいた気がした。
「名前、年齢、出身地……まあ、そんな形式的なものじゃなくていい。―――君が『何者なのか』を、君自身の言葉で聞きたいんだよ。」
背筋を冷たい汗が伝う。
ただの自己紹介のはずなのに、直弥にはそれが「取り調べ」にしか思えなかった。
直弥は唾を飲み込み、震える声をなんとか押し出した。
「……八幡直弥。年齢は……十七。出身は――」
だが言真は軽く手を上げ、そこで遮った。
「そういうのはいいって。さっきも言ったでしょ?僕が聞きたいのは“書類に載ってる君”じゃなくて、今ここに座ってる“君自身”。」
彼の視線がさらに鋭くなる。
まるで、「嘘をつくなよ」と心に直接囁きかけるような、そんな圧があった。
「君は、自分が何者だと思ってる?」
直弥は言葉を失った。
自分が何者か――そんなこと、考えたことがあっただろうか。
ただ、日々を生き延びるだけで精一杯だったのに。
沈黙が落ちる。
その沈黙を楽しむかのように、言真は机に肘をつき、片頬に手を添えてじっと見つめてくる。
「……難しい? じゃあ、質問を変えようか。」
彼は微笑み、しかしその笑みは氷のように冷たい。
「君は――この世界で、何を望んでるの?」
直弥は視線を逸らし、拳を握りしめた。
「……望んでること、なんて……」
声はかすれ、言葉は途切れる。だが、内心では否定しきれない。
何かを、確かに望んでいる。けれど、それを言葉にするのが怖かった。
言真はその様子を見て、あえて優しい声音で囁く。
「口にしなよ。大丈夫、ここには僕と……彼くらいしかいない。」
視線を横にずらすと、無表情の黒スーツの男が立っている。
その「人形のような存在」に余計緊張し、直弥は唇を噛んだ。
「……俺は……妹と一緒に、ただ普通に……生きたい。」
それは、あまりに小さな願い。
だが、言真の瞳が微かに輝きを帯びる。
「……へぇ。」
少年のような顔で、しかし計算高い大人の目をして、彼は笑った。
「普通に、ね。……でもさ、直弥くん。君が歩いてきた道は、もう“普通”なんて二度と選べない場所にある。そう思わない?」
胸が締めつけられた。
否定しようとしても、できなかった。
自分でもそれは理解していたからだ。銃を握った時点で、いや、鳴矢高校事件のときに、あの路地の先で異形の亡骸と桜田のあの背中を見た時点で、既に普通という名の土俵から弾き出されていた。
「……分かってます。俺は、もう……」
声が震える。言葉の続きを飲み込んだ瞬間、言真が軽く笑った。
「そう、それでいいんだ。」
彼は机の上に置かれた分厚い書類を指先でとんとんと叩き、わざとらしく肩を竦めた。
「普通を捨てた人間には、普通じゃない役割がある。君も――そろそろ自分の役を知る時期じゃないかい?」
少年の声は甘く、それでいて背筋を刺すように冷たかった。直弥が身を固くしていると、彼はまた一転させ、柔らかい声色へと変わる。
「そこで!さっき言った通り君にはとあるプレゼントを渡そうと思って。まあそろそろ、呼びつけてたゲストも到着する頃だろうし。」
すると、不意に扉がノックされた。
「お、噂をすればってやつだ。」
扉を開け、中に入ってきたのは藍色の軍服を着たオッドアイの青年。思わず直弥は立ち上がり、無赦の環を取った。
「悪いねぇ夏芽、急に呼び出しちゃって。」
言真は軽い調子で声をかけるが、青年――強靭公・夏芽遼の表情は微動だにしない。
ただ、敬礼を崩さず硬直している直弥に視線だけを送り、楽にしろと目で合図を送る。直弥は小さく頷き、ぎこちなく姿勢を戻す。
「なんの御用です、狂風卿。」
若々しく、それでいて低い声が響く。あくまで礼儀正しく振る舞うような声だが、直弥はその深層に少し苛立ちのような感情を感じた。
―――そういえば、あの椅子を出した無表情の男は、いつの間にか姿を消していた。
夏芽が入ってくる数秒前までは、確かに直ぐ側に佇んでいたはずなのに。
さらなる驚きに包まれる直弥をよそに、言真は苛立ちを帯びた夏芽の声を、まるで愉快な玩具でも眺めるかのように肩を竦めた。
「まあまあ、そんな怖い声出さないでよ。君を呼んだのはね、プレゼントの贈呈式を見届けてもらうためさ。」
「……プレゼント?」
夏芽遼のオッドアイが、鋭く細められる。
「そう。ここにいる八幡直弥くんに。」
そう言うと、言真は軽やかに椅子から立ち上がり、困惑する直弥と、表情を崩さない夏芽の二人に顎で「ついておいで」と促した。
一行は部屋を出て、先頭を歩く朽宮言真、その後に八幡直弥、最後に夏芽遼という順で静かに進む。
廊下を行き交う兵士や職員たちは一様に表情を固くし、脇に寄って無赦の環を取る。
直弥は居た堪れない気持ちで視線を泳がせたが、ほか二人は慣れているのか、誰一人として見返すこともなかった。
やがて、先ほど直弥が乗ったエレベーターに再び乗り込む。
言真はどこからかカードキーを取り出し、操作盤に軽く当てる。
直後――
「びーっ」という甲高い警告音が鳴り響き、扉が重々しく閉まる。
同時に、室内の白色灯が消え、赤色の非常灯に切り替わった。
薄闇の中で、三人の顔が不気味に染め上げられる。
「なっ……!?」
直弥は反射的に声を上げ、二人を見回す。
夏芽も一瞬だけ驚いたように眉をひそめ、あたりを見回した。
しかし当の言真は、にっこりと笑みを崩さずに口を開いた。
「ははっ、そんな驚かないでよ。だいじょーぶ、下に行くだけだから。」
「……下?」
「うん、地下。この世界の、いわば心臓部――知ってる人は少ないけどね。」
言真の声は軽い調子なのに、その言葉は妙に重みを帯びていた。
エレベーターは静かに降下を始め、機械音と微かな振動だけが密閉された空間に響く。
赤い非常灯が三人の顔を染め、直弥の喉がごくりと鳴った。
「―――ユグドラシルの根本。そこに、君へのプレゼントが眠ってる。」
その響きは、ただの贈り物を示すにはあまりにも不穏で、あまりにも神秘的だった。
直弥は思わず息を止める。
夏芽もわずかに目を細め、横顔を強張らせている。
エレベーターはなおも降り続け、やがて耳の奥が詰まるような感覚が訪れた。
続く…




