表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
人魔闘諍  作者: ゆっけ
第参章
52/112

51話 黒き密偵、白き将軍

 扉が二度、控えめに叩かれる音が室内に響いた。


 朽宮言真は机の上から目を離さず、端的に告げた。


「どうぞ」


 静かに扉が開き、ひとりの男が滑り込むように部屋へ入ってきた。


 その男は、全身を墨のような黒で覆い隠していた。衣装は黒衣くろご――歌舞伎や浄瑠璃など、裏方が着用する目立たぬ者の象徴であり、顔までも黒い布でしっかりと覆い隠されている。足音すら感じさせぬ歩き方で、影のように無音で立ち止まるその姿は、ただならぬ緊張感を部屋にもたらした。


 しかし、朽宮言真の口元はわずかに綻ぶ。誰にも顔は見えないというのに、彼にとってこの男が誰であるかは一目で分かっていた。


「やあ、リント。久しぶりだね」


 言真は背もたれに身を預けたまま、愉しげに言葉を続ける。


「士官学校への潜入調査は、順調かい?」


 リントと呼ばれた男は何も言わず、片膝をついてただひれ伏した。


 そこは言真がいつもいる書斎ではなく、大きな広間だった。一時的に玄武隊管轄であるユートピアから、自らが率いる白虎隊管轄のアルカディアへと戻ってきていた彼は、男に八幡直弥の監視を一任していた。


 言真はとても長い長机の一番奥でただ一人、皿に盛り付けられているステーキを頬張りつつ、リントを横目に見ていた。


 言真は、フォークで肉を刺し、ナイフでそれを滑らかに切ると、音ひとつ立てずに口へと運んだ。ワインの入ったグラスをくるくると回しながら、赤い液体の揺れを愉しんでいる。


「……直弥くんのこと、どうだった?」


 リントは顔を上げることなく、低く抑えた声で答えた。


「——つい先日までは特に変化は見られませんでした。しかし、昨夜になって急激な兆候が観測されましたので、それをご報告に参上いたしました」


「ふうん」


 言真は関心があるのかないのか分からぬまま、手にしたグラスのワインを一口含む。芳醇な香りと深い渋みが舌を包み、わずかに目を細めると、彼はグラスを音もなくテーブルに戻した。


「——で、その“変化”ってのは?」


「発作のようなものでございます。対象である八幡直弥はその晩、彼の生活区画にある白伊涼菟Ⅴ型戦闘員の部屋でシャワー設備の不調に見舞われ、隣室のⅤ型戦闘員・三田沙紀の部屋にて浴室を借りておりました」


「ほーん、なかなか大胆な子だねぇ。」


「入浴中、突如として頭部を押さえ、激しくうめき声を上げながら崩れ落ちました。直後、目、口、鼻の三箇所より魔族に特有の青い血液を流出。瞳孔は左右非対称に収縮し、虹彩は青く染まりました。さらに、幾何学的な紋様が虹彩内に一時的に浮かび上がりましたが、数分後には完全に消失しております」


 言真の指先が止まる。肉を切っていたナイフを宙で止めたまま、じろりと報告者を見やる。


「……リントが三田沙紀の風呂にカメラ仕掛けてる件は、ツッコまなくて正解?」


「いえ、彼女に限った話ではありません。士官学校の全ての寮室に監視カメラを設置済みです。もちろん、教官室にも例外なく」


「…………まぁ……いっか…」


 言真は肩をすくめると、再びナイフとフォークに視線を戻す。リントの生真面目さと、それに相反するどこか歪んだ執着心を思い出しながら、小さくため息混じりにつぶやく。


「時々、冗談みたいなこと真顔で言うから怖いんだよねぇ、彼………」


 リントは相変わらず、顔を伏せたまま微動だにしない。沈黙の中、言真は静かに肉を咀嚼し、赤ワインを一口含んで喉を潤すと、ようやくその深い瞳を男に向けた。


「で? 直弥くんに関して、他に何か問題はあったの?」


 そう問いかける声は穏やかだが、そこに込められた圧は、真冬の空気のように肌を刺す冷たさを帯びている。


 リントはようやく口を開いた。


「はい。八幡直弥は意識を取り戻した後、三田沙紀に介抱され、ソファーへと移動。その際、彼は自らが“魔族と人間の混血”であることを彼女に打ち明けました。そして同時に、三田沙紀の口から——十三年前、“厄災の日”の存在を知ったのです」


 報告を聞きながらも、朽宮言真はナイフの刃で皿の端をコンコンと叩き続けていた。音は軽い金属音だったが、その内に込められた無意識の苛立ちは、わずかに空気の温度を変えた。


「……やっぱり、あの日に触れたか。あの女の子、よく喋るねぇ」


 ナイフの動きを止めずに、言真は微笑のままリントの方へ視線を向けた。


「彼の反応は?」


「冷静でした。少なくとも、表面上は。けれど……内心は動揺していたと思われます。彼の脈拍と体温、声帯の震えに明確な変化がありました。さらに——」


 リントは懐から小型のホログラムデバイスを取り出すと、卓上に投影する。空間に浮かんだのは、モノクロームの映像。寮室のソファに座る八幡直弥と、その傍らで肩を寄せる三田沙紀の姿だった。


「これがその時の記録です。音声も解析済み。会話の全容を再現できます」


「いや、いい。野暮ってもんでしょ、それ以上は」


 言真は軽く手を振ってホログラムを遮った。


 しばしの沈黙が流れる。

 ナイフが皿の縁で止まり、言真の目がリントを真っ直ぐに射抜いた。


「―――でもまあ、混血を知られたのは、ちょっとまずいかもね。……彼女、口は固い?」


 言外に滲む警戒の色を読み取りながら、リントは淡々と応じた。


「はい。交友関係は広いようですが、これまで他人の機密や個人情報を外部に漏らした例は一切確認されていません。情報の扱いに関しては、慎重な人物と判断しています」


「ふうん……まあ、安心っちゃ安心だけど、どこでスイッチが入るか分からないのが人間の怖いところでもあるしね」


 言真は言葉を切ると、ナイフを皿に戻して背もたれに寄りかかった。

 そして一拍置き、静かに、けれど確実な圧を込めて呟く。


「……警戒は怠らないで。もし万が一、"不測の事態"が起きたときは……」


 その先を言葉にすることなく、言真はリントをじっと見据える。

 それだけで十分だった。リントは頷き、機械のように無表情で答える。


「了解しました。必要とあらば、速やかに対処します」


「うん、それでいい」


 言真は満足げに小さく息を吐き、ナプキンを膝から外して静かに畳んだ。


「あーそうだ。例の任務中のティーガやドラッヘからなんか聞いてる?」


「ええ、まあ少しは耳に。」


「ごめん、僕ちょっと忙しくて報告書読めてないから、リントから聞いてもいい?」


「承知いたしました。」


 リントは一拍置いてから、言葉を続けた。


「まず、吉林省事件で壊滅状態に陥った紅旗の残党らは、内蒙古や青海省を転々としながら逃走を続け、現在はインド北部の山岳地帯に潜伏しているとの情報が確認されています。花梅、という少女も彼らと同様のものと思われます。そして、彼らと対立関係にあった鷹紋部隊は、総司令官・蘭峰を含む幹部の大半が殲滅され、事実上壊滅。これにより鷹紋は正式に解体されました」


 視線がわずかに鋭さを帯びる。


「中国政府はこの状況を受け、紅旗に代わる新たな対異種戦力の構築に着手。先月には、その前身となる“護天旅団ごてんりょだん”の創設が発表されました。これは人民解放軍の精鋭と、以前から存在していた術者部隊の統合によって編成された、対魔族・対異能特化の新機関です」


 彼は一呼吸置き、淡々と続けた。


「ただし、“護天旅団”の組織形態はいまだ纏まっておらず、中国国内の政治的な混乱も影響してか、組織の方針や統率にはまだ不明瞭な部分が多いのが現状です。そして、今回の任務で最重要視されていた『最上シア』についてですが、残念ながら――いまだ、明確な手がかりは得られておりません。ただし……」


 言い淀むリントの表情に、言真が眉を寄せる。


「ただし?」


「……吉林省事件における主犯格と思われる魔族の死骸から、残穢の解析を進めるうちに、奇妙な点が浮かび上がりまして。報告では三田沙紀の閃術がとどめを刺したとされていますが、どうやら実際には――奴の“核”そのものを、物理的に粉砕した痕跡があるのです。もっと単純で、かつ直接的な致命傷。つまり、何者かがより決定的な一撃を与えていた可能性が高い、と。」


「それが……最上シア、ってわけ?」


「…現時点では断定できませんが、魔族の反応や周囲の魔力の残滓から、奴が現場付近にいた痕跡は薄くないと」


「……またか」


 言真はわずかに苦笑しながら、手元のステーキナイフをくるくると器用に指で回す。その動きはどこか無意識の癖のようであり、同時に神経を研ぎ澄ませるための儀式めいてもいた。彼はそのまま天井を仰ぎ、ひとつ、深く息を吐いた。


「鳴矢高校の時もそうだった。風音が帝家の魔族を追い詰めたと思ったら、どういうわけかそいつは急に自傷行為を始めて――まるで『これ以上情報を喋らせるな』と命令されてるかのように。で、最後は遠距離から対物ライフルで頭吹き飛ばされて終わり。」


 言真の視線は、天井の奥――さらにその遥か先、何かの真相が潜む闇を見ているようだった。


「情報が出そうになると、必ずそれを“抑える力”が働く。僕たちが動くより、常に一手も二手も早い。…なんだかなぁ、って感じだよねぇ。僕達は常に後手に回ってる。」


「……最上シアが“敵”ではなく、“もう一つの組織”に属している可能性も、なくはないとは思いませんか?」


「……まあ確かに、ADFにも、魔族らにも与せず、どちらにも情報を渡さず、けれどどちらの動きも確実に潰してくる。まるで……」


「――“陰のADF”のような存在?」


 言真はナイフをピタリと止め、リントに目を向けた。


「……その線も捨てきれないね。ただ、ひとつだけ確かなのは――」


 彼の声が、低く、鋭くなる。


「最上シアが動くとき、必ず“死体”が出る。そして、その死体は、僕たちの想定した死に方じゃない。」


 数秒の沈黙。やがて、言真は椅子から身を起こし、リントに向き直った。


「―――そろそろ、本腰入れたほうが良さそうだね。最上シア狩りにさ。今回は、少しばかり“きっちり”やらないと」


 その声は、いつになく低く、重い。リントは静かに頷いた。

 “それ”が、どれほど困難で、そして危険な意味を持つのかを、彼もまた理解していた。


「連中を集めろ。リントは引き続き八幡直弥らの監視を。残りの11人で、またなにかされる前に最上シアをこの世から消し潰す。」


「―――ADFなんて、一つだけで充分だ」


 続く…

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ