表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
人魔闘諍  作者: ゆっけ
第参章
43/113

42話 非力でも、

「……どこにいるっつってんだよ!!」


 白伊と直弥は急ぎ足で士官学校の校舎に戻ってきた。正門を抜け、真っすぐに自教室のある二階へと続く階段を駆け上がっていく。その途中、階下まで響く怒声が突き刺さった。


「おい答えろ、女ァ!!あいつはどこにいるんだよあ゙ぁっ!?」


 二階の廊下には、濃灰色の軍服を纏った生徒たちが密集していた。その中心には、何かを取り囲むように人垣ができている。だが背後からでは、中の様子まではわからない。


 白伊は眉をひそめ、直弥と共に人混みをかき分けながら前へと進もうとする。しかしその肩を、不意に誰かの手が掴んだ。


 振り返ると、そこには連絡を寄越してきた士官学校の友人が立っていた。いつになく険しい顔で、低く押し殺した声を漏らす。


「おい白伊……やめとけ。今はマズい」


「は? お前が呼んできたんだろうが」


 白伊が苛立たしげに返すと、友人は言葉に詰まり、わずかに顔を伏せる。


「……いや、まあ、そうなんだけどよ。でも……お前はまだしも、八幡直弥。お前は絶対、今は行かねえほうが――」


 その瞬間、群衆の中心から再び怒声が響いた。


「おい、ここにいるんだろ八幡直弥!! この女の顔凹まされたくなきゃ、さっさと姿見せやがれ!!!」


 空気が一変した。廊下全体に、緊迫した沈黙が落ちる。群衆の中で、何人かがひそひそと呟き合い、ちらりと直弥の方を振り返った。


 直弥は立ち止まったまま、固く拳を握りしめていた。喉の奥が焼けつくような緊張に襲われながら、前を見据える。

 その様子を見ていた白伊は静止する。


「―――おいおい、まさか真っ向から行こうとしてんじゃねぇだろうな?最近になってようやく力ついてきたとはいえ、お前はまだまだ非力なんだぞ。」


「…それでも、いかなきゃ沙紀さんに危害が加わる。」


「おいちょっと待っ―――」


 直弥は彼の制止を振り切り、人混みをかき分けて喧騒の中心へと身を投じた。


 視界が開けたその先に――沙紀がいた。軍服の男に胸ぐらをつかまれ、壁に押しつけられるように立たされている。彼女の瞳は怒りと恐怖で揺れていたが、それでも歯を食いしばって睨み返していた。


 相手の男は、藍色の軍服を身に纏った二十代前半ほどの兵士。短く刈り込まれた金髪に鋭い吊り目、焦げたような浅黒い肌には汗が滲み、怒りで浮き上がった首筋の血管が脈打っていた。


「……ADFの正規兵とは思えませんね。その態度。名乗ることもできないんですか?」


 沙紀の、あくまで冷静に、しかし明らかに挑発めいた口調に、男の眉が跳ねた。


「……んだと? ガキてめぇ、誰に向かって口きいてやがるッ!」


 瞬間、男の手が振り上がる。沙紀の頬を打とうとしたその動き――


「やめろっ!!」


 直弥が叫び、割って入った。男の腕を掴む。腕の筋肉が張り詰め、今にも爆発しそうな殺気がその目に宿っていた。


「女の子に手を上げるなんて、何考えてんだよ!」


 だが、直弥の制止に対して、男は鼻で笑う。沙紀の胸ぐらを掴んでいた手を放し、ゆっくりと直弥へと向き直る。肩幅は広く、体躯も一回り大きい。無言のまま見下ろしてくるその眼差しは、獲物を定めた肉食獣のようだった。


「……フン。やっと出てきたかよ、八幡直弥。」


 低く、乾いた声が教室前の廊下に響いた。


 場の空気が一変する。周囲を囲んでいた生徒たちが、息を呑む音さえも止めて、完全に固まった。


 直弥の背筋に冷たい汗がつたう。男はゆっくりと一歩を踏み出した。その一歩ごとに、張り詰めた空気がわずかに軋むように歪んでいく。


「ずいぶんと“優等生”らしい正義感じゃねぇか。――だけどよ、ガキが吠えたところでそれが通る世界じゃねぇんだよ。ここは戦場の前室みてぇなもんだ。そろそろ理解しろや?」


 男の声は、静かながら底知れぬ威圧を含んでいた。


 それでも、直弥は視線を逸らさず、真正面から見据えた。


「たとえ力が足りなくても、黙って見てるわけにはいかない。それが……仲間を守るってことだろ」


 小さな声だったが、確かな決意が込められていた。


 男の表情がわずかに動く。その目が、ほんの一瞬だけ、値踏みするように細められた。


 ――と。


 人混みの後方から、ゆっくりと割って入るように白伊が現れる。その足取りはどこか悠然としていたが、放たれる空気は冷え切った刃のようだった。


「……ったく、目を離すとすぐこれだな。おい、そこの兄さん。こっちは士官候補だぞ? オリオン兵を名乗るのなら、それなりの覚悟があってのことなんだろうな?」


 軽く笑っているような声音。だがその言葉の端々には、凍てつくような冷気と明確な警告がにじんでいた。


 男の目が白伊に移る。獣のような目つきにわずかに興味の色が混じる。


「……あ?」


「ちょっと言ってみただけさ。でも、正規兵ならこんな“茶番”で肩書きに泥を塗るような真似はしねぇよな? そっちの目的は知らねぇけど――道理もなしに暴れるってんなら、それなりの筋も通してもらわないと困るわけで」


 白伊はそう言いながらポケットに手を入れ、どこか飄々とした態度を崩さない。だが、瞳だけは鋭く男の動きを読んでいた。


 男はその言葉を聞いて、不敵に口角を歪めた。目には怒気が滲み、今にも噛みつきそうな気配を放っている。


「……ぐははっ。そうかそうか。なら、まずてめぇから殺してやるよ。」


 男の笑い声が低く響いたかと思うと、直後、直弥を押しのけて白伊へと詰め寄ろうとする。


 直弥は咄嗟に身を滑らせ、男の進路を遮ろうとした。しかし――その動きはあまりに拙く、無防備だった。


「――邪魔だ。」


 鋭い声と同時に、男の腕が横薙ぎに振るわれる。


 直弥の体は吹き飛ぶようにして廊下の壁へ叩きつけられた。


「ぐっ……っ!」


 乾いた衝突音と共に、直弥の背が壁にぶつかる。その場に崩れ落ちた彼の元へ、沙紀が慌てて駆け寄る。


 だが、直弥はうめき声を漏らしながらも、視線を白伊から離さなかった。


 (……ダメだ、白伊くんまで……!)


 男は一歩、また一歩と白伊へと迫る。その顔に浮かぶのは、嗜虐と嘲笑が入り混じった歪んだ笑み。


「逃げねぇのか? どうした、さっきの威勢はよ」


 白伊は口元を引き結び、じりじりと後退しながら姿勢を低くする。だが、男の拳は容赦なく振り上げられた――


 が、それは見せかけだった。


 次の瞬間、振り下ろされると思われた拳がふいに下がり、そのまま下からすくい上げるような角度で白伊の脇腹――肋骨の下あたりを、鋭く打ち抜く。


「――ッぁっ!!」


 白伊の身体がくの字に折れる。彼の脇腹には吉林省で戦った際、術の代償として砕けた肋骨が今も癒えきらずに残っていた。


 治りかけの傷。その箇所を正確に突かれた白伊は、瞬間、腹の底から嗚咽のような叫びを漏らし、その場に膝をつく。


「ぁ、ああ゙っ……っ……!」


 顔をしかめ、口元からわずかに血が滲む。全身が震え、呼吸が浅くなる。


 周囲の士官候補生たちは動けなかった。目の前で起きている暴力に、手も足も出せずただ見ているしかない。


 そして男は、なおも白伊の頭上に拳を振り上げようとする――


 その時直弥は瞬発的に立ち上がる。頭の中は真っ白だった。ただ、動かねばならないという衝動だけが彼を突き動かしていた。


 全身にまだ痛みが残っていた。背中の打撲は熱を帯び、肺はまともに呼吸すらできない。だが、そんなことに構っている余裕はなかった。


 目の前で、大切な仲間が倒されようとしている。


 その現実に、直弥は反射的に体を前に投げ出した。


「うおぉぉおおっ!!」


 男の巨体に、真正面から全力のタックルを仕掛ける。まともに受ければ、男より身体の小さい直弥が吹き飛ばされるはずだった。


 だがその瞬間だけは、直弥の動きに一切の迷いがなかった。


 直弥の肩が、男の鳩尾に直撃する。


「っ……!」


 男の拳が振り下ろされる寸前、その衝撃に思わずよろけ、軌道がわずかに逸れた。拳は白伊の頬を掠めるだけに留まり、床に深いひびを刻む。


 その隙に、白伊は地面を転がるようにして距離を取る。


「……っくそ……八幡……!」


 呻きながら白伊は歯を食いしばる。肋骨の激痛に顔をゆがめながらも、逃げることはなかった。


 男はすぐに体勢を立て直すと、鋭い目で直弥を見下ろす。


「いい度胸してんな……ガキの癖に」


 その目は、もはや挑発や遊びの色を完全に捨て去っていた。殺気と怒りがむき出しになり、まさに本気で直弥を“壊しに”かかろうとしていた。


 だが、直弥は怯まない。


 膝が震え、呼吸は荒く、恐怖が喉元までせり上がっていた。それでも、一歩も引かず、男を睨み返す。


「……俺は、絶対に……誰も傷つけさせない……!」


 その姿に、周囲で見守っていた士官候補生たちの間にざわめきが広がる。


「おいあいつ……まじかよ……」


「動いた……あの男相手に、編入して間もないあいつが……?」


 誰もが動けなかった中で、ただ一人、飛び出した直弥。その姿に、場の空気が揺らいでいた。


 男は苛立ちを露わに舌打ちをし、今度こそ直弥を叩き潰そうと拳を構える。


 だが――


「そこまでだァッ!!」


 廊下の奥から轟くような怒声とともに、重たいブーツの足音が響いた。


 周囲の生徒たちがさっと道を空ける。その隙間から現れたのは、訓練教官・熊野璃久。鋭い目つきと大柄な体格、肩には正規軍の階級章が燦然と輝いていた。


 その場の空気が一瞬で凍りつく。


「く、熊野教官……!」


 教官の一歩ごとに廊下が静まり返っていく。璃久は、うずくまる白伊と倒れかけの直弥を一瞥し、そして、男の顔を見た瞬間――


「……!」


 璃久の目が見開かれた。


 怒りが、憎しみが、静かにその瞳を赤く染めていく。


「―――柏谷かしや、てめぇ……」


 呼び捨てにされた男は、薄ら笑いを浮かべたまま、肩をすくめる。


「よう。相変わらず威勢だけはいいな、熊野。まだこんなとこでガキの世話してんのか?」


「何しにここへ来た……!」


 璃久の声は低く、だが確実に怒気を孕んでいた。その声音に、周囲の士官候補生たちは戦慄する。普段は厳しくも沈着な彼の、この変化。ただならぬ因縁がそこにあると、誰もが悟った。


「何って……そうだなぁ、ちょっとした“確認”だよ。俺の記憶が正しけりゃ、ここにあの(・・)八幡直弥がいるって聞いてな」


 そう言って、柏谷はあえて直弥に目をやる。


「へぇ、思ったより出来上がってきてるじゃねぇか。半人前のくせに前に出る度胸はある。そっちの肋骨野郎もな――」


「黙れ。」


 璃久の一言は、鋭く空気を裂いた。


「ここは貴様のような腐った正規兵崩れが踏み入れていい場所じゃねぇ。貴様がどんな背景でここに足を踏み入れたかは問わん……だが、生徒に手を出した時点で、軍律違反は確定だ」


 柏谷は、鼻で笑った。


「軍律?へぇ、今じゃ所属する隊すらちげぇってのにいっしょくたの軍律で俺を推し量るんだな。……ま、いいさ。今日は引いてやるよ」


 そして、去り際、白伊と直弥を見下ろすように睨んだ。


「次はちゃんと“戦場”で会おうぜ。そっちの方が、本性剥き出しにできるからなァ……」


 そう吐き捨て、柏谷はその場を後にした。


 残された璃久はしばらくの間、彼の背中を睨み続けていた。そして静かに振り返る。


「――医療班に連絡しろ。白伊を医務室へ搬送。八幡直弥、お前も診察を受けろ」


 誰も逆らえなかった。ただ、教官の背から発される威圧感に、全員が押し黙って従うしかなかった。


 直弥がふらつきながらも立ち上がり、倒れかけた白伊に手を伸ばす。


 白伊は、顔をしかめながらも直弥の手を乱暴に払った。


「―――お前の手助けがいるほどくたばっちゃいねぇよ。バーカ。」


 その言葉に、直弥は肩をすくめて苦笑いを浮かべた。


「言うと思ったよ。……でも、これじゃまた病院に逆戻りじゃない?」


 軽口を叩きながらも、直弥は白伊の背中越しに、柏谷が去っていった廊下の奥をじっと見つめる。


 そこに残る、重く、肌を刺すような気配。

 ――新たな波乱の訪れを、確かに感じていた。


 続く…

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ