40話 夢と、目覚めの予兆
銃声が訓練場にて乾いた音を立てて響き渡る。
直弥はアダプティブ・コンバット・ライフルを肩に当て、構えを崩さずに引き金を引いた。標的に張られた円形ターゲットが瞬間、軽く震える。アイウェアの奥で目を細め、射撃の感触を確かめるように息を吐く。
耳を保護するイヤーカフ越しでも、複数のレーンから鳴る連続的な発砲音は訓練場を埋め尽くしていた。乾いた破裂音が規則正しく、時に怒声のように空間を震わせる。
火薬の匂いが漂い、鼻腔を突く。空薬莢が床に転がるたび、乾いた金属音が微かに反響する。
直弥の視線は標的の中心にまっすぐ向けられていた。
数週間前まで逸れていた弾丸は、今や確実に赤い中心点を貫いている。右手の指は余計な力みなくトリガーにかかり、左手の支えも安定していた。
彼は一瞬、息を止め、次の一発を送り出す。
標的の中央、すでにいくつも穴の空いた箇所がさらに深く抉れた。
「―――どう? 調子戻ってきた?」
射撃訓練を終え、次の訓練場へと移動している時、沙紀がそう話しかけてきた。ヘルメットの下から覗く瞳は、気遣うようでいて、どこか探るような光を湛えている。
直弥は肩にかけたACRを軽く叩きながら、小さく頷いた。
「うん、まあ……以前よりはマシになってきたかな。少しずつだけど。」
「ふーん。『以前』って、どの辺り基準? 初めて会った時? それとも、あの模擬戦の時?」
沙紀の問いに、直弥の足がふと止まりかける。だが彼女は気づかぬふりで歩き続けた。
「……さあ。分かんない。」
「嘘。分かってるくせに。」
からかうような声音だったが、その奥にあるものを、直弥は敏感に感じ取った。沙紀はただの興味本位でこんなことを言っているのではない。彼の“空白”の深さを、正確に測ろうとしている。
「まあ、いいや。焦らなくていいって教官も言ってたし。」
沙紀は言いながら、すぐ先に見えてきた戦術訓練場を指差した。
「次は室内制圧シナリオ。今日のメニュー、一番キツいやつだね。」
「……今日はこれくらいで遠慮しとくって言ったら、怒る?」
「問答無用で強制参加。ほら、気合い入れてこ。」
振り向きざま、沙紀はにっと笑った。直弥はその笑みに、ほんの少しだけ気を緩めた。
——空白は、確かにまだ埋まってはいない。
だが、こうして誰かが隣にいてくれるのなら、進むことくらいはできる。
彼は小さく息を吐き、再び歩き出した。
吉林省の一件から、沙紀とは今まで以上に仲良くなった気がする。
いつの間にか敬語が抜け、直弥は彼女にフランクに話しかけるようになっていた。冗談を言えば笑って返してくれるし、訓練の合間には水を分け合って休憩することも増えた。以前はどこか壁を感じていたが、今は――何となく、自然体でいられる。
だが、その一方で。
白伊とは、あれ以来一度もちゃんと話せていない。
命がけで守ってくれた。あの夜、曹の姿をした魔族から――自分の命と引き換えになるかもしれない覚悟で、庇ってくれた。
心から感謝している。言葉でどう伝えればいいのか分からないほどに。
でも、彼は……こちらと目が合ってもすぐに逸らす。
名前を呼んでも、返事をせずに背を向ける。
いつも、どこかに行ってしまうのだ。まるで避けるように。
嫌われたのだろうか――それとも、あの時のことを思い出したくないのか。
何も分からないまま、直弥はただ、遠くにいる彼の背中を見つめることしかできなかった。
伝えたい言葉は、いつも喉の奥で止まったままだ。
***
午前の訓練と授業を終え、直弥は席を立った。沙紀から「一緒に食堂でご飯を食べよう」と誘いがあったが、今日は丁重に断っている。行かなければならない場所があった。
――とはいえ、それはただの病院での定期検診だ。
魔族との混血が幸いしたのか、あの任務で負った傷は着実に癒えてきている。だがそれでも、彼は「一年後の死刑」を宣告された身。死刑を回避するためには、一刻も早く戦果を挙げなければならず、そのためにも完治は急務だった。
病院の受付で簡単な手続きを済ませ、廊下を歩く。ここは通常の医療棟ではない。対魔連邦の上層部にのみ許された、特殊医療棟──いわば、魔族由来の能力や治療に関する“異常”を専門とした施設だ。
壁は無機質な白で統一され、どこか殺風景。時折すれ違う職員の表情にも緊張が滲んでいる。
ここに来る者の多くが、何らかの形で“特異”な力を抱え、それに蝕まれているからだ。
指定された部屋に入ると、白衣を着た女性が端末を片手に立っていた。
「遅刻も欠席もなし。優秀ね、あなた」
「別に、優秀ぶってるつもりは……」
「わかってる。義務だものね」
苦笑いを浮かべた医師──アンナ・ファルコンは、ADF内でも数少ない、代償を必要としない療術を使いこなすスペシャリストだ。年齢不詳のようなその眼差しは、ただ優しいだけではない。どこか、見透かすような鋭さを孕んでいた。
彼女は静かに椅子を勧め、端末を操作しながら言った。
「身体データは問題なし。血液も再生因子も良好。……ただ、神経系に少し反応があるわね」
「反応?」
「ええ。あなたの前頭葉と脳幹部に微細な活性化が見られたわ。前回の任務、なにか無理しなかった?」
直弥は息を詰めた。脳裏に、吉林省での戦いが過る。命を繋ぐために、己の限界を超えて力を引き出した。
「……まあ、今は落ち着いてるからいいわ。ただし、次は保証できない。身体を無理に使えば、脳神経が断ち切れる可能性もある」
「……わかった」
小さく息を吐き、天井を仰ぐ。命を繋ぐための力が、自らの命を蝕むとは──皮肉な話だった。
「他に異常は?」
「身体面ではね。けど……ちょっと気になることがあるの」
アンナは端末から視線を外し、真っ直ぐに彼を見つめた。普段の朗らかな表情からは想像できないような、凍てついた静けさがその眼差しに宿っていた。
「……あなたの脳波、少しだけ普通じゃない。周期的に微弱な反応が検知されてるの。最近、変な夢を見たりしていない?」
その問いに、心臓が一瞬跳ねた。
夢──何かを見た気がする。白い空間。誰かの声。けれど、それは泡のように浮かんでは消え、どうしても思い出せない。
「……わからない。夢なんて、覚えてない」
「そう……ならいいの。今はね。でも、もしまた夢を見るようなら、必ず教えて。反応の傾向からして……そのうち、目覚める可能性があるから」
目覚める――
その言葉に、言いようのない不安が胸の奥をじわりと湿らせた。
それは比喩か、それとも何か別の意味なのか。
「……何に、目覚めるんですか?」
アンナはほんの一瞬だけ黙り込んだ。そして、口元に曖昧な笑みを浮かべて、端末に目を戻す。
「ん、いや、なんでもないわ。ただの仮説。異常がないなら、それでいいの」
仮説――その言葉の裏には、何か隠された確信があるような気がした。だが彼女はそれ以上何も語らず、診察はあっさりと締めくくられた。
部屋を出た直弥は、廊下の奥に目をやって思わず立ち止まった。
壁にもたれ、腕を組んだままぼんやりと天井を仰ぐ男子生徒――あの特徴的な銀髪と制服姿に見覚えがあった。
直弥は少し戸惑ったが、すぐに駆け寄る。
「白伊くん!」
名前を呼ばれた白伊は、ハッとこちらを見たかと思うと、げんなりしたように眉をしかめた。周囲をちらりと見回し、逃げ場がないと悟ったのか、渋々といった様子で返事をする。
「……んだよ、鬱陶しいな」
「ひ、久しぶり。任務の時以来、だよね」
「……ああ? だからなんだよ」
そっけない口調に気後れしつつも、直弥は一歩踏み出す。
「いや、あの……あの時、助けてくれて……ずっと、ありがとうって言いたくて」
言い終えた瞬間、白伊は舌打ち混じりにそっぽを向いた。
「……っち、くだらねぇ」
だがその横顔は、わずかに耳の先が赤らんでいるようにも見えた。
「でも白伊くん、なんで病院に?」
「…定期検診だよ。……おい、んなキラキラした顔向けてきたって、お前のためにきたわけじゃねぇからな。」
白伊は気色悪がるように直弥の顔を見る。
「……変な勘違いすんなよ」
白伊はわざとらしく眉をひそめ、直弥のきらきらした視線を手で遮るようにしてそっぽを向いた。
「えー、でも俺的には運命っていうか、ほら、偶然の再会って感じ? ドラマみたいじゃん」
直弥は冗談めかして笑いながら、白伊の隣にすっと立った。ふざけているようでいて、その目はどこか嬉しげだ。白伊はそんな直弥の様子に再びため息をつく。
「お前な……ここ病院なんだぞ。静かにしろ、他の患者に迷惑だ」
そう言いながらも、白伊の声は少しだけ柔らかくなっていた。普段のぶっきらぼうな態度の裏に、どこかで直弥の無邪気さにほだされているような気配がある。
「はいはい、反省してまーす」
直弥は適当に敬礼のポーズをとってみせ、白伊をからかうように肩を軽く叩いた。
「……おい、触るな。検査結果に響く」
「…え関係なくない?」
くすっと、誰かの笑い声が廊下にこぼれた。それがどちらのものかは、二人とも知らないふりをした。
***
「…ありがとうございましたぁー…って、おい。」
診察室のドアが静かに閉まると同時に、白伊は廊下の先にあるベンチへと視線を向けた。そしてそこに、まるで置き物のように静かに座り、士官学校支給の専用スマホすら弄らず一点を見つめていた直弥の姿を認めると、途端に眉をひそめて声を低くした。
「何してんだよ、こんなとこで。……バカじゃねぇのか。」
その声音には呆れと、どこか諦めのような響きが混じっている。
直弥は白伊の姿を認めると、安堵したように立ち上がり、ほんの少しだけ表情を緩めた。
「いや、白伊くんが“すぐ終わる”って言ってたから。……だから待ってようと思ってさ。けっこう時間かかってたけど、大丈夫だった?」
「心配……? はっ、アホくせ。お前のほうが重症なんだろ?」
そう毒づきながらも、どこか顔を引きつらせた白伊に、直弥はふっと柔らかい笑みを浮かべた。
「でも、やっぱり俺のこと心配しててくれたんじゃん。なに、さっきのは照れ隠し?」
「なっ……!あぁ!? ったくるっせぇよなんだよお前さっきから! 調子狂わせやがって!」
怒鳴るように言い返した白伊だったが、その瞬間、ふと空気の異変に気づいた。周囲が静まり返っている。
――しまった、ここは病院だ。
待合室の向こう側、受付カウンターの奥では看護師たちが怪訝そうにこちらを見ている。座っていたお年寄りたちも一斉に視線を向けてきた。中には「まぁ……」と呟く者までいる。
「……っ、チッ」
白伊は小さく舌打ちすると、隣の直弥の腕を無言でぐいっと引っぱった。
「ちょ、ちょっと? どこ行くんだよ?」
「黙れ。……裏口だ、裏口。もう二度と来ねぇぞこんなとこ……!」
頬を真っ赤にしながらも、耳の先まで赤く染めたままの白伊は、引きずるように直弥を病院の裏手へと連れて行こうとする。直弥は引っ張られつつ、必死に声を張った。
「ちょっ、待って白伊くん! 待ってたのには他にもわけがあって…!」
「ああ? なんだようるせえな、いいから来いって!」
「待ってって! 夢瑤さんの見舞いに行こうって、それだけだから!」
白伊の足がピタリと止まった。背を向けたままの肩がわずかに揺れ、振り返ったその顔には、驚きと困惑がないまぜになっていた。
「……は? 夢瑤の?」
直弥はうなずき、そっとポケットから小さな紙袋を取り出して見せた。そこには、リボンのかかった小さな贈り物と、やや雑な中国語で「お大事に」と書かれたカードが添えられていた。
「ちょっとだけど、差し入れ。前の吉林省の一件でお世話になったし……やっぱり白伊くん、俺だけで行くよ。先に帰りたいなら無理強いはしないし。」
その言葉に、白伊はまた少し眉をひそめた。
「……お前、そういうの、ちゃんと考えてんのな」
「え?」
「いや……なんでもねえよ。……ったく、お前がそういうこと言うから、余計ややこしくなるんだよ……」
白伊はそう呟くと、ふいっと目をそらした。
しばらく沈黙が流れた後、彼は少しだけ顔を戻し、口元だけでぼそっと言った。
「……一緒に行く。せっかくだからな」
直弥が目を丸くする。
「え、いいの? さっきまで帰る気まんまんだったじゃん」
「うるせぇ。たった今行く気になっただけだ」
照れ隠しなのか、白伊は先に歩き出す。だがその歩幅は、直弥が追いつけるようにやや緩やかだった。
ふたりは病棟のエレベーターへと向かいながら、どちらからともなく歩調を合わせた。
続く…




