3話 再会
Anti Devil Federation、略称 ADF。
日本語で「対魔連邦」と呼ばれる彼らは、超極秘なこと以外はれっきとした機関である。
日本主導の国連のような国際機関で、その組織の影響力は絶大であり、影ではアメリカの軍事力をも優に越すとすら言われている。
ただしADFの目標はあくまで魔族の徹底的撲滅であり、中国やロシアを筆頭に大半の国はADFを正式な機関として認めず、ロシアに至っては世界的なテロ組織としている。
だが、上記の2カ国や、その他の国家もADFの軍事力の脅威や、ADFと関わりがある大国の圧力もあり、現在まで極秘が守られている。
「、、、ここまでが、この組織の大まかな説明だ。質問は?」
一通り話し終えた四阿庸平がこちらを見据え、目線で八幡直弥に質問があるか投げかける。
無論、直弥はその説明に疑問符しか浮かばない。それもそうだろう。そのような話、漫画の世界でしか聞いたことがない。
そっと手を挙げる。手や足に付いてあった拘束器具はすでに外されていた。
「質問というかなんというか、さっきから内容の半分以上理解できないんですけど、、、」
「例えば?」
「さっき言ってた魔族でしたっけ。それって一体、、、?」
「、、、聞いておいて何だけど、苦手なんだよなぁ説明すんの、、、まあわけわかんなくて当然ちゃ当然なんだけどさ、、、」
面倒くさそうに頭をかきながら、首を傾げて考える仕草をする四阿。
その仕草を見て、ようやく直弥は眼の前の景色が現実であるとはっきり理解する。
だが同時に、胸に降り積もる不安や困惑が更に強まったのもまた事実だった。実際、ドラムのような動悸が彼の胸を打ち、背中には気持ちの悪い汗が伝っていた。
震える右手の指先で、無意識にキュッとベッドシーツを握る。それに気がついた四阿は、そっとその右手に手を添えてきた。
ビクッとした反応を示した直弥を、四阿はゆっくりと優しい眼差しで諭す。
「、、、悪かった。そりゃこんな訳分かんない状況、不安になるのも無理ねぇ。俺が無神経だった。すまん。」
「べ、別にそんな、、、」
「いや、お前がどう思っていようが、不安にさせた一因は紛れもなく俺だ。俺はお前にこれ以上苦しんでほしくねぇんだ。」
思わず口をつぐむ。この四阿という男が、見た目に反し人間味溢れる優しい人間であった事に驚いたからだ。
四阿の姿が、優しかった母の姿と重なる。温厚だった父の姿と重なる。幸せそうに笑う楓の姿と重なる。
突然目がぼやけた。それが自分の涙とわかったときにはもう、直弥は四阿の黒スーツに顔を埋め、嗚咽を漏らして泣いていた。
四阿は何も言わずに、直弥の頭を優しく撫でる。その手の温かさが、冷え切った直弥の心を包んでくれた。
***
一通り落ち着いたあと、直弥はゆっくりと顔を上げ、真っ赤に腫らした目で四阿を見据えた。
四阿も直弥を見返し、優しく微笑んだ。
「落ち着いたか?」
「はい、、、すいません、取り乱しました。」
「、、、いいんだ。いっぱい泣きゃいい。」
つかの間の静寂。四阿が何やら言い淀んでいる様子だった。気まずいのだろうか、直弥から目線を外し、少しだけ俯いていた。
気にした直弥が彼に声を掛ける。
「言いたいことあるなら、全然言ってください。」
「!、、、ああ、悪い。気ぃつかわしたな。いや、なんてことないんだがな、、、」
また言い淀む。その態度に、直弥は少々じれったさを感じたが、何も言わずに四阿が口を開くのを待った。
「、、、あのな、お前にはある会議に出席してほしいんだ。」
「会議、ですか?なんの、、、?」
「まぁ、、、なんだ、お偉いさん方の会議だと思ってくれていい。まあただ話の中心はお前と佳人、、、えと、日下部純麗って言ったほうがいいか?、、、だけどな。」
「俺と日下部?、、、そうだ!日下部!彼女はどうなったんです!?」
「それも会議に行きゃわかる、、、出て、くれるか?」
今度は直弥が言い淀んだ。不安によるものもあるのだが、なによりも先に確認しておきたいことがあった。
「、、、一つだけ、いいですか」
「ああ、いいぞ。」
「、、、家族に、会わせていただけませんか。」
***
無機質で規則的な機械音が、ピッ、ピッ、とその部屋の中で響く。
真っ白なその部屋にはベッドと心電図、点滴、そして小柄な少女が汚れ一つない布団をかけられてベッドに横たわっていた。
その少女の顔や腕には何重にも包帯が巻かれ、すぐに大怪我とわかるような格好でピクリとも動かない。彼女の口元を覆う酸素マスクが呼吸するたびに白く曇らなければ、死んでいると言われても納得がいく、それほどひどい状況だと一目見て直弥は思った。
ミラー越しに見るその部屋で眠っているのは八幡楓、つまり直弥の妹だと四阿は言った。
高校襲撃が起こる数時間前、彼女は身体のいたる所に暴行を受け、特に首から上はひどく、数十回繰り返し殴打された挙げ句放置され、脳内出血などで意識不明の重体だそうだ。
最善を尽くし、なんとか一命はとりとめたが、依然意識は戻らず、現在まで昏睡状態にある。
守れなくて本当にすまない、四阿はそう言った。だが直弥は、ただ呆然とその真っ白な病室を眺めるしか出来なかった。
目の前のガラスを突き破ってでもそばに寄ってやりたい衝動に駆られるが、生憎手錠をかけられた状態かつ、先程いた病室の外にいた警備兵らしき屈強な男二人が、両手に銃を提げて直弥のべったり後ろについていたので、しようにもできなかった。
警備兵の後方で医師らしき白衣の数名が、直弥の様子を哀れむように見る。彼らが何に対して哀れんでいるのか、頭の中でははっきりわかっていた。ただ、心がその事実を拒み、わずかでも希望を見出そうとする。
そのせいでか、直弥は無意識のうちに、目にした現実をそのままぽろっと口にしてしまった。
「、、、父さんと、母さんは?」
凍てついた空気が、瞬時にその部屋を満たす。誰も直弥を直視できなかった。ある者は俯き、ある者は伝う涙を必死で呑み込み、ある者は空気に耐えられず足早に退出した。
数十秒の思い沈黙の後、小さくため息をつく。思いの外心は落ち着いていた。もうわかりきっていたことだ。いまさら涙は出ない。
「、、、いいんです。もう最初から分かってたことですから。」
「、、、」
「日下部が、やったんですか?」
「、、、いや、違う。たしかに彼女はお前の父親を撃ち殺したし、母親の死も目撃してる。だが、もうその数時間前に彼らは死んでた。」
「、、、?いや、でも父さんは俺らを、、、」
はっ、と気づく。確かに、彼は明確に罪のない生徒を狙い、容赦なく撃ち殺していた。だが、その仕草はどこか事務的で、自らの意思で動いているようには見えなかった
そうだ、無言だった。まるで人形のように、ただ無慈悲に引き金を引く、無感情な人形。
あれは父であり、父ではなかった、と今になって思う。容姿が似通った、赤の他人、、、いや、そもそもあれは人ですらないようにも思える。もっとおぞましいなにか、、、
「、、、そうさ。お前の考える通り、あれは人間であり人間でない。」
見透かしたように四阿が言った。直弥は驚き、彼を見やる。
四阿はこちらをちらりとも見ず、楓の眠る病室をぼんやり眺めながら、独り言のようにつぶやいた。
「さっきもいったけど、俺らの最たる目的は魔族の撲滅だ。あいつら関連の事件じゃなければ、基本的には表世界のことに首は突っ込まない。 、、、いいたいこと、わかるな?」
「、、、その、魔族になにか、された、、、?」
あの大きな異形の亡骸が脳裏に浮かぶ。あの巨大な怪物に、無惨にも家族が弄ばれたというのか。
到底信じられる話ではない。仮にそうだったとしても、あんな大規模に学校を襲撃してまで自分たちを狙った理由がまるでわからない。
だが、実際にあの異形の亡骸を肉眼で目の当たりにしてしまった。そして、その近くで覆いかぶさるように倒れていた楓と好美、拳銃片手に佇む日下部の後ろ姿、、、
それが彼の発言を裏付ける全てだと思った。もうあれを見てしまったならば、どれだけ現実的でなくても事実として信じざるを得ないような気がして、不安感が更に募る。
すると四阿は、苦い顔をしながらも直弥の後方にいた白衣の者のうちの1人、先程直弥がベッドで見たあのメガネを掛けた女性を一瞥する。
四阿が何を求めているか察したのか、女性は懐から十数枚写真のようなものを取り出し、さっと彼に手渡す。
受け取った四阿は短く感謝の意を述べ、一枚一枚丁寧にその写真を見ていく。
直弥はその写真が気になり、じっと彼を見つめる。
視線に気づいた四阿は、目を落としたままこう告げた。
「見ないほうがいい。お前には些かショッキングすぎる。」
「なっ、、、んでですか?俺にだって知る権利は、、、!」
「んなちっぽけな理由と覚悟だけじゃもたねぇから言ってんだよ。気づいてないかもしれないが、お前さっきから顔が真っ青だぞ。」
言われて初めて、自分が軽いめまいを覚えていることに気がついた。
それまで家族や魔族と評される怪物のことで頭がいっぱいになり、自分のことにまで気が回らなかった。吐いたばかりで吐くものがないため、幸い嘔吐感は感じられないが、精神的にかなり追い詰められているのに変わりはない。
だからといって、直弥の意志は変わったわけではなかった。むしろ、知るべきことは知らねばならないという固い意志を生み出し、不安定になっている心をぎゅっと引き締める。
依然と写真に目を通している四阿を我慢強く見つめ、直弥は言う。
「、、、お願いします。見せていただけませんか。」
「だめだ。見せてやりたい気持ちはあるが、今のお前にはまだ早、、、」
「自分のことぐらい自分でわかります!四阿さんが気遣ってくれてるのは分かってます。でも、知らなきゃいけない気がするんです!俺のためにも、家族のためにも!」
「理由になってない。それは単なるお前のわがままだ。」
「わがままなんかじゃ、、、!」
「いいや、わがままだ。わがままで、自分のことすら把握できてない無知なガキ。」
冷たくそう言い放った四阿は、その写真を眼鏡の女性に手渡し、今度は冷めた目つきで直弥を見た。
先ほどは時折哀れみを帯びた優しい眼差しだったのだが、突如別人のように冷たくなった。どうしてそこまで突き放すように言うのか疑問に思う直弥を尻目に、四阿は続ける。
「第一、お前がなんで手錠されてるか自体分かってないだろ。」
「俺が逃げ出さないためじゃ、、、」
「それもある。だがそれ以上に大事な理由があるんだ。」
「大事な、、、理由、、、」
「ああ。お前が逃げ出して、世間に俺等の存在を公表するリスクを負うくらいならとっくに妹と一緒に殺してる。逆を言えば、それを鑑みても生かす価値がおまえにゃあるってことだ」
「その、大事な理由って、、、?」
四阿は手元にあった写真の束を懐へ戻し、ネクタイを締め直す。その間直弥をちらりと見やらない。
何度目かの沈黙が降りる。無機質な機械音と楓の弱々しい呼吸音が反響していた。
もどかしい。明らかに大事なことをはぐらかそうとしている。その態度に少々直弥は苛つきを覚えていた。
しばらくその沈黙が続いたのち、しびれを切らして直弥が口を開こうとした瞬間、四阿が先に口を開いた。
「、、、お前は、人間なのか?」
一瞬、四阿が何を言っているのか理解できなかった。
脈略がないのもそうだが、質問自体とてつもなく奇妙なものだった。
人間かどうかなど、見ればわかるだろう。二足歩行、目は2つ、肺呼吸で、身体は皮膚で覆われ、高度な言語を用いて感情表現できる、、、
紛れもない健常的な人間の特徴だった。疑う余地すらない。生まれてきた時から自分は人間であり、その認識を確固たるものとして生きてきた。今でもそうだ。まさか、自分のことを犬や猫だなんて思うはずがない。
どういう意味かわからず戸惑っていると、その答えを彼は口にした。
「、、、本当に、お前は魔族と人間の混血なのか、、、?」
続く、、、