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人魔闘諍  作者: ゆっけ
第参章
37/112

36話 ユダは笑う

 木々の隙間から差し込む陽光が、葉の揺れとともに白いローブの裾を淡く照らしていた。


 枝の上、まるで重力すら無視するように佇むのは、一人の“白き者”。

 その姿は人間のようでいて、何処か人間離れした不気味さと無垢さが同居している。


「…良かったのですか、最上様。」


 静けさを破ったのは、林下で片膝をつく少女の声だった。

 整えられた姿勢と口調は軍人のそれに近い。だが、彼女の瞳にはそれ以上の忠誠が宿っている。


 最上は木の上で足をぶらぶらと揺らしながら、その声に返す。


「んー? 何がぁ?」


 その声音は、気だるさと子供っぽさが入り混じっていた。まるで世界そのものが退屈な玩具であるかのように。


「八幡直弥と花梅のことです。ご命令とあらば、あのヘリごと皆殺しにしましたのに。」


 最上は枝の上で肩をすくめるように笑った。まるでどうでもいいことを訊かれたような、退屈すら覚えたかのように。


「だってぇ……あれを今潰したって、別にな~んも面白くないじゃん?」


 その声には抑揚がなく、それでいて絶対の冷たさがあった。

 どれだけ命の重みを口にしたところで、彼にとってそれは数値の違いに過ぎない。


「それにさぁ、私が鷹觀にしてほしいのは八幡直弥の身柄拘束なんだって。殺しちゃ意味ないじゃ~ん。」


 鷹觀ヨルは、わずかに眉を動かした。

 その仕草には、命令不履行への違和感と、対象への理解不能がにじんでいる。


「……しかし、あの状況での回収は困難でした。リスクを伴う以上、排除が最も合理的かと」


 最上は、それを聞いてなお飄々としていた。

 木の上で姿勢を変え、枝の先に指を伸ばして、風に舞う葉をひとつ摘まみ取る。


「合理的、ねぇ……うーんまあ、そういう考え方もあるかも」


 葉をひらひらと落としながら、彼は愉しげに続けた。


「でもね鷹觀。私にとって“合理性”って、実はあんまり重要じゃないの」


「……はぁ」


 最上は枝の上で欠伸を噛み殺すように手を口元に当て、空を見上げながら肩をすくめた。


「だってさ、蝋燭って――芯だけ焼き切っちゃったら、風情もへったくれもないでしょ?」


 ひらりと枝から舞い落ちた枯葉が、風に乗って闇の中へ消えていく。


「どうせ燃やすなら、芯がじわじわ焦げて、蝋が垂れて、最後に一瞬だけ――ぱっと明るくなって、それで消える。その瞬間が、いちばん“美しい”んだよ」


 鷹觀はまばたきひとつせず、その異様な価値観を静かに受け止めていた。

 最上はさらに続ける。


「私が見たいのはね、焼け落ちる寸前の煌めきなの。八幡直弥がどう崩れるか。その崩れ方に、私は価値を見出してる。」


 そう言って彼は、まるで子どもが虫の羽を剥がすときのような無邪気さで笑った。


「早く壊すなんてもったいないじゃん。もったいないって、結構な罪だよ?」


 沈黙の中、風が林を撫でる音だけが残る。

 木々のざわめきが、誰のものとも知れぬ吐息のように漂う中で――

 ヨルは跪いたまま、静かに頭を垂れた。そして低く、だが確かに問うた。


「―――あの魔族を、何故、仲間に引き入れたのです?」


 最上は枝の上で足をぶらつかせながら、小さく笑った。

 その声音はまるで、退屈しのぎに読み捨てた雑誌の話でもするような軽さだった。


「んー? ただの暇つぶしだよ。退屈な日常の、ちょっとしたアクセント。その延長で花梅と八幡直弥の身柄が転がり込んでくるなら、そりゃもう“お得なオプション”ってやつじゃない?」


 一拍置き、ヨルはさらに一歩踏み込む。


「では―――その程度の存在に、なぜ“計画”の一端を明かされたのですか?」


 その問いに、最上はわずかに目を細めた。

 風が林の静寂を裂くように吹き抜け、白髪を揺らし、真白なローブの裾を翻す。


「……それはね、鷹觀。」


 一転して、その声音には氷のような冷たさが宿った。

 空間ごと凍らせるような、無慈悲な知性の声音だった。


「信じるに値しない存在に、あえて小さな希望を握らせて弄ぶ――それって、コストパフォーマンスのいい嘘なんだよ」


 森が沈黙する。鳥すら鳴きを止め、空気から音が奪われる。


「真実を“知ったつもり”になって、勝手に使命感に燃えて、勝手に踊って、勝手に絶望して……やがて勝手に壊れていく。ねえ、それって最高に愉快じゃない?」


 最上の唇が、ゆっくりと三日月形に歪む。


「そういうのを見るために、私はこの舞台を用意したんだよ。役者たちは、どんな顔で終幕を迎えるのか……それを観るのが、私の娯楽ってわけ」


 ねぇ鷹觀も楽しいと思わない?と最上は無邪気にそう聞いてきた。 その声音はひどく優しかった。だからこそ、ぞっとするほど冷たい。

 鷹觀ヨルは、しばし沈黙したのち、伏せたままの姿勢で静かに答えた。


「……はい。最上様のご高見、畏れながらも――至極、同感にございます。」


 その声音には、一点の迷いもなかった。

 口元には、かすかに笑みが浮かんでいた。


 そうだ――最上様がそうお思いになるのだから、そうであるに違いない。

 正義も、悪も、真実も、善意も。すべては最上様のご意志によって価値が決まる。


 彼女にとって、最上シアの言葉は世界の構造であり、その笑み一つが、この舞台における唯一無二の「正しさ」だった。


 そして、最上シア以外は淘汰されるべき劣等種であり、すべて無に帰すべきである。そしてそれは自身も例外ではない。


 そう、最上様の手によって世界が書き換えられるのなら、そこに「鷹觀ヨル」という存在が残される必要など、本来どこにもない。


 彼女は迷わない。

 なぜならその“無価値”すら、最上様の意志によって決定されるならば――それは「正しい滅び」なのだ。


 自らがいつかその白き手によって切り捨てられる日が来るとしても、それは畏れではなく、誇りであるべきもの。

 最上様の計画に参加できるということ、それは神話における神の御業に携われることに等しい。


「……最上様」


 顔を上げぬまま、鷹觀は恍惚な表情で、囁くように呼びかけた。


「どうか、この劣った私にも……最後まで、役目を与えてくださいませ」


 それは忠誠ではない。崇拝でもない。


 ――信仰だった。


 虚無の申し子に仕える、その身のすべてを捧げるという、最も純粋な「否定」から始まる信仰だった。


 続く…

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