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人魔闘諍  作者: ゆっけ
第弐章
31/112

30話 中国・吉林省 - 10 -

 爆発。怒号。そして銃声。


 耳を劈くような音が、森の奥からひっきりなしに響いていた。


 曹 夢瑤は、血まみれの手で止血用の布を押し付けながら、もう片方の手で高 濤の太腿に注射器を突き刺す。


「——我慢してっ!」


「ッあああ゙あ゙ああ゙あ!!」


 簡易ベッドの上で、高 濤が歯を食いしばりながら絶叫する。左足の太腿はえぐられ、骨は露出していた。包帯ではもはや足りない。輸血パックも残り一つ。


「夢瑤、血圧が下がってる!このままだと……!」


 魏 安然が、義手のモジュールを動かして緊急輸液ラインをセットしながら叫んだ。


「分かってる……でも、まだあの鎮静剤が効いてない……! 残ってるステイプラーは!?」


「ここだっ!」


 非戦闘員で車両運転手の史建民シー・ジエンミンが、震える手でメディカルバッグを差し出した。


 その頬には、飛び散った血が一筋伝っている。自分のものか、それとも負傷した高 濤のものか――もう確認する余裕などなかった。


 高 濤は担架の上で呻き声を漏らし、時折意識が途切れかけていた。止血も、鎮痛も追いつかない。命の砂時計は音を立てて崩れ落ちていくようだった。


 一方で、その周囲では、


 情報分析官・劉 麗秋が、銃を両手で握りしめながら、森の木々の合間を目で追っていた。呼吸が浅く、喉がかすかに鳴っている。

 彼の額には冷や汗が滲み、恐怖を隠しきれていない。


「…音、止んだ。爆発も、銃声も」


「気を抜くな、逆に不自然だ」


 軍法監察官・陳 惇が低い声で応じる。

 スーツの上から着込んだ防弾ベストの裾を整えながら、静かに歩を進めて周囲を見渡していた。


「この静寂は、“間”だ。嵐の前触れ。魔族は人間のように感情で動く連中じゃない。戦況を読んでいる。……仕掛けてくる気配がある」


「そんなの……分析の領域超えてる……」


 麗秋が呻くように吐き出した。


「そう思うなら、分析官なんて肩書は外すんだな。ここじゃ誰も守ってくれないぞ」


 陳 惇の言葉は冷たいが、誤魔化しはなかった。


 そしてその間にも、救護テントでは――


「血圧、戻ってない!」


「交感神経反射が来てる、昏睡の兆候だ!夢瑤、次の輸液セットを!」


「もう、パックが尽きかけてる……くそっ!」


 魏 安然が夢瑤の代わりに新しいラインを挿し込み、背中の高機能モジュールから補助薬を供給する。


 夢瑤は手を止めなかった。震える指先で縫合用ステイプラーを握りしめ、むき出しになった高の太腿に金属の縫い針を打ち込む。


「……っ、これで、止まって……」


 金属の音が短く響いた直後、背後の木々の向こうから――


 ドンッ!!


 と、また爆発音が上がった。


 だが、それは戦闘の爆音ではない。空気そのものが爆ぜるような音だった。


 その音に、麗秋が一瞬で銃を構えた。


「……来たぞ」


 その言葉に全員が緊張する。


 救護班と非戦闘員たちがいるこの場所も、安全圏ではない――誰もがそれを、今、理解した。


 煙の帳が、風に押されてわずかに割れる。


 その隙間から、一つの人影が現れた。


「……誰だ?」


 劉 麗秋がすかさず銃を構える。

 その横で、陳 惇も無言で身構え、指をトリガーにかける。


 だが、煙の奥から現れたその顔を見た瞬間――二人の表情が変わった。


「……曹、辰偉……?」


 それは確かに、死んだはずの仲間だった。紅旗の同胞。衛生班の曹 夢瑤の兄。旧炭鉱跡地で消息を絶ったあの男の顔だった。


 血塗れの軍服。焦げ跡のある袖。眼差しは虚ろだが、姿形はまぎれもない――


「まさか……生きて……」


 麗秋の言葉は最後まで続かなかった。


 次の瞬間、“それ”は笑った。


 形だけの微笑。そこに人間らしい情動は一切なかった。


「────ヤッと、ミつけタ」


 甲高いノイズが混ざったような声。それは日本語とも中国語ともつかない、不自然な抑揚だった。


 そして“曹辰偉”の胸部が、裂けた。


 骨と肉が破れ、その中から飛び出してきたのは、鋭利な甲殻に包まれた刃のような触手。

 真っ先に飛んだのは、麗秋の喉元だった。


「っ!?」


 反応する間もない。喉を貫かれた彼は、声も出せぬままその場で崩れ落ちる。


「麗秋――!」


 陳 惇が咄嗟に引き金を引いた。


 パン! パン! パン!


 だが、弾丸は“曹辰偉”の身体を弾くだけで傷ひとつつけられない。装甲のような皮膚が銃弾を無力化している。


「クソッ!」


 陳 惇がもう一発撃とうとした瞬間――


 “曹”の肩の肉が不気味にうねったかと思うと、そこから刃のような触手が一閃する。


 そして鋭い裂ける音と同時に、陳 惇の二の腕が宙を舞った。


「……っ!?」


 切断された両腕は、血飛沫を撒き散らしながら地面に落ちた。

 陳は数秒、自分の肩口から吹き出す血と、離れた自分の腕を眺めていた。


 まるでそれが現実でないかのように。


 だが、やがて――


「…っ…あああああああああああっ!!」


 地の底から響く絶叫が、森の空気を震わせた。

 彼はその場に尻餅をつき、転げるように後退ろうとするも、両腕の喪失はそれすらもままならない。


 血まみれの顔で絶叫し、恐怖に濡れた目で“曹”を見上げた。


 その“曹”は――

 人間のように笑っていた。


 だが、それは明らかに“中身のない”笑みだった。

 皮膚の動きだけで形作られた、感情の一切が欠落した笑顔。“曹”は、まるで慈しむような動きでゆっくりと口を開けた。

 その口内、舌が溶けるように変形し、肉塊の奥から細長い触手が這い出てくる。


 ヌルリと滴る黒い粘液を垂らしながら、触手は蛇のようにうねり、震える陳 惇の顔面に狙いを定め、一直線に飛んでいく。


 そしてそれは彼の鼻孔を突き破って、頭蓋内に突き刺さった。

 目を見開いたまま、陳は声も出せず、口から血泡を漏らし――肺にたまった空気が、開いた気道から「フゥウウッ……」という異様な音を立てて抜けた。


 そのまま、彼は背をのけ反らせて崩れ落ちた。


 白衣が、血と泥に染まる。


 数秒の沈黙。


 その場に残った救護班たち――曹夢瑤、魏安然、史建民――の顔から血の気が引く。


「……お兄ちゃん……?」


 夢瑤が呆然と呟いた。


 一歩、また一歩――

 “曹”が、血に濡れた足音と共に近づいてくる。地面に残された肉片が、黒い血の中に泡のように浮かぶ。

 その姿は、兄を知る者にとってあまりにも“そのまま”だった。

 だからこそ、夢瑤は身体の芯から凍りついていた。


「……や、めて……」


 声にならない呟き。

 高 濤の治療のために止血しようとしていた手が震え、止血パックが地面に落ちる。

 彼女の目は、恐怖に大きく見開かれ、肩で激しく息をする――過呼吸寸前だった。


 そんな夢瑤の前に、ひとりの少女が立ちはだかった。


 花梅。


 年端もいかぬ少女が、小さな身体で“曹”の前に立ちはだかる。

 恐怖で膝が震えていた。けれど、目は真っ直ぐだった。


「私が目的なんでしょ!?だったらこの人たちは狙わないで!」


 声は震えていた。

 だがその叫びには、確かな“意志”があった。


 “曹”の顔が、わずかに歪んだように見えた。

 その目が花梅に向けられた瞬間、空気が凍りついた。


 ゴウッ――!


 魔族の背中から伸びた触手が地を蹴り、瞬時に花梅の身体を捕らえた。


「きゃああっ!」


 花梅の悲鳴が森に響き、血の滲むような音と共に彼女の姿が宙に引きずり上げられ、木々の間へと姿を消す。


「花梅っ!!」


 夢瑤が叫ぶ。周囲の者たちが止めようと手を伸ばす。


「待って!」「夢瑤さん、戻れッ!!」


 だが、夢瑤はその叫びをすべて振り払った。

 兄の姿をした“それ”が少女を連れ去る光景は、彼女にとって狂気にも似た衝動を呼び起こした。


「花梅を返してっ!!」


 夢瑤は走り出す――

 叫びながら、涙をこぼしながら、足元の血を踏みしめて。

 命を顧みることもなく、森の瘴気の中へと飛び込んでいった。


 ***


 森の中を駆け抜け、白伊たちは血と煙の漂う救護所へと戻ってきた。

 誰もが傷だらけだった。白伊は左肩を裂傷し、韓は額から血を流していた。胡は呼吸が荒く、呉は火器のストラップを握る手が痙攣していた。


 それでも――生きて戻ってきた。


「――開けろッ!戻ったぞ!!」


 張の怒鳴り声に、かろうじて設営されたバリケードの奥から史 建民が駆け寄る。顔に返り血を浴び、瞳が血走っていた。


「やっと……やっと戻ったか……!」


「後方の状況は!?」


「……っ、最悪だ」

 史は短く息を吐き、焦りを押し殺しながら言った。


「“曹”の姿をした魔族が現れた。陳 惇と劉 麗秋は――やられた。でかい蜘蛛の魔族とは別だ。あれは“人の皮”を被ってる」


 白伊の目が鋭くなる。


「……夢瑤は!? 魏は無事か!?」


「魏は生きてる……だが……」


 言い淀む史に代わり、横から魏 安然が血に濡れた白衣のまま現れた。義手の指先にはまだ高 濤の血が乾ききらずにこびりついている。


「――夢瑤は“それ”を見て、我を忘れて追ったわ」


 白伊は目を見開いた。


「……ひとりで?」


「正確には…一人、ではない。廃村にいた女の子がその魔族に攫われた。」


 目の奥には、何もかもを見てきた者の静かな諦念と、どうにもできなかったことへの後悔があった。


「止められなかった。……彼女の兄の姿だったのよ。“それ”が」


 沈黙。


 白伊は拳を震わせた。

 歯を食いしばる音が、かすかに聞こえるほどだった。


「っ……行く。俺が、助ける」


「待て、少年!」


 胡 兆安が肩を掴んだ。

 いつもは人懐っこい女の顔が、今は鬼のように険しい。


「今あの森に戻るってのか!? 君、あの蜘蛛がどんだけの化け物だったか分かってんの!?」


「分かってるよ!! ……だから、行くんだ」


 白伊の声が震えていた。恐怖ではない。怒りと、無力感と、悔しさが、声を突き上げていた。


「アイツは、曹の妹なんだ……っ。曹は俺がそばにいたのに、救えなかった。今度こそ……もう、誰も見殺しにしない……!」


 周囲が言葉を失ったそのとき――


「よし、俺も行こう」


 張 天雄の低く、重い声が響いた。


 皆が一斉に振り向く。


 張は拳を握り、傷だらけの軍服を振るうように身を起こしていた。

 年齢を感じさせぬ眼光が、鋼のように白伊を射抜いている。


「胡、韓、呉、お前らはここに残れ。魏を中心に、残りの衛生班と非戦闘員を守れ。……おそらく、“蜘蛛”だけが敵じゃない。」


 そして張は、白伊にだけわかるように静かに言った。


「お前ひとりじゃ、夢瑤は守れん。だから俺が行く」


 白伊は目を伏せ――そして静かに頷いた。


 続く…

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