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人魔闘諍  作者: ゆっけ
第弐章
29/112

28話 中国・吉林省 - 8 -

「んっ……」


 重たい目を開けた白伊は、ぼんやりとした視界の中に揺れる布の影と、微かにきしむ足音を認めた。


 淡いランタンの光が薄茶色のテントの内側を照らし、濃い影をいくつも作っている。外からは風にあおられる帆布の音、そして不規則に響く遠雷が聞こえる。


「……ここは……」


 喉が焼けつくように乾いていて、声が思うように出ない。喉の痛みに顔を顰め、重い咳をしていると、外の影の2つがテント内に入ってきた。


 白伊は痛む身体を堪えつつ、ベッド近くの机の上に無造作に置かれていた拳銃を手にとってその影に向けた。


 入ってきた影は煤にまみれた軍服姿の男と、白衣の女性だった。白伊の姿を見た男は女性をかばうように手で彼女を遮り、自身と対峙した。


「落ち着け少年。我々は敵ではない。」


 男は流暢な日本語でそう言う。白伊は男の胸元にある、赤旗に黄色の星が描かれたエンブレムを見据えつつ、低い声で問うた。


「あんた、人民解放軍だろ。お仲間に昨日撃たれた身の上の俺に、どう信用しろと?」


 男はその言葉に、表情ひとつ変えず答えた。


「我々は紅旗ホンチー。貴様の言う“お仲間”とは、道を違えた。敵の敵が味方とは言わんが、目的は一致しているはずだ。」


「道を違えた? …どういう意味だ。」


「そのままの意味だ。もともと俺達紅旗は、ADFの代わりに魔族関連の事件に介入する公認の秘密機関のようなものだ。それぐらいは知っているだろう?」


 紅旗、たしかに聞いたことはあった。対魔特別排除協定を結んでいない中国は、独自で魔族に対処する機関として紅旗という部隊を秘密裏に作った、というのは知っていた。

 だが彼らは、もちろん魔族にも対応するが、同時に密入国したADF隊員や他国のスパイを抹消するための機関だとも習った。白伊の中での位置づけでは公安に等しい。


「…ある程度は。」


「だが今事件で、中央政府は紅旗に頼らず独自に軍を動かして対処を試みようとした。なぜだかわかるか」


「…知らねぇよ」


「信用されてないからだ。全員というわけではないが、俺含め数人はADFに国内情勢を横流ししてた。」


「横流し…って。」


「魔族関連に限らず様々な事件、軍情報、政治情勢、その他諸々…、薄々中央の奴らもそれに勘付いてたんだろう。君たちが軍に襲われた数十時間後に、紅旗の司令室にも軍が押し寄せてきた。」


 言葉を区切り、男は静かに手を広げて見せた。


「元々80人強いた隊は、今じゃ俺を含めて14人。残りは――消されたか、逃げ切れなかった。」


 沈黙が降りた。


 焚き火の外に置かれたランタンの灯りが、テントの布越しに揺れる。白伊は何も言えず、ただ、男の言葉の続きを待った。


 しばらくの無言ののち、男はふと息を吐き、目を細めた。

 そして、深く彫られた皺の奥から、白伊の目をまっすぐ見据えて言った。


「……悔しいんだ」


 言葉のひとつひとつに、重い鉛のような感情がこもっていた。


「もし俺が……あんなもん、紅旗なんて組織を立ち上げなけりゃ――死んだ奴らは、今でも普通の人間として生きていられた。世界の闇に触れることもなかった。家族と、飯を食って、笑って暮らせてたはずなんだ」


 拳を握る音が、静寂の中ではっきりと響いた。


「なのに……」


 かすかに男の声音が震えた。


「“この世界の闇を終わらせるためだ”って言葉を信じさせて、引っ張って、死なせた。連中は俺の言葉を信じてついてきたのに、最後には政府に裏切られ、何も残らなかった」


 男は視線を落とし、疲れ切ったように肩を落とす。


「それでも、まだ生き残った十三人が俺についてきてくれてる。だから俺は――もう、逃げるわけにはいかないんだ」


 言い終えると、彼はゆっくりと目を閉じた。


 その横顔に宿るのは、ただの軍人ではない。誰よりも部下を想い、その死の重さを背負い、それでも戦場に立ち続けようとする、一人の“司令”の姿だった。


 白伊は何も言えなかった。ただ、握っていた銃の銃口を静かに下げた。


 かち、と乾いた金属音が耳を打つ。引き金から指を離し、彼は呼吸をひとつ整えるように息を吐いた。


 その姿を見て、張天雄はふっと微かに息をついた。敵意ではなく、安堵の混じった、年長者の吐息だった。


 沈黙がひと呼吸分だけ流れた後、白伊はようやく口を開いた。


「……完全に信用したわけじゃない」


 目を逸らさずに、はっきりとした声音で言う。


「けど――あんたの言葉は、嘘をついてるようには見えなかった。矛盾も、虚勢もなかった。……だから、協力はする」


 言いながらも、白伊の瞳には、消えぬ警戒の光が灯っていた。銃こそ下げたが、指はまだ無意識に震えていた。


 張は静かにうなずいた。まるで、覚悟を試された上でようやく通された一歩のように、慎重な態度だった。


「それで充分だ。こっちだって、今は味方が多いに越したことはない」


 言葉を交わすたびに、冷たい隙間風のようだった距離が、ほんのわずかだけ縮まっていく。沙紀と直弥のことは依然心配だが、今は取り敢えず彼らといた方が良さそうだった。



 ***



 まずは少年の身体を労るべきだろうが、それ以上に聞きたいことは多い。張は夢瑤を一旦退出させ、二人きりになった。


「まあまずは自己紹介だ。俺は張天雄、紅旗の司令をやってる。」


「白伊涼菟。玄武隊所属のⅤ型戦闘員。」


 その名乗りに、張は眉をぴくりと上げた。


「玄武隊…となると、佳人とかいう女の管轄か。」


 白伊の声が一瞬鋭くなる。


「“卿”をつけろ。 …あと、色々あって今は狂風卿が取り仕切られている。」


「ほう、政変か?」


「いや、別に自分佳人卿は降ろされたわけじゃない。あくまで狂風卿は代理だ。――いやまて、そんなこと聞いて何になんだよ。」


 白伊がわずかに眉をひそめると、張はどこか茶化すように肩をすくめて笑った。


「ははっ、悪い悪い。職業病だ。若い隊員の口ぶりや焦りを見れば、その組織の内部が透けて見える。俺みたいな老人にはそれくらいしか楽しみがない」


「……探りを入れてきたってわけか」


「それもある。だが安心しろ、君の情報を売る気はない。俺が欲しいのは連携できる相手だ。それ以上でもそれ以下でもない」


 白伊はしばらく張を見つめていたが、やがて視線をゆっくりと落とした。


「……連携ね」


 張は、湯気の立つ金属製のマグカップを彼に差し出した。


「乾いた喉には効くぞ。生姜と梅の煎じ汁だ。中国の前線では定番だ」


 白伊は迷った末に、それを受け取った。


「…悪い。助かる」


 ごくりと一口。すぐに舌が灼けるように熱くなる。だが、その刺激が逆に意識をはっきりさせるのを感じる。


「で――聞かせてもらおうか。どうして君がこんな森の中で、死にかけてた?」


 その問いに、白伊は黙り込んだ。数秒。だがその沈黙は、拒絶ではなく、言葉を選ぶためのものだった。


「発端は鏖殺事件の捜査。ここ吉林省の山間部集落で以前、魔族の襲撃があったと報告があって、俺達ADF隊員の3人がここに派遣された。」


「ああ、それは知ってる。報告したのは俺達だしな。」


 白伊は驚いて顔を上げる。が、瞬間何かを思い出したように呟いた。


「…確かにあの書類の報告者のとこに『紅旗』って…じゃあ曹も…」


「なんだ、知らなかったのか? そう、曹辰偉もうちの隊員の一人だ。あと、さっきの白衣の女はあいつの妹だぞ。」


 白伊はまた驚いたような顔をし、今度は気まずそうに顔を伏せた。彼のその雰囲気に、張は彼がなぜ顔を伏せたか察した。


「…もしかして、曹は」


「…ついさっきまでは一緒にいたんだ。軍の襲撃を一緒に逃げ延びて、旧炭鉱集落の探索をしてたとき、魔族化した元人民解放軍人に襲われて、俺達を逃がすために……」


「…そうか。」


 張は短く、しかし深く噛み締めるように言った。それ以上は何も言わなかった。


 だがその声には、悔しさも、諦めも、そして無力さもない。まるでそれすら既に受け入れたような、長い戦場経験を物語る諦念だけがあった。


 白伊は、拳を握りしめた。


「……すまない」


 張は首を横に振った。


「謝るな。曹は立派な男だった。あいつは“そういう男”だった。自分が死ぬことよりも、誰かが生き延びることを選ぶ――そういう奴だった。俺も、何度も救われたよ」


「……」


「それに、お前はちゃんと生き延びた。あいつが命をかけた価値は、ちゃんと今ここにある。そうだろう、白伊涼菟?」


 その言葉に、白伊の呼吸がわずかに揺れる。


 目を伏せたまま、彼は小さく呟いた。


「……俺は、あいつのことを、軍の人間だとしか思ってなかった。…でも最後に、あいつが自分を盾にして俺達を逃がしてくれた時、初めて“仲間”だったんだって気づいた。……遅すぎた」


「遅すぎることなんて、戦場にはいくらでもある。問題は、そこで止まるかどうかだ。曹が命をかけて繋いだものを、君が止めてしまったら、それこそ本当に“死んだ”ことになる」


 白伊は、顔を上げた。


 張の目は、まっすぐだった。軍人というより、もっと根底から、戦場で命の重さを知る“人間”の目だった。


「…怒らねぇのか?俺達が曹を見殺しにしたこと。」


「見殺しになんかしてないだろう。あいつは自らの意思で君達を守った。それを自分のせいだと責め立てるのは御門違いってやつだ。」


「だが…」


「紅旗メンバー全員がそう思うとは言わない。中には君を憎んで、最悪殺しにかかる可能性もなくはない。」


 張の言葉は淡々としていた。だが、そこに込められた意味は重い。


 白伊は息を詰まらせ、拳をぎゅっと握った。


「……それでも、逃げない。殺されるとしても、それで曹への償いになるなら」


「バカを言うな」


 張は即座に切り捨てるように言った。その声には、明確な怒気と苛立ちが滲んでいた。


「死んで償えると思うのは、生きてる人間の甘えだ。死んだ者はそんなもので救われやしない。救われるのはお前の気持ちだけだ」


 白伊は黙り込む。だが、目を逸らさなかった。


 張はふぅ、と息を吐き、静かに言葉を継いだ。


「憎しみや怒りをぶつける奴がいたら、それはそれで仕方ない。だが、殺させはしない。俺が止める」


「なんでそこまで…?」


「……曹が守った命。それだけで充分だ」


 言葉は短く、それでいて、絶対に揺るがない“信念”があった。


 白伊はその言葉に、ゆっくりと肩の力を抜いた。


 張が続けた。


「それに、誤解しないでほしい。俺達は復讐のために戦ってるわけじゃない。仲間の死を無駄にしないために、進むだけだ」


「……あんた達、強いな」


「違う。弱いから進むしかないんだ。止まったら、すぐに呑まれちまう。」


 その瞬間、テントの外から誰かの声がした。


「司令、偵察班より報告! 尾根沿いで、集落に続く足跡を発見とのことです!」


 張は立ち上がり、すぐに外へと足を向けた。


「行くぞ。君も来い。……君の仲間かもしれないんだろ?」


 白伊はわずかに目を見開いた。そして、静かに頷いた。


「……ああ」



 ***



 テント外、夜明け直後の澄んだ冷気の中に、焚き火の残り香と湿った土の匂いが立ち上っていた。


 白伊は、すでに紅旗のメンバーたちに最低限の自己紹介を終え、肩と腹部の包帯を巻き直してもらった後、張天雄と共に偵察班の報告を待っていた。

 中国語でのやりとりは完璧ではないが、聞き取りに関しては問題なかった。隊員たちも白伊が日本語しか話さないことは理解しており、必要があれば張が通訳に入る程度で済んでいた。


「戻ったぞ」


 最初に戻ってきたのは、韓渾一率いる偵察小隊だった。薄い靄の向こうから姿を現し、無言で張のもとへ歩み寄る。韓は背中のスリングを外し、タブレットを取り出して張に手渡す。


「見てくれ。今朝方の足跡だ。集落跡から奥に向かって伸びてる。二人分。片方は明らかに女性の小柄な足跡、もう片方は男性のだ。」


 張がタブレットをのぞき込む。


「……直近だな。少なくとも、半日前以内の通過だ」


 白伊の目が鋭く動いた。無言で張を見つめる。


「おそらく君の仲間だろう。足跡の数は二つだけだった」


 張の通訳を受けて、白伊は深く頷く。


「……沙紀と、直弥のだ。間違いない」


「だが問題はその先だ」


 韓が静かに言葉を続ける。


「足跡の延びる方向、そこから急激に瘴気の濃度が跳ね上がっている。そして、ちょうどその先5キロ地点に、あの鏖殺事件が起きた集落がある。今はすでに廃村だが、瘴気の濃度を見るに――まるで、そこを中心に瘴気の“壁”が築かれているような状態だ。」


 テント内の空気がひやりと冷える。火の粉が一つ、静かに弾けた。


 張が腕を組んだまま、低く確認する。


「つまり、そこに目的の魔族がいる可能性が高いということだな?」


 韓は深く頷く。


「形状や特性までは断定できない。ただ、通常の魔族とは明らかに違う反応だ。この瘴気の密度、範囲……どれをとっても明らかに異常だ。少なくとも、俺が見てきた中でも最大級の個体とみて間違いない。」


 その言葉に、白伊がわずかに目を細める。


「……異常、ね。どのくらい?」


 韓は少しだけ言い淀んだあと、淡々と答える。


「“殻”を出してきた魔族と比較して、瘴気圧は約三倍。密度も二倍以上。しかも、ただ濃いだけじゃない。瘴気が外へ漏れず、逆に内側へと圧縮されているような印象を受けた。」


「……圧縮?」


 白伊が目を細める。


 その時、韓の声の調子がわずかに落ちた。


「もしかしたら、という話だが――」


「……もしかしたら?」


 張が先を促すと、韓は無言のまま一枚の衛星写真を端末に表示させた。画面には、異常に歪んだ瘴気の熱反応が表示されている。


「魔族は――二体以上、いるやも知れん」


 静寂が落ちた。


 焚き火の木が小さくはぜ、誰もが無意識に目を見交わす。白伊もまた、硬く拳を握った。


 張が低い声で口を開く。


「二体、か……どちらも“殻”以上となると、戦力分散は危険すぎる。となれば、全員で一気に叩くしかないな」


 馮岳成フォン・ユエチョンが舌打ちをしながら立ち上がる。


「まるで自殺志願者の行進だな。……だがまあ、紅旗ってのは、元からそういう奴らの集まりだったか」


 張が微かに笑い、目を白伊に向けた。


「君の仲間を救いたいなら、急いだ方がいい。瘴気がこれ以上濃くなれば、俺たちも侵入は不可能になる」


 白伊は一歩、地面を踏みしめた。拳銃に手を添え、静かに答える。


「行くよ。俺は……絶対に見つける」


 張が短く頷き、全体に指示を飛ばす。


「作戦行動、二十分後に開始。装備を確認しろ――行くぞ、地獄のど真ん中へ」



 続く…

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