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人魔闘諍  作者: ゆっけ
第弐章
16/113

15話 いいのかい?

 日本の総理大臣になってはや数年――

 萱島かやしま毅夫たけおは、今、極度の焦燥に駆られていた。


 多議席与党である民政自由党(通称:民自党)の総裁に就任し、流れるまま内閣総理大臣の座に就いたのは、ほんの数年前のことだ。

 あのときはまだ、勢いもあった。支持率も高く、党内の反発も封じ込めていた。

 だが今、事態は明らかに変わっていた。

 鳴矢高校襲撃事件――それに端を発した一連の混乱。


 事件発生以前から、魔族が関与しているという情報は政府にも届いていた。

 だが、魔族という存在の性質上、それを公にすることはできない。

 だからこそ、政府は秘密裏にADFに対し対魔特別排除協定に基づき、その処理を一任したのだ。

 それは長年築かれてきた「闇の秩序」のうちの一つであり、政権にとっても必要な組織だった。


 萱島は、その決定が間違っていなかったと今でも信じている。

 だが、その「秩序」は、結果として破綻した。


 ――死者637名。行方不明者800名超。


 この数字だけで、国民の怒りがどれほど膨れ上がっているかは明白だった。

 鳴矢高校襲撃事件の余波は想定を遥かに超え、野党の追及は日増しに鋭さを増していた。

 だが、本当に深刻なのは――与党内部からも異論が漏れ出し始めたことだった。


「政府は事件を事前に把握していたのではないか」

「ADFに一任するという形で責任逃れをしたのではないか」

 そんなリークまがいの噂が、与党内の中堅・若手議員から流れ出ている。

 その裏にどの派閥がいるかは見えないが、明らかに“政権の終わり”を予感した連中の動きだった。


 そして――何よりまずいのは、先述した通り魔族の存在を公にできないことだった。


 魔族が関わっていた以上、協定に基づき襲撃の「真犯人」を国民に明かすことができない。

 だが、一ヶ月が経っても主犯の名前一つ出てこない状況に、彼らの怒りは最高潮に達している。


 いま、政府は「目下調査中」と言い張るしかない。

 しかし、事件から一ヶ月。

 進展ゼロのままでは、国民の不信も限界だ。


 東京では連日、議事堂前や総理公邸前に抗議のデモが押し寄せていた。

 ニュース番組のカメラはその群衆を映し続け、コメンテーターは政権への失望を隠そうともしない。

 かつての“民自党の希望”とまで言われた萱島は、今や「無策の象徴」として晒されつつあった。


 そして本人も――その現実を、痛いほど理解していた。

 だが、それを理解していても、彼は隠し通すしかない。


 国民よりも恐ろしい脅威が、目の前にいるのだから。


「もしもし? ……ああ、なんだ、璃久あきひさかぁ。」


 軽い声が官邸の空気を裂いた。

 白の軍服を纏った少年が、足を組んで優雅に椅子へと腰かけたまま、スマートフォンを耳に当てている。

 その姿に、周囲への気遣いの色は微塵もない。まるでここが自分の居間ででもあるかのようだった。


 朽宮くちみや 言真ことま

 魔族関連の軍事行動と情報統制、ひいては作戦決定を担う「影の総帥」。

 十代前半か、下手をすればそれ以上に若く見えるその外見とは裏腹に、彼の存在が政権中枢に与える影響は絶大だった。

 事実、あのアメリカですら、その意思に逆らえない。


「え? 学校にいた男? ……ああ、あれか。まあ大丈夫だよ。怪しいやつじゃないからさ」


 スマートフォン越しの相手に、言真は気軽に応じる。

 それから一拍置いて、茶化すように口を継いだ。


「…それはつまり、僕の言うことは信用できないってこと? ……くははっ、君は昔から正直なやつだな」


 柔らかく笑う声。

 しかしその笑いに、幼さも無邪気さもなかった。

 冷徹で、計算された「支配者の笑み」だった。


 その声を聞きながら、萱島はただ黙っていた。

 彼の隣に並ぶ名だたる閣僚たち――官房長官、財務大臣、文部科学大臣……誰一人、言真に口を挟むことができなかった。

 彼の圧もあるのだが、何より周りで室内を一定間隔で囲むように佇んでいる武装したADF隊員も、彼らが下手に動けない原因の一つでもあった。


 防衛大臣である真田さなだ昭次しょうじは、組んだ腕の下で膝を細かく揺らしながら、憮然とした面持ちで言真を睨みつけていた。

 その視線は剣のように鋭く、彼の存在すべてに対する明確な「敵意」をはらんでいた。


 だが言真は、それにも気づいていないのか、あるいは意図的に無視しているのか、微笑みのまま視線を逸らしてた。


「……直弥なおやが死刑に処されたなんて嘘、そう長く通じるわけがないって?」


 通話の相手の声に、言真は肩をすくめるようにして小さく笑った。まるで子どもの戯言を聞いているかのような態度だった。


「それはね、僕の管轄外ってやつだよ。文句があるなら総統閣下にでも言いな。」


 じゃあ僕忙しいから、と彼は通話を一方的に切る。

 ディスプレイが黒く染まるその瞬間まで、彼の表情は微塵も変わらなかった。


「悪いね、待たせちゃって。」


 ようやくスマートフォンを膝に置き、朽宮言真はその双眸をこちらに向けた。

 涼しげな笑みを湛えたままの顔には、反省の色も、焦りの気配も一切なかった。


 それどころか――まるで、自分がこの場を支配しているとでも言いたげな、悠然とした空気を纏っていた。


 その態度に、誰も言葉を返せなかった。

 あろうことか、総理である萱島すらも。


 閣僚たちが固唾を飲んで沈黙を守る中、言真はまるで平然とした顔で椅子に背を預け、ふっと一息つく。


「さてと。で、今日は何の話だったっけ? 僕、こう見えてけっこう忙しいんだけどなぁ」


 軽口とは裏腹に、室内の空気は凍てついていた。


 それは恐怖ではない。圧倒的な格の違いに、誰も抗おうとすら思えないという――純然たる絶望だった。


「……前々から再三要求している通り、鳴矢高校事件の情報共有、そしてそれとは別に、対魔特別排除協定に関する規約見直しを求めたく……」


 乾いた声だった。

 総理の言葉としてはあまりにか細く、情けないほどの弱さを孕んでいた。


 それでも彼は言葉を絞り出す。

 責任ある立場の人間として、国家を背負う者として、沈黙のままではいられなかった。


 だが――。


「……へぇ、規約の“見直し”ねぇ?」


 言真は、まるで退屈しのぎに拾った小石を弄ぶような声音でそう繰り返した。


 椅子にもたれ、片肘を肘掛けに乗せながら、白い軍服の少年は薄く笑う。

 その瞳の奥には、まるで人間の訴えなど最初から取るに足らぬものだと見なしているような冷淡さが宿っていた。


「具体的にはどういった点での改善を?」


 一見すると丁寧な問いかけ。だが、その言葉の底には明確な嘲りと“試すような色”がにじんでいた。


 問いに応じようと口を開けかけた萱島に、隣席の真田がわずかに肩を寄せ、低い声でささやいた。


「……この場で初っ端から踏み込むのはまずいです、総理。奴は突っ込みどころを探している。」


 言真の表情は変わらない。だが、その空気だけがゆっくりと、確実に部屋を締め付け始めていた。

 あたかも、この空間そのものが彼の支配下であることを思い出させるかのように。


 萱島は言真の視線から逃げず、真田の意見を踏まえた上で苦し紛れに笑みを作って応じた。


「……たとえば、対魔作戦の報告義務の明文化。それと、民間人に対する巻き添え被害を最小限に抑えるための作戦計画への関与……」


 そこまで言いかけたところで、言真の笑みがふっと深まった。

 それは、言外に「馬鹿だな」とでも言っているような――、いや、もはや呆れに近い感情が滲んでいた。


「作戦計画への関与? ああ、つまり君たち文官が、我々の作戦立案に口を挟みたいと。へぇ……面白い考えだね。」


 パチ、と指を鳴らす。


 途端に室内の照明が、部屋にいた他の武装したADF隊員によってわずかに落とされ、壁際のスクリーンに魔族戦の映像が流れ出した。

 焦土と化した都市、黒煙に巻かれ、断末魔を上げる人々と、必死の形相で闘うADF隊員。そして、捕虜にされた少女が、目の前で青い触手に貫かれる瞬間。


 ――鳴矢高校事件の映像。誰かが、息を呑む音が聞こえた。


「これが君たちが関与できる戦場だと、本気で思ってる?」


 椅子に深く沈みながら、言真はかすかに首をかしげる。

 白い軍服の少年の表情は冷ややかだったが、その裏に潜むのはあくまで静かな狂気――いかなる命も“必要経費”としか見ていない者のそれだった。


 萱島は、返す言葉を失った。

 真田も歯を食いしばっていたが、それ以上は言葉を挟めない。


 言真はスクリーンを一瞥し、再びスマートフォンを手に取った。


「……で? まだ規約の見直しなんて、おとぎ話を語り続けるつもり?」


 沈黙が会議室を支配した。

 唯一、見るに堪えない凄惨な映像だけが、残酷な真実を無音で語り続けていた。


 萱島は深く息を吸い、僅かに震える指先を膝の上で押さえ込んだ。


 ここで退けば、民意は完全に政府から乖離する。だが、踏み込めばこの少年の機嫌を損ね、明日には国ごと吹き飛ぶかもしれない。彼が本気でそうする手段と権限を持っていることは、既にいやというほど思い知らされている。


「……ですが、我々政府としても、このまま国民の信頼を失い続けるわけにはいきません」


 萱島の声は低く、苦渋に満ちていた。


「せめて情報開示の手続きや、軍事作戦後の報告について、一部でも協調体制を……」


 言真はふうん、と短く相槌を打つ。

 その目は、相手の耐久度を測る外科医のように冷静だった。


「協調体制か。それを求めるなら、まず君たち自身が“本当の敵”を理解するべきじゃない?」


 彼は手元のスマートフォンを操作し、スクリーンを切り替えた。


 そこに映ったのは、一見すると普通の人間――しかし、角度を変えた瞬間、その背中に尾のようなものがはっきりと浮かび上がった。映像は不自然に歪み、光の屈折すら捻じ曲げるように、尾の動きに合わせて周囲が揺らいで見える。


「……こいつは?」と、真田が息を呑んだ。


「以前僕の私的な部下が捉えた、人間に化けた魔族。こいつ、元は内閣府の情報分析官だって。」


 静かに、しかし確実に――室内の空気が変わった。あらゆる視線が、スクリーンに映っていた彼の映像へと戻る。


「ずっと前から魔族に寄生されてたらしい。で、気づかれないまま情報を流し続けてた。ADFの行動も、君らの議事録も、様々な作戦予定も……なにもかもね。」


 誰かが、喉の奥で乾いた音を立てて息を呑んだ。


 言真はそれを楽しむでもなく、ただ無感情に言葉を続ける。


「知ってる? ある時期を境に、魔族は“人間の形”を学習しはじめてる。筋肉の動き、声帯の震え、思考パターンまで模倣して……しかもその精度もそれなりで、それこそ前の鳴矢高校事件なんて、言語すら何の支障もなく話せてた。」


 彼は机に置かれたペンをくるくると指先で回した。


「君たち素人が、それを簡単に見抜けると思う?」


 その声には、苛立ちもなければ蔑みもない。ただ、事実を突きつけるだけの、冷ややかな静けさがあった。


 沈黙。だれも反論できない。いや、反論する余地がなかった。


「協定の見直し? それもいいだろう。でも、その前に見直すべきなのは、自分たちの“無力さ”なんじゃないの?」


「…ならば、もし仮にこちらが協定を破棄し、独自に魔族に対応できるよう機関を作った場合……君たちADFはどう動くのかね、朽宮氏?」


 真田のその言葉の端々には、怒りと、それを押し殺そうとする意志が滲んでいた。震える声は挑発ではなく、恐れを押しての宣告だ。


 それは――以前、彼自身が閣議の場で言及した“禁じ手”だった。


「このままでは日本の主権が形骸化する。魔族対応を他組織に握られるなどあってはならん」


 そう訴えた彼に対し、萱島は強く制止した。


 ADFは日本主導の国際機関と言われているとはいえ、その実態は元日本人らが率いているだけのどの国家からも独立した軍事組織だった。対魔特別排除協定の枠組みに依存している現体制において、それはあまりに危険な提案だった。だが、官房長官をはじめ一部強硬派の大臣らは真田に賛同し、協定の見直しを求める声が閣内でも強まっていた。

 結果的に、萱島は引くに引けなくなった。


 そして今――それが、朽宮言真の目の前で、口にされた。


 その場に、重たい圧が落ちる。

 空調の風すら音を立てるのをためらったかのような静寂の中、言真は小さく笑った。


「…いいのかい?」


 朽宮言真の声は、あくまで穏やかだった。だがその裏に潜む冷たい響きは、場の空気を一層凍てつかせた。


「僕たちはただ、君たちが“知らなくていい現実”を、代わりに引き受けてあげていた(・・・・・)。それを手放して、目を背けて、今さら“自分たちの手でやる”なんて言い出すのなら――それはそれで構わないさ。」


 彼は立ち上がり、スクリーンの方へと近づく。


「ただし、覚悟しておいてほしい。僕たちが下りたその瞬間から、君たちが守ってきた現実は崩れる。言い訳も、責任転嫁も効かないよ。魔族はそんなに甘くない。」


 一歩ごとに、その場にいる全員の心臓が締めつけられていくようだった。


「協定を破棄するなら、君たちが最前線に立つことになる。夜ごとに現れる『人間の顔をした死神』と、君たちの子どもたちが、街角で出くわす時代が戻る。」


 そこで言真は、ようやくスクリーンの目の前で足を止め、人形魔族の映像を眺めながら穏やかな笑みを浮かべた。


「そのとき、“こうなるとは思わなかった”なんて言葉が、どれほど軽いか。君たちが一番よく知っているだろう?」


 真田は何も返せなかった。

 言真はそれを見て満足そうに一度だけ肩をすくめ、会議室の出口へと踵を返した。


「…さて。もし本気で破棄するつもりがあるなら、正式な書面でお願いね。でもその瞬間から、僕らADFは“君たち”を守る義務を失うってこと、どうかお忘れなく。」


 ああ、それと、と思い出したように朽宮言真は足を止めた。


 白の軍服の裾がわずかに揺れ、彼はそのまま振り返る。視線の先には、萱島がいた。鋭く、冷ややかに、その目が彼を貫く。


「――協定を破棄するってことは同時に、僕たちの“意思に反する”ってことを意味する。」


 淡々とした声音だった。しかし、その一言が孕む意味はあまりに重い。


「つまりね……今後、起きうるかもしれない数万人の犠牲や、いくつかの都市の喪失。それが“魔族だけの仕業”じゃなくなる可能性も、あるってこと。」


 笑みはもうない。ただ、告げるだけだというように。


「ADFは世界秩序に基づいて行動する。協定はその秩序の一端だ。破棄するなら――君たちはその秩序の“外側”に行くというだけの話さ。」


 沈黙が、凍りついたように会議室を包んだ。


 まるで今、その言葉が“予言”ではなく“宣告”として突きつけられたかのようだった。


 言真は最後にもう一度だけ萱島を見つめ、すっと微笑む。だがその微笑には、先ほどまでの柔らかさはない。


「賢い選択を。……それじゃあ。」


 それだけを残し、彼は会議室を去った。


 白い背中とそれを追うADF武装兵らが扉の向こうに消えるまで、誰も、誰一人として、言葉を発することはできなかった。


 続く…

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