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人魔闘諍  作者: ゆっけ
第伍章
112/112

111話 友達

 《――決まったァァァァァ!!》


 割れんばかりの声が、闘技場を揺らす。

 風音は刃についた血を一振りで払い、「花葬」を静かに鞘へ収めた。


 金属音が、やけに乾いて響く。


 目の前では、ジャマダハルを取り落とした巨漢が膝から崩れ落ちていく。

 見開かれたままの目。喉元から噴き上がる鮮血。

 空気を掴むように指を震わせ、やがて男は地面に伏した。


 闘技場準決勝。

 決着まで、わずか十八秒。


 正直、ほとんど覚えていない。

 試合開始直後、相手は例によって己の武勇や持論を喚き散らしていた。

 まったくそれに興味のなかった風音は、男が喋っている途中で首を刎ねた。


 思ったよりも肉が厚く、完全には切断できなかったが、致命傷であることに変わりはない。

 男は喉を押さえ、呻き声を漏らしながら、ほどなく動かなくなった。


 これで、風音が闘技場で殺した人数は五人目になる。

 目の前の男の素性は知らない。

 だが、これまでの四人は、後で調べた結果、全員が性犯罪にも手を染めていた。

 ――憐れむ理由は、ひとつもなかった。


 観客席も、もはや白けたようなざわめきに変わっている。

 誰も、彼女が負けるなどとは思っていなかったのだろう。


 当然だ。風音の出る試合は、どれも一分を待たずに終わっているのだから。




 控え室で荷物を背負い、闘技場を後にする。

 普段なら、この後は道場での稽古か、亡命ルートの調査に向かうところだ。


 だが、今日は違う。

 行くべき場所がある。

 言うまでもなく――楓のもとだ。


 地下街を抜け、地上の廃材置き場へ出る。

 ここから歩いて三十分ほどで病院には着く。


「花葬」は強力だが、その分、消耗も激しい。

 体力にはまだ余裕があったが、肩を休めるつもりで、少しゆっくり行こう。


 そう思った、その瞬間。


「――おい、日下部純麗。お前、毎日どこほっつき歩いてんだ?」


 背後から投げつけられた声に、風音はわずかに息を詰めた。

 気配を、感じ取れなかった。

 口調からして、言真の私兵――黒衣の類ではない。


 風音は警戒を滲ませつつ、ゆっくりと振り向いた。


 そこにいたのは、金髪の青年だった。

 金色のグラスコードを垂らした眼鏡。その奥の視線は、値踏みするように鋭い。


 片手では、小型ナイフを数本、玩具のように弄んでいる。


「お前、ナニモンだよ。普通の女が、特別枠常連の男どもをあんな容易く狩れるわけねえだろうが」


 風音は、うんざりしたように小さく息を吐く。

 懐からメモ帳を取り出し、狐面の内側から視線を落とし、淡々と文字を綴った。


 そして、そのまま青年の前に掲げる。


『今の時代、女性軽視したって別に何の格好良さにもならないと思うけど?』


 青年は鼻で笑った。


「事実だろうよ。いくら差別だ何だって喚こうが、女は男より筋肉量が劣る。生物学的に決まってる身体の作りさ」


 一拍置き、彼は眼鏡越しに風音を睨む。


「……いや、今それはいい。問題は、なんでお前があの男どもを、あそこまで容易く殺せるかだよ」


 視線が、探るように細まる。


「しかもお前、十六、十七くらいだろ?その年齢で、あの速度は異常だろ。どうして、あんな動きができる?」


 風音は一瞬も迷わず、再びメモ帳に文字を走らせた。


『トップアスリートの多くは、10代後半から20代にかけて全盛期を迎える』


 ページをめくり、続ける。


『あなたがどういう価値観を持ってるかは知らないけど、「10代後半の女の子は弱い」って前提で物を見るのは、やめた方がいいと思うよ』


 文字は淡々としていたが、

 その裏には、刃のような冷ややかさが宿っていた。


「……お前、桜田風音か?」


 青年は唐突にそう言い放った。

 風音の心臓が、一拍だけ跳ねる。

 ――バレたか。

 一瞬、そう思った。


 だが青年の視線は、確信というよりも探りに近い。

 疑念を投げ、反応を測っているだけだ。


 風音は即座にペンを走らせ、紙を突きつけた。


『なんで、こんなど底辺に桜田風音なんかが来ると思うのさ』


 青年は肩をすくめる。


「さあな。謹慎処分中だか何だか知らねえが、気まぐれで“遊び”に来てる可能性だってあるだろ」


『仮に来てたとしても、すぐバレるでしょ』


「どうだか。お前は喋らねえ、顔も隠してる。その上、バカみてえに強い」


 眼鏡の奥の視線が、じっと風音を射抜く。


「普通、疑うだろ」


『にしたって、話がとっぴすぎる』


 しばしの沈黙。

 青年は依然として疑い深そうだったが、やがて小さく息を吐いた。


「……まあ、いるか。底辺に住む顔のいい女ってのは、大体そうだ」


 彼はナイフをくるりと回しながら続ける。


「レイプされねえように、わざとブスに見せるメイクしたり、顔隠したり、あるいは自衛のために“腕”を磨いたりな」


 視線が、狐面に向けられる。


「お前も、そのクチだろ」


 風音は短く書きつける。


『どうとでも』


 青年は鼻で笑った。


「……相変わらず、謎の多い女だなァ」


 それだけ言うと、彼は興味を失ったように踵を返す。

 だが、二、三歩進んだところで、思い出したように振り返った。


「ああそうだそうだ。ボスからの伝言だ。」


 風音の指が、わずかに止まる。


「決勝は、ちょうど一週間後の夜。相手はこの俺――柄本と、弥勒屋って女だ」


『二対一は卑怯じゃない?』


「それを禁ずるルールはねえよ」


 ナイフを仕舞いながら、淡々と言い放つ。


「死にたくなきゃ、腕磨くこった」


 そう言い残し、柄本は地下街の闇へと消えていった。


 残された風音は、その背を一度だけ見送り、

 静かにペンを仕舞った。


 ――一週間。

 風音は少し焦りを感じた。


 朱雀らがいつどこで手を打ってくるかまるで想像がつかない。もしかすれば今にも刺客か、下手をすれば軍が攻め込んでくる可能性すらある。


 そんな危機的状況下で、一週間というブランクは少し長いように感じた。


 …ただ、かといってどうすることもできない。


 そんなことで一喜一憂しているよりも、まずは楓のことを労ってやらねばならない。

 昨日、アンナに言われたことが脳裏をよぎる。


『転ばせないことは出来なくても、転んだあと、起き上がるまで支えることは出来る。地獄を見せないことは出来なくても、地獄に“一人でいさせない”ことは出来る。』


 風音は、歩みを止めずに小さく息を吐いた。


 守る、なんて大層なことはできない。

 親代わりだなんて、今でも重すぎる言葉だと思う。


 それでも。

 隣に立つことなら。

 夜が明けるまで、灯りを消さないことなら。


 それくらいなら――自分にも、できる。

 風音は喧騒を抜け、病院のある方向へと歩みを速めた。



 ***



「……おい、後藤」


 地下街へと戻ったはずの柄本は、入口付近の陰で待機していた黒髪の青年に声をかけた。


 後藤は即座に背筋を伸ばし、一歩前へ出る。


「……なんでございましょうか」


 柄本は顎をしゃくるようにして、地上へ続く通路の方を示した。


「あの女だ。尾行つけさせろ」


「……あの女、とは、日下部純麗様のことでしょうか」


 柄本の拳が、遠慮なく後藤の頭を小突く。


「“様”なんて付けてんじゃねぇよ、タコ」


 後藤は小さく呻き、すぐに姿勢を正す。


「……失礼しました」


 柄本は口の端を歪め、声を潜めて続けた。


「あの女はどうにも臭ぇ。何がなんでもありえねえんだよ」


 金色のグラスコードが、地下灯の光を鈍く反射する。


「……そっちがその気ならよ」


 柄本は獲物を品定めするように、虚空を睨んだ。



「こっちから、化けの皮を剥いでやる」



 ***



 準決勝から、はや六日。

 風音はその間、ほとんど毎日のように楓の病室を訪れていた。


 士官学校学長であった淸瑞刈逓が行方不明になった、という情報は實妥経由で耳に入っていたが、風音自身に直接何かが降りかかることはなく、拍子抜けするほど穏やかな日々が続いていた。


 嵐の前の静けさ――

 そう思わないほど、彼女はもう鈍くなってはいなかったが。


「――楓ちゃーん」


 ノックもそこそこに扉を開ける。


「あっ……風音ちゃん」


 楓は一瞬目を見開き、それから、ほっとしたように微笑んだ。

 その表情を見ただけで、来てよかったと思えてしまう自分がいる。


 今日の風音は珍しく私服だった。

 狐面は懐に忍ばせているが、「花葬」は道場に置いてきている。


 肩にかけていた大きな紙袋を床に下ろし、いつものようにベッド脇の椅子に腰を下ろす。

 楓は身体を起こし、興味深そうに風音を見つめていた。


「……風音ちゃんって、ほんとに綺麗だよね」


 不意打ちのような一言に、風音は一瞬だけ目を瞬かせる。


「そんなことないよ。私なんかより、楓ちゃんのほうが可愛げあるし」


「またまた〜。そういうとこだよ」


 楓はくすっと笑い、毛布の端を指で弄びながら続ける。


「戦う人って、もっと怖い人ばっかりだと思ってた。でも……風音ちゃんは、全然違う」


 風音は紙袋から視線を外し、少しだけ照れたように肩をすくめた。


「期待外れでしょ。愛想も悪いし」


「ううん」


 楓は首を横に振る。


「……ちゃんと、そばにいてくれる優しいお姉さんだなって思う」


 その言葉に、風音は返す言葉を一瞬失った。

 代わりに、紙袋を軽く叩いて話題を変える。


「はい。今日はこれ」


「え?」


「着替え。退屈だろうと思って」


 楓の顔がぱっと明るくなる。


「ほんと!?ありがとう……!」


 その無邪気な反応に、風音は小さく息を吐いた。


 ――隣に立つくらいなら、できる。

 少なくとも、この時間だけは。


 病室の窓から差し込む午後の光は、どこまでも穏やかだった。





「……でね、でね! 看護師さんが言うには、そこのパン屋さん、すっごく美味しいんだって!」


 楓は身振り手振りを交えながら、弾む声で話す。

 よほど病室での時間が退屈なのだろう。その様子を見て、風音は思わず柔らかな笑みを浮かべた。


「へえ、そうなんだ。じゃあ……今度二人で行ってみる?」


「え! 行きたい、行きたい!」


 楓はぱっと目を輝かせ、身を乗り出す。

 その勢いに、風音はわずかに身を引きながら、胸の奥にふっと湧き上がる感覚を噛みしめていた。


 ――ああ、懐かしい。

 暖かい。

 鳴矢高校で、都姫や恒田たちと過ごした時間。

 あの、何気なく笑い合っていた感覚と、よく似ている。


 風音は、これまで「友達」というものをほとんど持ってこなかった。

 どこへ行っても特別視され、畏れられ、過剰に持ち上げられる。

 高貴なものを見るような目で見られ、頭を下げられるのが当たり前だった。


 子どもの頃からずっと、彼女は“特別”だった。

 周囲の人間は、彼女と友になることを畏れ多いものだと感じ、

 風音自身も、それを仕方のないこととして受け入れてきた。

 ――そういう世界なのだ、と。


 だが、鳴矢高校で「普通」に触れた。

 そこで初めて、友達と呼べる存在を二人も得た。


 当時は、守るべき大切な人が増えることへの負担ばかりを考えていた。

 だが今振り返れば、それはきっと、嬉しさの裏返しだったのだ。


 要するに――寂しかったのだ。

 心を通わせる友が欲しかった。


 あまりにも子どもじみた、小さな欲求。

 けれど、風音にとっては何よりも切実で、大切な願いだった。


 そして今。

 ADFの中で、初めてできた友。

 八幡楓。


 純粋に、嬉しかった。

 もっと同じ時間を過ごしたいと、そう思ってしまうほどに。


 だからだろうか。

 ふと、胸の奥に、衝動にも似た考えが浮かんだ。


「……楓ちゃん」


「ん? どうしたの?」


 風音は一瞬だけ視線を逸らし、それから、決意したように楓を見る。



「……ちょっとだけ抜け出しちゃおうよ。病院」



 ***



「うわあ……! すごい……!」


 隣で、先ほど病室で渡した私服に身を包んだ楓が、思わず感嘆の声を上げる。


 無理もない。これまでの彼女にとって、この街は窓の外から眺めるだけの景色に過ぎなかったのだから。


 風音はまだ、彼女に魔族やADFの存在を伝えてはいない。

 ただ、「ここは日本ではないらしい」ということだけを、あくまで曖昧に、やんわりと伝えただけだった。


 無論、ここが地下都市であることも。

 頭上に広がる青空が偽物であることも。

 さらにその地下深くに、ユグドラシルと呼ばれる巨大な大樹が眠っていることも――

 楓は、何ひとつ知らない。


 彼女は目を輝かせ、西洋風の街並みを小さな足取りで歩いていく。

 風音は狐面の下からその背中を目で追い、少し距離を保ったまま黙って後をついて行った。


 “抜け出す”と言っても、無理をさせるつもりは毛頭なかった。

 それでもこうして外に出たのは、昨日アンナに言われた言葉があったからだ。


 ――「楓ちゃん、精神面ではまだ不安なところはありますが、容態自体はだいぶ落ち着いてきました。ですから佳人卿、軽い散歩にでも連れて行ってあげてください。もちろん無理は禁物ですが……佳人卿なら、万が一トラブルが起きても冷静に対処できるでしょうし」


 そのとき風音は、正直なところ渋い顔をした。

 いくら楓の容態が安定してきたとはいえ、不安が消えるわけではない。


 それに、情勢は未だ不安定だ。もし自分ひとりでは対処できない事態が起これば、楓をかえって危険に晒すことになる。


 だが――先ほど病室で見た、楓のあの表情。

 外の話題に目を輝かせる、その無邪気な様子を思い出した瞬間、警戒や不安はすっと霧散してしまった。


 なによりも、喜ばせてやりたい。

 そんな感情が、無意識のうちに勝っていた。


「……風音ちゃーん! こっちこっち!」


 楓の声が響き、周囲の人々がぎょっとして辺りを見渡す。

 風音は一瞬遅れて我に返り、慌てて駆け寄った。


「……楓ちゃん。言ってなかった私も悪いし、本当にごめんなんだけど……外では、あんまり大きな声で“風音”って呼ばないでほしいな」


「あ……そっか。風音ちゃん、よくわかんないけど、お偉いさんなんだっけ」


「あー……まあ……うん……」


「ごめんごめん。じゃあ今からは“お姉ちゃん”って呼ぶね」


 そんなことより!

 そう言って楓は、ぐいっと風音の手を引く。

 風音は少しふらつきながらも、そのまま連れられていった。


「ほら見てみて! クリスマスツリーだよ!」


 楓の指差す先――B地区中央広場の、そのど真ん中。

 そこには、大きなクリスマスツリーが煌びやかに飾られていた。


 その光景を目にして、風音はふと立ち止まり、胸の奥で小さく息をついた。

 ――そういえば、今日はクリスマス・イヴだった。


 だとすれば、明日の決勝はクリスマス当日ということになる。


(……皮肉な巡り合わせだな)


 できることなら、クリスマスも彼女のそばで過ごしていたかった。

 けれど、それは叶わない。

 闘技場で剣を振るう理由の一端は、確かに楓のためでもあるのだから。


「おっきいねぇ……お姉ちゃん……」


 楓はツリーを見上げ、吐息混じりにそう呟いた。

 無数の灯りが、その瞳にきらきらと映り込んでいる。


(……悪くないな……お姉ちゃん、か……)


 胸の内でそう思いながらも、風音は素知らぬ顔を装って言葉を返す。


「ほら、行くんでしょ。パン屋さん。早くしないと日暮れちゃうよ」


「あ、うん!」


 弾むように返事をして、楓は一歩前に出る。

 その横顔を見ながら歩いていると、ふいに隣から声が飛んできた。


「ねえ、お姉ちゃん。あんなに可愛かったのに、なんでお面つけてるの?」


 風音は一瞬だけ言葉に詰まり、狐面の奥で視線を逸らす。


「……秘密」


 それ以上は何も言わず、歩調を少しだけ早めた。

 楓は不満そうに唇を尖らせながらも、すぐにまた街の灯りへと視線を戻す。


 彼女にはまだ知られたくない。私が異能の化け物であることも、数々の殺人・殺魔に手を染めてきた――血濡れた英雄であることも。


 ――続く。


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