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人魔闘諍  作者: ゆっけ
第伍章
104/113

103話 第一戦

 闘技場には、大きく分けて二種類のトーナメントが存在する。


 ひとつは一般トーナメント。

 金さえ積めば、素性も立場も問われず、誰でも賭けに参加できる。

 勝敗は審判側が決定し、その基準は単純だ――生死を問わず、どちらか一方が戦闘不能に陥った時点で試合は終了する。


 攻撃手段に制限は一切ない。

 鈍器、刃物、銃器はもちろん、神化人術を除いた各種人術の使用も黙認されている。(もっとも、神化人術を扱えるのは四堂や八間といった上層階級の人間に限られるため、実際に目にすることはほとんどないのだが。)


 そしてもうひとつが、特別枠トーナメント。

 これは一般トーナメントで殿堂入りを果たした者、あるいは特別推薦を受けた者のみが参加を許される、選別された舞台だ。


 攻撃手段に制限がない点は一般トーナメントと共通しているが、その他の規則はまったく異質で、より苛烈である。


 まず、このトーナメントで賭けを行えるのは、ボスから特別な許可を得た者のみである。一般人はもちろん、幹部であっても無許可で賭けに関与した場合、その者だけでなく一族郎党にまで処刑が及ぶ。事実、直近では長年幹部を務めていたという碁琵一家が、この掟に触れたとして皆殺しにされている。


 だが、最大の違いは別にある。


 この特別枠トーナメントでは――

 戦闘不能という概念が存在しない。


 勝敗はただひとつの条件によってのみ決する。

 すなわち、”相手の死”である。


 どちらか一方が落命するまで、試合は決して終わらない。

 降参も、救護も、他からの介入も存在しない。


 それはもはや、競技ですらない。

 ただ、選ばれた者同士が命を賭けて殺し合うためだけに用意された、処刑場に等しい舞台だった。


 そして――

 風音は、その特別枠トーナメントへの出場を、ボス自らの指名により推薦されているらしい。

 黒髪の男は淡々と、しかし一言一句に重みを込めてそう告げた。


「もし貴女が特別枠への出場意思を示され、なおかつ――最後まで勝ち残られた場合」


 一拍置き、男は視線を逸らさず続ける。


「ボスは、貴女に特別な待遇を用意し、直々にお会いしたいと申しております。」


 その言葉が意味するものを、風音は即座に理解した。

 それは名誉でも、祝福でもない。


 ――生き残れたら、会ってやる。

 ――死ねば、それまでだ。


 闇市の喧騒が、どこか遠くに感じられる。

 狐面の奥で、風音の瞳がわずかに細められた。


 黒髪の男は、なおも続ける。


「出場を強制するつもりはございません。ですが……特別枠への推薦が出た以上、辞退なさった場合、その理由次第では手間が生じる可能性もあります。」


 それは脅しではなく、事実の提示だった。

 この世界において、手間とは即ち――死を意味するのだろう。


「ですので、このあとの試合進行の都合もございます。可能であれば……今この場で、ご意思を伺えればと存じます。」


 男はそう言って、あくまで礼を失わぬ所作のまま、一歩だけ後ろへ下がった。


 ――上等だ。


 風音は、胸の奥に溜まっていた息を、ゆっくりと吐き出す。

 迷いはない。躊躇もない。

 答えなど、ここへ足を踏み入れた時点で決まっていた。


 彼女は即座にメモ帳を開き、迷いのない筆致で文字を書く。

 そして、それを男の眼前へ、突きつけた。


『やってやる』


 短く、粗野で、だが一切の誤解を許さない返答。

 黒髪の男はその文字を読み取ると、ほんの僅かに目を見開き――次の瞬間、深く頭を下げた。


「……承知いたしました。」


 その声音には、安堵とも、畏怖ともつかぬ響きが混じっていた。


「では――特別枠トーナメントへの参加を、正式に受理いたします。」


 男は懐から黒い金属製のプレートを取り出し、両手で差し出す。

 表面には番号のみが刻まれ、裏には血のように濃い朱で紋章が焼き付けられていた。


「これは参加証です。試合開始まで、肌身離さずお持ちください。紛失は……死罪に相当します。」


 言外の説明は不要だった。


「第一試合は、本日最終枠です。開始まで約四十分程度ございます。」


 男は一歩下がる。


「どうか――ご武運を。」


 皮肉でも、社交辞令でもない。

 生き残れるかどうか分からない者に向けた、純然たる事実としての言葉だった。


 風音はプレートを受け取り、視線を上げることなく歩き出す。


 雑踏の向こう、血と歓声が渦巻く闘技場の中心へ。

 そこは、勝者にのみ名を与え、敗者からは存在ごと奪う場所。

 ――桜田風音は、静かに闇へと足を踏み入れた。



 ***



《―――さあああッ!!白熱! 流血! 断末魔!!この夜を地獄に変えてきた試合の数々も――ついに、最後の一戦となりましたァ!!》


 闘技場全体を震わせるほどの絶叫が、拡声器越しに叩きつけられる。

 歓声、怒号、罵声、狂笑。

 観客席という名の獣の檻が、血の匂いに酔いしれていた。


《これが特別枠トーナメント第一戦最終試合ッ!!勝てば生! 負ければ死!!逃げ場なし、降参なし、無論慈悲など存在しない!!――ここは処刑場だァ!!》


 照明が落ち、中央の闘技スペースだけが、白く浮かび上がる。


《まずは――本日最大のサプライズ!この地獄に初参加として名を刻もうとしている挑戦者ァ!!》


 スポットライトが入口を照らす。

 ゆっくりと、ひとりの女が姿を現した。


 黒いパーカー、黒いジャージ、運動靴。

 そして――目元を覆う、黒い狐の面。

 場内が、一瞬だけざわめく。


《その名もぉ゙――日下部ぇ゙ぇ゙ぇ゙っ、純麗ぇ゙ぇぁ゙!!G地区出身! 年齢不詳!!だがなんとこの女ぁ゙、本日、特別枠へ推薦された異例中の異例!!》


 観客の一部が笑い、別の一部が眉をひそめる。


《戦績詳細不明!使用武器は日本刀一本!! 人術ナシ! 戦歴ナシ!》


 煽るように、司会は声を張り上げる。


《素人か!?天才か!?それとも――ただの自殺志願者かァ!?謎多きこの女はどんな試合展開を魅せてくれるのかぁ゙ぁ゙?!?!》


 風音は、歓声にも嘲笑にも反応しない。

 ただ静かに、闘技場の中央へと歩み出る。


 鞘を握る手は緩く、呼吸は乱れていない。

 心拍数すら、観客の熱狂とは無縁だった。


 反対側のゲートが、重々しく開く。


《そして迎え撃つはァ!!この闘技場に名を刻み続けてきた、生ける伝説ゥ゙!!》


 反対側のゲートが、重々しい音を立てて開く。


《通算戦績二十七戦二十七勝!敗北など知らず、背中を向けた敵に容赦はない!!“処刑人”の異名を持つ男―――》


 一拍、溜め。


《―――ヴァルガァァァァ!!》


 巨大な影が、闘技場に踏み込む。

 筋骨隆々とした体躯、無数の古傷、そして手には――人の頭ほどもある鉄槌。

 床が、きしりと悲鳴を上げた。


《鈍器!素手!噛み付き!骨を砕き、臓を引きずり出し、最後は必ず地に伏せる!!この男がこの地に立つのは、もはや様式美だァ!!》


 実況の声が、一段と張り上がる。

 二人の間に、ゆっくりと距離が取られる。


《ルールは簡単!どちらかが死ぬまで終わらない!!無名の女か!殺戮の象徴か!!生きてこの檻を出られるのは――ただ一人!!》


 観客席が沸く。

 勝敗など、最初から決まっていると言わんばかりの空気。


 ヴァルガは風音を見るなり、嗤った。


「……誰かと思えば女かよ。運営にも舐められたもんだな。」


 だが――風音は応えない。

 ただ、ゆっくりと腰を落とし、鞘に収まったままの刀に指先を添えた。

 呼吸が、研ぎ澄まされていく。

 外界の喧騒が、徐々に遠ざかる。


 風音は、鞘に掛けた指をわずかに動かす。

 そして、またひとつ溜息を付いた。


《さあ観客諸君!!血を啜る準備はいいか!?祈りは不要だ!!ここは地獄、神などいない!!》


 短い沈黙。


 そして――


《―――ではいこう!!……試合開始ィィィ!!!》


 金属の鐘が打ち鳴らされる。


 次の瞬間。

 風音は、一歩も動かなかった。


 だが、

 地獄のほうが――彼女に近づいていった。


「うぉアアぁああ゙!!」


 獣じみた咆哮とともに、ヴァルガは鉄槌の付いた鎖を振り回し、床を蹴り砕く勢いで突進する。

 鎖が空気を裂き、遠心力に引きずられる鉄塊が、唸り声のような金属音を奏でた。直撃すれば、骨格は粉砕、内臓は潰れ、即死――それを疑う余地はない。


 観客席が沸騰する。


 だが、風音はなおも動かない。

 呼吸は浅く、しかし乱れはなく、視線だけが正確に相手の重心移動を追っていた。


(――速い。だが、粗い)


 鎖の軌道、肩甲骨の開き、踏み込みの角度。

 いずれも粗雑で、いずれも剥き出しだった。

 力任せゆえの単純さ。単純であるがゆえに、余すところなく読み切れる。


 鉄槌が振り下ろされる、その刹那。

 衝撃に耐えきれず地面が抉れ、粉砕された石と砂塵が爆ぜるように舞い上がった。


 だが。


 鎖は――砂塵に紛れるかのように、無数の破片へと分解された。


 風音は、すでに抜刀していた。

 ヴァルガがその事実を認識した時、彼女は脇構えに移行し、刃先を静かに伏せていた。


 見えなかった。

 抜刀の瞬間も、刃の軌跡も、切断の手応えすら。


 気づいた頃には、彼女は刀を手にしており、

 気づいた頃には、鎖を失った鉄槌が、無様に地面を転がっていた。


 ――冗談じゃない。


 ヴァルガは思わず目を見開く。

 彼の初撃は、単なる攻勢ではない。威圧と破壊を同時に叩きつける試合の終止符だった。


 通常、相手は避ける間もなく頭蓋を砕かれ、即死する。

 上級者であっても、致命を免れるのが精一杯。戦闘の趨勢を左右するほどの重傷を負うのが常だった。


 それが――


 眼前の女はどうだ。

 回避行動すら取らず、常識の埒外にある速度で鎖を断ち切った。

 防いだのでも、弾いたのでもない。否定したのだ。


 だが、ヴァルガは知っている。

 動揺は死を招く。理解が遅れた瞬間に、肉体は置き去りにされる。


 彼は即座に判断を切り替えた。

 脚力を最大限に使い、後方へ跳躍。距離を引き剥がす。


 土煙の向こうで、風音は追わない。

 ただ静かに立ち、刀を低く構えたまま、こちらを見据えている。


 その沈黙が、

 ヴァルガの背筋に、言語化できない冷気となって這い上がった。


「……なにもんだよ、おめぇ……!」


 吐き捨てるような叫びにも、彼女は一切応じない。

 剣も声も動かぬまま、ただそこに在る。


 あまりにも消極的な両者の膠着に、観客席がざわめき始め、やがて野次が飛び交いだす。


 それに乗じるように、司会の声が闘技場に響いた。


《さあ、両者睨み合いが続いております!日下部氏は依然として武器を保持したまま!一方ヴァルガ氏は、開始早々その武器を破壊されるという想定外の展開!得意の初撃を封じられ、やや慎重になっているようですね!いつもの攻撃的な立ち回りとは打って変わり、距離を保って様子見といったところでしょうか!》


「っせえぞクソ司会者!!女の次はてめぇを――」


 怒気のままに言い返そうとした、その瞬間。


 ヴァルガは、違和感を覚えた。


 ――いない。


 つい今まで、確かに視界の中央にいたはずの女の姿が、

 忽然と、跡形もなく消えていた。


 反射的に息が詰まる。

 視線を走らせるより早く、皮膚が危険を告げていた。


 彼は視線を下へ落とす。


 彼女は地を這うほど低い姿勢のまま、刃を天へ向け、完全に懐へ潜り込んでいた。

 逃げ場のない位置。もはや、すでに詰んでいた。


 顔が引き攣る。

 防御の思考が立ち上がる前に、身体が理解してしまった。


 次の瞬間――


 風音の刀が、静謐を切り裂くように振り上げられた。

 鋭角な軌道を描く逆袈裟。空気が裂け、肉を断つ鈍い衝撃音が遅れて響く。


 ヴァルガの身体が大きく揺れ、喉から意味を成さない呻きが漏れた。

 巨体は力を失い、そのまま前のめりに崩れ落ちる。


 風音は即座に間合いを切り、跳ぶように後退する。

 倒れ込む巨躯に巻き込まれることはない。


 地面に伏したヴァルガは、もはや立ち上がることも叶わず、

 床には赤黒い水溜まりが静かに広がっていった。


 一拍の沈黙。


 次の瞬間、闘技場は爆発したかのような歓声に包まれる。


《――決まったァァァァァッ!!》


 司会の絶叫が、血と狂気に満ちた空間を貫いた。


 だが、当の本人は何一つ応えない。

 歓声も、罵声も、熱狂も――彼女にとっては等しく無意味だった。


 風音はただ一度、刃を軽く振り、付着した血を払い落とす。

 しずくが弧を描いて地面に散り、次の瞬間には、澄んだ金属音とともに刀は鞘へと収まった。


 その所作はあまりにも淡々としていて、

 つい今しがた一人の命を断った直後だとは、誰も信じられないほどだった。


 大歓声が渦巻く中、彼女は倒れ伏すヴァルガに視線すら向けない。

 勝者の誇示も、敗者への侮蔑もない。


 ただ踵を返し、何事もなかったかのようにフィールドを後にする。


 狐面の奥、その瞳には昂りも達成感も宿っていなかった。

 映っているのは歓喜に狂う観衆でも、血に染まった闘技場でもない。


 ただひたすらに――

 冷え切った静寂だけが、そこにあった。


 続く…

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