棘草の女王とちいさな魔女
草の民、花の民、獣の民、風の民。
夢幻のひとびとが息づく仙界には、およそ人界の自然にまつわるすべての生きものがヒトに似た容姿を得て生活しています。
――いえ、ヒトこそが彼らの派生でしたね。
それはさておき。
これは、草と花の民の国のひとつ。アザムの国のお話。
かれらは触れると痛い、棘草のひとびと。チクチクの棘の剣、チクチクの棘の槍を備え、城や国境に張り巡らされた囲いももちろんチクチク。民はみんな勇猛果敢な戦士です。お城の女王様を守るため、一糸乱れぬ統制を誇る武の国でもありました。ところが。
◆◇◆
「お嬢が魔女だなんて。誰が決めたんだよ、ばかばかしい」
「セネルト。ごめんなさい……わたしが生まれたせいで」
「姫のせいじゃありませんよ。おかしな言い伝えがいけないんです」
「クラム」
アザムの国の西のはずれ。
陽当たりの良い山野の斜面で、こっそり影になる窪みがあります。かれらはここに隠れていました。
お嬢。
姫。
魔女――
どうやら、いくつもの呼び名を戴くらしい少女が真ん中で守られています。周囲を隙なく警護するのは軽装の若い騎士たち。
少女は、アザムの民にしては少し変わっていました。
丸みを残すあどけない頬。白く滑らかな肌。華奢な体と細い手足。短いツンツンの髪の毛はふつうでしたが、頭上に飾られた冠のような蕾はほんものです。
そして何より、なんと愛らしいこと!
蕾からのぞく花びらと同じ赤紫の大きな瞳は、見目うるわしいことで知られる風の民と似ています。長いまつげは目じりに優雅な影を落とし、こぶりな鼻、桜貝のような唇。
ヒトでいえば十三、四くらいでしょう。その美貌はすっかり群を抜いて、長じれば素晴らしい花姫となるのが目に見えました。
しかし、少女と騎士たちの表情は冴えません。
なにしろ、アザムの国には恐ろしい言い伝えがあるのです。
――『王家以外に女児が生まれれば、それは災厄のあかし。魔女となりて王と民を滅ぼすだろう』と。
◆◇◆
騎士たちは、少女より少し前に生まれた兄弟でした。
魔女の予言は知っていましたが、自分たちの後に生まれた可憐な少女を城に突き出すなんて、できなかったのです。
いままで、西のはずれの斜面は日当たりが良いとは言いづらく、仲間は疎らでした。よって、他のアザムの民に見つかることはありませんでした。
が、とうとう見つかってしまいました。お城から派遣された巡回兵です。
大柄な巡回兵は少女を見るなり真っ青になり、「魔女!!」と叫んで、とんぼ返りして行きました。
今ごろ、女王への上奏はとっくに済んでいることでしょう。討伐隊が組まれてもおかしくはありません。それゆえの厳戒態勢でした。
刻一刻と時が過ぎ、あたりは静かなまま。
夜になり、星明かりがしんしんと降り注ぐなか、いちばん最初に少女を「お嬢」と呼んだ騎士が、ぷんぷんと怒り始めました。どうやら、ずっと考えごとをしていたようです。
「でもさぁ、女王もひどいよな? 自分は都から一歩も出ないで毎日戦争。東のタンポポ国にもずいぶん食い込んだらしいじゃん。おんなじ草の民なのにさ」
「『おんなじ』だからだろう」
「何で? ゲラン」
セネルトは、きょとん、と隣の騎士に問いかけました。
ゲランは長兄です。しっかりした上背に長い手足。背中をぴん、と伸ばすさまは明らかにリーダー格です。
こざっぱりと刈り込んだツンツン髪を掻きながら、ゲランはやんわりと答えました。
「タンポポだって強いんだぞ? 風で種を飛ばすのも同じだ。お互い、限られた土地を奪い合ってんのさ」
「へえ」
「それにね。国の防壁を厚くするにも、ある程度民の数は必要なんだ」
「クラムは賢いなあ」
感心したように頷くセネルトに、クラムはほほえんでいます。少女は、ふと切り出しました。
「あの……女王様って、どんなかたなの? 私、見たことない」
「知りたい? 姫」
「……知りたいわ」
少女は、こく、と頷きました。
クラムは、ゲランと同じくらいの長身ですが、真っ直ぐな髪を伸ばしてうなじで束ねています。顔立ちも優しげです。
物言いもおだやかで柔らかいので、少女は、それで勇気を出せたようでした。
――同じ花を冠にして、ただひとり君臨する女王。一族の母ともいうべきひとが、なぜ……?
クラムは少女を気遣い、困ったように眉を下げました。
「女王は」
「シッ、待って。何か聞こえる」
クラムが口をひらくと、とつぜん出鼻をくじく騎士がいました。名をアーレン。終始無言を貫いていた、四人目の少年です。
少女はあわてて自分の口を塞ぎました。
クラムは声をひそめて尋ねます。
「女王の兵か?」
「違う。足音とかじゃない。音っていうか…………風? 空だ。西から」
アーレンが仰いだ星空を切るように、みるみるこちらに近づいてくるものがいました。
薄雲越しの月光に大きな翼が浮かびます。鳥影です。
鳥はしずかに、ふわりと少年たちの前に降り立ちました。
「おや、こんなところにはぐれ棘草かね? ふむふむ、ほーう」
「!! 誰だっ」
身をこわばらせる少女を背後に庇い、アーレンと呼ばれた少年騎士が誰何しました。グラン、クラム、セネルトも同じように立ちふさがります。それぞれ僅かに湾曲した細身のアザムの刀剣を抜いて構えました。
闇色のカゲは羽を両側に広げ、ほうほうと答えました。
「儂か? 儂は梟族のウーリ。ほれ、そこなトゲトゲの向こうにある森の翁じゃ」
梟――たしかに。
仙界の民は、本来の姿と人型の両方をとることができます。ウーリは完全に鳥の姿をしていました。
訝しげにゲランが問います。
「その、森のじいさんがアザムの国に何の用だ? あんたの餌になるネズミなんか、こっちじゃあんまり見ないぜ」
「まあ、そうじゃろうな。いや、そうではなく」
ウーリは、翼の羽毛でさわさわと胸元を撫でています。どうやら言葉を探し、考えあぐねているようでした。丸い目をちろりと奥の少女へと流します。
やがて、きっぱりと告げました。
「蕾のお嬢さん。あんたがアザムの女王かね? だったら、今すぐ南への侵攻をやめるといい。さもなきゃ森の獣が押し寄せる。民草みぃんな、取って食われるぞ」
◆◇◆
誤解です、と必死に言い募る少女の言葉は、何度目かの繰り返しでようやくウーリの耳に届きました。
雲間から月が顔を覗かせます。もうかなりの夜更けでした。
騎士たちを代表して、ゲランが少女と梟の間に立ちます。
「ひとつ疑問なんだが。女王が南を攻めたら、なんで西のあんたたちが困るんだ? 関係ないだろう」
「わからんかね、棘草の若者。あそこは兎たちの国だ」
「うさぎ……」
ちいさく首を傾げる少女に、ウーリはきゅるりと顔を回転させました。まったくもって梟らしい仕草です。
「ちょっと前まで、あそこはクローバーやらニンジン畑じゃった。今は一面のトゲ野原じゃ。あいつらはお前さんたちを食べられんからな。たいそう困りおって」
「……そうでしょうね」
「それで、儂らの森に押し寄せた。うちの狼衆でも平らげきれん数じゃった。便乗して増え過ぎた小さな獣たちに、森は瞬く間に食い荒らされての。下草も果実もドングリも……。かわいそうに、大きな獣たちは新たな食べ物を探す羽目に」
「! まさか」
「そう。熊とかの」
「くま」
全員押し黙りました。
アザムの国の空を横切ることのある鳥たちと異なり、「くま」がどんなものか想像できません。「うさぎ」もです。
けれど、自分たちを食べるかも知れない、おっかない存在がいるとは初耳です。
ぶるりと震える若草たちに、ウーリは「ところで」と視線を投げかけました。ゆっくり、順番にです。
「提案があるんじゃが」
◆◇◆
ウーリは姿も度量も大きな梟でした。なんと、少女を含む棘草の精たちを全員背中に乗せてくれたのです。
少女が「痛くない?」と問えば、平気そうな声で「まぁまぁな」と答えます。なんと豪気なことでしょう。
「――したが、お前さんたちに案内してもらわんと。儂だけで夜明けまでに女王を探すのは難しい」
ウーリの言葉はときどき、なぞなぞのようです。
夜明けまでと定める理由はわかりませんでしたが、少女と四名の若騎士は、薄まり始めた東の空を指し示しました。
やがて辿り着いた都は、どこもかしこも立派なアザムの戦士でぎゅうぎゅう詰めです。降りられる場所がなかったため、ウーリは空を旋回しながら女王に呼びかけました。
「アザムの女王! 聞け! 即刻、南から兵を立ち退かせよ! これは森の総意である!!!」
朗々とした声に、背中のゲランたちはびっくりしました。ひょっとすると、ウーリは森でとくべつな地位にあるのかもしれません。
すると、戦士たちの塊が移動し始めました。左右に分かれ、ひとりの大柄な棘草の女性が歩むための道を粛々とひらきます。
少女は息を飲みました。
(女王。このかたが)
同じ花を戴く、アザムの女のひと――そう思っていたのに、実際は違いました。
咲き初めた自分の淡紅色の針花より、女王の冠はずっと大きく重そうです。色も暗く深い紫。ドレスにいたっては放射状に広がるチクチクの葉が城塞のようでした。
毒々しい美貌の女王は、ウーリのおごそかな言上を、はん、と一笑に付します。
「いやだね。あの土地は、もうあたしらのもんさ。部外者が口を挟むんじゃないよ」
「……びっくりするほど傲慢じゃの。あんた、儂らを部外者と呼ぶかね」
「それ以外に何か? 悪いけど、こっちは忙しいんだ。久しぶりに“滅びの魔女”が生まれたって報告があったからね。見つけ出して、たっぷりいたぶり殺してやるのさ。さあ、わかったらお行き」
「これは…………交渉決裂じゃな」
「仲良くなれなくって何よりだよ。森の爺。さっさと仲間に伝えてやるといい。
――――皆の者!!! 夜明けだ! 行くよ!」
「うおおおおぉぉ!!!!」
女王の檄に呼応し、雄叫びを上げる戦士たちがいっせいに進軍を始めます。のぼる朝日を光背に、ものすごい迫力でした。
けれど……幸いなことに、肝心の少女は梟の背に隠れています。他の少年たちにも女王は気づいていないようでした。「――ばかめ。伝えないことが合図じゃというに」
ウーリがぼそっと呟きました。背の若草たちは、そろって訊き返します。
「えっ?」
「嬢ちゃん、命拾いしたな。安心しろ。我ら森の民は、道理のわかるものまで滅ぼしやしない。見てなさい。くれぐれも落ちるんじゃないぞ」
「それはどういう…………ッ、あ!! あれは!?」
目端の利くセネルトが西の地平を指さします。
そこには――――十頭や二十頭では収まらないくらいの獣たちが並んでいました。
黒っぽい巨体は遠目にもウーリの比ではありません。ずんぐりとして四足だったり、二足歩行だったり。けれど、みな、豪腕でした。手当たり次第に手近な棘草たちを薙ぎ払いずんずん近づいてきます。
驚いた女王は、ぎっ、とウーリを睨みつけました。
「あれは! お前の差し金か!? 忌まわしい熊どもめ!!」
「儂じゃない。森の総意と言ったろうが。かれらは極限まで飢えておったし、怒っておる。止められると思うなよ」
「ふ……ふん! いっとき体をなくしたって構いやしないさ。あたしたちは、根さえあれば」
「そうじゃろうなあ。うむうむ、だが、抜かりはないぞ。ほれ」
ウーリの言葉に何ごとかと目をみはると、熊の進軍にやや遅れてボコボコと地面が隆起するのが見えました。
さすがに、これには女王が叫び声を上げます。
「やめて、あれは……何なの!? 根が!!」
「土竜じゃな。あいつらは根っこも草も食べんが。頼んだら引き受けてくれたぞい。元はと言えば、あんたらの暴挙が原因じゃからな」
「そんな……ああっ!! あああ!!!!!」
なす術なく地上を熊たちに。地下茎を土竜たちに千切られながら、永遠にも続いていたアザムの女王国は、日がのぼり切るころにはすっかり見る影もなくなりました。
◆◇◆
「あんた、偉い鳥だったんだな……」
「ほう、ほう。儂ゃ、ただの梟じゃよ」
「どこがだよっ! おっそろしいモノ連れてきやがって!」
「ほっほっほっ」
恐れ知らずのセネルトが、ウーリのお腹を小突きます。
あんなにたくさんいた戦士も、女王も、千切られた瞬間に草のかたちに変じました。あんまり大量だったので、熊たちも食べきれなかった大部分は後日、カラカラに干からびたあとで火の精を呼んできて燃やしてもらう、とも話していました。
「おじいさん。あなた、本当は……」
両手を胸の前に組んだ少女が、おそるおそるウーリに近寄ります。
ウーリは、それをやさしく見つめました。
「どうする? 嬢ちゃん。ここは見ての通りじゃ。今度はあんたが君臨するかね? 新たな女王として」
「「「「!!!!」」」」
「いいえ。――いいえ」
ハッ、と表情を改める少年騎士たちの注目を一身に浴びて、しかし、少女は首を横に振りました。
それではまた繰り返し。
きっと、いつか「ああ」なってしまうかもしれない。
新たな棘草の種――花を咲かせる子を、みずからも《魔女》と呼んで。
「わたしは、わたしのままで咲きます。できれば、みんなと一緒に」
「そうか…………うむ、それが良かろうな。安心したわい」
む、と顔をしかめたアーレンが、すかさず少女の脇に立ち、ウーリを咎めます。
「じいさん。あんた、ひょっとして試したのか? うちの……ええっと」
「ほっほ。何じゃ、嬢ちゃんはまだ名無しじゃったか? それは不便じゃろう。どれ、儂が名付けてやろう」
「え」
じっと至近距離で大きな顔に迫られ、ちょっとだけ背をのけぞらせる少女に、ウーリは満足げに頷きました。
「棘草の都のアザムは滅んだ。よって、名も無い野に生まれし稀有な娘、ノア……《ノアザミ》と名乗りなさい。国ではなく、自分たちを」
「のあざみ」
「嬢ちゃん自身の愛称は《ノア》でいいんでないか? のう、そこな少年」
「うるさい……!」
心なし頬を赤らめたアーレンが、いっそう視線を険しくします。それをにこにこと見守るゲラン、クラム、にやにやとにやつくセネルトがいました。
――――その後。
西の斜面に戻って、遠目に火の精たちのダンスを眺め、細々と暮らし始めたノアたちのもとには、「やあ、綺麗な花が咲いたね」なんて様子を見に来る森の友だちもひとり増え、ふたり増え。
そう、あの決戦で獣姿だったかれらが、ちいさなノアザミたちを怖がらせないよう森で相談をして、人型をとって現われるようになったのです。
食べる?
いいえ、まさか。そんなことはありません!
熊たちはもう飢えていませんし、戦好きの女王国を滅ぼせたのは、彼女たちのおかげ。何より、とても気のいい子たちですからね。ゆっくりと仲良くなっていきました。
こうして幾星霜の時が流れ、やがて多種の棘草の花が揺れる、ちょっとちくちくした野原は、こじんまりと。
いついつまでも、そこにあり続けたそうです……。
〜おしまい〜