夜ニ喰ラフ(後編)
ちょっとまてえええっ!!
七海は皺のできそうな勢いでその絵を握りしめた。
いや、『最後の晩餐』って言われたらこのビジュアル凄すぎるだろっ!強烈すぎるだろっっ!!この落ち武者風がキリストかよっ?こいつらが十二使徒かよっ!見分けつかねえよっっ!!このふんどしがペテロか?んでもって、こっちの袖なしちゃんちゃんこがイスカリオテのユダとかかよ!
疲れたような表情でぼそぼそと飯を食う救世主様御一行の絵を見ながら、責任者出て来いよ、おい!と七海は絶叫したくなった。
「なるほど」
夏樹が頷いた。
「それで納得だわ」
この絵のどこに微塵でも納得できる要素があるとおっしゃるのですか、あなたは?
「このお酒みたいなのが、実は葡萄酒だったわけね」
さっきまで一味ナントカとか言ってたくせに。
「それにこっちのキリストっぽいのの上に描かれた文字」
そいつキリストっぽいか?どう見ても落ち武者っぽいぞ?
「アルファベットだと考えれば読めないことはない。これ、INRIと書いてあるわね、多分」
「INRI?」
「ナザレのイエス ユダヤの王、のラテン語の頭文字を取ったものです。キリストを描いた絵では度々出てきますから覚えておくといいですよ」
覚えるのは了解だが、この絵では絶対覚えたくない!
「それになぜ漁村風の絵になっているかも、それで理解できたわ」
「キリストの弟子には元漁師が多いからね。それに、十字架以前のキリスト教徒のシンボルは魚マークだったし」
ため息をついた後、賢人はなんとか気を取り直したのかその絵を七海の前から引き寄せた。
「つまりはこういうことなんでしょうね。キリストの絵も西洋の文物も見たことがない田舎の漁師町の隠れキリシタン達。その深い信仰心の中で、彼らは伝聞で聞き伝えられた情報だけを頼りに、キリストとその弟子達の姿を描き残そうとしたのでしょう。よく考えたら、西洋の絵画でも、時代考証や昔の風俗についての情報なく画家達は絵を描いていましたから、知ってる人から見れば滑稽な絵は腐るほどあるでしょうね」
だからって、東の果ての日出づる国のパーツを使って『最後の晩餐』を描くのはちょっと無理があるんでないかい?
不意に廊下側の扉が開くと、おお、スマンスマンと大きな声が汗を拭き拭き入ってきた。
「担任に後片付けを手伝わされていてな。お」
言いながら加納が首を伸ばして賢人の手元を見た。
「それは『最後の晩餐』じゃないか。どうしたんだ、面白い物を引っ張り出してきて」
ついに言ったな!『最後の晩餐』って言ったな!この絵を『最後の晩餐』と言い切ったな!!
賢人が加納を見ながら不思議そうに瞬きした。
「部長は、この絵のことをご存じだったんですか」
うむ、と加納はカバンを机の上に置いて腕を組むと感慨深そうに眼を瞑った。
「昔、君たちが入学してくるよりも前のことだが、偶然その絵を見つけてな。いわれを調べて、ああ、人間の想像力の深淵はなんと深いものだと感動したのを覚えている」
いや、全然深くないだろ!浅すぎるだろ!
ヨハネ?なんかわかんないから隣のおっさんでも描いとこ、レベルだろ、これ!
「いや、しかしさすがにこれは強烈ですね」
「賢人が資料を見つけて来るまで、何の絵か全く想像できなかったですもんね」
そうそう、それまでは明日にでも一揆が起こりそうな雰囲気だったもんね。
「うむ。しかし、キリスト教が世界中に広まる中で、その土地土地の風土にちなんだ『最後の晩餐』が描かれてきたことは確かだぞ。南米のペルーにはマルコス・サパタという画家の書いた『最後の晩餐』があってな、そこにはテーブルのど真ん中にネズミの姿煮だか丸焼きだかがでんと置かれているのが描かれている(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d0/Zapata-%C3%BAltima_cena.jpg)からな」
「本当ですか?」
「ああ、あっちじゃ日本で鶏を庭で飼って祝いの日にそれを潰して食べるみたいな同じ感覚でネズミを飼ってたらしいぞ」
そこまで言ってから、加納は暗室カーテンを閉めた窓の方を見た。
「遅れてきてスマンが、だいぶ遅くなってきたから今日はもう帰ることにしようか」
「わかりました。夏樹、サキちゃん、これもう仕舞っていいかな」
「ええ」
「あ、はい」
七海は賢人が丁寧に巻き始めた絵に最後の一瞥をくれた。
この絵の由来について謎が解けたのはよかった。
しかし、この絵は、このビジュアルは、多分、いや絶対・・・・
うわああああああっっ!!
布団を蹴って跳ね起きた七海は、窓から差し込む月明かりに自分の両手を見下ろした後、ゼイゼイと額の汗をぬぐった。
やっぱり夢に見た・・・