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カンショー!  作者: 安城要
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夜ニ喰ラフ (前編)

ちい~す、と言いながらカバンを肩にかけた七海は美術準備室の扉を開いた。

部長の加納はともかくとして、他の先輩があまりにも温厚篤実なせいで甘えが出て最近だれてきたよなあ、と反省しつつ中を覗き込む。

「あれ、今日は夏樹さんだけですか?」

ああ、と顔を上げた夏樹が広げていた受験参考書を慌てて閉じる。

「今日はチイちゃんはお休み、部長も遅れて来るそうよ。賢人は、ちょっと変な物が見つかったって奥で調べもの」

言いながらその目が、掃除道具入れにでも使われていたのかもしれないような、奥の『絵画鑑賞部』と色あせた紙が貼られた扉を振り返る。七海も一度入ったが、なかなかカオスな部屋だな、という強烈なインパクト以外のことは余り思い出せないような部屋であった。

「変な物ですか・・・あ、ごめんなさい、勉強の邪魔しちゃって」

「いいのよ、そもそもが部活の時間でしょ?」

言いながら、見られたくないとでもいうかのように夏樹はそそくさと参考書を片付けようとした。

その手元を覗き込んだ七海が、あれ、と声をあげた。

「夏樹さん、医学部受験されるんですか?」

一瞬、しまった、という表情になった夏樹は、あきらめたような表情で、照れくさそうに手に持った参考書を七海に向けて舌を出した。

「どうしても医者になりたくって。身の程も知らずにね」

「どうしてですか、目標があるって素敵じゃないですか。それに夏樹さんの成績なら余裕でしょ?」

進学校故に、成績優秀者は他学年であっても噂が聞こえてくる。

「単純偏差値だけなら頑張ればなんとかとも思うんだけど、頭が文系脳なもんだから不利は否めないのよね。暇さえあれば常に勉強していないと不安で不安で」

この話はここで終わり、とでも宣言するかのように、夏樹は参考書をカバンに仕舞った。

夏樹の隣に座りながら、七海はふと机の上にある古い巻いた紙に眼を止めると手を伸ばした。

「変な物、って。これのことですか?」

「あ、ええそうなの。奥の」

と言いながらその目が再び『絵画鑑賞部』の扉を見つめる。

「奥の倉庫で賢人が見つけたんだけど。不思議な絵なもので、もうちょっと調べてみたいって。いくらきちんと分類してあっても、現物資料とそれに関する関連資料を別々に保管するっていう絵画鑑賞部うちの方式は改めた方がいいかもしれないわね、めんどくさくって」

「見ていいですか?」

「もちろん」

墨で何かかかれた薄い和紙の長い巻紙を机の端から端まで広げた七海は、うわあおう、と声をあげた。

「こ、これは、なんていうか、なんとも言えない感じですね」

でしょ?という顔で夏樹が頷く。

フンドシ姿や袖なし法被のようなものを羽織っただけの貧相な男達が車座になって食事をしている絵であった。先に述べたとおり、墨だけを使って書かれた、純和風の絵だ。七海には日本画の知識はなかったが、おそらく江戸時代頃に描かれたものだろうな、と思うような絵であった。

それと。

なんというか、素人目にも下手糞な絵だな、と直感的に感じるだけでなく、どの男も元気がなくうつむいてぼそぼそと飯を食っている様子を見ているとこっちまで陰鬱な気分になってくる。

「なんなんですか、この絵?」

「さあねえ。こっちに題名らしいのがあって汚い字で最初の方は読めないけど下の方は『夜食之図』と読めるから、晩御飯の食事風景かしらね」

誰が描いたのかは知らないが、何が悲しくてこんな小汚いおっさんどもが晩飯を食っている姿を描いたのか。

「こっちに網と小舟らしいものが描かれているから漁村の食事風景なのかしらねえ」

「なんでこんなものがあるんですか。うちは西洋画専門ですよね?」

う~ん、と夏樹が考え込んだ。

「今は人数少なくなってあまり広げ過ぎると興味の方向がばらばらになって集まって部活する意味がなくなちゃうからそうしてるけど、昔は何でも有り、っていう時代もあったのかもしれないわねえ」

「それにしたってこれって。これってかなり古い物の、それも原画ですよね。だれがどこでこんなもの手に入れてうちの倉庫に入れておいたんですかねえ」

さっぱりですがな、という表情で夏樹が両手を挙げる。

「全然わかんないわね。だから不思議がって賢人も調べてるんだけど」

あ、でも、と七海が少し欲深そうに眼を光らせた。

「こういう絵って、人が沢山書き込んであるほど価値があるって聞いたことがありますよ」

夏樹が苦笑しながら絵を覗き込んだ。

「十・・・三人が多いと言えるかは議論が必要ね。それに、それって町の風景の中に描かれている場合とかじゃないかしらね」

ため息をつきながら夏樹が絵を見回す。

「それにこれって見るからに下手よね。プロの絵師の描いたものじゃないかもしれない。字も崩し過ぎてて読めないくらい下手糞。せいぜい田舎の絵師もどきが描いたってところじゃないかしらね」

う~ん、と二人は再び絵を睨みながら考え込んだ。

七海は助けを求めるかのように『絵画鑑賞部』の扉を見たが、そこは沈黙したままであった。

再び絵に視線を戻した七海は、あ、と瞬きした。

「これ、この人だけなんか雰囲気が違いますね」

ああ、と夏樹も頷いた。

車座になった正面の真ん中の男だけが、少し周囲の男達と違った。まるで落ち武者のようなザンバラ髪で、服も多少まともなものを身に着けている。

「そうなの、その人の頭の上にも何か書いてあるんだけど、崩し字過ぎてなんて書いてあるのかわからないのよね。読めれば、もしかして絵を読み解くヒントになるかもしれないんだけど」

ため息をつきながら絵を手元に引き寄せた夏樹はじっとそれを見つめた後七海を向いた。

「ただ、私なりに一応この絵を解釈してみたの。この絵が、どういう状況かを」

「え?飯食ってる絵って言う以外でなんか解釈できるんですか」

頷きながら、一度手元に引き寄せた絵を七海の前に押しやった夏樹は椅子を寄せ、一緒にそれを覗き込んだ。

「ほら、まず食事は漁師町の推測どおり魚料理が多いみたい。ただ、これ、この人が持っている盃が少し変なのよね」

と、おっしゃっると?

「ほら、中が黒いでしょ?このころのお酒って濁り酒だから白いはずなのよ。だからこれはお酒じゃない。『一味神水』って聞いたことない?」

七海はプルプルと首を振った。

「江戸時代、圧政に耐えかねた庶民が一揆を起こす場合なんかに、起請文にみんなで署名してそれを燃やして灰を神前に供えた水に溶かして回し飲みにしたの。これが一味神水っていうのよ」

「あ、灰が混ざった水だから黒いのか。なるほど、じゃあ」

「ええ、これは一揆の決起集会の様子を描いた絵、と考えることができるかもしれないわね」

なるほどお、と七海は感心したようにあらためてその絵を手に取った。

それならば、この陰気臭い雰囲気もわからなくはない。

「じゃあこの一番偉そうな人が一揆の首謀者ということですかね」

「まあ、その可能性はあるわね。ただ、一味神水は回し飲みにするはずなのに、これは各々盃で飲んでるから、あくまでも仮説の一つ・・・」

ドアノブがガチャガチャと音をたてて、言葉を切った夏樹が振り返った。

「あ、どうだった賢人。この絵について何かわかった?」

ああ、とでも言うかのように、どこか陰鬱な表情で賢人が手に持ったファイルを掲げた。

「一応な」

へえ、と七海が身を乗り出して手を振った。

「どうしたんですか、もったいぶってないで教えてくださいよ。この絵、一体なんなんですか?」

二人の傍らに立った賢人は、椅子を引き寄せもせず立ったままファイルを開いた。

「その絵は、明治時代の学者だった絵画鑑賞部のOBの曽祖父という人物が九州を旅行中に入手したものだとわかった。そのOBが家を建て替える時にいらなくなった資料をあちこちに寄付し、その一環で我が部に持ち込まれたらしい」

ほうほう、それで?

賢人がファイルをめくった。

「その祖父の日記のコピーというのが資料として残されていたよ。その絵は今の長崎の旧家、鈴木家に滞在した時に当主より珍しいものがある、と譲り受けたらしい。途中は省くが日記にはこうある。『・・・太夫曰ク、其ハ平戸ニ隠レ住ミシ切支丹ノ記シタルメシアナル者ノ最後ノ夜食ノ図ト伝ヘ聞クナリト・・・』

美術準備室の中を恐ろしいほどの沈黙が支配し、三人はじっとその絵を見下ろした。

は?

「め、しあ・・の最後の夜食?」

呆然とつぶやいた七海に、賢人がため息をつきながら頷いた。

「これは多分隠れキリシタンが描いた『最後の晩餐』だよ、サキちゃん」



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