怠惰なる殺人者(解決編)~『オフィーリア』を解く~
「だってさ、ハムレットのかあちゃん、オフィーリアの死んだ時の様子、微に入り細に入りハムレットに語ってるわけじゃん?。それって近くでその様子を誰かが見てたってことだよな。それに、童謡だか祈りの歌だか口ずさんでるのを聞いてるわけじゃん?ハレルヤ!ハレルヤ!とか叫びながら流されてたんじゃなきゃ、近くにいなきゃ聞こえないわけじゃん?」
急に変な声で歌うなよ、鼻水出たわ。
「それにさ、みてみろよこの川。小川じゃん、ドジョウとかカワニナとかいそうなくらいの川じゃん。これでどうやって流されるのよ?絶対背中とか川底に擦ってるって」
「まあ、子供は10センチの水でも溺れるとは申しますけどね」
「百歩譲ってそうだとしてもさ、川が深くて助けに行けませんでした、流れが急であっという間に流されていきましたって川じゃねえじゃん」
なるほど、と賢人が顎を撫でた。
「部長のおっしゃらんとするところはわかりました。彼の国の当時の法律は存じ上げませんが、確かに現在の我が国のモラル感覚から照らしても、死の危険のある人を放置することは、怠惰ゆえの殺人だとヤフコメで非難されても仕方ないところかと思います」
ヤフコメ?
「怠惰ゆえの殺人者、か」
つぶやくように言いながら、夏樹が『オフィーリア』を振り返った。今自分が見ているのと同じくらいの距離から、誰かが彼女が死に行く姿を見つめていたというのか。
「一体それは誰だったのかしら」
一瞬の空白の後、はい、と早希が手を挙げた。
「こういう時はまず第一発見者を疑うのがセオリーだと思います」
「第一発見者?それは誰?」
「これは想像に過ぎませんが、ハムレットの母とかはどうでしょうか?」
「ガートルードが?まさか、デンマーク王妃その人だぞ?」
「ですが、オフィーリアの死の様子を詳しく知っていたと確認できている唯一の人物です。まずは疑ってかかるべきでしょう?」
う~むと全員が黙り込んだ。
「そもそも、この場所はどこなのでしょうか。例えばオフィーリアの父、ポローニアスの屋敷内ということでしたら、たまたま訪れた王妃がその場に居合わせもおかしくないと思いますが」
「それはないでしょう。夏目漱石も『草枕』の中で『何であんな不愉快な所を(死に場所として)択んだものかと今まで不審に思っていたが、あれはやはり画になるのだ』と書いております。つまりは彼女の死に場所は通常は考えにくい奇異なる所だったのではないでしょうか」
「いや『オフィーリア』を見、『草枕』を執筆したころの漱石は神経衰弱気味だった。そんな男の発言に惑わされるのはどうかと思うぞ」
「王妃が一人で訪れても不自然でない場所、か。思いつきませんねえ」
え、と賢人の言葉に七海を除く全員が彼を見た。
「え、どうしましたか?」
「あ、いえ、何で王妃が一人でそこに居たって賢人さんが思ったのかって」
「いや、だって・・・」
待てっ!と叫びながら加納が大きく手を振り、一同が静まり返る。
それを待ってから、額に汗を浮かべながら加納は一同を見回した。
「どうされましたか?」
「それだよ白石くん!まさしくそれだ。盲点だった。そう、怠惰ゆえの殺人を犯したのがもし王妃であったのならば、その時彼女は一人だったのか、それとも他に誰か居たのか。それこそがこの謎を解くヒントだったのだよ!」
「とおっしゃると?」
「考えてもみたまえ。王妃ともあろう人が城外を一人でうろつくことがあり得るだろうか。普通であれば考えられないことだと思わんかね」
「別にあり得ないことはないでしょう?」
「では言ってくれたまえ。王妃がたった一人になる場面とはどんな時かね」
「別に有るでしょ。彼女だって一人の人間です。誰にも邪魔されず一人で・・」
はっと、賢人が口を閉ざした。
その顔に自らの顔を突き出すようにして加納が賢人の瞳を覗き込む。
「誰にも邪魔されず、なんだね。彼女は誰にも邪魔されず、何をしようと、いやしたというのだね?」
「いや、待って、待ってください」
叫ぶように言った賢人の声は震えていた。
「部長は何をおっしゃりたいのですか?」
「聞くかね、それを君が僕に聞くのかね?君だって同じことを考えているんだろ?」
「おそろしい。恐ろしい想像です、これは。許されないことだ。想像するだに恐ろしい」
そもそもが、と言いながら加納が首を振った。
「我々は勘違いしていたのだよ。我々はオフィーリアの危急の時に際し、その観察者が何故何もしなかったのかに心を奪われていた。彼が、あるいは彼女が、オフィーリアの死に際し、何もしなかったのではなく、積極的に“何かをした”のではないかとは考えもせずに」
「もう言わないでください、部長。ああなんてことだ、なんてことに我々は気づいてしまったんだ」
待ってください、と早希が手を挙げた。
「その結論に飛びつくのは性急かと思われます。そもそもが、それは王妃が一人でオフィーリアの死に際していたという仮定に基づくものです。例えばですが、彼女が何人かの供を連れてこの場に居たとした場合はいかがでしょうか?」
供を連れてか、と七海を除く三人が考え込む。
「王都の中での微行ということでしたら供回りの者もそれほど多くはなかったことでしょう。おそらく十人まで、ほんの数人でしょうね」
「身分を隠した王妃が遠乗りの最中に偶然に悲惨な現場に行き合わせた、か」
「偶然、そうでしょうか?例えばですが、オフィーリアを、我が子の許嫁の調子が良くないと聞いていた王妃がポローニアスの屋敷を見舞いに訪れ、オフィーリア様は森に散歩に行かれております、と聞き、追うともなく馬を向けてその場に行き合わせた、とか」
「想像に過ぎないが、まああり得ない話ではないな」
「でもそうなると当初の疑念に戻ることになります。彼女達は何故オフィーリアを助けなかったのか、です。王妃一人であれば、あまりの悲惨な光景を目の前に思考が停止してしまい何もできなかった、とか、考えられないことではないです。しかし複数人がいて、誰一人助けに行こうとしないなど、考えにくいことではないですか」
いや、と加納が首を振った。
「助けに“行こうとはした”のかもしれないぞ」
「しかし事実として彼女は死んでいます。それとも間一髪間に合わなかったとでも言うのですか。しかしそれでは歌を口ずさんでいたという声を聞いたという事実と矛盾しないでしょうか。彼女達一行がオフィーリアを見つけた時には、彼女は歌を口ずさめるほどに意識もはっきりしていたはずなのです」
「助けようとはしたが、誰かがそれを止めた、というのであればどうかね」
止めた?といぶかしそうに加納を見た賢人が、小さく、あ、とつぶやき、加納が頷いた。
「王妃が、何もしなかった、よりももう少し積極的に、彼女が死ぬのを黙認した、というのであれば説明はつく」
「確かに。しかし何故?」
「彼女には動機がある」
「動機ですか?」
「そうだ。考えてみたまえ。愛する我が子の許嫁が、精神を病み、たった一人で暗い森の中で狂った目つきでひたすらに花を編んでいたとすればどうだろうか。見開いた目を瞬きもせず、たった一人でぶつぶつと何かを呟きながら暗い森の中で服が汚れるのも気にせずひたすらに花を編むオフィーリアを目にした王妃が恐怖に似たものすら感じたとしてもおかしくはない。これが、この女が愛しい我が子の・・・許せない、そんなことは認めない!」
加納はぎゅっと手のひらを握り締めた。
「恐怖に駆られた王妃が密かにオフィーリアの様子を覗き見しているまさにその時、彼女が足を滑らせて水に落ちた。慌てて駆け寄る王妃と供の者達。早く彼女を助けよ!と叫びかけたその時、その耳元で悪魔が囁く。このまま放っておけば、彼女は・・・と」
「王妃の心中を察しないものではありませんが、それでも恐ろしい想像ですね」
美術準備室の中が静まり返り、遠くで雷鳴が聞こえた。
「こういうことは考えられんかね」
低く言った加納の声に、皆がその顔を見つめる。
「王妃が一人だった、あるいは供を連れていた。いずれの場合であっても、実は王妃がその場に居合わせたのは偶然ではなく、王妃はある“決意”を秘めてオフィーリアの元を訪れていた、と考えることはできないだろうか」
「それは・・・先ほどもおっしゃった、オフィーリアの死に王妃が積極的に関わっていた、という説でしょうか」
「言ったとおり、彼女には動機がある。有り得ないことではない」
「部長は、王妃に何か含むところがお有りで?」
「単に事実から客観的推論を述べたに過ぎん」
「しかし、供の者がいれば当然王妃を止めたに違いありません」
「初めからそのつもりであれば、供も当然に事前に打ち明けられ事情を承知した者だけ連れて行ったのだろう。いくら相手がか弱い女性といえど、王妃も高齢の女性だ。一人でどうこうできたとも思えまい」
加納がオフィーリアの絵を指し示した。
「見たまえ。この時には既に鈍器で後頭部を殴られ、意識がもうろうとした状態で水に突き落とされていたのかもしれない。目もうつろだし、口もぼんやり開いている。いくら心が狂気に陥っていたとしても、冷たい水に落ちれば一瞬正気に戻るか、逆に錯乱してもがいてもおかしくないのにそんな様子もない」
「しかし、意識混濁の状態では歌は歌えないでしょう」
「それは王妃の証言に過ぎん、状況証拠はどこにもない。それにこれを見たまえ」
立ち上がった加納は絵の一点を指差した。
「花輪を木の枝にかけようとして水に落ちたにしては花が散らばりすぎている。茎の部分に捻じれもなく、花輪の痕跡を一切とどめていない。ここでも王妃の証言は信用できない。それにこの頭部の辺り、一見髪の毛が水に浮いているようだが、後頭部からの出血が水に流れていると見えないこともない」
「まさか!ミレイはこの事件の真相に気づいていたと?!」
「真相に辿り着いていたかどうかは別にして、疑ってはいたのかもしれん。そしてこの絵の中に事故にしては不自然だという要素を描きこむことで、それを告発しようとしていたのかもしん」
ま、まさか・・・と賢人の声が震えた。
「部長は、この事実を公表されるおつもりですか・・・」
うむ、と加納は苦渋の表情で目を瞑った。
「今はまだ推論の段階に過ぎんが、いずれそのような時が訪れるかもしれんな」
そんな!と夏樹が立ち上がった。
「王妃による殺人・・・デンマーク王室と我が国の皇室は良好な関係に有ります。部長は両国の関係にヒビを入れられるお積りですか?」
「では南くんは我々が知り得たこの事実を闇に葬れとでもいうのかねっ!」
一瞬睨み合った後、ん、と言った加納は不意に七海を向いた。
「そういえば、戸田くんは先ほどから一言も発しておらんな。何か言いたいことはないのかね?」
あ、いやあ、と頭を掻きながら、七海は申し訳なさそうに加納を見た。
「これ、言っていいのかなあ・・でも、そろそろ言った方がいいよね、うん、そうだよね・・」
「なんだね、もったいぶってないで早く言いたまえ」
目を瞑って胸を押さえ小さく深呼吸してから、七海は申し訳なさそうに一同を見渡した。
「“どうでもよく”ないですか?」
一瞬、室内が静まり返った。
「は?」
「なんだと?」
いやあ、と口の中でつぶやきながら俯いた姿勢から見上げるようにして一同を見回した七海は、再び頭を掻いた。
「作り話の中の登場人物が事故で死のうが殺されようが、どっちでもよくないですか?」
再び、室内が耳が痛いほどの沈黙に包まれ、四人はじっと目を見開くようにして考え込んだ。
ややあって、加納が顔を上げると小さく頷いた。
「素晴しく尖がった意見をありがとう、戸田くん。確かに物語の中の人物が足を滑らせて土左衛門になろうと、殺されようと、我々には関係がなかった」
「いやあ、完全に盲点をつかれました。さすがだよ、サキちゃん」
「確かに!コ〇ンじゃ毎週のように人が殺されているのに、私達とは何の関係もないですもんねえ」
「謎かけをされるとつい熱が入ってしまうところが我々の悪いところですね」
夏樹がおどけた様子で頭を叩きながら舌を出した。
「あ、雨上がったようですよ」
「そっかー、じゃあ帰ろうかあ」
「そーしましょ、そーしましょ」
「てなことがあったわけよ」
翌日。
昼の弁当を食べながら、やれやれですわと語った七海を、半眼になった三田環奈がジト目で見つめた。
「お前ら真面目に部活やれよ」