入部の理由(わけ)
「君達はなんだね?」
賢人がにこにことその顔を覗き込んだ。
「今年の入部希望者です」
ほう、と意外そうに加納が二人の顔を順番に見た。
「ちっさいのが揃ったな」
あんたが言うなよ。
ふうん、と値踏みするかのような目で、加納が二人の顔を見比べた後、賢人を見上げる。
「入部試験は?」
入部試験?
まだですよ、と夏樹が加納の前にコーヒーのカップを置いた。
「それは部長が自らされるんでしょ?」
まあな、と満足そうに言った加納は頷いた。
「よし、まあよく来た。君達のガッツとチャレンジ精神は歓迎しよう。座りたまえ」
誉め言葉なのに全然うれしい気分にならないのは何故だろう?
コーヒーを啜りながら二人が座るのを待ってから加納は身を乗り出した。
「我が部は入部希望者を全員受け入れているわけでなはい。入部に際し入部試験を実施している。もしこれに合格できないような負け犬は、尻尾を巻いて帰宅部でもなんでも行くがいい」
変人認定の癖に生意気な、と思ったのは七海だけではあるまい。
「これから君達にいくつかの質問をする。答えられなければ」
ふふん、という表情で、加納は美術室の方を顎で指し示した。
「お帰りはあちら、だ」
きみ、と言いながら加納が早希を指差した。
「ゴヤの絵を、三つ以上言ってみたまえ」
ゴヤ、なんじゃそりゃ?
ふうん、とわずかに目を細めた早希がニヤリと身を乗り出した。
既に勝った者の表情で。
「ゴヤって、フランシスコ・デ・ゴヤのことでいいですか?」
「当たり前だ、他にゴヤがいるか?」
では、と言わんばかりに早希が指を折った。
「『我が子を喰らうサトゥルヌス』『着衣のマハ』『裸のマハ』『砂に埋もれる犬』『カルロス四世の家族』『自画像』『フランシスコ・ゴヤの肖像画』・・・私が知っているのはこんなところですか」
最後の二つはずるい。
ほう、と意外そうに早希を見た加納は頷くと七海を見た。
「じゃあ君はどうだ」
え、ええと・・・
一瞬固まった後、七海はちっと舌を鳴らし、悔しそうに首を振った後ため息をついた。
「すみません。知ってるのは全部チイちゃんに先に言われちゃいました」
ふうむ、と腕を組んだ加納は満足そうに頷くと、賢人と夏樹を順に見た。
「今年の新入生はなかなか優秀じゃないか」
もちろんもちろん、と揉み手でもしそうな顔で賢人が頷く。
「よし、ではもう一問だ」
まだあるんかい?
加納が再び早希を指差した。
「さっき言った『我が子を喰らうサトゥルヌス』(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/82/Francisco_de_Goya%2C_Saturno_devorando_a_su_hijo_%281819-1823%29.jpg)について説明してみたまえ」
ほいな、と小さくつぶやいた早希が加納を見た。
「ギリシャ神話の神であるサトゥルヌス、別名クロノスは父を殺して神々に君臨しますが、父をす際「父を殺したお前も自らの子に殺される」と呪いを受けてしまう。そのため、サトゥルヌスは生まれた我が子を次々に食い殺してゆく。ゴヤ晩年の『聾者の家』で書かれた黒い絵14作のうちの一枚です」
ほうほう、と机を叩きながら加納は嬉しそうに何度も頷いた。
「すばらしい!では君はどうかね?」
七海はじっと加納を見つめ返しながら、確信を持った口調で言い切った。
「チイちゃんの言ったそのとおりです」
うむ、と満足そうに頷いた加納は立ち上がった。
「よかろう、両名とも合格だ。君達の入部を認めよう」
こいつアホだ、と確信しながら、七海はうれしそうに頷いて見せた。
興奮冷めやらぬ様子で椅子に座った加納は、ところで、と再び二人を見た。
「なかなか絵画には詳しいようだが、入部の理由はなんだね。好きな画家とかはあるかな」
はい、と早希は、これこそを待っていたと言わんばかりに頷いた。
「好きな画家、ということになるとミケランジェロということになりますけど、基本的にはルネッサンスと新古典主義の時代の絵が好きですね」
ああ、と七海はなんとなく早希を見た。
早希も、なんとなく興味があるとかそんな軽い気持ちではなく、もともと絵が好きな、ガチな人間なんだと。
「ふうん、まあ、悪い趣味ではないが、な。ただ一つ言わせてもらえば、時代はゴヤだよ。ゴヤを学びたまえ」
「ゴヤ、好きなんですね?」
当たり前だ、と、ふんっ、鼻息を噴出す勢いで加納が腕を組んだ。
「ゴヤの前に画家なく、ゴヤの後に画家なし。ゴヤこそが真に画家と呼ぶにふさわしいただ一人の人物だよ、きみ」
もっとガチが居たよ、それも病的な。
あははは、と心の中でうつろに笑った七海を加納が向いた。
「きみはどうかね。好きな画家とかは」
あ・・・
わずかに俯いた七海は、見上げるような目で加納を見た。
「あのう・・・私、絵のことはあまりわからなくて。できれば絵の見方とか、一から学びたいんです」
ほう、と意外そうに加納が瞬きした。
「それにしてはゴヤのことはよく知っていたじゃないか。まあ、あのゴヤだからな。当たり前と言えば当たり前か」
まだ気づいていないのか?というかそれは持ちネタなのか?
「じゃあ、何故我が部を希望したのかね?」
それは、と七海は下唇を噛みしめながら俯いた。
「実は、父の遺言なんです」
まあ、という表情で目を見開いた夏樹が口を押える。
ふうむ、と加納が顔をしかめて七海を見つめた。
「事情を、聞いてもいいかね?」
「それが、わからないんです。遺言、っていうか、父が生前、私が大きくなったら陵上に入学させて絵画鑑賞部に入らせるんだ、と何度も言っていたって。それしか。父は確かに陵上のOBですから自分と同じ高校に、というのはあると思うんですか、何故絵画鑑賞部なのかは母も聞いていなくて。父が死んだのは私が小さなころで、わたしも全然心当たりがなくって」
ふうんと椅子にそっくり返って腕を組み、しばらく考えた加納は夏樹を向いた。
「ちょっと調べてみよう。お父さんの生年月日はわかるかね?」
「はい」
七海が父の名前と生年を告げると、高校生だったのは平成の初めころね、と指を折りながら夏樹が立ち上がった。
隣室に消えた夏樹は、直ぐに古い台帳のようなものをめくりながら戻ってきた。
「ありました。サキちゃんのお父さんはやはり我が部のOBですね」
ほう、と興味深そうに加納が頷く。
「親子二代とは、まさしくサラブレッドだな。いや、すばらしい!」
そうかも、と思っていたことが実際そうだとわかると拍子抜けしたような気分であった。
ああ、それだけのことだったんだ、と。
「でも変ですねえ」
「どうしたのかね、南くん」
眉根を寄せながら夏樹が加納を見た。
「お父さん、三日しか在部してません。すぐに退部しているんです」
へ?
むう、と顔をしかめた加納が腕を組みながら俯いた。
その顔が直ぐに夏樹を見上げる。
「それでいて娘を入部させたい、とは。退部するに当たってはよほど未練があったのだろうか。おそらく何かやむにやまれぬ事情があったのかもしれん」
「調べてみます」
頷いた夏樹が再び隣室に消え、七海は驚いたようにその後姿を見送った。
「そんなことまでわかるんですか?」
ふふん、と加納が胸を反らせた。
「我が部は研究部だよ。資料の収集、保管に関してはエキスパートだよ、きみ」
ありました、と『入退部届 平成元年~平成19年』というぼろぼろの表紙のついた薄っぺらい簿冊を抱えた夏樹が戻ってきた。
「これが退部理由です!」
四人は首を伸ばして机に置かれたそれを我先に覗き込んだ。
『気になってた子が絵画鑑賞部に入ったと聞いていたんですが、間違いだったので辞めます』
美術準備室を重苦しい沈黙が支配した。