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カンショー!  作者: 安城要
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絵画鑑賞部

「まあ、そんなところに立ってないで座って座って」

「そうそ。これっぽっちの部だから、先輩とか後輩とか気にしないで、楽にしてね」

う・・・

はい、とフレンドリーな雰囲気にわずかにほっとしながら踏み出そうとした七海は、ニコニコと笑う男と女の顔を見た瞬間ぎょっとしたように踏み止まった。

意外というかなんというか、どこか雑然としてうさん臭くさえ感じる美術準備室の中からにこやかに手招きしているのは、思わず二度見をしてしまうような美男美女のカップルであった。

どちらも百七十はあるだろう長身に、男の方は女でも通りそうな優しい顔に柔らかそうな亜麻色の髪、それでいて変に痩せてはいず、逞しささえ感じさせるような見るからに細マッチョの体、女の方はこれは豊かな波打つような黒髪に包まれた絵に描いたようなゴージャスな日本美人。

どこかはしゃいだように七海を迎え入れ声にも軽薄さはみじんもなく、にっこりと細めて目の奥の瞳には、高い知性を感じさせる光があった。

何というか、七海の目には想像できる限りの理想的な先輩の男女版に見えた。ここまでの展開から逆にうさん臭ささえ感じさせるほどに。

「さあ、ここにどうぞ」

「あ、何か飲む?コーヒー?それともお紅茶がいいかしら?」

あまりの歓待ぶりに、七海は逆に小さくなりながら、じゃ、じゃあ、“お”紅茶を、と小さく言った。

先程の受付での対応が嘘のような歓待に戸惑いながらも、七海はぎゅっと拳を握りしめた。

まず、これだけは確認しておかねばならない。

「あ、あの、教えていただきたいんですけど」

ん、と男の方がにっこりと七海を見た。

「何でも聞いてよ。あ、その前に、ぼくは白石賢人、彼女は南夏樹ね」

ティーポット片手の美女がにっこりと振り返る。

あ、あの、と言った後、七海は賢人を見上げた。

「ここって、絵を見る部ですよ、ね?」

は?とどこか見覚えのある不思議そうな顔に一瞬不安を感じたが、その後に続いた言葉は七海の期待どおりであった。

「もちろんだよ。他に何があるっていうの?」

にっこりと言った言葉にほっと溜息をついた七海に、差し出しかけていた入部申込書を手元に引き寄せた賢人が続けた。

「ただし、絵なら何でもというわけじゃない。うちの部は基本的に西洋絵画、時代的にはルネッサンスから近代、具体的には印象派くらいまでを対象にしている。もちろん、きみが個人的に日本画や現代画を研究対象にしたいというのであれば禁止するものではないけどね」

ほっと溜息をついて頷いた七海に、では、と賢人が入部申込書を七海の前に差し出す。

なんというか、1歳しか歳が違わないことが信じられないほどに、賢人の仕草や表情が妙に洗練されていた。

絵画を見ることに興味を持つことといい、これがお育ちの違いというものか、と思わずにはいられない。はい、どうぞ、と言いながら紅茶のカップを差し出す夏樹からも、それは同じものを感じた。

「とりあえずクラスと名前は書いて。携帯の番号とかほかのことは差し支えない範囲で書いてね。連絡は基本ラインだから後で登録お願いね」

一々頷きながら、七海はそれを埋めていった。

はい、と言いながらそれを賢人に渡した七海は、賢人と夏樹の顔を見比べた。

「ところで、部活ってどんなことするんですか。やっぱりみんなで絵を見ながら、感想言ったりとか?」

え?というかのように七海の顔を見直した後、二人は顔を見合わせると小さく笑った。

「こう言っては失礼だけど」

クスクス笑いながら賢人が七海の顔を見つめた。

「きみは、ええと戸田・・ナナミさんって呼ぶのでいいんだよね?」

「あ、はい」

「戸田さんは、絵画を見ることに関しては、素人、と考えていいみたいだね。違うかな?」

「あ、はい。実は全然わからないんです・・・けど?」

不安そうな七海とは反対に、うんうん、と賢人が嬉しそうに頷いた。

「例えば、うん、そうだね、例えば、哲学って聞いて、きみは何を想像する?」

「てつがく・・ですか。う~ん、よくわかんないけど、人生とはなに、とか考えるとか?」

「残念」

言いながらも、思ったとおりの回答だったのか賢人の顔は満足そうであった。

「現代の哲学は高等数学に近い。絵画を見る、ということも素人感覚のイメージと実態とにはそれくらいの違いがあるんだよ、例えば・・・」

そこまで言ったところで響いた扉の開く音に、三人は同時にその方を見た。

美術準備室の奥の扉から出てきた小柄な少女が、じっと自分を見つめる三人をびっくりしたように見返していた。

「ああ、忘れていたよ。戸田さん、彼女はきみの“一時間”先輩の、米倉早希さんだよ。チイちゃん、こちらきみと同じく新入部員の戸田七海さんだよ」

ジョークのつもりだったのか“一時間”のところで少し笑った賢人が言い終わる前に、襟足よりも短いショートカットを揺らしたその少女は七海の前に駆け寄った。

そして、目を見開いて七海を見つめながら手のひらを頭の上に乗せる。

「びっくり!私よりも小さい同級生初めてだわ」

こっちこそびっくりだわ。

生まれて初めて見る目線の高さが同じ同級生を、七海は目を見開いて見つめた。

「米倉早希だよ。よろしく~っ。みんなはチイって呼ぶことが多いけど、サキでもチイでも好きな方で呼んで」

快活なその声を聞くまでもなく、くりくりとよく動く目を見ただけでその性格が伺い知れた。

「もしかしてだけど」

半眼になった七海はじっと早希を見た。

「ちっちゃいチイちゃん?」

「あは、わかった?」

うれしそうに言った早希に、七海はしかめっつらしく頷いた。

「わかった。わたしも列になる時いつも先頭だったから、先っちょサキちゃんて呼ばれてたから」

あはは、と笑った夏樹が二人を見比べた。

「うまくつけるなあ。でもどうしよ。二人サキちゃんがいると不便ね?」

「じゃあ早希ちゃんはチイちゃんで、七海ちゃんはサキちゃんということで統一しようか?」

勝手にしてくれ。

「サキちゃん、身長はいくつ?」

「ん?ああ、140かな?」

「あはは、同じだ~っ」

へえ~~っ、へえ~~っ、と嬉しそうに七海の顔を見つめていた早希は、ふと七海の胸元に目をやった。

え、とその口が薄く開いた。

え、えっ、ええっ、ええ~~っ、と言いながら、七海の胸を凝視しながら自らの胸を両手まさぐった早希は、突然飛びすざると、涙ぐみながら七海を指差した。

「裏切ったなっ、信じてたのに~~~っ!!!」

なんなんだ・・・

突然、ノックもなしに扉が開き、四人は同時にその方向を見た。

短すぎるほどに短く刈り込んだ坊主頭に眼鏡の小男が、レンズの厚い眼鏡の向こうからうさん臭そうに室内を見回した。

「にぎやかだな。白石くん、その二人は誰かな?」

はっ、と言いながら姿勢を正して男の方を振り返った賢人が、早希と七海を順番に見た後男に向き直った。

「新入部員です。名前が・・」

待て、と言うかのように手を挙げた男が軽く顎をしゃくった。

「話は後にしよう。新入部員の顔合わせをするから美術室に来てくれたまえ。君たちもだ」

そして、四人の返事を待たずに背を向けて廊下の向こうに消える。

そっと上半身を傾けた賢人が、七海と早希にだけ聞こえるような声音でそっと囁いた。

(部長の加納さんだ)

怪訝そうな顔で、それでも男の有無を言わさぬ態度に後に続こうとした七海は瞬きした。

部長は白石さんではなかったのか?

問い返そうとしたが、すぐに背を向けて足早に廊下に向かった賢人に慌ててその後を追いながら、七海は頭に???を並べながら足早に美術室に消える加納の後姿を追った。

お・・・

体育会、芸術系、研究系の中で最大人数を誇ると言われたその言葉どおりに、美術室は入りきれない部員が廊下まであふれそうな勢いであった。

教室の正面の一段高くなった教壇の上には既に部長の白石がその巨漢を彫像のように微動だにさせず立ちながら遅れて入って入ってきた面々にちらっと眼を走らせた。その背後には一歩控えて三輪も立っており、同じように五人を流し目で見ると、すぐに正面に向き直った。

美術室の中が静まり返り、遅れてやってきたのに悪びれる風もなく教壇側の扉から入った五人を見つめるのを感じて七海はわずかに俯いた。

なんというか、自分だけまだ知らされていないことがあるのではないか、という疑念が負けん気が強いと自負する七海の負け犬根性を刺激する。

加納が白石の横、黒板を背に立ち、美術室の中をずいと見回すその前を、賢人と夏樹が集中した視線に全く臆することなくどうもどうもと愛想をふりまきながらにこやかに横切り、その後を俯き加減の早希と七海が続く。

窓際に位置を占めた賢人がこっちこっちとでも言うかのように早希と七海にニコニコと頷きかけ、初めから予約されていたと言わんばかりに前気味の窓際に四人が並ぶのを待ってから、加納が一歩進み出て美術室の中を見回した。

「ええ、ご・・・・」

白石がちらっと目配せすると、教壇の近くに控えていた体格のいい二人が小走りに進み出て加納を背後から抱きしめ、口を押えて教室の隅に引きずっていく。

はい?

それを確認してから、白石がニコニコと美術室の中を見回した。

「ええ、俺が部長の白石だ。そしてこちらが副部長の三輪だ。新入部員諸君よく来てくれた。これから一年間よろしく頼む」

それと、といかついその顔が更ニコニコとほころぶ。

「それと前もって言っておくが、諸君らの目に何か変なものが見えているかもしれないが、それは気のせいだ」

そんなことあるかい。

もがもがと暴れる加納と白石を見比べながら七海は薄く口を開いた。

「ああ、それと、入部にあたっては皆事前に確認をして承知しているとは思うが、勘違いが無いように念のため言っておく。この部は絵画鑑賞部という名の帰宅部だ」

はへ?

すすっと進み出た二人が白石の背後に縦1mはある横断幕を掲げる。

『俺には帰る家がある』

「これが我が部の部是である」

声に力を入れながら白石が横断幕を指し示した。

「次に部の活動について言っておく。主な活動は、授業が終わればとっとと帰ること。これだけだ。ただ一応、美術室を部室として確保してあるので、直ぐに帰りたくない事情がある者や、友人とだべりたい、という者などがいれば好きにつかっていい」

美術室の中をゆっくりと見回し、誰も何も言わないのを確認してから白石がその怒鳴るような大声で続けた。

「それと、我が部は一応建前は絵画鑑賞部を名乗る研究系の部である。今日の入部申し込みに際し、それすら忘れて少しトラブルを起こした者がいたため、念を押しておく。忘れないように」

壇上の三輪がちらっと七海に目を走らせた後、軽く肩をすくめながら舌を出す。

それと、白石が再び声に力を込めた。

「それともう一つ、我が部には少数ながら本当に絵を鑑賞したいという変わり者も存在する。その者達には美術準備室をあてがってある。変わり者ではあるが、お互いの領分を侵さない限り害が無い者達ばかりだ。変わり者とけなしたり、石を投げたりしないように」

七海はため息をつきたくなった。

事情は理解した。

ただ、これで自分は変わり者の烙印をしっかりと押されたわけだ。

「それでは最後に、質問や何か言いたいことがある奴はいないか」

白石がちらっと眼を走らせると、加納を押えていた二人が戒めを解いた。

たたらを踏んでなんとか踏み止まった加納が、小走りに駆け寄ると白石を突き飛ばした。

が、如何せんその体格差に白石はびくともしない。

一つ白石を睨み上げてから、加納が眼鏡を直しながらゼイゼイと美術室の中を見回した。

「一つ言って・・・」

「無いようだな。では解散!」

言いかけた加納の声にかぶせるような大声で白石が叫び、てめえこの白石いいいっ、と再び食って掛かろうとした加納の背後に駆け寄った賢人と夏樹が両側からがっちりと加納の腕を掴むと、さっ帰りましょ帰りましょ、とニコニコとずるずる引きずりながら退場する。

慌ててその後を追い、白石の前で小さく頭を下げてから七海は三人に続いて元の美術準備室に戻った。

「くそっ、白石の奴、自称部長のくせに偉そうに仕切りやがって」

椅子に座らされた加納がまだ半ば裏返った声で喚き散らすのに、賢人があくまでもニコニコと穏やかな声で言った。

「あっちはあっち、こっちはこっち、で、僕達は楽しめばいいじゃないですか、ね、部長?」

不快そうに小さく鼻を鳴らした加納は、しばらくぶつぶつと口の中で毒づいてから、ふと気づいたかのように顔をあげると、おや、と言いながら不審そうに立ち尽くしたままの七海と早希を見つめた。

「君達はなんだ?」

忘れたんですか?ていうか今気づいたみたいに言うなよ。


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