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カンショー!  作者: 安城要
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四角な船(前編)

その絵絵を

この『ミミゲネズミキツネザルでもわかる箱舟伝説』によるとノアの箱舟は、と唐突に言いながら読んでいた本の表紙を見えるように向けた沙織に、ゴーギャンの画集を二人で覗き込んでいた七海と早希は顔を上げた。

「なんですか、その何とかキツネザル、って」

なぜ箱舟についてではなくて猿について聞くのですか?と無表情につぶやいた沙織は、ミミゲネズミキツネザルは、と続けた。

「コビトキツネザル科ミミゲネズミキツネザル属に属する、一属一種の猿の名です」

ちなみに、と七海が半眼で沙織を見た。

「なんでそんなに詳しいんですかね?」

「本を買う時に検索しました。これから読む本がどんな本か事前に調べるのは普通でしょう?」

いや、キツネザルが読もうがマンドリルが読もうが本の中身は変わらんだろうが、そのシリーズ。

「この本にはノアの箱舟伝説について書かれているのですが、この本によると神はノアに箱舟の1階と2階と3階に扉を付けろ指示したそうです」

わかりました、と七海は頷いた。

「つまり4階から120階までは体育館のようにぶち抜きのフロアということですね?」

なんでそんなにでかいんだよ、と顔をしかめて七海を向いた早希に七海はやれやれと首を振った。

「原理主義者どもの言葉を信じるならば、初期の人類は恐竜と同じ時代を生きていたんだぞ?巨大な恐竜からマダガスカル東部に生息する小型の猿まで全て乗せ、なおかつ何か月分かの食料を乗せられるような箱舟ならそれくらいの大きさは要るだろうが?」

「なぜあなたはミミゲネズミキツネザルの生息域を知っているのですか?」

目を細めて七海を見た沙織に、偶然です、と七海はそっぽを向いて返した。

んで、と早希が沙織を見た。

「なんでいきなりそんな話を?」

はい、と沙織は再び持っていた本の表紙を二人に向けた。

「読んだばかりの知識を、誰かに語りかっただけです」

おつかれーっ、じゃあ帰ろっかあ、と沙織を無視してカバンを手に取った二人の背に沙織が手を伸ばした。

「お待ちなさい。とーゆーわけで、今日はみんなで箱舟の絵でも見ましょうか」

どんっ、と机に手を叩きつけながら七海が沙織を振り返った。

「だからなんであんたが決めるんだよっ、そんなこと!」

「私は上級生ですよ」

「だから!あんたは新参者で正式部員でもないんだよ!」

「そーだ!そーだ!」

ふっふっふっ、と突然廊下から声が響き、七海と早希ははっと振り返った。

「それは面白そうな話ですねえ」

腕を組んだ姿勢でゆっくりと戸口に現れた賢人を見ながら、七海と早希は同時に半眼になった。

「何やってるんですか、賢人さん?」

は?と言いながら賢人が組んでいた手を解いた。

「何って、いつもこれをやって欲しそうに言ってるじゃないですか?」

「いや、賢人さんがやりたいのならやるのは勝手ですけど、バカっぽいですよ、それ?」

やらなければ煽ってくるし、やったらやったで悪く言うのですね、あなたは、とため息をつきながら賢人が美術準備室に入ってきた。

「しかしノアの箱舟とは面白いテーマですね」

一度顔を見合わせてから七海と早希は賢人を向いた。

「そーなんですか?」

「なんか面白い絵あるんですか?」

何を以て“面白い”とするかですが、と賢人がカバンを机に置いた。

そして奥の部屋からタブレットを持って戻ってくる。

「旧約聖書の最初の盛り上がるシーンですからね。ノアの箱舟に限らず、大洪水様子を描いた絵は沢山の人が描いていますよ」

ほう。

例えばですが、と七海が手伝ってタブレットをスクリーンに繋いだ後、室内の全員がスクリーンの画面を見つめた。

「有名どころでは、ミケランジェロの『大洪水』(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/59/El_Diluvio.jpg)ですね」

スクリーンに、いかにもミケランジェロらしい筋肉質で露出度の高い人々が次第に水かさを増す大水から高台や建物の上階に逃げる様子を描いた絵が映し出される。

その絵をじっと見つめた後、沙織が賢人を向いた。

「しかしこれでは、あまりにも題名がそのまんま過ぎて面白味がありませんね」

ほう、と賢人は沙織を向いた。

「では、沙織さんはどのような題名だったらよいと思われますか?」

そうですね、と暫くじっとスクリーンを見つめた後、沙織は賢人に向かって頷きかけた。

「『ドキッ♡女の子若干多めの大水泳大会』などいかがでしょうか。もっと視聴率が稼げると思いますが?」

何言ってるんだよ、こいつ。

それに確かに泳いでいる奴もいるが、これはそんな呑気なんじゃねえよ。

「“ポロリもあるでよ”を付け加えるとあとプラス1%視聴率が稼げると思いますが」

確かにミケランジェロの絵はポロリ有り過ぎるほどあるけどよぉ、男のだがな。

なんなんですかね、その昭和臭漂うテレビ番組みたいな題名は、と賢人が嘆息する。

「他にも、ノアの箱舟自体を描いた絵としては、エドワード・ヒックスの『ノアの箱舟』(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/31/Edward_Hicks%2C_American_-_Noah%27s_Ark_-_Google_Art_Project.jpg)なんていうのがあります」

言いながら、スクリーンに一枚の絵を映し出す。

奥の箱舟に向かって沢山の動物が列を成して乗り込んでいく様子が描かれている。空からも沢山の鳥が舞い降りて箱舟に入って行くのが見える。

その絵をじっと見つめた七海は賢人を振り返った。

「ヒックスさんが見たことあるであろう羊や馬や牛はそこそことして、他の動物はよく見るとなんとなく違和感がある絵ばかりですね。キリンは模様じゃなくてブツブツが有るみたいだし、シマウマの柄もなんか変ですよね」

「多分実際の動物を見たのではなく資料を見て描いたのでしょうからその辺は大目に見てあげてください」

「そのくせヒトコブラクダとフタコブラクダで数を稼いでいるところは姑息ですよね」

「何故あなたはそういうところばかり気付くのですかね?」

「背後に遠く見えている家も、絶対紀元前の中東の建築物ではないですよね」

いやそこじゃないだろ、と早希が進み出た。

「これを見ろ。この一番左端、つがいの地蔵がいるぞ。地蔵も生物扱いなのか?」

あなた達じゃあるまいし、と賢人がため息をつくとタブレットを操作した。

「ヒックスは動物が出てくるような絵を沢山描いています。例えばほらこれ『平和な王国』(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/62/Edward_Hicks_-_Peaceable_Kingdom.jpg)なんかは代表作ですね」

その絵をじっと見つめた後、七海と早希は同時に半眼になった。

「人間も動物も描写がアンリちゃん並みだな。それに色使いもなんとなくアンリちゃんを想起させる」

「だな。もしかしてヒックスさんの絵が先に認められたせいでアンリちゃんの絵も許容されたのか?だったら、ヒックス死すべし!だな」

またそんなことを、と言いかけた賢人の言葉に被せるように、七海が、これを見ろ!と絵の左奥を指差した。

「悪徳紅毛人どもが、金の装飾品を身に着けたネイティブ相手に、この織物とその身に着けている飾りを交換しようじゃないか、と持ち掛けているぞ」

「うむ、安物の反物を仕入れてきて、未開の人々から金品を巻き上げようという算段か」

「しかし、次第にそんなちまちました取引では満足できなくなってきて、本国から軍隊を連れてきて彼らを皆殺しにして金を強奪する気だな」

「何が『平和な王国』だよ、おこがましいんだよ!とっとと『今はまだ平和な王国』に改名しろよ!」

何故想像だけでそこまで強気な発言が飛び出すのですか、あなた方は、と賢人が嘆息する。

「それで実際のところ、この伍長の描いた絵はアンリちゃんとどっちが先なんですかね?」

「なんだよ、伍長って?」

「ヒックスと言えば伍長だろ?」

は?と言いながらスマホを取り出した早希が素早くそれを操作する。

「ホントだ、グルグル検索でヒックスって入れただけでヒックス伍長って選択肢が出た。何者だ?ノルマンディー上陸戦の英雄とかか?」

「いや、それ以上見ない方がいいぞ。見ても害にはならんが、何の益もないぞ?」

10秒後、七海の肩に手を置いた早希はやや俯き加減に言った。

「なんの益もなかったよ」

「だろ?」

何者かは気になりますが調べるのもなんとなく怖い気がします、と少し嫌そうに言った賢人が気を取り直すようにタブレットを持ち直した。

「ちなみに、ルソーとヒックスではヒックスの方が先の時代の人物です」

「じゃあ、やっぱり伍長がアンリちゃんの先駆者か」

「迷惑なことをしてくれたもんだよな、伍長」

ちなみにですが、と賢人がわずかに顔をしかめた。

「はからずもさっきあなた達が言ったことは事実なのです」

「ヒックス伍長を検索してもなんの益もないことですか?」

それも確かにそうかもしれませんがそれではありません、と賢人が更に渋い顔をした。

「背景に描かれている人達ですが、これはアメリカのペンシルベニア州創設時の英国の入植仲買人ウィリアム・ペンとネイティブのレナペ族との間に結ばれた協約の様子なのです。しかし後にウィリアム・ペンの息子たちが「我々が一日半で歩いて回れるだけの土地を、入植者に売ってくれないか」とネイティブの酋長に持ち掛け酋長が承諾すると、彼らは十数人もの屈強な男達に一日半で何百キロも歩かせ、その土地を全て奪おうとしたのです。そして結局それに抗議したネイティブの人々を武力で追い出した上で最後は虐殺しています」

むっと顔をしかめた七海は音を立てて膝を叩いた。

「やってくれたよ伍長!」

「いえ、別にヒックスは協定の様子を描いただけで」

「よく臆面もなくそんな風景を描けたよな、って話ですよ」

しかし、と早希がもう一度じっくりとスクリーンを見つめた。

「じゃあこれはアメリカの風景なのか?それならなんでライオンがいるんだ?」

そんなとこいちいち突っ込むのやめましょうよ、と賢人が嘆息する。

「突っ込むところを探すよりも、もう少し広い心で絵を見ませんか?」

「うす」

「じゃあとりあえず今日のところはそういう算段でまいりましょう」

頷いた賢人は、では、とタブレットを操作して新しい絵をスクリーンに映し出した。

「箱舟に動物達が乗り込んでいくシーンではこんな絵も有りますよ。これはヤコポ・バッサーノの『ノアの方舟に乗り込む動物たち』です」

その絵をじっと見つめた後、沙織は賢人を向いた。

「これも、題名がストレート過ぎて面白味がありませんね」

またですか、と口の中で呟いた後、賢人は半眼で沙織は見た。

「ではどのような題名がよろしいと?」

そうですね、とあごに手をやってスクリーンを凝視して暫く考えた後、沙織は賢人に頷きかけた。

「『家畜市場』などいかがでしょうか?」

確かにどういうシーンか知らなきゃそう見えるけどそうじゃないだろ?

次行きますね、と沙織の提案には何の感想も述べずに言った賢人は、再びスクリーンに一枚の絵を映し出した。

「これはドッソ・ドッシ の『ノアの方舟に乗り込む動物たち』(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/45/Dosso_Dossi_-_Entry_into_the_Ark_-_54.177_-_Rhode_Island_School_of_Design_Museum.jpg)です。描かれたのは1500年頃で、さっきのパッサーノの絵と同時代ですね」

「また乗り込むシーンですか。その頃その手の絵が流行ったんですかね?」

「というか、沢山の動物が列を成して巨大な船に乗り込んでいく様子は壮大で“絵になるシーン”ということになるのでしょうね」

「壮大、って、この絵の箱舟小さすぎないか?」

「うむ、これでは全ての動物どころか大型の恐竜1匹乗らないな」

あくまでも恐竜を乗せたいわけですね、と嘆息した賢人に、七海は絵の右隅を指差した。

「ここに並んでいる人達はノアと家族ですかね?」

「ではないです。箱舟に乗り込んだのはノアとその息子のセム、ハム、ヤペテの三人とそれぞれの妻の計8人だけです。この人達はノアが箱舟を作って動物達を乗せている様子を見物に来た人達でしょう。全員が箱舟に背を向けているのは、彼らが神の啓示を受けて箱舟を作ったというノアの主張を信じていないことを表現するためにそう描かれたとぼくは想像しています」

「背を向けているのは、箱舟をバックに写真撮ってるんじゃないですか、豪華クルーズ船が入港した感覚で?」

「まだないだろ、カメラが」

「じゃあ画家に描かせたんだ。あ、そうか、これってドッシが頼まれて描いた家族の集団肖像画なんじゃないですかね?「うちの家族を箱舟の建造シーンを見に来た人々に擬して描いてくれ」とか頼まれて?」

「これから洪水で死んじゃう人に擬してですか?それってちょっと無理がありませんか?」

んで、と早希が賢人を向いた。

「船に乗り込む絵が沢山あって、大雨で洪水が起こって人々が逃げ惑うミケランジェロみたいな絵があって、次は船の中での生活風景の絵ですかね?」

それがですね、と賢人が苦笑した。

「洪水の最中の船の中の生活風景の絵というと、ぼくも思い浮かばなくって」

「え、無いんですか?」

無いと確認したわけではないですが、と賢人が再び苦く笑う。

「想像してみてください。大きいとはいえ同じ船の中で動物達の世話をしながら変わらない毎日を過ごしている様子ですよ?絵のテーマとしては弱くないですかね?」

「ふむ」

なるほど、と七海も頷いた。

十月十日とつきとうかも船の中に居て記録も航海日誌なしか」

「そんな妊娠期間みたいな長期ではなく確か四十日間ですし、推進機関のない箱舟ですから航海ですらない漂流ですけどね」

しかし、と突然口を挟んだ沙織が持っていた本の表紙を三人に向けた。

「この本によると」

「エテ公の愛読書をどこまで信じていいんですかね?」

賢人を向いて言った七海に、ここは黙って聞きませんかと賢人が諦念的に首を振った。

「少しは船の中の様子がわかります。例えば、どのような動物がどのフロアにいたかが描いてありました。人間の役に立つ家畜や鳥、動物として上位と言えるような猛獣の類は上のフロアに、害獣の類は下のフロアに入れられたようです」

「家畜と猛獣はなんとなくわかりますが、鳥、ですか?」

不思議そうに聞いた賢人に、はい、と沙織は頷いた。

「彼の宗教では、天と地上の間の空を飛ぶ鳥は、より神に近い存在として動物としては上位とみなしていたそうです」

ナルホド。

それ以上は内緒です、もっと知りたかったらこの本を一日10円で貸しますが?と言った沙織に、三人は同時にやや俯き加減に横に首を振った。





















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