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カンショー!  作者: 安城要
193/238

贋作

美術準備室ぶしつに向かう階段の途中で会った賢人と話しながら部室に着くと、珍しい人物が先に来てしかめっ面でタブレットを見つめていた。

部長!と驚いたような声で叫ぶように言った賢人がわずかに小走りに駆け寄った。

「お久しぶりですね」

最近そのセリフが板に付いてきた感じだよな、とつぶやくように言った七海に、加納はしかめ面のまま首を振った。

「そんなことはないだろう?6月に入ってから10日以上は来ているはずだが」

「今年の6月は100日以上有りますから」

6月は毎年30日ですよ、と七海の言葉にため息のように返した賢人は、そこで加納の顔を覗き込んだ。

「それで、何を難しそうな顔をしておられたのですか?」

これだ、と言いながら加納が向けたタブレットの画面に首を伸ばす。

「なになに・・徳島県立近代美術館が1999年に6720万円で購入した絵が贋作と判明」

頷いた七海は賢人を向いた。

「近代美術というと私達の範疇外ですから、どーでもいいですよね、こんなの?」

「何故そこまドライになり切れるのですか、あなたは?」

嘆息しながらタブレットを受け取った賢人は、スクロールしながらじっくりとその記事を読んだ後、加納を向いて頷いた。

「ジャン・メッツァンジェの「自転車乗り」としていた所蔵作品がヴォルフガング・ベルトラッキの作成した贋作と判明、ですか。またですか?」

また?と言いながら七海は二人の顔を見比べた。

「なんですか、また、って?」

ヴォルフガング・ベルトラッキというのは、と加納が七海を向いた。

「絵画の世界ではそれなりの有名人なのだよ。有名な画家の作品を模倣し数々の絵を作成して荒稼ぎをした贋作画家だからな」

ほよ?と言いながら何度も瞬きした七海は再び二人の顔を見比べた。

「なんで捕まらないんですか?そんな奴が?」

捕まってますよ、と賢人が苦笑する。

「既に数年の懲役判決を受け、日本円で数十億円の賠償命令も受けています。しかし世界中にばらまかれた300点以上という贋作の全てが回収されているというわけでないのですよ」

贋作って、と七海が持っていたままだったことに気付いたカバンを机の上に置き椅子を引いて座った。

「贋作ってそんな簡単にできるものなんですか?」

簡単ではないが、と加納が首を振った。

「彼の場合はかなり巧妙だったのだよ。まずは近代画と言っても、既に亡くなった画家の絵ばかりを模倣した」

ほう。

「それと、とにかく模倣する対象の絵を徹底的に研究したのだ。模倣された画家の絵が描かれた場所を実際に訪れたり美術館に回ったり、画家の描いた手紙や日記、彼らの絵に関する学術的な研究まで行った」

ふむ。

「ほとんどが彼の想像の産物であったが、描かれたことはわかっているがその所在もわからず写真も残っていないような絵のタイトルをつけたり、またわざわざ1920年頃のカメラを使って贋作の絵の写真を撮り、昔から存在したかのように偽装したり、フリーマーケットを回って古い額縁を買って回ったり」

また、と加納は続けた。

「絵の来歴についても、その絵画のコレクションは彼の妻が祖父から相続したもので、彼女の祖父はヒトラーの時代にドイツから逃れたユダヤ人の画商からそれらを買い取ったいうストーリーをちゃっかりと用意していた」

なるほど、と七海が感心したように頷いた。

「かなり緻密に作戦を立ててやったみたいですね。そうなると今度は逆になんでばれたのかの方が気になってきますね」

これが、と珍しく加納が苦笑したようだった。

「これが単純でな。彼は贋作を作る時に亜鉛入りの絵具を使っていたのだが、それを切らしたためにオランダのメーカーが造っていた亜鉛入りの絵具を購入した。しかしそのメーカーはその絵の具にチタンが含まれていることを公表していなかったのだよ」

はい?

「その絵は約4億円でオークションで落札されたのだが、その後ある矛盾が指摘され、その絵が分析にかけられ絵具からチタンが見つかった」

はあ?

「その絵は1914年作とされていたのだが、実はチタン入りの絵具が発売されたのは1920年代に入ってからだったのだよ。これで贋作だとばれ、あとはそこからたどって、というわけだ」

さすがに細かいところまでよく覚えておられますね、と賢人が感心したようにつぶやいた。

ほうほう、と頷いた後、んで、と七海が賢人と加納の顔を見比べた。

「この手の話って、結構ありそうな気がしますけど」

まあな、と加納が頷いた。

「幼稚な嘘ですぐばれたため世間に知られていないようなものがほとんどだろうが、絵の贋作で一山当ててやろう系の話は沢山あるだろうな」

「他に贋作の面白い話ってないですかねえ?」

そうですねえ、と賢人も面白そうにあごに手をやった。

「そういえば、世紀の贋作事件と言われフェルメールの絵を11点も贋作したハン・ファン・メーヘレンという人物がいますよ。部長はご存じですか?」

知らいでか、と加納が薄く笑い、七海は、ほう、と身を乗り出した。

「羊のヘレンさんですか、面白そうですね」

「何ですか、その絵本の題名みたいなの?」

「メェヘレン、で羊のヘレンさん」

「小学生ですか、あなたは」

「ありがとう」

「褒めてませんよ」

それで、と鋼鉄面皮を誇るちっさいのが続けた。

「いつ頃の人かは知りませんが、フェルメールの贋作となるとオークションでの価格もひとケタ変わってきますな」

「何故いきなり獲物を狙うハゲタカの目つきに?」

それで、と言いながら七海は手をすり合わせて賢人を向いた。

「その人はどんな人で?」

はい、と賢人は頷いた。

「そもそもの発端は、ナチスの高官であったヘルマン・ゲーリングがフェルメール作品とされた『キリストと悔恨の女(姦通の女)』(https://vermeerpaint.com/wp-content/uploads/2023/02/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%A8%E6%82%94%E6%81%A8%E3%81%AE%E5%A5%B3%EF%BC%88%E5%A7%A6%E9%80%9A%E3%81%AE%E5%A5%B3%EF%BC%89-1-1360x765.jpg)を所有していることが発見されたことでした。オランダの国宝とも言っていいフェルメールの作品をナチスの幹部が所有していたことで流通経路が調査され、そこで浮かび上がったのがメーヘレンだったのです。戦後のオランダではナチスへの協力は国家反逆罪とされていました。そのナチスに国宝級の絵を売ったとして裁判にかけられたメーヘレンに、ナチスの侵攻による戦争の傷の癒えていないオランダ国民の非難が集中します。ところがそんな中突然メーヘレンが、あれは自分がフェルメールの絵を真似て描いた贋作だと告白したのです。そんな突拍子もない告白を裁判官が信じようはずもなかったのですが、メーヘレンは裁判の場で自分で顔料から材料を作りフェルメールの画風そっくりの『寺院で教えを授ける幼いキリスト』(https://vermeerpaint.com/wp-content/uploads/2021/08/%E5%AF%BA%E9%99%A2%E3%81%A7%E6%95%99%E3%81%88%E3%82%92%E6%8E%88%E3%81%91%E3%82%8B%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88-1360x765.jpg)という絵を描き上げたのです。これにより彼は一転「ナチスを騙した英雄」扱いされ、裁判でも単なる詐欺罪という軽い刑になりました。しかしこれにより、それまでフェルメール作とされていた絵のうち10点が彼の描いた作品だということが白日の下になったのです」

じゃあ、と七海は瞬きした。

「もし、彼が裁判の場で沈黙を守っていたら?」

「死刑にはならなかったでしょうが、重罪には処せられたでしょう。その代償として、彼の描いた10枚の絵がフェルメールの絵として未来永劫賞賛を浴びたことでしょうね」

うむむ、とわざとらしく言いながら七海は腕を組んだ。

「ヘレンさんも随分葛藤したことでしょうね」

「でしょうねえ」

それで、と七海は頷いた。

「ヘレンさんは最初っからナチスを騙して絵を売りつけるつもりでその絵を描いたんですか?」

さにあらず、だ、と加納が首を振った。

「メーヘレンは最初は画家として自ら名声を掴もうと努力していた。しかし彼の絵は評価されなかった」

「まあ、あるあるですね。そんな人がほとんどですから」

「そして彼は自分を認めなかったオランダ美術界への復讐として」

「なんなんです、その沙織さん的発想?」

「フランス・ハルスという主に肖像画を描いていた画家の贋作を作成し、まんまと売り飛ばした」

「単に金が欲しかっただけじゃないんですか、それ?」

「しかしそれがアーブラハム・プレディウスというオランダ美術史界の大御所に見抜かれ、一度は贋作から足を洗ったのだ。しかしそれによって逆にプレディウスの鑑識眼にもう一度挑戦したいという欲望がふつふつと湧いてきたメーヘレンは再び贋作を作成しようと、フェルメールに目をつけたのだ」

はて、と七海は首を傾げた。

「なんでフェルメールだったんですかね?」

さあてな、と加納は首を振った。

「まずは、メーヘレンが同国人の偉大な画家であったフェルメールを尊敬したことがあげられるだろうな。また、有名な画家の作品ほど注目を受けるだろうから、それが真作だと鑑定させた時の勝利感も高い」

うむ、なるほど。

「あとは自分が真似しやすい画風だと思ったことはあるのだろうが、それに加えて、フェルメールには贋作をしやすい素地があった」

はい?と七海は眉をしかめた。

「なんですか、贋作をしやすい素地って?」

うむ、と加納は腕を組んだ。

「フェルメールは初期は宗教画も描いていたのだが、知られている彼の37作品のうち」

「え、フェルメールってたった37作品しか描いていないんですか?」

だれもがピカソみたいに何百枚も絵を描いているわけじゃありませんよ、と賢人が苦笑する。

まあそうだな、と頷いた後加納が続けた。

「37作品の内、宗教画は『マルタとマリアの家のキリスト』(https://omochi-art.com/wp/wp-content/uploads/2021/04/43b7b3fd9c1ef81929ed9ca3bc295931.jpg)しかなかった。そのためフェルメールの研究者達はもっとフェルメールが描いた宗教画があるはずだ、と探していたのだ」

おおっ、と七海が手を打った。

「なるほど。あると思う、あるはずだ、あって欲しい、と。そこにフェルメールの描いたっぽい宗教画が現れれば、ほらあった!と信じたい気持ちも手伝って、というわけですね?」

まあだいたいそんな感じだな、と加納が再び頷いたが、そこで賢人が首を傾げた。

「しかし、メーヘレンが一番最初に描いたフェルメールの贋作は宗教画ではなかったのでは?」

「そこのところは詳しくは知らんな。描いた順に世に出したとも限らんしな。ただ、最初に描いた一枚が真作と認められれば後は簡単だった。それと同様の条件を備えた絵を描けば真作と認められるわけだからな」

ナルホド。

それで、と七海はわずかに舌なめずりした。

「羊さんは贋作でさぞかし儲けたことでしょうな?」

まあな、と加納は頷いた。

「裁判では、メーヘレンが誰からその絵を手に入れたかが注目された。その絵を元の持ち主に返すためにな。しかしメーヘレンは口を濁すばかりで言わない。そんな中で注目されたのが彼の金回りの良さで、彼がナチスとつるんで金儲けをしているのではないか、ということでやり玉にあがったらしい」

「フェルメールの絵なら、1枚売れれば一生遊んで暮らせるほどの金が手に入ったでしょうからね」

メーヘレンは、と加納が続けた。

「同国の偉大な画家であったフェルメールを尊敬していたが、一方で同時代の新進気鋭の画家、例えばピカソなどは軽蔑していたらしい。一度戯れにピカソの絵を模した絵を描いて、有名なコレクターからその絵が欲しいと言われた時、こんなくだらん画家の贋作は作らん、とその絵を叩き壊したそうだ。彼にとっては、フェルメールのようなオールドマスターの絵こそが敬すべき絵であり、自らもそんな絵を描きたかったのだろうな」

「けど、それって完全に時代の流れを読み違ってますよね。だから技術はあっても絵が売れなかったんでしょうね、羊さん」

うむ、と加納は今日何度目か腕を組んだ。

「つまりは、結局そういうことだったのだろうな。その時代は、過去の絵を否定ないまでも“次”を模索し続けていたのだ。前世紀の中頃からその動きは始まり、非難を受けながらも斬新な絵を発表し続けたマネ、日常の風景を芸術に高め庶民を描き続けたクールベ、展覧会が“ムンク事件”とまで言われて非難されたても描き続けたムンク、そしてモネをはじめとする印象派の画家達。既存の価値観を脱却して新しいものを模索し続けた多くの画家達の中で真に偉大な物だけが残った。いや、偉大であっても、偉大であるがゆえに否定されて埋もれた者も多くいるだろう。そんな中で、単に技術の高さだけを誇り、生みの苦しみを乗り越え新たな価値観を提供できなかったメーヘレンは、これはあくまでも私の私見ではあるが、フェルメールの上前を狙ったただのコソ泥としか思えんな」

そう言えば、と七海は加納の顔を覗き込んだ。

「その後、羊さんはどうなったんですか?」

うむ、と加納は顔をしかめた。

「一躍ナチスを欺いた英雄としてもてはやされたメーヘレンはその後個展なども開かれたが、既に贋作により莫大な金を手に入れていた彼の情熱は冷め、ろくに新たな作品を生み出すこともなく世を去ったそうな」

「微塵も尊敬できる要素がありませんね、羊さん」

「要は、贋作作家とは、結局そこまでの人間だったということだな」


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