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カンショー!  作者: 安城要
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発見せり!

おえといあ~す、と七海が美術準備室ぶしつの扉をくぐったとたん、先に来ていた賢人がうれしそうにふりかえった。

「やあ、こんにちわ。実は面白い話があって待っていたんですよ」

面白い話と言うと、と机にカバンを置きながら七海が顔をしかめた。

「イモ倉にモミ殻を入れていたつもりが、実はモミを入れていたことに翌春気付いたとか?」

「日本人の0.01%もどういう状況か思い浮かばないようなボケを言わないでください」

それを理解している賢人さんもどうかとは思うぞ?

実は、と賢人が続けた。

「昨日、面白いニュースをやっていました。なんとレディ・ジェーン・グレイの肖像画が見つかったらしいのです」

机に置いたカバンの持ち手に手をかけたまま、レディ・ジェーン・グレイ?と七海が瞬きした。

「はて?どこかで聞いたような?」

「え、まさかもう忘れちゃったんですか?」

絵を見れば思い出すかもですが、と頷いた七海に賢人が嘆息した。

「ちょっとずつでもいいから少しは覚えましょうよ。なんなんですか、そのプラナリア並みの学習力」

七海はジト目の無表情になると賢人をじっと見つめた。

「賢人さん、あなたという人間は人の悪口はポンポン出てくるのですね?」

「それだけはあなたに言われたくありません」

もう一度ため息をついた後、賢人は七海を見た。

「ほら、以前に絵を見たでしょ?先王が亡くなったのを機に王位に担がれようとして失敗した」

おおっ、と手を打って頷いた七海は机の上のタブレットに手を伸ばした。

そしてすぐに検索しその画面を賢人に向ける。

「これですか?」

「それはソフィアさん(イリヤ・レーピン『皇女ソフィア』(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f6/Sophia_Alekseyevna%2C_by_Ilya_Repin.jpg))でしょうが。って、検索したってことは名前わかってたんでしょ?」

実はわかっておりました、と机に両手をついて七海は深々と頭を下げた。

「けどこの人も似たような状況でしたよね?」

「まあそうですが」

んで、と言いながら七海は賢人にタブレットを渡した。

「それはどんな記事だったんですか?そういや、そもそもからして、グレさんの絵は既にドラさんが描いていたんじゃなかったでしたっけ?」

はい、と賢人は頷いた。

「ただ、ジェーンは16世紀の人ですがポール・ドラローシュの『レディ・ジェーン・グレイの処刑』(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/cb/PAUL_DELAROCHE_-_Ejecuci%C3%B3n_de_Lady_Jane_Grey_%28National_Gallery_de_Londres%2C_1834%29.jpg)はジェーンの死後300年近く経ってから資料を元にして描かれた絵であって、彼女の本来の姿を正確に描いているとは言えないのです。そのため、研究者達は一生懸命実際に彼女を見ながら描かれた彼女の肖像画を探していたらしいのですが、今回個人のコレクションの絵がどうやら彼女の肖像画らしいと推測されたらしいのです。今回見つかったのは、彼女が生きていた頃に描かれた唯一の肖像画らしいとのことです」

ほうほう、と七海は頷いた。

「じゃあ、それを見せてください」

さんざん人をおちょくった後にしては催促がましいですね、と今日何度目かのため息をついた後、賢人はタブレットを操作し、その画面を七海に向けた。

その絵(https://media.artnewsjapan.com/wp-content/uploads/2025/03/10091806/GlbCnH-W4AA_9UI.jpg.webp)をじっと見つめた後、七海は賢人を向いた。

「私は賢人さんのように人の悪口は言いたくないのですが、失礼を承知で言わせてもらえば」

「それが既に悪口なんですってば」

この絵は、と賢人からタブレットを受け取った七海はその画面を見つめた。

「この絵は、モディリアーニが一生懸命上手に絵を描こうとしたらこんな感じになるのでは、という絵に見えます」

「共通項は目に表情がないところだけだと思いますけど?」

んで、と、遅れてやってきた早希が軽く手を挙げたのに返しながら七海は続けた。

「なんで、その絵がグレさんのだとわかったんですかね。そもそも、どっから湧いて出たんですか、その絵?」

「なんでも、個人コレクションをイギリスの文化財保護機関、イングリッシュ・ヘリテージに貸し出す際、その肖像画がレディ・ジェーン・グレイのものであるという可能性が出てきて調査したとのことです」

何?なんの話?と詳細を求めてきた早希にざっとこここまでの経緯を説明している最中に夏樹も現れ、少し戻ったところからもう一度説明する。

ふむ、と早希があごに手をやって考え込んだ。

「そういうの、たまにあるよな。前にもレオナルドくんの絵が見つかったってニュースでやってたもんな」

「え、そんなことあったっけ?」

結構前になりますから覚えてなくてもしょうがないですよね、と賢人が頷いた。

「ぼくもリアルタイムではなく、あとでネットの記事を読んで知ったのですが、2016年に医師を引退した男性が、父のコレクションであった額にも入っていないような絵を十数点、パリの小規模なオークションハウスに持ち込んだのがきっかけだったそうです。そのオークションハウスのオールドマスターの専門家がそのうち一枚のセンスがずば抜けていることに疑問を抱いて、別の専門家にセカンドオピニオンを求めたのです」

「オールドマスターって何ですか?」

「18世紀以前に活躍したヨーロッパの画家やその作品を指す美術用語です。そして、相談を受けたその専門家は、最初はミケランジェロの絵ではないかと考えたそうですが、絵が初期のレオナルドのテクニックを感じさせたこと、そしてその絵が右から左に向かって描かれていることに気付き、絵の背面からもその証拠が見つかったそうです。レオナルドが左利きで右から左に向かって絵を描いていたことを知っていた彼らは驚きに顔を見合わせて「まさかね」と、更なる確証を得るため、メトロポリタン美術館の専門職員でレオナルドに関する研究で論文も発表している人物にサードオピニオンを求め、その専門家もレオナルドの作品で間違いないだろうと結論付けました」

んじゃあ、と七海が小さく舌なめずりした。

「その絵はオークションで馬鹿高く売れたことでしょうな。そのヤブ医者ウハウハですな?」

なぜヤブ医者と決めつけるのですか?と言った後、賢人は、いえ、と首を振った。

「そのオークションハウスはその絵の価値を当時のレートで18億円程度と鑑定したそうですが、結局オークションにはかけられず、一度ルーブル美術館に引き渡され、そこで正当な価値の評価などがされているというところでその記事は終わっていました。海外流出を防ぐために国宝に指定される可能性も示唆されていましたよ」

ほうほう、と頷いた七海は、それで、と言った。

「実際のところ、その絵には何が描かれていたんですか?」

「描かれていたのは、聖セバスティアヌスのスケッチ(https://img.huffingtonpost.com/asset/584ec1b71800002d00e4225c.jpeg?cache=031ZEvCrlm&ops=scalefit_720_noupscale&format=webp)です。聖セバティアヌスが後ろ手に縛られている姿ですね」

ほや?と言いながら早希が瞬きして賢人を見た。

「スケッチですか?」

「はい。実はレオナルドのノートに、作成途中の作品の準備のため聖セバスティアヌスのスケッチを8枚描いたと記されており、そのうち1枚は既に見つかっており、今回が2枚目ということになるそうです」

そう言えば、とそこで夏樹が何かを思い出すかのように唇に人差指を当てながら目だけで天井を見上げた。

「その前にも、確かレオナルドの絵が見つかってなかったかしら?」

ああ、と賢人は頷いた。

「それは『サルバトール・ムンディ』のことだろ?」

なんですかそれ、と聞いた早希に賢人は頷いた。

「レオナルドが描いたキリストの絵です。最初この絵は1958年に複製画としてオークションに出品され日本円で15万円ほどで落札されたそうです。ところが2005年にこの絵を買収した美術商が絵を修復したところこれがレオナルドの絵と判明、オークションにかけられロシアの富豪が約1億2700万ドルで買収」

円じゃなくドルでその価格のところがすごい。

「2017年に再びオークションにかけられた時には約4億5000万ドルで落札され、それまでの絵の最高落札価格(約1億8000万ドル)をダブルスコアで抜き去ったそうです」

恐ろしい話だ。

なんで、と七海はおずおずと口を開いた。

「なんでレオナルドくんの絵ってそんなに高値がつくんですかね。ちょっと異常ですよね?」

そうですね、と賢人は逆らわず頷いた。

「それはやはり、彼の絵があまり残っていないことがあるでしょうね。実は有名な画家にも関わらず、彼の絵は15点あまりしか見つかっておらず、非常に希少価値が高いのです」

「え、15点ですか?」

「そうなんですよ。その上、レオナルド本人の描いた絵は失われたものも含めて20点程度しかないとされています。意外でしょ?」

「そのうち8枚がセバスチャンのスケッチ?」

「いえ、多分それは数に入っていないと思います。完成品だけでだと思いますよ」

「完成品て、モナ・リザだって完成品じゃないじゃないですか。あ、20点て完成したのはそれだけで他は全部描きかけっていう、そういう意味で?」

そういうことではありません、と賢人が顔をしかめた。

そこで、サルバトール・ムンディって、不思議そうに言いながら早希が七海を見た。

「どういう意味だ?」

うむ、と腕を組んだ七海は重々しく頷き返した。

「猿ば取るムンディ、つまり猿を捕まえているムンディ氏っていう意味だろ?」

「なんか、密林で立派な髭のおっさんが網で猿を捕まえている風景を描いたアンリちゃんの絵を想像しちゃったよ」

救世主っていう意味ですよ、と賢人が嘆息した。

早希からタブレットを受け取った賢人がすぐ検索をしてその画面(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/5c/Leonardo_da_Vinci%2C_Salvator_Mundi%2C_c.1500%2C_oil_on_walnut%2C_45.4_%C3%97_65.6_cm.jpg)をぐるりと三人に向ける。

「これです」

おお、と七海と早希は頷いた。

「この右手の指を重ねているのは、うっかり蛇を指差した時に指が腐らないようにするおまじないですかね?」

「え?犬の糞を踏んだ奴をバリア張ってエンガチョする時の奴じゃないのか?」

どっちも違いますと、と賢人が嘆息し、背後を向いた夏樹が笑いをこらえる。

じっとその絵を見つめた後、ところで、と七海が賢人を見た。

「この絵、何が決め手になってレオナルドくんの絵ってわかったんですかね?」

そうですね、と賢人があごに手をやった。

「この絵については詳しくは知らないですが、さっきのセバティアヌスの絵で言うならば、実はあの絵をレオナルドの絵と断定したオークションハウスは、調査の結果を詳細には公開していないのです」

は?と言いながら七海は瞬きして賢人を見た。

「なんなんですか、それ?それじゃあ、本物かどうかわからないじゃないですか?」

まあ、我々からすればそうなんですけどね、と賢人が苦笑する。

「高価な絵画の取引という世界はごく一部のエリート層によって構成されている世界ですからね。「説明したところでお前らに理解できるのかよ、お前らが知らない高度な専門知識を持っている我々がそうだと言ってるんだからそうなんだよ」とか、そういった感じですかね」

むっと七海が顔をしかめた。

「なんか、感じ悪いっすね」

「確かにそうですね。あの絵を本物と判定したポイントも極めて主観的なものだとうかがわせる言葉も使われていたみたいで、私はプロフェッショナルなんだよ、という自負心が伺えました。ただ、あの絵をレオナルドの絵とすることに懐疑的な研究者もおりますし、プロとプロのプライドのぶつかり合いの中で多少は傲慢とも取れる表現が出てくるのは仕方がないのかもしれませんね」

でも、と言いながら賢人は手に持っていたままだったタブレットを置いた。

「一応、絵画の真贋の判定については、絵の出どころの調査、絵の鑑定、化学的な分析、の三つのステップを踏むのが基本とされています」

ほう。

「今回の絵で言うならば、そのオークションハウスはその絵がどのような遍歴を重ねて来たかは公開していませんが、所有者から聞き取るなど、捏造されたものでないことなどが確信できるようなある程度の感触は掴んだのではないでしょうか。その絵がどのような変遷を経て今ここにあるのかのバックグラウンドがより明確であるほど、本物である可能性が高くなるわけですね」

ナルホド。

「それと鑑定では、使っている筆やペン、インクなどが鑑定されたのでしょうね。特にこのようなスケッチではインク溜まりも重要な手掛かりになるようですね。もし複製画だったとしたら、インク溜りまで気を使って描くことはないでしょうからね」

ふむ。

「あと、科学分析ですが、これについては作者が誰かを特定することはできません。ただ、調査や鑑定の結果に疑問がある場合や、所有者の証言に疑わしい点がある場合などに追加で行われるようで、ここまでやるのは実は稀のようですね。使っている材料などを科学分析することにより、実際の絵画のおおよその作成年等が確認できるみたいですね」

そんでもって、と七海が頷いた。

「それらを経て、15万円で買った絵が670億円に化ける訳ですな?」

「下衆い言い方をすればそういうことになりますね」

さっきも言ったように、と賢人はタブレットを手に取った。

「レオナルドのセバティアヌスのスケッチのように作成された記録は残っているのにまだ見つかっていない絵や、歴史上のある時点では存在が確認されているのに、その後行方がわからなくなっている絵というのは少なくない数存在します。こういうのって、高価な物、例えば宝石の世界でも結構あるんですよ」

「あ、そうなんですか?」

「はい。ただ、例えばダイヤモンドなどの宝石の場合は、リカットされて形が変えられたり、売りやすいように大きな宝石を小さく複数に分けられたりして本来の姿を失って世に出回っている可能性もありますが、絵画の場合はそうはいきませんからね」

「なるほど」

もしかして、と賢人は面白そうに言った。

「サキちゃんが古道具屋で見つけた絵が何億円にも化けるケースがあるかもしれませんよ」

わかりました、と七海は頷いた。

「今度の土曜日に早速行ってみることにします」

「何故、こういう時だけ素直なんですかね、あなたは」


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