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カンショー!  作者: 安城要
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更新

美術準備室に入ったとたん息を飲んだ七海は、スクリーンを凝視したまま立ち尽くした。

その手からカバンが滑り落ち音を立てるのも気にならぬように、その目は凝然と見開かれ、ただただスクリーンを見つめた。

こ、と言いかけて口を閉じ、ゆっくりと舌で唇を湿してから、七海は賢人を振り返った。

「こ、こんどこそ」

その怯えたような口調が続ける。

「今度こそ、中学生が描いた先生の絵、ということで間違いございませんね?」

残念ながら、と瞑目した賢人はやや俯き加減に諦念的に首を振った。

「これは、アメデオ・モディリアニの『モイズ・キスリングの肖像』(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/bc/Amedeo_Modigliani_032.jpg)です」



「更新でございます」

は?

椅子に座って俯き、ポタポタと涙を流す七海を覗き込みながら賢人が聞いた。

「何が更新なんですか?」

スクリーンを振り返った七海は、涙目でそこに並んで映し出されたモディリアニの絵を見つめた。

「アンリちゃんの人物画以上のものはないと思っていましたが・・・本日、下手糞な画家の最悪な奴の更新を迎えました」

ため息をついた賢人は首を振った。

「ただ写実的に描かれている、というのではない、新しい表現が認められて人気となった画家なのですよ、モディリアーニは。まあ、この手の画家の例に漏れず、評価されたのは晩年から死後ですが」

七海は『ディエゴ・リベラの肖像』と題名のついた一枚を指差しながら、確かにっ!と叫びながら勢いよく賢人を振り返った。

「確かに!確かに、この毘沙門天が休日に鎧を脱いでガールズバー行ってニヤニヤしている絵は確かに斬新だよ!(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/42/Amedeo_modigliani_-_retrato_de_diego_rivera_02.jpg)」

「そういう絵ではありませんが」

けど、けど・・と俯いた七海は再び涙を滴らせた。

これは・・・これはあまりにも酷い・・・

こいつが、と七海は呟くように言った。

「こいつが売れた分、本来評価されるべきすばらしい画家が、どれだけ人知れず消えていったことか」

いや!と七海は叫びながら首を振った。

「どれだけの将来有る若者が、ああ、おれの絵はあんな奴の絵にも劣るのか、と自ら命を絶ったことか!」

「そのような事実は確認されておりません。想像を大声で叫ばないでください」

けど見てくださいよっ!と七海は再び叫びながらスクリーンの中の、『モー・アブランテス』(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/5b/Modigliani%2C_Amedeo_-_Maude_Abrantes.jpg)という一枚を指差した。

「これっ、この絵っ!これなんて、若者グループが忍び込んだ廃墟の屋敷の壁に飾って有れば、ああ、これはゴースト系じゃなくゾンビ系のホラー映画だな、って暗示するのに使える程度じゃないですか!他に使い道無いでしょ?観賞用には絶対ならないんだから!」

ちなみに、とその指が返す手で『マダム・キスリングの肖像』(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/16/Amedeo_Modigliani_-_Madame_Kisling_%28ca.1917%29.jpg)を指差した。

「こっちならゴースト系です」

「一度下手へたと認定した画家の絵に対しては容赦有りませんね、サキちゃんは」

今なら!と七海は叫んだ。

「今なら!今暫いましばらくの間なら!アンリちゃんのムッシュ・ピエールの絵(『ピエール・ロティの肖像』(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a5/Henri_Rousseau_-_Portrait_de_Monsieur_X.jpg))が素晴らしいと思えるわ!今目の前に持ってきてくれれば絶賛してやるわ!」

そこまで二人のやり取りを眺めていた早希が、ニヤリとあごに手をやった。

「下手だ、糞だ、と言いながら多用するな、ムッシュ。加藤・・Kくんよりああいうおっさんが好みか?」

「ああ、そうだよっ!悪いかよ!変態的嗜好の持ち主でないかもしれないその一点のみの可能性がある分Kくんよりマシだよ!」

まあまあ、そう興奮しないで、と賢人が苦笑した。

「サキちゃん個人の感想は確かに伺いました。しかしモディリアニが類稀たぐいまれなる画家として評価されている事実は動きませんから。特に最晩年、若くして病み、転地療養も兼ねて住んだフランスのニースでの妻や近隣の農夫などの普通の人々を描いた絵は傑作として高い評価を得ているのです」

妻?と七海は睨むように賢人を振り返った。

「妻?こんな絵を描いているような奴が結婚できたんですか?」

あなたはモディリアニに何か恨みでも?と言った後、はい、と賢人はタブレットを操作しながらスクリーンを振り返った。

「ただし、内縁の、ではありますが。ちなみに、これがモディリアニの妻、ジャンヌ・エビュテルヌ(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/48/Jeanne_Hebuterne-2.jpg)です」

スクリーンに映し出された写真をじっと見つめた後、七海は、チクショーーー!と叫びながら両手を机に叩きつけて再びポロポロと涙を流した。

「美人じゃねえかっ、チクショーーーー!。あれか?これってあれか?全然売れない全く面白くもない芸人が何故か美人の女優とかと不可解な結婚をするみたいな奴か?」

悪口だけは流れるように出るのですね、あなたの口は、と賢人が嘆息しながら再びタブレットを操作した。

「そしてこれがモディリアニが描いた妻の絵、『赤毛の若い娘(ジャンヌ・エビュテルヌの肖像)(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/cf/Portr%C3%A4t_der_Jeanne_H%C3%A9buterne%2C_Amedeo_Modigliani.jpg)』です」

全然違うじゃねーか!と七海は再びバンバン机を叩いた。

「さっきの写真とこの絵の人物にチクリとでも共通点あるかよ!「さあ!この絵のモデルは誰でしょう?」ってクイズ大会で写真並べられても誰も回答できんわ!」

はい、と七海の背後で早希も手を挙げた。

「これはサキちゃんに一票だわ。どっちかって言うと、観光地とかでその場で似顔絵描いてくれる画家が中島み〇きを描き損なったぽい絵だぞ、これ?」

そうですか?と賢人は顔をしかめながらじっとその絵を見つめた後首を振った。

「彼の生きた時代は絵画も多様性を求められ、単に写実的、だけではもうだめだったのですよ。今見ている私達は既に創作済みの絵を当たり前のように見ているから、ふーん、な絵でも、そこに至る生みの苦しみは大変なものだったと思います。サキちゃんの言い方ではないですが、それこそ数多の画家志望者が志半ばで消えて行ったことでしょうね」

「こいつも消えればよかったのに」

またそんな原稿用紙一行に収まる酷い悪態を、賢人が嘆息する。

見ていただきたい、と言いながら七海は自らのカバンの中から教材のタブレットパソコンを取り出して何かを検索し、部のタブレットにモディリアニの『髪をほどいた横たわる裸婦』(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/11/AmedeoModigliani-1917-Reclining_Nude_with_Hair_Taken_Down.png)を拡大し、賢人に向けて並べる。

「ほら、このカバネルカバさんの『ヴィーナスの誕生』(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f6/1863_Alexandre_Cabanel_-_The_Birth_of_Venus.jpg)とこの絵と、どちらか一方を無料でいただけるとしたら、あなたはどちらをもらいますか?」

そりゃあ、と少し言い淀んだ後、賢人は頷いた。

「カバネルの方でしょうね」

だしょ?と言いながら七海は胸を反らして賢人を指差した。

「だしょ?だしょ?」

勝ち誇らないでください、と賢人がため息をつく。

こんなもんっ、と再び七海が叫んだ。

カバネルカバさんやブグローブグさんのヴィーナスの絵を堪能した後、この絵が隣に並んでたらもうテロだわ、テロルだわ!視覚テロだわ!だれか私の記憶を消してくれ~!って思うわ」

そこわ思わないで違うタイプの絵も堪能しましょうよ、絵画鑑賞部員なんだし、と賢人が顔をしかめる。

しかし、と二人のやりとりを面白そうに見ていた早希が並んだタブレットを見下ろした。

「しかし、誰が最初にモディリアニの絵を、すげえ、とか言い出したんですかね」

さあねえ、と賢人が首を振りかけた時、それだ!と七海が叫んだ。

官展サロンとか出しても、当落だろ、こんなもん!どこの糞がそんなこと言い出したんだよ!」

糞って、と賢人が顔をしかめる間もなく、あれか!と七海が再び叫んだ。

カバネルカバさんやブグローブグさんが審査員して4000人とか落ちた官展サロンで落選展とかやったあれに出したのか!」

いや、あれはちょっと時代が違います、と賢人が言いかけるのにかぶせるように七海は更に叫んだ。

「そりゃ落ちるわ、当然だわ!審査員やらされたカバネルカバさんが可哀そうだわ!さあ、おれを超えるようなどんな素晴らしい才能が育ってるかな、とわくわくしながら審査に臨んでこんな絵を見せられたら、一瞬自失呆然となって立ち尽くした後、ふんっっ!って全力で有罪ギルティはん押すわっ!大量に落とされた納得いかない落選展やるわ、とか逆切れもはなはだしいわっ!」

だからあれは時代が違うんですってば、と賢人が嘆息する。

しかし、と絶叫する七海を面白そうに眺めるだけで今日は積極的にからまない早希が並んだタブレットと賢人の顔を見比べた。

「19世紀の後半から、どうしてこうも絵が多様化していったんですかねえ。そりゃあ、王権が衰退していったとか、世界情勢の影響はあるんでしょうが」

はい、と賢人は頷いた。

「やはりそれは、時代のせいだと思いますね」

はい、と七海が顔をしかめたまま手を挙げた。

「時代のせいにすればどんな悪逆非道な行いも許されると?」

今日の話の中で、だれかそんなことした人いましたか、と賢人が半眼になる。

「チイちゃんんの言った社会情勢というのもありましょうが、やはり大きかったのはチューブ入り絵具が発明されて、絵を描くことへのハードルが下がったのが原因でしょうね」

チューブ入り絵具?と七海が頓狂な声を上げ、賢人が、はい、と頷く。

「それまでは、画家はアトリエで顔料を砕いて混ぜ合わせ一つ一つの色を自分で作っていたのです。これがそれなりに大変な作業だったわけです。もちろん戸外で絵を描くなど、多くの弟子を抱えた画家でもなかなか困難なことだったのです」

例えば、と賢人がタブレットを操作した。

「ほら、このフェルメールの『青いターバンの少女』(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/66/Johannes_Vermeer_%281632-1675%29_-_The_Girl_With_The_Pearl_Earring_%281665%29.jpg)、このターバンの特徴的な青で描くのは、実はなかなか難しかったのですよ」

ほう、と早希がスクリーンと賢人の顔を見比べた。

「どうしてですか?」

はい、と賢人は早希に向かって頷きかけた。

「この青はウルトラマリンという色で、主成分がラピスラズリという鉱石から作られていてとても高価だったのです。フェルメールがこの青を愛用したため、フェルメール・ブルーとも呼ばれています。当時の画家は絵を描くだけでなく、自分で絵に使う絵具から作るという作業が必要だったのです。そのために、絵具を作るための様々な顔料を常備し、これも粉になったものが買えればまだしも自ら砕いて顔料を作っていた時代もありますし、アトリエにはそれを練り合わせて絵具を作るスペースも必要で、なおかつ絵具が固まってしまう前に絵を描くということまで必要だったのですね。19世紀の中頃のチューブ入り絵具の発明により、そういうわずらわしさから解放されて、絵画の世界に入るハードルはぐっと下がったのは確かでしょうね」

「ギターペ〇ントですか」

は?

「つまり寺〇化学工業がやらかしたせいで、こういう有象無象がのさばってきたわけですな?」

「何を言っているのかわかりませんが多分違いますよ、それ」

嘆息した後、賢人はタブレットを手に取って画面をモディリアニの絵が並んだ画面に戻した。

「嫌なら嫌で結構ですが、絵画鑑賞部員たるものモディリアニの名前と絵の特徴くらいは覚えておきたいものです」

わかりました、と七海は重々しく頷いた。

「デッサンの狂った肖像画✕やたら裸婦像、のハイブリッド画家として記憶の片隅に留めておきましょう」

美術準備室に賢人のため息が響き渡った。



数日後。

クリムトの画集から顔を上げ、ふと大机の向こうで早希と何かを話し込んでいる七海を見た賢人は、サキちゃんと呼びかけた後、タブレットに手を伸ばして操作し、その画面を七海に向ける。

そして、何事かと顔を上げてこちらを見た二人ににっこりと笑いかける。

「先日見たこの絵、描いた画家は誰でしたっけ?」

はい、と七海は確信を持って頷いた。

「ハイブリッド画家ですな」

「なんかそれだとすんごい画家みたいだぞ?」












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