(番外編)resurge2(山田さんと田中さん)
賑やかだな・・・
隣の席で笑い合い盛んに乾杯を繰り返す三十歳前後のサラリーマンらしい二人組を盗み見ながら、若いってのはそれだけでいいな、と神田屋名古屋笹島店の一隅で田中は舐めるように冷や酒の盃を干した。
それに比べて、と目を瞑る。
おれの人生はなんだったのだろう。
仕事しごとで駆け抜けた人生だった。
仕事が好きだったわけではなかった。むしろ嫌いだった。だからこそ、人より熱心にしなければ人並みの仕事すらできなかった。
定年を迎え、これからやっと自分の好きなことに時間が使える、と思った時、仕事がしたくないだけの、やりたいことなど何一つ無い自分に気づいた。
一年後妻が離婚を切り出した。
仕事ばかりで家庭を顧みず、定年後は無為に時間を過ごす田中に、妻は見切りをつけたのだ。
これからは自分の時間を生きたい、と妻は言った。
おれだってそうだ、と思った。
子供達も妻の味方だった。自分は外で仕事をしながら母を家庭に縛り付けていたと、いい加減お母さんを解放してあげなさいよ、と詰め寄った。
おれだってずっと仕事から解放されたかったのだ、と叫びたかった。
離婚に承諾し、蓄えた貯金の中からかなりを分与した。
悠々自適な老後の夢は消えた。
しかしもう働きたくなかった。解放されたかった。
極端な倹約生活を強いられた。
そんな中でやっと実現した名古屋旅行だった。
目的があったわけではなかった。
ただ、学生時代を過ごした町で、いつでも行けると結局行きそびれてしまっていた名古屋城や熱田神宮などに行ってみるか、と漠然と思っていた。しかし名古屋に着いてみると急に熱意が冷めそれも止めた。ただ、なんとなく変わってしまった街の風景を見ながらあてどもなくぶらぶら歩いて居酒屋が開く時間をだらだらと待っただけであった。
まるで定年を迎える日だけを待ちわび嫌いな仕事続けた自分の人生のようであった。
酒のおかわりを頼み、再び沈思する。
学生時代、あの華やかしきバブルの時代に、この近くでバイトをしていた。
だが、カーブを曲がり損ねたトラックが荷崩れを起こし大量の果物が転がっていくのを見た笹島交差点も(実話)、この神戸屋の地下がまだ天狗だった頃、閉店後アルバイトが掃除中火災感知器をモップの柄でどついてしまいスプリンクラーの水で店内が水浸しになるのも(実話)、その全てを目撃した名古屋の街は、知らない街になっていた。
就職のスーツを買った洋服の青山が入っていた三井ビルの別館がなくなり新館になっていた。同じく南館と北館は影すらなくなっていた。
駅はツインタワーになり、駅前にはトヨタのビルが建っていた。
地元出身のサラリーマンらしい隣の二人に、名鉄メルサグルメ館て知ってます?と聞いてもこの奇妙な老人を不審の目で見つめるだけに違いない。
自分が一番楽しかった時代を過ごしたこの町も、もう自分の居場所ではなかった。この小さな歴史の目撃者を、この街はもう必要とはしていなかった。
ナナちゃん人形とレジャック、そして駅からひときわ高く見えた三井ビル本館や住友生命ビルがそのままそこにあったことがわずかな救いであった。
この銚子を空けたらホテルに戻ろう、そして明日朝の電車で帰ろう。
もう名古屋に見たい場所はない。若い頃に馴染んだあんなに輝いていた町は、老齢の彼にはいたたまれない場所となっていた。
そして、満を持して迎えた楽しみにしていた名古屋旅行は、単なる居酒屋遠征で終わってしまった。
まるで全てが空回りの、自分の人生そのものであった。
ふと、隣の二人組の会話に聞くともなく耳を傾けた。
岐阜、という単語が切れ切れに聞こえた。
どうやら二人は学生時代のからの友人で、その一人は岐阜県出身らしい、ということがわかった。
ついで聞こえたのは、岐阜県美術館、という単語だった。
美術館・・・
「美術館、か」
小さく呟いてみる。
歴史は好きだったので、東京や京都に出張した際の隙間時間で博物館に足を運んだことはあるが、美術館とは縁がなかった。芸術、というものは自分とは縁遠いものだと思っていた。
田中は銚子をとると盃に傾けた。
もう少し残っているかと思ったが、盃を半分ほどだけ満たしたそれは数滴をこぼした後沈黙した。
それを、満たした酒量に不相応にぐいとばかりにあおった田中は、伝票とカバンを掴むと立ち上がった。
美術館、ね・・・
な、なんだ、これは・・・
翌日。
駅に向かった田中は、どこをどう迷ったのか、JRではなく名鉄の駅の券売機の前に立っていた。
そして料金表も兼ねた路線図を見上げた時、なぜか「名鉄岐阜」の字が鮮やかに目を飛び込んできた。
岐阜・・・
昨夜の隣の二人組の会話が耳に蘇った。
岐阜か・・・
名古屋に住んでいながら、通過するだけの街だった。
指が無意識に券売機のボタンを押していた。
学生時代はよく利用した知っているはずの駅の、知らない路線のホームに立った。
車窓から知らない景色が見えた。
新鮮だった。
そしてこれからおれは行ったことのない街に行くのだと、と思うと何故か胸が躍った。
これだ、と思った。
自分に必要なのは過去を振り返ることではなかった。郷愁を求めることではなかった。
ここまで生きてきた人生でやったことのないことを、見たことがないものを見ることが必要だったのだ。今更ながらにそれに気付いた。
駅からタクシーに乗り、岐阜県美術館を告げた。
節約のため私用ではタクシーもほとんど乗ったことがなかったため、これも新鮮であった。
美術館でチケットを買い、それを見下ろしながら不思議な期待に小さく息を吸い込んだ。
美術館だよ、おい。おいおいどうしたよ、おれよ、と自分に語りかけながら笑いたい気分であった。
意気揚々と中に入った。
だが、今、田中は一枚の絵(実際は版画)を見上げながら茫然と立ち尽くしていた。
そして冒頭に戻るわけだ。
な、なんだ、これは・・・
何なんだ、これは?
『スキヤポデス』と題名の付いた、どう見ても人面魚、の絵を見ながら田中は茫然と立ち尽くしていた。
田中のイメージする、巨匠の画家が描いた絵、というのとは全然違う絵であった。
絵?確かにおれは美術の教科書くらいでしか画家の描いた絵をじっくりと見たことはなかったが、これが画家の絵なのか?美術館で飾るほどの絵なのか、これは?
驚いたを通り越して半ば狼狽した田中は、ただただその絵を茫然と見つめることしかできなかった。
その絵の前でどれくらい立ち尽くしていたことだろうか。
失礼ですが、と背後からかけられた声に田中は瞬きした。
「何か私でお力になれることはありませんか?」
あっ、と田中は振り返った。
確かに、おいおいっ、だれか助けてくれよ!と叫びたい気分だったのだが、それが背中に現れていたのだろうか、と少し自らを恥じた。
振り返った背後に若い男が立っていた。
そこで互いの顔を見つめた二人は、申し合わせたようにわずかに顔をしかめ、しばらく奇妙な顔をして見つめった。
あ、と先に声をあげたのは若い男の方だった。
「失礼ですが、あなたは昨日名古屋のレジャックの近くの居酒屋におられませんでしたか?」
ああ、とこの男つい最近見たような気がするが誰だ?という思考に立ちすくんでいた田中は、それが昨日隣で飲んでいた二人組の内の一人だと気づいてがくがく頷いた。
これはこれは、と昨日の酔漢ぶりとは打って変わって爽やかな笑顔を浮かべたその男はにこやかに近づいてきた。
「これは奇遇です」
いや、実は昨日あんたらの会話を盗み聞いて来たから偶然ではないんですよ、とは言えなかった。
田中の隣に立った男はにこやかに少し背の低い田中を見下ろした。
「お顔を拝見すると、どうやらあなたは私が心配していた方ではないようですが、せっかくですのでご一緒させていただいてもよろしいですか?あ、申し遅れました、私は山田と申します」
心配だと?
おかしな奴だ、と思いつつも、その曇りのない笑顔に悪い奴ではなさそうだな、と思った田中はなんとなく頷いた。
「山田さん、あなたは絵は詳しいのですか」
「はい、そこそこには。特にこの岐阜県美術館の作品についてはそれなりに承知をしております」
で、では、と田中は先程感じた不審をぶつけるように、叫びそうになるのを必死にこらえるかのような声で目の前の絵を指差した。
「こ、この絵はなんなんでしょうか。見ればここには同じような絵が沢山ありますが、今日は地元の高校生の作品の企画展でもやっているのでしょうか?」
いえ、と山田は首を振った。
「ここにあるのは、18世紀後半から19世紀の初頭に活躍したベルトラン・ジャン・ルドン、画家としてはオディロン・ルドンとして知られているフランスの画家の作品ですが」
が・・と絶句した田中はめまいがしたようにぐるりと辺りの作品を見渡した。
これが画家の作品だと?
これがプロの画家の作品だというのか?なんの冗談だ!そういえばこいつ昨日かなり飲んでいたようだが、まだアルコールが残っているのか?
こ、これを、と怯えたような表情で田中は山田にわずかに詰め寄った。
「こ、これを、これが!これがプロの画家の作品と、あなたはおっしゃるのか?」
「そのとおりです」
で、ではと田中は向こうの絵を指差した。
「あちらに『キリスト』という絵がありましたが、あれもプロの画家が描いた絵だと?」
そのとおり、とでもいうかのように山田が頷いた。
なんてこった、と田中は頭を抱えたい気分であった。
あれが救世主の姿なら、世の中が酷いのも納得ができるような気がした。
あ、と田中はそこで気付いた。
19世紀、近代になれば、自称画家に近い有象無象も沢山出没していたに違いない。
そうとも、と田中は突然ひどく納得したような気分になった。
こんな金のないだろう地方の美術館だ、ちょっと名前が知られただけの、そういう画家の作品しか収集できないに違いない。
この絵は、と無意識に卑屈になった声で再び山田に問う。
「この絵はどれくらいの価値があるのですかね、ほら、売れば」
どうでしょうね、とわずかに苦笑しながら山田は少し考えるふりをしたようだった。
「この絵の価値は知りませんが、2018年に、ルドンの『Fleurs』という絵のセットがクリスティーズのオークションで約400万ドル(約6億円)で落札されたのがルドンの最高価格と聞いております」
な、と素早く頭の中でドル/円変換した田中は絶句した。
こ、こんな奴の絵が・・・
信じられなかった。
少し練習すれば、自分でも描けそうだ。
意外でしたか?と山田は微笑んだ。
「バロック期の壮大な絵画などは確かに美しくすばらしい。しかし、絵画とはそれだけではない、もっと広く、深遠なのです。それはまるで人の心のように。人の心を打ち感動させるだけが絵ではない、誰にも注目されることも無くただそこに静かにあるだけ、という絵も、立派な価値ある絵なのですよ。ルーベンスの絵も、少女が描いた友達の絵も、そこに違いはないのです。全ては見る側の心の中にあるのです」
田中はじっと黙ったまま、押さえた口調でしかし情熱的に語る山田の横顔を見つめ続けた。
(きっかけは、旅行の際にふと気まぐれで立ち寄った岐阜県美術館で出会った一人の青年でした・・・)
日本で最も遅咲きの桜、と揶揄されながらも、日本のシュールレアリスムここに極まれりと識者を唸らせた田中直三画伯は、NHKのインタビューで18年に及ぶ下積み時代についてそう切り出した。
サザビーズのオークションで初めて一千万円を超えて落札された彼の絵を描いた時のエピソードを遠い目つきで懐かしそうに語る彼のインタビュー記録が彼の死を伝えるニュースと共に流された時、温厚実直という言葉に彩られた彼の画家生活を知る人々は思わず涙を拭った。