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カンショー!  作者: 安城要
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一同に集う(後編)

ただし、と早希は続けた。

「私は禁書の所在を知っているわけではありません。その所在に通じるヒントを知っているだけです」

桜間は激しく何度も頷いた後、ち、ちょっと待ってください、と慌ててカバンから手帳を取り出しながら早希に駆け寄った。

彼女がペンを構えて自分を見ながら身を乗り出すのを確認してから、早希はもったいぶって口を開いた。

「場所は、イギリスのウエールズ北部、アングルシー島に有る小さな村、ランヴァイル・プルグウィンギル・ゴゲリフウィルンドロブル・ランティシリオゴゴゴホです。そこの聖メアリー(マリア)教会という教会が有ります。そこの神父に会い、こう伝えるのです」

そこで、早希は重々しく頷いた。

「ババ・ヤガ」

はい?

これは、と早希が続けた。

「先住民族の言葉で「真実の扉を開け」という意味です。この合言葉を伝えれば神父が禁断の書へ至る次のヒントをくれるはずです」

わかりました!と桜間は叫ぶように言った。

「北ウェールズのランヴァイル・プルグウィンギル・ゴゲリフウィルンドロブル・ランティシリオゴゴゴホですね」

なんで一発でそんなもん覚えられるんだよ。

頷いた早希に桜間は、ありがとうっ、ありがとうっ、と何度も叫ぶように頭を下げた後、すぐに行ってきます!とカバンを掴んで美術準備室を飛び出して行った。

その姿を全員で見送った後、しばらく静まり返った美術準備室に、んで、という七海の声が静かに響いた。

「本当にそんな変な名前の街あるのかよ?」

「それがあるんだよ。この前の日曜日あんまり暇だったんで、一日中グー〇ルアースを見ながら長い名前の地名を探してたら見つけた」

暇すぎるだろ。

「じゃあ、その何とかっていう教会も本当にあるのか?」

「それもあるんだってよ実は」

ババ・ヤガって、と賢人がため息をつきそうな声で混ざる。

「ババ・ヤーガって、スラブ神話に出てくる魔女のことじゃなかったでしたっけ?」

「知りません、そこは適当です」

あの勢いじゃ、と賢人が戸口を振り返る。

「今すぐにでもイギリスに飛んでいきそうな感じでしたよ。嘘でも、せめて国内にしておけばよかったのに」

「その方が実際に行っちゃいそうでしょ?海外ならとりあえず渡航資金稼ぐためにバイトでも始めるでしょ、あの人なら。そんでもってその間に冷静になって騙されてることに気づくと思いますよ。バイトに精を出している間は美術準備室ここにも来ないでしょうし一石二鳥です」

なるほど、と沙織が感心したように進み出た。

「なかなかの策士ですね、早希さんは。どうです、私達の仲間になりませんか?」

以前から時々出る、その“私達の仲間”ってすごく気になる。

お断りします、と首を振った早希に、そうですか、と沙織は強いては誘わなかった。

じゃあ、と七海が一同を見回した。

「桜間さんも消えたところで続き行きましょうか」

「消えた、は酷いですね」

「じゃあ、お隠れになった」

「それじゃあ死んじゃったみたいじゃないですか」

そうなのです、と早希はもったいぶって頷いた。

「このまま世界の真理や世界征服の陰謀に近づいて行けば、桜間さんはいつか暗殺されてしまうかもしれません。後輩としてそれを止めたいと考えて、騙すのは心苦しくはありましたが先程の仕儀に及びました」

「嘘おっしゃい。そんなことをしなくても、あの人の場合はどんなに努力しても暗殺されるほど真理に近づけるとは思えませんが」

そうだよね、長い付き合いじゃないけど、既にみんなそう思ってるよね。

んで、と七海はスクリーンを振り返った。

「話は脱線しまくりましたが他にわかっている人はいますか?」

そうですね、と賢人はじっくりと絵を眺めた後、左上の鎧の若者を指差した。

「これはアレクサンドロス大王ではないかと言われています」

「あ、なんか一人だけ鎧を付けたのいると思ったらそんなんでしたか」

「なんか軽そうな若者ですね。「おれっち、いずれ世界とか征服しちゃうもんね」みたいなノリの」

「んでもって、向かいの髭のおっさんに説教されてるんですね。お前みたいな若造にできるか、みたいに」

それは違うと思います、と言った後、賢人は頷いた。

「今チイちゃんが言った髭の男がソクラテスらしいです」

ソクラテス?と七海が首を捻る。

「名前はよく聞きますけど、何した人ですっけ?」

「まあ、西洋哲学の生みの親の一人とでも言いましょうか。そうそう、さっきのプラトンとかの先生でもあり、多くの哲学者をその門下に排出してもいるんです。四人の聖人、という意味で、釈迦やキリスト、孔子などと並んで四聖とも呼ばれています」

はい?と早希が顔をしかめた。

「四聖って、顔回・曾子・子思・孟子じゃないんですか?」

「逆に誰ですか、そのラインナップ。孟子しかわからないんですが」

う~ん、と七海も腕を組んだ。

「私は四聖って、聖武天皇・婆羅門僧正・行基・良弁だと思ってた」

「私は阿弥陀菩薩・観世音菩薩・大勢至菩薩・大海衆菩薩という認識でした」

同じ四聖でもこれだけばらけるのは珍しいでしょうね、と賢人が嘆息した。

「まあ、〇〇三大美女的にいろんなのが有るんでしょうね、多分」

戻りますね、と言いながら賢人はタブレットを操作した。

「ほら、これがルーブル美術館所蔵のソクラテスの頭部像ですよ」

おおっ、と七海と早希は同時に頷いた。

「これは似ているっ」

「うむ、先にこれを知っていれば、絵でもそれがソクラテスだってわかったかもな」

しかし、と沙織が首を捻った。

「これは、ラファエロの時代の誰かがソクラテスに扮している絵ではなかったでしたっけ?」

「あ、そうか」

「うむ、千数百年を経てそっくりさんがいたわけか。誰なんだ?」

そこはよくわからないらしいです、と言った後、そして、と再び『アテナイの学堂』に戻した賢人が左下を指差す。

「さっきチイちゃんが言った、“カンニングされて”いる方がピタゴラスです」

ほう、と七海が頷いた。

「三平方の定理の人ですな」

「そうです」

じゃあ、と早希が前に出て、必死の何かを書いている彼を背後から覗いている、“カンニングして”いる方を指差した。

「それをカンニングした彼が、ピタゴラ〇イッチを発明するわけですな?」

「それは違うと思います。そもそも、ピタゴ〇スイッチを発明した人が偉人なんですか?」

「そこは諸説あります」

無いと思います、と嘆息した賢人は再びスクリーンを向いた。

「そして、さっきチイちゃんが頭蓋骨が割れていると言ったこの人がディオギネスです」

ほうとスクリーンを見た後、七海は賢人を振り返った。

「この人はどんな立派なことをした人なんですか?」

はい、と賢人は頷いた。

犬儒キュコス派の思想を体現するために犬のように生活して、「犬のディオゲネス」と言われた人です。家も持たずかめの中に住んでいたため、「甕のディオゲネス」とも呼ばれています。宴会をしていた人達がディオゲネスを見つけ、彼を犬に見立てからかうために骨を投げつけると、彼は犬のように片足を上げて彼らにおしっこを引っ掛けた、というエピソードも有るそうです」

現代社会なら間違いなく負け“犬”だな、こいつ。どう考えたってピタゴラス〇ッチ考えた奴の方がましじゃないか?

そして、と賢人が、先程ゾロアスターかもしれない、と言った人物の前で身を屈めてコンパスを持っている人物を指差した。

「これはエウクレイデスです」

「エウクレイデス?聞いたことないですね?」

「英語読みだと、ユークリッドとなります。ユークリッド幾何学という言葉は聞いたことないですか?」

「はて、聞いたことがあるような、無いような。どんなんですかね?」

「数学の基礎となるような考え方を示したものです。例えば「線は幅の無い長さである」とか、「線の端は点である」とか」

はい?

何言ってるんだよ、と早希が笑った。

「線に幅が無ければ描いても見えないじゃん」

「けど、線に幅があれば面になっちゃいますよね」

は?と少し考えた後、あ、そうか、と早希は頷いた。

「ナルホド、そういうのは言われてみないと気づかないもんですね。この人は確かに偉人かも」

今更サキちゃんに言われなくても偉人ですから大丈夫です、と賢人が笑った。

そして、と言いながら賢人はタブレットを操作して一度『アテナイの学堂』の全景が映るようしてから、三人を見回した。

「今まで人物に着目してきましたが、この建物にも仕掛けがあるんですよ、ほら例えば」

そう言いながら、再び絵の向かって右側の棒のようなものを持った石像をアップにする。

「これ、誰だかわかりますか?」

おお、と早希と七海が同時に頷いた。

「これっ、これあれじゃん」

「そう、あれ!あのメデューサの首を盾に付けてるって」

二人は同時に賢人を指差しながら、アテナ!と叫び、賢人も笑いながら頷いた。

「ご明察。ではもう一つ、この絵の題名は何でしたか?」

アテナイの学堂、と呟きながら顔を見合わせた二人は、おおっ、と今度は互いを指差した。

「アテナイ、アテナか!」

そうなんですよ、とこの質問の意図に察しの良い後輩を見ながら賢人が嬉しそうに再び頷いた。

「題名の“アテナイ”の意味、最初はアテネにある学堂、つまりアテネ大学みたいなものだとぼくも思ってたんですが、知恵の女神アテナの学堂、つまり、図らずもさっき桜間さんが言っていた『知の殿堂』がこの絵の題名の意味なんじゃないかと思います。あくまでも私説ではありますが」

ううむ、深いな、と早希が腕を組む。

そして、と言いながら、賢人は絵の左側、アテナ像と対になる位置に有る竪琴たてごとを持った石像をアップにした。

「これは太陽神アポロンです。アポロンは太陽神であると同時に、医学や真実をつかさどる神でもあります」

ほう。

他にも、と今度は賢人はアポロン像の下、アレクサンドロス大王の尻の辺りをアップにした。

「これ、このトリトンが海のニンフをさらおうとしているこのテーマは、絵画でも良く使われてますので覚えておくといいですよ」

トリトンおっさんニンフしょうじょを(おそらく)猥褻目的で誘拐しようとしてる図がなんでこんなとこにあんだよ。これじゃ犯罪者の殿堂だろ?

それはどんな絵がありますか?と聞いた沙織に、すみませんがすぐには思い出せなくて、と賢人は困ったように苦笑した。

検索してみよっか、と言いながらスマホを取り出した早希が素早く指を走らせる。

すぐにその口からため息が漏れた。

「「トリトン」「画像」で検索しても、『海のトリ〇ン』の絵ばっかり出てきますね」

「逆に、その絵を見ただけで一瞬で『海のト〇トン』の図だとわかる女子高生のお前が凄いと思うぞ?」

では、と沙織が進み出る。

「その上の彫刻は、ゴルフはギリシャ発祥であることを示すものですね?」

「違うと思います」

「何か黙って考えてたと思ったらいきなりそれかよ」

そう突っ込んだ後、しかし、と七海はじっくりと『アテナイの学堂』を見つめた。

「やっぱこういう絵を見ながらみんなでワイワイやるのは楽しいですね。どうですかね、この絵、日本に来ないですかね?ルーブル展とかで?」

それは無理でしょうね、と言いながら何故か賢人は苦笑した。

「無理っすか?」

「はい、絶対無理です」

それはなんでですかね、と早希が口を挟んだ。

「やっぱり貴重な絵だから貸し出さないとか、それとも大きすぎて安全に運べないとか?」

大きいのは確かにありますが、とまだ笑みを浮かべながら賢人が頷いた。

「この絵は4m×8mありますからね。ただそれ以上に、これはバチカンの法王庁の壁を飾るフレスコ画なんですよ」

「フレスコ画・・・って、よく聞きますけどなんでしたっけ?」

「壁に直接描かれている絵です。直接描かれている以上に、フレスコ画というのは壁の上塗りをした後、それが乾かないうちに溶いた顔料を直接壁に沁み込ませて描く技法で作成されます。この絵はもう建物の壁そのものなんですよ」

へえ、と七海が眉を上げた。

「それって、なかなか大変なんじゃないですかね?」

「大変ですとも。季節にもよるでしょうが、壁の上塗りは8時間程度で乾いてしまったそうですから、ともかく早描きの技術が求められたんですよ」

この絵を8時間で?!と叫びながら顔を見合わせた七海と早希を見て賢人が苦笑した。

「いえ、全部を一度に描いた訳ではないと思いますよ。一部ずつ、少しずつ壁を塗りながら時間をかけて描いたのではあると思います。それでも大したものですよね」

「なんでそんな面倒くさいことしたんですかね?」

「それはやはり、絵の“持ち”がいいということが一番でしょうね。例えばレオナルドの『最後の晩餐』とかは、当時よく使われていたもう一つの手法、テンペラで描かれていましたが、これは日持ちが悪かったのですよ。一時はほとんど消えそうになり、この絵は21世紀までには失われるのではないか、とまで言われていましたから。その後修復されて美しい姿を取り戻してはいますが」

え?と早希が顔をしかめた。

「テンペラ騎士団?」

「そんなボケをやってるとまた桜間さんが来ますよ」

そう言った後、賢人はスクリーンを見た。

「レオナルドはじっくり描きたい派だったのでテンペラを好んだのですが、この『アテナイの学堂』にしろ、バチカン宮殿のシスティーナ礼拝堂に描かれたミケランジェロの『最後の審判』にしろ、あの壮大な絵を壁を塗りながら短時間に仕上げていったと考えると、絵の素晴らしさ以上にその技術に驚かざるを得ませんね」

ふむ、と七海が顎を捻った。

「それだけ短時間で次々に絵を仕上げていったのなら、さぞかしおゼゼも沢山もうかったことでしょうね?」

「そんなことを言っていると、今度は三田さんが現れますよ」

すっと戸口が陰り、何者かが顔半分だけを覗かせながら静かな声で言った。

「お呼びですか?」















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