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カンショー!  作者: 安城要
159/238

八犬伝!(前編)

サキちゃん、と呼ぶ声に振り返る。

美術準備室に通じる廊下を、早希が小走りに追って来て並んだ。

二人並んで歩きながら、早希が七海の顔を覗き込んだ。

「今週末暇か?」

「まあな、何故?」

「じゃあ、映画でも見に行かないか、ほら、なんか最近人気の、犬の奴」

犬の奴?と少し考えた後七海は早希を見た。

「『南極物語』か?」

「なんでだよ。最近人気って言ったろ?」

「じゃあ、『遊星からの物体X』か?」

「だからなんで昭和の映画なんだよ。っていうか、犬は私が振ったが、なんで舞台が南極の映画ばかりなんだよ」

「お前の方こそ、何で最近話題の映画の名前は思い出せないくせに昭和の映画はそんなに詳しいんだよ」

わちゃわちゃと話をしているうちに美術準備室についた。

「最近話題の犬の映画?」

先に来ていた沙織が二人の会話を耳に止めると、二人の会話に割って入るようにして聞いた。

「それは『南総里見八犬伝』を映画にしたやつのことですかね?」

あ、と早希も頷いた。

「そうそう、たしかそんなんです、発見伝!」

「お前、今何か間違えてなかったか?」

「なにかおかしいか?」

「何かはわからんが、何か間違っていたような気がする」

「別に間違っていねえよ、絶対」

確かにあの映画は面白そうですね、と沙織も頷いた。

「テレビのコマーシャルを見て、私も以前読んだのが懐かしくなって週末になんとなく読み返してみましたが、よかったです」

へえ、と七海は沙織に身を乗り出した。

「面白そうですね。映画見に行くんだったら先に原作読んどこうかな。貸してもらっていいですか」

「もちろんです。では早速今日の帰りにでも取りに寄ってもらえますか?」

寄る?いやそんな急がなくても明日持ってきてもらうのでいいですが?

「ちょっと重いので。岩波文庫の全10巻」

寄らねえよ。

読まねえよ。

なんだよ週末にちょっと読み返してみたって、ちょっと読んで“みた”量じゃねえだろ。

「よく読めましたね、週末だけでその量」

「二日徹夜しましたので。そのおかげで今日はいい感じに“仕上がって”ます。ウフフ」

止めろよ、徹夜ハイ。

んで、と早希が沙織を向いた。

「実際のところその・・伝は」

「『南総里見八犬伝』?」

「その南総里見発見伝は」

「やっぱお前なにかおかしくないか?」

「おかしくないってば、しつこいな。その発見伝はどんなお話で?」

「はい。八犬伝は江戸時代の作家、滝沢馬琴が28年かけて創作した、戦国時代初期の里見家を舞台にした稗史はいし小説です」

「稗史小説?」

「今風に言うと、伝奇でんき小説ですね」

「伝記小説というと、シーボルトとかの?」

「それとは違うデンキです。事実をベースに架空の物語を繰り広げるようなタイプの小説です。山田風太郎という小説家を知りませんか?あんな感じです」

ほう、山田風太郎とくれば面白そうだ。

知っていますか、とここで沙織は面白そうにわずかに頬を歪めて笑った。

「この大作には数々の謎が隠されていることはご存じですか?」

つまりはっ!

「陰謀ですね?!」

すっと戸口がわずかに陰り、顔半分だけ覗かせた桜間がニヤリと笑った。

「悪いとは思いましたが、話は全て廊下で聞かせてもらいましたよ。面白そうな話ですねえ、ふっふっふっ」

お前は入ってくるなっ、ややこしくなるわっ!

って、それともう、それあんたの専売特許でいいわ。

あのう、と早希が控え目に手を挙げた。

「私は別に桜間さんに来てもらいたくないとか、来たら絶対イヤとか、そんな風には決して思ってはおりませんが」

絶対、来たら絶対イヤだと思ってる人間の言い方だよな、それ?

「桜間さんは月に数度の参加とおっしゃっておられましたが、なんか参加頻度、高いんですが?」

そういや沙織さんも最初はそんなこと言ってたよな。

そんなに魅力的な場所か、ここ?

はい、と言いながら桜間は部室に入ってきた。

「ここ数日の絵画についての話の中で、やはり世界の秘密は絵画の中に隠されているという結論に、私は至りました」

廊下で全部聞いてたんだろ?今、チクリとでも絵画の話してたか?

「かの平田神道の創設者、平田篤胤は地動説を信じ、その著書の中で西洋の科学者について論じていました。つまり、鎖国されていたはずの日本においても西洋の知識は既に持ち込まれていたのです。日本が唯一貿易をしていた西洋の国、オランダは王侯貴族などの支配層ではなく市民層を中心に絵画文化が花開いた土地。「新世界秩序陰謀論」を論じるにおいて常に名前の挙がるロスチャイルド家などの影響を強く受けていた可能性もあります。オランダの貿易船を通じて、フェルメールの絵に隠されたテンプル騎士団の秘密が密かに日本に持ち込まれていてもおかしくありません」

いや、おかしいよ。

絶対おかしいよ、あんたの頭。

どうやったらそこまで理論を飛躍することができるんだよ。

ほっとけ、と囁きながら早希が七海の腰を肘で突き、軽く頷いた七海は沙織を向き直った。

「それで、八犬伝の謎とはどのようなものですか?」

「何かの秘密を物語の中に隠した、というのではありません。物語の中の伏線に未回収の物があるのです。馬琴自身が物語の終盤で「隠微は、作者の文外に深意あり。百年の後知音を候ちて、これを悟らしめんとす」と書いています。つまり、自分が仕組んだこの物語の謎が解けるには百年はかかるだろう、という意味です」

まさか、と笑って言いかけた早希に、待て待て!と七海は手を振った。

「そういえば、以前に賢人さんも同じようなこと言ってたぞ」

そうなのです、と言いながら賢人が戸口に姿を現した。

「すみませんが盗み聞きをしてしまいました。面白そうな話だったもので」

は?

あのう・・

「賢人さん、いつからそこに?」

「桜間さんが美術準備室ぶしつに入って後が空きましたので、そこから」

なんでそんな面倒くさいことすんだよ、普通に入って来いよ。

ところで、と賢人がうれしそうに手をすり合わせた。

「本当に面白い話をしてますね、ぼくも入れてください」

おや。

「賢人さんが絵の話以外でそんな楽しそうな顔をしてるの初めて見ましたよ」

それはもう、と賢人は頷いた。

「八犬伝は愛読書ですので。父の蔵書の中に初めて見つけた時は寝食を忘れて読みふけりました。八犬伝については一家言ありますよ」

ほう、と言いながら沙織が賢人を向いた。

「八犬伝のことで私に挑もうという挑戦者が現れようとは。いいでしょう、相手をしてあげます」

いや、そういうのとはちょっと違うから。

その前にちょっと失礼、とハンカチを持って美術準備室を出た沙織と入れ違いに夏樹が入ってきた。

今日は人口密度高いな、と思った時、ふと戸口からそっと顔をのぞかせたいる顔に気づいた七海が瞬きしたとたん、ほっとしたような声の加納が、やあ諸君!とうれしそうに美術準備室に入ってきた。

「今日はなかなか賑やかじゃないか、いや熱心で結構だ」

あっ、と賢人が加納に向かって手を伸ばして声をかけようとした瞬間、お待たせしました、と沙織が戻ってきた。

その姿が、部室の入り口で止まる。

「圭一郎?」

うっ、と小さく呻いた加納が硬直する。

七海も思わず唾を飲み込みながら二人を見比べた。

こ、これは・・・

図らずも全員集合。

唯一事情を知らない桜間を除いて凍り付き静まり返った美術準備室の中を重苦しい空気が包んだ。

あ、あ、と声を詰まらせながら早希がなんとか加納に向かってぎこちない笑みを作った。

「あ、いや、こんにちわ、部長。ち、ちょうどよいところに・・い、いま、ちょうど賢人さんと沙織さんが面白い八犬伝の話を聞かせてくれるところだったんですよ」

背後の沙織に意識の90%を集中させているとわかるぎこちない動きで早希を向いた加納は、八犬伝?と顔をしかめた後、更に続けた。

「八犬伝とは『南総里見八犬伝』のことか?」

「そうです、はい」

しばらくじっと考え込んだ後、ぐっと腕を組んだ加納が勢い良く背後を振り返った。

「笑止、笑止!貴様ごときが八犬伝の何を語るか!」

ぐっと沙織の眉が釣り上がったが、沙織は何も言わずにそんな加納を睨みつけただけであった。

「全9しゅう98巻106冊の大著、『南総里見八犬伝』わずかでも貴様が承知しているとでもいうのか」

お待ちください、と声をあげたのは賢人であった。

全員がそちらを向く。

珍しく賢人の声は震え、その口調は非難の色を帯びた。

「なるほど、部長は『南総里見八犬伝』に造詣が深いのかもしれませんが、彼の書を愛しているのは部長だけとは思わないでいただきたい」

そんな賢人をじっと見つめた後、加納は唇の端に笑っていない笑みを浮かべた。

「なるほど、白石くんは八犬伝を愛しているのかもしれないが、あれは好き、嫌いで語っていいようなものではない」

いや、いいだろ?好き嫌いで語っても?

あ、あの、と七海はおずおずと手を伸ばした。

「せ、せっかく全員集まったんですし、そんな話は置いておいて、絵の話をしませんか?」

絵?と不思議そうに言った加納は、不快そうに鼻を鳴らすと、絵か、と顔をしかめた。

「八犬伝の謎は絵とも関係あるのだぞ」

は?

そうです、と言いながら賢人も七海に頷きかけた。

「キーとなるキャラとして、八房やつふさという犬が出てくるのですが、この犬の体には牡丹ぼたんの形のあざがあり、後に出てくる八犬士の体にも牡丹の形の痣があるのです」

それが?

「ただ、これはおかしい。画題の組み合わせとしては違和感があるのです。梅に鶯というように日本画にも一定の組み合わせのルールのようなものが有ります。唐獅子牡丹と言う言葉があるように牡丹なら獅子との組み合わせが普通です。そして犬の場合の花は桜なのです。なぜ馬琴がこのような組み合わせにしたのかわからない、というのが八犬伝についてよく語られる謎の内の一つです」

ふっと沙織が笑った。

「まだそんなことを謎だと言っているのですか?あなた達は本当に八犬伝を最後まで読んだのですか」

後編に続く!







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