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カンショー!  作者: 安城要
157/238

美人論

今日はまだ七海と早希だけの美術準備室。

肖像画の画集を棚から引っ張り出してきた早希が、その表面に描かれた中世のものらしいティアラか王冠か早希には判別不能なものを頭に被った女性の肖像を見た後七海を振り返った。

「なあ、サキちゃん」

「ん、どうした?」

「この学校で一番の美人て、だれだと思う?」

は?とちょうど美女とは縁遠いむっと汗の臭いが漂ってきそうなマッチョな男の絵のページを開いたところだった七海は早希を向いた。

「なんだよ、とーとつに?」

いやさ、と早希は手に持っていた本の表紙を七海に向けた。

「この前賢人さんがさ、ベラスケスはスペインの宮廷画家だったために、あれだけの才能を持ちながら、短期間遊学させてもらっただけで、ほとんどマドリード宮に閉じ込められるみたいにして描く対象としては面白味のないフェリペ四世夫妻やマルガリータ王女ばかり描かされてたらしい、って言ってたんだよ。ルーベンスとかからも絵の勉強に来ないかと誘われていたのに断らざる得なかったらしい」

ほう。

「そこで思ったんだよ。じゃあ描くのが楽しい、例えば美人てどんなんだ?から例えば陵上うちでなら誰だろう、って」

うむ、と七海は腕を組んだ。

「わてらが知ってる範囲で見た目だけなら、やっぱ沙織さんがずば抜けているだろうな」

やっぱりそうか、と早希は顎に手をやった。

「しかし、あの人の場合は描いてて“楽しい”の部分が微妙だな」

確かに。

「描き上がったとたん、はっと瞬きした画家は恐怖にも似た表情で絵を見つめながら、お、おれは何を描いていたんだ・・・な、何故無意識に彼女の背後に暗雲や巨大な黒い影を描いてしまったんだ、とかなるんでないかい?」

確かにマジでありそうだから怖いな。

それじゃあ、と七海は再び首を捻った。

「夏樹さんとかどうだい?」

夏樹さんかあ、と早希は頭を掻いた。

「けど、夏樹さんの場合はその“美人”の部分の半分が性格とか雰囲気によるものだからなあ。それを描き切れる画家がいるかどうか」

なら、と七海は続けた。

「西園寺さんなんてどうだい?顔は沙織さんに一本譲るとしても、あの人だって相当なもんだろ。スタイルもすらっとして背も高いし、性格もいいしさあ」

西園寺さんねえ、と早希も首を捻った。

「やっぱそこかなあ」

「そうじゃないかなあ。今まで考えたことなかったけど、総合力ではあの人がダントツだろ。誤解されやすいだけで、付き合ってみればあんなイイ人いないぞ、ほんとのとこ。欠点を言えば、時代劇が“異様に”好きなとこだけだろ」

それなあ、と顔をしかめた後、早希は再び頭を掻いた。

「三輪さんとかはどうだ?あの人もスタイルいいし、顔も悪くないぞ?」

ぶーーーっ!と言いながら七海は顔の前で両手でバツを作った。

「スタイリストに任せるならともかく、自分で毛繕いグルーミングしている間はあの人は論外だ」

人間にグルーミング言うか、と呟いた早希に七海は畳み掛けた。

「それにあの人だって沙織さんと同じだぞ。絵が描き上がったとたん、はっと瞬きした画家は恐怖の表情で絵を見つめながら、な、なんだこれは・・・おれは確かにドレス姿でグラスを持った女性を描いていたはずなのに、いつの間にかタオル鉢巻きにタイガースの法被を着て大ジョッキを掲げたおばはんを描いてしまっていた、とか。ほんと画家泣かせだわ」

見てきたようなことを言うなよ、とため息をついた後、早希は、じゃあ、と言った。

「ミワちゃんなんてどうだ?」

「ミワちゃんは“美人”じゃなくて“かわいい”だろ?あと三年は必要だ」

何故三年限定?

じゃあ、と声をひそめながら早希が七海に顔を寄せた。

「今から恐ろしい話をするぞ?」

「おう、聞こう」

小さく一つ肩で息をした後、早希は意を決したように内緒話の声音で辺りをそっと見回した。

「わしらなんてどうだ?」

びくっと小さく体を震わせた後、七海は探るような目つきでじっと七海を見上げるように見つめる早希を見つめ返した。

どれくらいの時間が経っただろうか、やがて七海は重々しく口を開いた。

「昔々あるところに」

「何故いきなり昔話?」

「一人の画家がおりました。その画家は美人画を描こうとしていましたが、よいモデルがおりません。そこで人に会うたびに、どこかに面白いモデルはいませんかねえ、と尋ねていました」

「すると?」

「するとある村の年を取った庄屋様が「面白い女の子がいるよ」とふたりのちっちゃな女の子を紹介してくれました」

「庄屋様、いい人だけど画家の意図を勘違いしているよな。明らかに“じゃない方”の面白い、だもんな」

「そこまでわかってるなら初めから聞くなよ」

そのちょうど会話が途切れた絶妙のタイミングを測るかのように、こんにちわ、と賢人が戸口に現れた。

おおっ、と立ち上がった早希と七海は立ち上がって賢人を手招きした。

「これは賢人さん良いところに」

「まず、まずっ、近くに寄られい」

「その前に取りあえず帰っていいですか?」

「そんなこと言わんと、なあ」

「あなた達のそのフレンドリーさに嫌な予感しかしないんですよ」

ため息をつきながら椅子に腰かけた賢人に早希がここまでの経緯を説明すると、賢人は不思議そうに首を傾げて考え込んだ。

「我が校の美人、ですか」

「さいです。それも私達も知っている人限定でお願いします」

一瞬、面白い話題を振られたという表情になった後、賢人は、ふむ、と考え込んだ。

「ぼくが知る限り、あなた達が知らないだろう人を含めてみても、やっぱり沙織さんですかねぇ」

やっぱその線ですか。

ただ、とすぐに賢人は伏目がちに続けた。

「あの人の場合は、美人とは言っても・・」

わかった、すまん、皆まで言うな。

他では、と早希が慌てて話を変えると、そうですねえ、と賢人は再び少し考えた。

「西園寺さんとかも美人だと思いますよ。あくまでも個人的趣味ではありますが、ぼくはああいうキリッとした感じの女性が好きなんですよ」

へえ、と早希が頬を歪ませてからかうような口調になった。

「それ、西園寺さんに言ってもいいですか?」

いや、と賢人は慌てて手を振った。

「ちょっと待ってください。ぼくはあくまでも好みの傾向を言っただけであって、別に西園寺さん個人をどうこう思っているわけではありませんから」

「でも、好きなタイプなんでしょ?」

「そうですぞ、気持ちは後からついて来るものなのです」

何の後ですか何の、とため息をついた後、賢人は首を振った。

「それに、彼女とは趣味が合いそうにありませんので」

趣味って時代劇のことか?私が男ならその一事を以て彼女候補だぞ?

じゃあ、と今度は七海が賢人に頷きかける。

「ミワちゃんなんてどうですか?」

ミワちゃんは、と賢人はわずかに苦笑した。

「ミワちゃんは確かにかわいいですが“美人”かと問われると・・あと三年後を見たいところですね」

ほれみろ、と七海は早希を向いた。

「ほれみろ、やっぱ賢人さんも三年て言ってるぞ」

「勝ち誇るな、適当に言っているだけだ」

じゃあ、と早希が唇を舐めた。

「三輪さんなんてどうですかね?」

三輪さん・・と口の中でつぶやきながら俯いた賢人は、しばらく考えた後顔を上げると遠くを見つめる目つきになった。

「三輪さんですか・・・。そうですね、とてもいい人だと思いますよ」

「いや、いい人かどうかじゃなくて、美人かどうかを聞いているのですか?」

だから、と凪の海のような静かな声と表情で、賢人は早希に頷きかけた。

「だから、三輪さんはいい人だと思うと言っているのです」

「だから」

「そこで止めておけ、チイちゃん。賢人さんはわしらと違って人間が出来ていらっしゃるのだ。それ以上は聞くな」

しばらく美術準備室は重苦しい静謐に包まれたが、やがてそれに耐えかねたかのように、そ、そういえば、と七海がわざと明るい声で賢人を向いた。

「例えばですけど、賢人さんが知っている中で、一番の美人画ってどんなんですかね?モデルとなった人でもいいですけど」

賢人もほっとしたように顔を上げると、美人が描かれた絵ですか、と少し嬉しそうに首を捻った。

「どうでしょうか・・・うん、そうですね。例えば以前に池上行った時に黒田くんが見せてくれた、オーストラリア皇妃エリザベートの絵なんて綺麗だと思いますね。単に美人というのではなく、どこか妖艶さも感じさせる肩出しドレスも素敵な絵ですね」

おお、と七海は手を打ってニヤニヤ笑った。

「あの、クロちゃん目線の三輪さんて言っていたあの絵!」

「そうそうっ、今の三輪さんみたら黒田くんびっくりするぞ、とか言っていたあの絵です」

ワッハッハッハッハッ・・・・

馬鹿みたいに笑った後、三輪さんの件思い出しちまったよ、と再びどよ~んとなった部屋の空気に、早希が慌てて、それってどんな絵ですかね、と早希が慌てて賢人の顔を覗き込む。

ちょっと待ってくださいね、と奥の物置からタブレットパソコンを持ってきた賢人が、すぐにスクリーンに一枚の絵を映し出した。

ほう、と早希は頷いた。

「なるほど、これは美人だ」

はい、とスクリーンを見ながら賢人も頷いた。

「これを描いたフランツ・クサーヴァー・ヴィンターハルターは当時の人気肖像画家です。彼はエリザベートの絵を何枚か描いていますが、この右向きのまるで洗い髪のように長い髪を垂らしたわずかに振り返ったようなこの絵が一番美人に描かれていると思いますね。そもそもからして、モデルもよかったのです。エリザベート自身がフランス皇妃だったウージェニーと双璧を成すといわれた、その時代の美人の代名詞でしたし」

「そのウーさんの絵も有りますか?」

「随分と略したもんだな」

もちろん有りますよ、と賢人がすぐに一枚の絵をスクリーンに映し出した。

じっとその絵を見つめた後、七海は賢人を向いた。

「随分と垂れ目ですね」

「それに何か文句でも?」

う~む、と唸るように言いながらじっとその全身肖像画を見ながら早希は頷いた。

「美人対決、どちらかと言えばエリザベスさんだな~」

「待て待て、画家の画力のせいもあるかもしれんぞ?」

残念ながら、と賢人が肩をすくめた。

「どちらもヴィンターハルターの絵です。ただ何を以て美人とするかもあるんじゃないですかね。絵だけではわからない雰囲気とか、そういうのも実際の見た目には反映しますからね」

「そうですね、他になんか有りませんか」

そうですねえ、と顎に手をやって考えた後、賢人は再びタブレットを手に取った。

「例えばですが、こういうのはいかがでしょうか」

言いながら、一枚の絵をスクリーンに映し出す。

その絵を見た途端、七海は、あれ?と声を上げた。

「この人、パレットと筆を持っていますね?」

「はい。この女性はエリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランといい、これは『麦藁帽子をかぶった自画像』という絵です」

じっとその絵を観た後、早希はスクリーンと賢人を見比べた。

「何者なんですかね、この人?有名な画家なんですか?」

「有名と言えば有名ですね。彼女はかのマリー・アントワネットのお気に入りの画家だったのです」

ほう。

「マリー・アントワネットは美人好きでして、友人や自分の周りにも美女を置くことを好んだそうです。ルブランも美貌の画家だったと言われていますし、自画像からもそれが伺えますね」

「王妃様お気に入りの画家だったとすると、さぞかし盛り盛りの絵を描いたんでしょうね?」

そこの実際のところはわかりませんが、と賢人は苦笑した。

「だから、その時代のフランス社交界の有名人の絵はいくつも描いていますね。例えばこれ『ポリニャック公爵夫人の肖像』とかね」

ポリニャック?と七海が首を傾げた。

「はて、どこかで聞いたような?」

「知らんのか。ベルばらの登場人物だ」

歴史上の実在の人物ですよ、と賢人が嘆息する。

じゃあ、と少し考えた後早希が言った。

「歴史上の有名な美女の絵とかはどうですかね。人気有りそうなテーマな気がしますけど。あ、ビーナスとかは無しで」

もちろんありますとも、と賢人はタブレットを手に取った。

「例えばこれ、グイド・カニャッチの『クレオパトラの死』です。彼は同じ時期に、同じこのテーマで絵を描いていますが、そのウィーン美術史美術館に収蔵された方の絵です」

「こう言っちゃなんですが、相変わらず時代考証が酷いですね。題名聞かなきゃ絶対中世の風景ですよね、これ」

「ですね。こういうのも有りますよ。レジナルド・アーサー の『クレオパトラの死』です」

「クレオパトラ、死にまくってますな」

ですねえ、と今更気づいたように賢人が頷いた。

「前にも『オフィーリア』を観ましたが、美女が美しいままいかに悲劇的に死ぬ様を描くかは絵画の永遠のテーマでしょうね。男は誰も老いさらばえてかつての面影を無くした美女など見たくありません。そんなものヴァニタス画に近いですからね。美女は二度死ぬとも言いますし」

「何です、その二度死ぬ、って?」

「美女というのはその美が失われた時、生物学的な死の時と二回死ぬという意味です」

よかったな、と早希がお気楽な調子で七海の肩を叩いた。

「わしらには関係ない話だ」

それ悪口。

こんなのも有りますよ、と賢人は更に一枚の絵をスクリーンに映し出した。

「以前に見たことがあるジャン=レオン・ジェロームの絵で 『クレオパトラとカエサル』です」

「クレオパトラはわかるとして、そのカエサルというのは奥の赤い服を着た波平さんのことですか?」

また、そうポンポンと悪口を、と賢人が嘆息する。

しかし、と早希がじっとその絵を見つめた。

「絶世の美女と言う割には美人じゃないな、このクレオパトラ」

「そりゃあ画力の問題だろ?それに美女と言っても、その絵の描かれた時代時代の基準での美女だからな」

そうですね、と賢人も頷いた。

「小野小町なんかも、実は美女じゃなかったという説も有りますからね」

ああ、と七海は頷いた。

「平安時代とか、ふくよかな方が美人だったらしいですもんね。大福みたいな」

大福?と言った後、いえいえ、と賢人が手を振った。

「小野小町が美人だとされたのは完全な勘違いだ、という説があるのですよ」

はい?

実は、と賢人は続けた。

「古今和歌集の仮名序の中に、小野小町は「いにしへの衣通姫そとおりひめりうなり」という解説があるのですが」

「衣通姫?聞いたことないですけど?」

「古事記や日本書紀等にも記述の有る、伝説的な美女のことです。その肌の美しさは衣を通しても輝くようだったとしてついた名だと聞いています」

ほう、それで?

「続きは「あはれなるやうにて強からず。いはば、よき女の悩めるところあるに似たり。」と続きます。これは「おもむき深いが強さに欠ける。美人だが病気の女性のようだ」というような意味で、小野小町の歌の作風を衣通姫に似ていると評したものなのですが、この「流なり」というところを作風ではなく血筋と誤解され、あの衣通姫の子孫なら美人に違いない、と勘違いされたのが小野小町美人説の始まりだという説があるのですよ」

ほい、と言いながら早希が手を挙げた。

「それ、さっき言った小野小町の歌の作風、一見褒めているようでけなしていませんか?」

そうですよ、と賢人はあっけらかんと頷いた。

「古今和歌集の選者は仮名序の中で六歌仙を辛辣に批評しています。かろうじて在原業平と小野小町を褒めていますが、褒めてこの程度です。ただ序文の方はもっと酷いですよ」

ほい、と今度は七海が手を挙げる。

「その選者って、もしかして紀貫之きのつらゆきとかだったりしませんか?」

「そうですが、何故分かったんですか。知ってました?」

いえ、と七海は首を振った。

「知りませんでしたが、授業で『土佐日記』を読んだ時に紀貫之は悪態系ヤフコメ民の素質があるなとなんとなく感じたので、もしかして、と」

なるほど、と早希が感心したように頷いた。

「同類はお互いを見抜くのが鋭いな」

うるせえよ。






















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