陰謀論(後編)
疲れた・・
カナン・フェニキア陰謀論、新世界秩序陰謀論、フランクフルト学派陰謀論、ヒト型爬虫類陰謀論など世界支配に関するものからベリチップ陰謀説、HAARP陰謀説、ケムトレイル陰謀説など科学技術に関するニッチなもの、明治維新時の江戸っ子虐殺説、天皇イスラエルの神(レビ族祭司)説などというローカルなもの、そしてオーパーツや超古代文明、プレアデス星団人まで、瞳子は熱っぽく並べ、いや、まくしたて続けた。
どこか睨むように瞳子を見つめている沙織以外の面々がうんざりしたように時計と紅潮した彼女の顔を見つめだしたころ、賢人が、わ、わかりましたから、となんとか割り込んだ。
テンプル騎士団の絵の件は心当たりを当たっておきますので・・
そこでやっと口を止めた瞳子は、お願いします、と一同に向かって丁寧に頭を下げた後、今日はこの辺で失礼させていただきますが、今後ともよろしくお願いします、と出口でも丁寧にお辞儀をして去って行った。
その足音が廊下の向こうに完全に消えてから、ふう、とわざとらしく言った早希が額を拭った。
「やばい人が来たもんスね、あれ」
七海も頷きながら賢人を向いた。
「あれで、入部試験は通ったんですか?」
一応、と賢人が苦渋の顔で頷いた。
「ぼくが事前にアドバイスしましたから」
よけなことしてくれたもんだよ、まったく。
なんというか、と七海は机に突っ伏しながらか細い声で言った。
「何もやってないのに、なんかエネルギー吸い取られたような気分だわ」
「あれだけ強烈なエネルギーの放出を浴び続けていると、防御だけでエネルギーを使ってしまいますからね」
こちらも疲れたような声の賢人が言い終わるのを待ってから、沙織が椅子から立ち上がった。
「彼女の言うことなど気にする必要はありません。陰謀論などただのデタラメですから聞くだけ無駄です」
「それはわかってます。けど、最初はあんなややこしい人だとは思わなかったから」
「ともかく、今後、彼女の妄想話などには一切耳を傾けてはいけませんよ」
語気強くそう言った沙織はそこで俯くように横を向くと、彼女の知識は人類にはまだ早い、と呟くように言った。
ややこしい人がまだ残ってたよ、おい!
んで、と早希が賢人を向いた。
「彼女の言っていたテンプラ騎士団の美味しい揚げ方の秘密は、本当に何かの絵に隠されているんですかね?」
どうでしょうね、とボケの部分は気づかなかったふりをして無視しなが賢人が苦笑した。
「小説や映画なんかで、シェークスピアの戯曲やレオナルドの絵に秘密が隠されていてそれを解いていく、みたいなのが流行りましたからね。多分そういうものから派生したただのフェイクだと思いますけどねえ」
「桜間の場合、ネットでもっともらしく書かれていたら直ぐに信じちゃいそうですもんね」
それで、と早希が賢人を見た。
「さっきの、心当たりをあたっておきます、のオチはどうつける気で?」
オチですか、と賢人が再び苦笑した。
「あの場を収めるにはそう言うしかないととっさにそう言いましたが」
その点については感謝しております、はい。
「まあ探してた振りのために数日様子見をして、その上で、鋭意努力しましたが見つかりませんでした、とでも報告しておきますよ」
「あの人、ですよ?世界の大発見なのですよ!そんな簡単に見つかるわけないでしょ!もっと時間をかけて見つかるまで探してください!とか言い出しますよ、絶対」
それは困りましたねえ、とさして困った風でもなく賢人は笑った。
ところで、と早希が口調を変えた。
「マジな話として、陰謀の絵なんてあるんすかね、実際」
もちろん、と賢人が嬉しそうに頷いた。
「ぼくが確認しているもので、少なくとも1件はあります」
は?
え、えっ?と言い淀んだ七海は瞬きしながら賢人を見つめた。
「ほんとですか?」
本当ですとも、と賢人は楽しそうにタブレットを手に取ると、既に接続してあったスクリーンの電源を入れた。
「誰が見ても納得の陰謀の絵が、実際にあるんです」
言いながら滑らかにタブレットを操作して一枚の絵をスクリーンに映し出した賢人は誇らしそうに早希と七海を順番に見た。
「これです」
こ、これは・・・
この絵って、と七海は何処か呆然としたようにその絵を見つめた。
「この絵のどこが陰謀の絵なんでしょうか?」
はい、と賢人は神妙な面持ちで頷いた。
「この絵はジェームズ・アンソールの、その名も『陰謀』です」
題名が陰謀なだけじゃないか。
半眼になった七海は、まるでお面を付けたような顔の人々が並ぶどこか奇怪なその絵を見つめた。
七海基準ではお世辞にも上手とは言えない、原色を多用した明るい色の絵だが、一見ユーモアにあふれたような顔が並んだその絵を見つめていると、どこかじっとりとした恐怖を感じるような絵だ。
「なんなんすか、このお面をつけたような顔をした人達の絵」
「ような、ではないですよ。アンソールは19世紀後半から20世紀前半にかけて活躍したベルギーの画家ですが、彼は19世紀の末頃の10年ほどの間に仮面やドクロをモチーフとした絵を集中的に描いており、これはその1枚なんです」
例えば、と賢人はタブレットを操作した。
「この『仮面に囲まれた自画像』なんかはその代表的な作品と言ってもいいですよ」
「全部人間の顔、悪くてもドクロの仮面なのに、右上になにげに猫の被り物が紛れ込んでるところが笑わせますね」
「何故かそういうところに直ぐに気づく人っているんですよね、実際の話」
んで、と七海はスクリーンと賢人の顔を見比べた。
「売れたんですかね、こんな絵?」
“こんな”のところに、悪意というか、サキちゃんがこの絵を全く評価していないところが伝わってきます、と言った後、賢人は首を振った。
「残念ながら、このような絵を描いていた頃の彼の評価は低かったです」
だしょうね。
「しかし20世紀に入ってからは徐々に評価が高まり、のちに爵位を賜り、フランスでレジオン・ドヌール勲章も授与されていますよ」
ただ、と賢人は続けた。
「皮肉なことですが、現在、彼の作品の中で評価が高いのは19世紀に描かれたものだそうです」
しかしなんだね、と早希がニヤリと顎に手をやった。
「仮面好きとは、少し愛着がわくなあこの画家」
「あなた達のは“お面”、彼のは“仮面”です」
いやいや、と早希は鷹揚に手を振った。
「そこがアンソールくんの限界だったのだよ。こんなカーニバルに出てくるようなラテンな仮面だけでなく、おかめやひょっとこなどオリエンタルテイストの仮面も描いていればもっと早くから評価されていたに違いない」
「それは仕方ありませんね。彼が仮面をモチーフとした絵を描き始めたのは、彼の生家が観光客相手の土産物屋をしており、そこで売っていたカーニバルの仮面からだとされていますから」
しかし、と七海が手を振った。
「なかなか面白い絵を見せてもらいはしましたが、やっぱり実のところこの絵は題名以外陰謀とは関係ないですよね?」
「いや、『陰謀』と名が付く限りは、何かテーマに陰謀要素はあるはずですよ、この絵も」
いやいや、と早希がニヤニヤと笑った。
「この原色を多用した感じ、もしかして本来は『虹』という題名だったのが日本に紹介された時に何かの手違いで題名からraが消えていてinbowと誤訳されたんじゃないですかね?」
「それは誤訳じゃなくってただの駄洒落でしょ?」
その時突然沙織が、わかりました、と言いながら一同を見回し、三人が振り返った。
「何がわかったんですか?」
はい、と沙織は七海を向いた。
「テンプラ騎士団の美味しいテンプラの揚げ方の秘密は、衣を解く時に水ではなく牛乳を使ったことです。その秘密はフェルメールの『牛乳を注ぐ女』の中に隠されています」
「さっきからなに黙ってるのかと思ったら、まさか今までずっとさっきのチイちゃんのボケの返しを考えてたんじゃないでしょうね?」
「そのまさかですよ」
「何?その真犯人の名を告げられて驚愕している人たちに向けられた名探偵のセリフみたいなの」
「あなたもなかなかくどい表現を使いますね」
んで、と早希が賢人に手を振った。
「んで、無駄話は置いておいて」
「無駄話、という自覚はあるんですね」
本当のところ、と早希は続けた。
「陰謀の絵、ってあるんすかね?」
何を以て“陰謀”とするかですね、と賢人は苦笑した。
「シェークスピア作品の多くは、『マクベス』にしても『ハムレット』にしても、暗殺やなんやらの、ある意味陰謀の物語でしょ?それらの絵も全て陰謀の絵と言えば言えないこともないですよね。それにプロパガンダの絵も意図を持って表面に描かれている以外のメッセージを見手に送るためのある意味陰謀を孕んだ絵と言えないことはないですし」
「まあそういう言い方すればそうなんですけど、そうじゃなくって・・ええと、お宝の場所の暗号を隠した絵とか」
「お宝の場所を示した絵は陰謀じゃなくってお宝の地図だろ?」
まさにそこですね、と賢人も頷いた。
「その辺りが、桜間さんもごっちゃになっちゃってるんじゃないですかね。誰か洒落っ気のある画家が、何かのメッセージを隠した絵は十分に有り得ますよ。ただそれは陰謀とは別物ですよ」
「さっき桜間さんが言っていた、絵は高価で後世に残りやすいからそこに描いたという説は?」
「けどそんな秘密を隠した絵を誰の目に触れるかわからない絵に込めて飾っておきますかね?人目の触れないように書斎の奥にしまっておくなら、書籍で十分ですよ。昔は書籍でも十分高価でしたし」
「今は誰にも言えないが、将来、誰かこの暗号が解けた人にメッセージが伝わってほしい、というシュチュはどうですかね?」
「そんな“あてもの”的に伝えようとしたメッセージなど大した秘密ではありませんよ。せいぜい、へそくりの隠し場所程度じゃないですかね」
例えば、と七海は首を捻った。
「さっき桜間さんが言っていたイルミナティとかの幹部だけが集う部屋に飾ってあって、幹部だけにその絵の読み解き方が口伝で伝わっている、というのはどうですか?」
昔ある人が言っていましたが、と賢人が肩をすくめた。
「“これは秘密だから絶対誰にも言うなよ”のセリフが出た時点でもうそれは秘密ではなくなってるって」
は?と七海は瞬きして賢人を見つめた。
「何それ、どういう意味?」
言うなと言われている秘密を、と沙織がため息をついた。
「今、現在進行形でばらしているのだから、聞かされた方も絶対同じことをするよ、という暗喩です」
しばらく考えた後、おおっ、と七海は手を打った。
「深い!まるで陰謀だ」
「これは陰謀ではなくただの教訓話ですよ」
そもそもからして、と賢人は苦笑した。
「ぼくはそんなお宝の隠し場所の絵も陰謀の絵も知りませんよ。もしそんな絵があって読み解いていたら、とっくにお宝を掘り出しに行っています」
いやいや、と七海が首を振った。
「テンプラ騎士団が南極にお宝を隠していたら、いかな賢人さんでも掘り出しに行けないでしょ?」
「その頃はまだ発見されていませんよ南極大陸」
そういえば、とそこで賢人は何かを思い出したかのようにタブレットを手に取った。
「陰謀の絵、というのではありませんが、桜間さん的陰謀の絵として」
「桜間さんもついに形容詞に昇格したか」
「まあ、おとなしそうな顔をしてあれだけの人だからな」
続き聞く気あります?と顔をしかめて二人を見た賢人に、うす、お願いするっす、と二人は同時に直立して敬礼した。
ため息をつきながらタブレットを操作した賢人はスクリーンに一枚の絵を映し出してから二人を見た。
「桜間さんが言うような陰謀論をテーマにした感じの映画とかによく小道具として使われるのが、これ、二コラ・プッサンの『我アルカディアにもあり(別名『アルカディアの牧人たち』)』ですかね」
「おおっ」
「これは」
数歩スクリーンに近づいた七海と早希はじっくりとその絵を見つめた。
「これは、なんかの秘密が記された石碑を発見したっぽい絵だな」
「うむ、世界征服を企む悪の秘密結社の女幹部と部下ABCがやっと古代の超兵器の隠し場所を記した石碑を掘り出し、幹部が部下Bの肩に手を置いて、でかしたぞお前達、と言っているシーンだな、これ」
違います、と賢人がため息をつく。
「しかしなんで部下Aと部下Bは頭に木の葉の冠乗っけてるんだ?月桂樹の冠って、古代オリンピックの勝者が被るんじゃなかったっけ?」
「そりゃああれだろ。昔のオリンピックなんて村対抗運動会みたいなもんで、勝っても冷戦時代の共産圏みたいに生涯年金が付くわけじゃなかったから食いっぱぐれて悪落ちしたんだろ」
「うむ、スポーツしかやってなかったから手に職が無かったんだな。これは現代にも通じる悲劇だ」
あるいは、とそこまで黙っていた沙織が進み出た。
「これは月桂樹の葉ではなく柊の葉の冠とか」
痛てえだろ、そんなもん。何かの罰かよ。
もういいですかね?と言いながらため息をついた賢人に、どうぞどうぞ、皆様のよろしいように、と七海は頷いた。
もう一度ため息をついてから、賢人はスクリーンを振り返った。
「確かにある言葉が記された石碑を発見したシーンではありますが、それは別にお宝の隠し場所ではありませんよ。ただ、彼らにとっては知りたくなかった真実かもしれませんが」
ほう。
「一体何が刻んであったんですかね、その石碑?」
絵の題名どおりですよ、と賢人は頷いた。
「Et in Arcadia ego、“我、アルカディアにも在り”です」
おおっ、と七海と早希は顔を見合わせて頷いた。
「お宝はアルカディアの埋められているのか!」
「たった今ぼくが、これは宝の在りかが刻まれた石碑ではありません、て言ったばかりですよね?」
ちっ、と舌打ちした七海は、なら、と賢人を見た。
「じゃあどういう意味っすか~?」
「なんでいきなりやる気を無くして脱力するんですか?」
もう一度ため息をついてから、賢人はスクリーンを見た。
「アルカディアとは牧人達の理想郷のことです。そして“我”とは死のことです。理想郷であっても死は訪れるという、死を忘れるなというヴァニタス画の要素を含んだ絵なんですよ、これは」
なるほど、と七海は頷いた。
「だから黄服の女性から刻まれている文字の意味を聞いたこの牧人の赤服が「ええっ、おれそんなこと知りたくなかったよ~」っていう感じの情けない顔で黄服を振り返り、別に牧人ではない黄服は「ざ~んね~んで~した~」って感じで赤服の肩に手を置いてるわけですね?」
「別にそこまで意地悪じゃないと思いますよ、黄色い服の女性」
しかし、と早希が顔をしかめた。
「何故、牧人限定の理想郷なんだ?」
「それはぼくにもよくわかりませんが、旧約聖書では明らかに農耕民よりも牧畜人の方が神様からえこひいきされてますから、そういう影響があるのかと」
「あ、そうなんだ」
「はい。旧約聖書は“えこひいき”と“嫉妬”と“不条理”がぎゅっと詰まった果実みたいなもんですからね、実際」
では、とまた沙織が進み出た。
「新約聖書は“陰謀”と“裏切り”と“欲望”がぎゅっと詰まった根菜類のようなものですか?」
ちょっと違うと思う、って顔してるな、賢人さん。
そこで、はい、と早希が手を挙げた。
「今の沙織さんの言葉で思いついたんですけど『最後の晩餐』の絵はなべて“裏切り”と“陰謀”の絵じゃないんすかね?」
なるほど。
頷きながら七海も賢人を向いた。
「チイちゃんが言うみたいに、最後の晩餐のシーンて、イエスが「この中に裏切り者がいる」とイスカリオテのユダの裏切りの陰謀を暴くシーンですもんね」
「なるほど、確かにそうですね。こうやって考えていくと“陰謀”と関わり合いの有る絵って、結構出てくるもんですね」
「他にもっとないっすかね?」
はい、と沙織が手を挙げた。
「整いました」
なんか普通に絵を思いついたのとは違うっぽいぞ、おい。
ちょっと貸してください、と賢人からタブレットを受け取った沙織は、スクリーンに一枚の絵を映し出した。
え?と賢人が瞬きした。
「これって、あれじゃないでしたっけ?」
はい、と頷いた沙織は一同を見回した。
「これは、ギュスターヴ・クールベの『石割人夫』です」
は?
ええと、と七海は頭を掻きながら控えめな声で言った。
「あのう、この絵のどこに“陰謀”要素がありますかね?」
はい、と沙織は静かに頷いた。
「毎日毎日砕石作業に汗を流す彼らは、理想郷で呑気に暮らす牧人達を見て、ちくしょう、あいつらばっかり楽しやがって、と、この後、嫌がらせのために“我アルカディアにもあり”と石に刻んでこっそりアルカディアに置いてくるのです」
「今日聞いた中で一番陰湿な陰謀だな、それ」