陰謀論(前編)
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突然ですが、と賢人が自らの背後について美術準備室について入ってきた女生徒を指し示しながら、先に来ていた七海と早希に頷きかけた。
「新入部員を紹介させていただきます。ぼくと同じ二年生の桜間瞳子さんです」
この学校、“子”の名前の結構多いよな、とそれなり裕福、保守的な家庭を想像させる瞳子の色白で細い目の顔を見ながら椅子から立ち上がった七海は、こんにちわ、と頭を下げた。
こんにちわ、と無表情に頭を下げ返した瞳子に、七海は賢人を向いた。
「けど、この時期の転部というと?」
「はい、正式な形での転部はできませんので、沙織さんと同じく元々の部に席を置いたまま、絵画鑑賞部にも参加されることになります」
申し訳ありませんが、と、表情は変わらないものの申し訳なさは伝わってくる声音で瞳子は再び頭を下げた。
「本来の部活の方も継続して行いたいので、そちらに軸足を置きつつ絵画鑑賞部にも月に何度かという形で参加させていただきたいのです。もちろん、回数は少なくとも本気で頑張ります」
ちなみに、と早希が瞳子に向かって首を突き出すようにして聞いた。
「もともとは何部で?」
「聖書研究会です」
そこで瞳子は寂しそうに早希から視線を逸らせた。
「けど、神聖幾何学にもエクノ書の中にも私が追い求める世界の真の秘密はなかった」
ヤバイの来たぞ、おい!
そこで、とわずかに勢い込んで顔を上げた瞳子は七海に頷きかけた。
「そこで、私は古い絵の中に暗号として秘密が隠されているのでは考えたのです!名画は財産であり、持ち運び可能のため戦火も逃れて後世に秘密が伝えられるのではないかと!」
こいつ、高校二年生じゃなく中学二年生か!
こんにちわ、と響いた沙織の声が途中で止まり、廊下に立ったまま、はっと息を付く気配が小さく響いた。
「同士桜間!」
はっと、部屋の中からも驚愕の息が漏れた。
「同士君島!何故あなたがここに?」
お知り合いで?と賢人が二人を見比べた途端、二人ははっと慌てて顔を背けた。
「いえ」
「知らない人です」
今、同士とか呼んでたじゃん、あんたら。
またややこしいのが来やがった。
ほとんど苦悶に似た表情を浮かべて早希を見ると、早希も同じ表情を浮かべて七海を見つめ返していた。
うう、何の同士か聞きてえが聞きたくねえ・・・
見つめ合う二人の瞳が同じことを言っていた。
賢人は深く問わず、ではご紹介いたします、桜間瞳子さんです、と瞳子を指し示すと、はじめまして、と二人は白々しく頭を下げた。
しかし、と瞳子に椅子を勧め、皆が座るのを待ってから賢人はにこやかに瞳子に頷きかけた。
「陰謀論に興味をお持ちでしたか、なるほど」
いや、と七海はため息をつきたい気分で賢人を向いた。
「驚かないんですね?」
ははは、と賢人は軽く手を振った。
「たまにありますので。絵に造詣が深いのであればこの絵に隠された真実の意味を教えてくれ、と周囲を警戒しながらそっと囁きかけてくるような人、この学校」
ヤバい学校なんじゃね、陵上?
「絵画鑑賞というものは、歴史や宗教的知識が無いと意味が解らないものが多く、また、その絵に込められた寓意などを読み解いていくという性質がありますからね、元々からして謎かけがちりばめられているものも多いのですよ。それ故に、絵の中に謎や秘密が隠されている、という感覚に陥ったり誤解を受けたりし易いものなのです」
いえ、と瞳子は首を振った。
「絵画には確かにそのような側面もあるでしょう。しかし、そうでないものも確かにあるのです」
何言い切ってるんだよ、この人。
そもそもからして、と瞳子はわずかに興奮したかのように頬を赤くした。
「白石くんは陰謀“論”と言いましたが、“論”ではなく陰謀は確かに存在するのです。例えば・・」
七海はちらっと腕時計を見てから、ため息をつきたい顔で熱っぽく語る瞳子を見つめた。
今日は絵を見ることなく終わりそうな予感が嫌というほどした。
「・・エジンバラ大学の自然哲学教授でフリーメイソンのスコットランドロッジに席を置いていたジョン・ロビンソンが1798年記した「フリーメイソン、イルミナティ、ならびに主要結社の秘密会合において実行されたヨーロッパの全宗教、全政府に対する陰謀の証拠」によると、自由と平等をうたったフランス革命はドイツの無政府主義者集団、啓明結社の策謀であり、それに手を貸したフランスの啓蒙主義者達の罪状をつまびらかに・・」
そこで睨むように自分を見つめる沙織に視線に気付いた瞳子は、はっと口に手当てるとじっと自分を見つめている皆から目を逸らすかのように俯いた。
「陰謀なんてありません、私は何も知りません」
うるせえよ。
しかし本当にヤバいの来たよ、あぶねえ奴だな、こいつ。その何とかっていう本の題名が空でスラスラ出てきた辺りに本物感あるわ、マジで。
ちなみに、と七海は瞳子に頷きかけた。
「ビートルズのメンバーで今も生きている人は?」
それは、と瞳子は確信を持って頷いた。
「リンゴ・スターだけです」
え、と賢人が不審そうな声を上げた。
「ポール・マッカートニーも生きてるでしょ?」
いいえ、と今度は瞳子が不思議そうな声で首を振った。
「彼は1966年に死んでいますよ?」
マジ者だわ、この人。
え、と賢人が再び声をあげた。
「そんなことないでしょ?暗殺されたジョン・レノン以外はみんな21世紀まで生きてたでしょ。リンゴ・スターとマッカートニーはまだ存命だった思いますが?」
あれは、と瞳子は頷いた。
「あれは偽物です」
ですよね~。
あなた的には。
証拠があるんですっ、と瞳子は続けた。
「『アヴィ・ロード』のジャケット写真において、道路左側に駐車中のフォルクスワーゲン・タイプ1のナンバープレートが「28IF」となっています。これは「もし(IF)ポールが生きていれば数え28歳になっている」ということを表しています。また、メンバー4人のうちポールだけ靴を履いておらず、また目をつぶっているように見えます。白いスーツを着て長髪にひげのジョン・レノンは「牧師」、黒いスーツを着ているリンゴ・スターは「葬儀屋」、デニムシャツにジーンズのジョージ・ハリスンは「墓堀人」などと解釈され、スーツ姿で目を閉じている裸足のポールは「死人」を暗示しているのです。左利きのポールがたばこを右手に持っているのも変です。そう、彼は既に死んでおり、これは影武者なのです!」
ちなみに、と早希がからかうような口調で言った。
「桜間さんはエルビス・プレスリーが何歳で死んだかご存じですか?」
は?と早希を見た瞳子は不思議そうに瞬きした。
「彼はまだ生きてるでしょ?」
ですよね~、だと思いました。
俗説では、と瞳子は続けた。
「彼は1977年に死んだと言われていますが、実際はそれ以降も沢山の目撃情報が有ります。ボストンでは青いレーシングカーを運転している姿が、オマーンではスーパーマーケットでアラブ人の格好をしてダイエットコークを箱買いしている姿が、ベルリンでは食料品店で「特大のパストラミが乗ったライ麦パン、ピクルス、ポテトチップス」を購入する姿が目撃されています。1999年には、カリフォルニアでオープンしたばかりのレゴランドで多数の人が彼を目撃しています。「Elvis Sighting Bulletin Board(ESBB)」というエルビス目撃投稿サイトには、あのジョン・レノンもエルビスに会ったと投稿しています。映画『ホーム・アローン』では空港のシーンでエキストラとして参加もしていますよ。これら全て、彼が生きている左証かと」
全然、説得力ねえ。
「ネットを見れば彼が生きていることは一目瞭然なのに、未だに彼が死んだことになっている意味がわかりません」
あんたの頭の中がわかりません。ていうかいるよね、ネットに書いてあることそのまま鵜呑みにしちゃう人。
ところで、とそこで瞳子は一同を見回した。
「実は私が入部をお願いしたのはある絵を探したかったからです」
お任せください、と七海は胸を押さえた。
「絵を探しているが題名がわからないんですね?ならば作者の名前か、絵の特徴をできるだけ教えていただければ、この絵画検索機、シライシ二号がたちどころに見つけてくれます」
誰がシライシ二号ですか、と顔をしかめた後、賢人は瞳子に頷きかけた。
「有名な絵なら、特徴を言っていただければなんとかなるかもしれません」
はい、とそこでわずかに声を落とした瞳子は、他に誰もいるはずもない美術準備室内を見回した後、机の上に身を乗り出すようにしながら、声をひそめた、
「私が探しているのは、その昔テンプル騎士団がソロモン神殿跡地で発見したと言われる秘密を隠した絵です」
は?
「テンプル騎士団は聖地への巡礼者を保護するために設立されましたが、最初の構成員は9名だったとされています。その人数で広大な道で巡礼者を保護することなどできようはずもありません。テンプル騎士団設立の真の目的は別にあったはずです。彼らは表面は騎士ですがその実は考古学者で、ヨーロッパとエルサレムを行き来しながらソロモン神殿を発掘し、そこである重大な秘密、あるいは宝を見つけた彼らはその後絶大な富と権力を得ることになるのですが、彼らの伸長を嫌ったフランス王フィリップ4世の策略によって壊滅状態となり、1312年の教皇庁による異端裁判で正式に解体されています。彼らはその前に、彼らの秘密の宝の情報をある絵画に隠しました。私が探しているのはその絵なのです」
ごくっと、誰かの喉が鳴った。
ちなみに、と賢人も緊張した声で瞳子に語り掛けた。
「その絵はどんな絵なのでしょうか?」
いえ、と瞳子は首を振った。
「それを教えて欲しいのです。彼らが秘密の情報を隠した絵は一体どの絵なのでしょうか?」
そんなもん自分で探してこい!