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カンショー!  作者: 安城要
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真実は井戸の中

その絵を見た途端七海は、こ、これは、と言った。

「これはまた、学校の教室で見るには差し支えのある、Kくんが喜びそうな絵を」

そうか?早希が七海を振り返った。

「Kくんが喜ぶにはちょっとボリュームが足らんと思うが」

これって、と賢人が二人を見た。

「これってどういう意味かわかりますか?」

意味って、と二人は当惑気味に顔を見合わせた。

「意味はわかりませんが、これって貞子さんじゃないんですか?」

「違うだろ、お菊さんだろ?」

「まあだいたい思っていたとおりの回答をありがとうございます。ただ今日はこじつけでもいいのでこの絵のシュチュエーションを言ってみてください」

ちなみに、と早希が賢人を向いた。

「この絵のお題は?」

はい、と賢人は頷いた。

「これは、ジャン=レオン・ジェロームの『人類に恥を知らせるため井戸から出てくる〈真実〉』です。



うむむ、と腕を組んで眉根をしかめた七海はじっとスクリーンを見つめた。

「普通に考えれば番町皿屋敷」

「違うだろ?播州皿屋敷じゃないのか?」

実はどちらもあります、と言った後、賢人は先を促すかのように軽く七海にゼスチャーし、七海も頷いた。

「その番町皿屋敷の話が折からのジャポネスクブームの時にヨーロッパに伝わり、例えばプッチーニさんとかがオペラにして」

「番町皿屋敷の怪談がどうやったらオペラになるんだよ?」

「ブームに乗って無理くりやったんでないか?例えば『蝶々夫人マダム・バタフライ』ならぬ『お菊夫人マダム・クリサンセマム』とか」

「お菊さんは未婚だろ?なんで夫人なんだよ」

「テニスのお蝶夫人だって高校生だろ?」

誰ですかその人、と半眼になった後、賢人は七海を見た。

「とりあえず、言いかけのことを総括願いますか」

ほいな、と言いながら七海は賢人に向かって敬礼した。

「モネとかマネの時代」

もっと長い名前の画家を例に出せよ、とつぶやいた早希を無視して七海は続けた。

「折からのジャポネスクブームの中で物品だけでなく様々な物語、特に怪談は大ブームになります。Oh! Japanese Horror! Yeah!Yeah!Oh Yeah!! Yeahaaaaaaaaaaaa!!!!みたいな感じで」

「とりあえず、すごく盛り上がってる感じは伝わってきます」

「その盛り上がりに便乗したプッチーニがオペラ『お菊夫人』を発表、ブームは更に盛り上がりを見せる中で、誰かかが西洋的解釈の中で、お菊夫人ってこんな感じかな、と描いたのがこの絵なのです」

では、と賢人が頷いた。

「この絵の題名、『人類に恥を知らせるため井戸から出てくる〈真実〉』はどう理解すれば?」

OK、と七海は親指を立てた。

「皿を割っちまって、ひゃああっ失敗しちゃった、こっぱずかし~っ、って感じで井戸に隠れていたお菊さんですが、やっぱいつまでもうじうじしててもしょうがないよね、恥ずかしいけどもう酒でも飲みながら誰かに話して笑い話に昇華させて忘れっちまおう、と井戸から出てきたのです。これ即ち、恥を知らせるために井戸から出てきたことかと」

なるほど、と賢人は頷いた。

「いついかなる状況に対してもこじつける対応力はさすがです」

ちなみに、と七海はしたり顔で続けた。

「いくら人に話しかけても無視され続け、そこで初めて自分が死んでいることに気づいたお菊さんは、ひやあああっ私ってうっかり者、と自らも恥を知るのです」

そこまでくると可哀そうになりますね、そのお菊さん、と言った後、賢人は早希を向いた。

「チイちゃんはどうですか」

うむむ、とあごに手をやった早希は顔をしかめた。

「私は現代語訳でしか語れんが」

「それでもいいので面白いのをお願いします」

うす、と頷いた早希はスクリーンを見た。

「ファミレスの店長をしている番町菊子さんは」

「それは現代“語”じゃなくて、現代の話ですよね?」

彼女はパートからの大抜擢で店長になったばかりなのですが、と賢人を無視して続ける早紀に賢人はため息をついた。

「そんな折、今期の大目玉、1億5000万部を売り上げた漫画原作の大人気アニメとのコラボ絵皿プレゼントの企画が始まります」

これは、と早希は続けた。

「これは今回のコラボ企画オリジナルの図柄で各店舗先着10組様、グループで2万円以上ご利用のお客様にプレゼントという強気な設定ながら前夜から行列必死の目玉企画だったのですが」

既に半眼になって早希を見つめている七海と賢人を順に見た早紀は続けた。

「プレゼント企画の前日、既にそれが誰かによって店から持ち出されネットオークションに出品されていることがわかり会社の本部は大慌て、各店舗に在庫の確認を入れるのですが、その日は鬼のように忙しかった菊子さんは、まさかうちにバイトくんに限って、と確認もせず、10枚ともあります、と本部に回答してしまいます。ところが閉店後一息ついた時、ふと気になって鍵付きロッカーに保管していた皿を数えます。一枚、二枚、三枚・・・・九枚。無いっ!!一枚足りない!!ひいいいいいいいいいっ!!」

それはこの絵とはなんの関係もない、ただの番町皿屋敷のパロディですよね?と半眼のままの賢人は、まだ、いひいいいいっ!いひいいいいいっ!と叫び続けている早希を見つめた。

んで、とひいいっ、ひいいっ、恐ろしや!恐ろしや!と叫びながら首を振り続けている早希を押し退けて七海は賢人を向いた。

「んで、実際のところこの絵はどういう意味なんですかね?」

はい、と賢人は頷いた。

「この絵は、ギリシャの哲学者のデモクリトスが言ったとされる「真実は井戸の底に横たわっている」という言葉を基に描かれたそうです」

「真実は土俵に埋まっている?」

「埋まっていません、ていうかこの絵のどこに土俵がありますか?」

「彼女の視線の先で、名古屋場所千秋楽の大一番が繰り広げられているというのはいかがでしょうか」

「いかがでしょうか、って、絶対無いでしょ?」

いやいや、と七海は手を振った。

「連続優勝がかかった大関と怪我による休場が続いて引退圧の強い後が無い横綱の優勝のかかった力の入った大一番に、彼女も身を乗り出して大声で応援していますよ?」

「そういわれるとそういう表情にも見えてこないこともないですが、絶対違います」

んじゃあ、とさして不満そうでもなく七海は言った。

「実際のところ、この絵はどういう意味なんですか?」

「はい。「真実は井戸の底に横たわっている」とはつまり、真実は井戸の底奥深くのような所に有り見つけ出すのは難しい、という意味なのです。ジェロームは歴史やオリエント風の絵を得意として、このような写実的で美しい絵を描いていたのですが、実は意外にも自分のその写実的な絵の価値を脅かしかねない写真の登場を歓迎し、この絵を描いたとされています。写真によって真実は白日の下に晒されるが、そこには今まで人々が恥ずかしさに目を背けていたようなものも含まれるぞ、という寓意がこの絵なんでしょうね」

そんなもん、と早希がすねたように口を尖らせた。

「そんな寓意、わかるわけないじゃん」

「そこがほら、文化の違いという奴ですよ」

と賢人が笑った。

「ヨーロッパの学のある人は、真実は見つけるのが、辿り着くのが難しいものだ、という比喩として、真実は井戸の底に有る、という言葉が有ることを知っていたのだと思いますよ。そういう人達ならば、この絵とその題名を見て、ナルホドとニヤリとしたんじゃないですかね」

いーえ、と七海は確信を込めて首を振った。

「“奴ら”はこの女性の裸の絵を見て、ニヤニヤしてただけに違いありません」

違いありません、とか言い切らないでください、と嘆息した賢人はタブレットを手に取った。

「ところで、ジャン=レオン・ジェロームの絵、以前もここで見たことありますけど、覚えていますか?」

は?

七海と早希はじっとスクリーンを見つめた後顔を見合わせた。

「わかるか、チイちゃん?」

「うんにゃ、全然」

これですよ、と賢人がスクリーンに映し出した絵を見た途端、おお、と七海は頷いた。

「これは『ピグモンとガラモン』ですな?」

「いえ、これは『ピグマリオンとガラティア』です、っていうか、ここまでくるともう本当に間違えているのかわざとやっているのかわからなくなってくるのですが?」

「今日のはマジです」

今日のはってなんですか、と嘆息した後、賢人はスクリーンを向いた。

「ジェロームはギリシャやエジプトなどの歴史や物語をテーマにした絵を好んで描いていますね。中でも、裸体の女性が出てくる絵が多いのが特徴です」

まあなあ、と七海は『ピグマリオンとガラティア』を見ながら肩をすくめた。

「19世紀になってくると、女性の裸の描き方も妙に生々しいというか色っぽいというか、そんなの出てきたからなあ。カバさんとかブグさんとか」

それはカバネルとブグローのことですかね?と賢人が小さく呟く。

「もう盛り盛りに盛った、肌すべっすべの有り得ねえような美人とか。そういう絵なら写真なんぞ出てきても負けない自信があったんでないかい、ジェロさんも」

ふむ、と賢人からタブレットを受け取ってジェロームの絵を次々に見ながら早希も頷いた。

「確かに、背を向けた絵のケツの辺りとかの描き方が妙にいろっぺーよな」

「ケツ言うなよ」

「じゃあ、おいど」

「尻、じゃあだめなのか?」

「そんな、もうっ、いやらしいっ」

今更顔を赤らめるふりをしてももう手遅れですよ、あなた達の場合は、と嘆息した賢人は、そこでふと思い出したように七海を見た。

「そういえば、前に『ピグマリオンとガラティア』を見ていた時に帰宅部の秋本くんから借りた漫画はちゃんと返したんでしょうね?」

いえ、とそこで七海はげんなりした顔で首を振り、えっと賢人はわざとらしく大きな声を出した。

「まだ返していないんですか?いい加減にしないとぼくだって怒りますよ?」

いえ、返すことには返したんですが、と七海は弱々しく言った。

「実は私の知らないところで次から次に人手に渡り、遂に行方不明に」

何やってるんですか、もう、と賢人が顔をしかめる。

「仕方ないのでおじさんに頼み込んで会社で短期のバイトをさせてもらい、全館揃いの古本を買ってきて事情を説明の上返しました」

「怒ってたでしょ、彼?」

「いえ、一応布教用である程度ボロボロになっていたのが比較的美品になって返ってきたので意外と好感触でしたが」

「が?」

「その翌日、知らない人が教室にやってきて「これ、読み終わったらこのクラスのサキちゃんて子に返しといてって言われたんだけど」って行方不明の本を持ってきて」

「あるある、ですね」

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