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カンショー!  作者: 安城要
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天使

・・・係長・・・

どこからから響いた声に、机に突っ伏して寝ていた七海はうう、と小さくうめいた。

あれ、私何してんだろ・・・そうだ・・私、高校卒業して、この春から叔父さんの工務店で働き始めたんだっけ・・

繁忙期などに時々事務や軽作業のアルバイトをさせてもらっていた叔父の顔を思い浮かべながら、七海はもう一度、うう、と小さく喘いだ。

・・・だったら、ダメじゃん寝てたら・・仕事しなきゃ・・でも眠い、眠くて眠くて・・・

もう一度どこか遠くから響いてきた、係長、という声に、七海は夢うつつの頭でぼんやりと考えた。

係長?松崎さんのことかな?松崎さん・・・だれか呼んでる・・・

うおおおっ、と叫びながら顔を起こした七海は慌てて辺りを見回した。

雑然とした美術準備室の景色と学校独特の雑音が飛び込んできて、ゼイゼイと喘ぎながら七海は額の汗を拭った。

あぶね~、あぶね~、入ったばかりの高校、もう卒業した夢見ちゃったよ・・・

あ、目が覚めましたか、という声が笑いを含みながら響いた。

「うなされていたので、そろそろ起こそうかと思っていたところだったんですが」

少し向こうでニコニコと笑う賢人の向かいに立った夏樹もクスクス笑っている。

ふと視線を落とした七海は、そこに突っ伏していたのだろう、賢人から借りていたアトリビュートの本を見下ろしため息をついた。

文字の小さな本は苦手であった。小さな字が不得手というのではなく、文字の小さな本はおそらく小難しいことが書いてあるはずだ、という先入観によるものだろう。

「・・いや、卒業して働いている夢見て・・だれかが係長呼んでて・・・」

それだけ言われても全くシュチュエーションのわからないだろう言い訳をしながら再びため息をついた七海に、ああ、と賢人が言った。

「それは、もしかして僕たちの話が夢の中で聞こえたのかもしれないですね。それでうなされていたのでしたら悪いことをしました」

は?

ほら、と言いながら賢人は持っていたタブレットパソコンの画面を七海に向けながらその一点を指差した。

「ガブちゃん係長」

誰だよ、それ。




「大天使ガブリエル・・・」

検索したサイトを一通り読み終えた七海は頷きながらタブレットパソコンを賢人に返した。

「名前は聞いたことありましたけど、すごい天使なんですね」

タブレットを受け取りながら賢人がニコニコと言った。

「そう思いますか?」

「いえ、思いません」」

「おや、それはどうして?」

「賢人さんがそんな言い方した時は大抵間違っている時ですから」

ずるいなあサキちゃんは、と賢人が苦笑した。

「まあ、そうなんですけどね。天使の階級については諸説ありますが、一般的な九階級で言うと、大天使って下から二番目、つまり、下の中くらいでしかないんですよ」

「え、そうなんですか?“大”天使っていうから私てっきり」

Archangelsアークエンジェルを大天使と邦訳したところが間違いの元なんでしょうね。そもそもからして上位の天使は人間“なんぞ”の前には姿を現しません。現場を走り回って度々登場するのは下っ端天使なんですよ」

賢人が何を思いついたのかくすっと笑った。

「天使って羽があるからさっと飛んできているようですけども、天使は梯子を使って天界と人間界と行き来しているという話もありまして」

「梯子?」

「ええ、『ジェイコブス・ラダー(Jacob's Ladder)』と言いまして、邦訳すると『ヤコブの梯子』になります。これについて書かれた絵も沢山あるのですが、例えばミヒャエル・ヴィルマンの描いた『ヤコブの夢のある風景』の中の梯子は天使がぎっちりとしがみついてて、大渋滞中です。天使にとっては人間界にくるだけでも大変そうですね」

なんか、一気に夢の崩れるような話だ。

「じゃあ上位の天使って、普段何してるんですかね?」

「これも諸説ありますが、上位の天使は普段は神様の周りを飛びながら讃美歌を歌っているだけらしいですよ。彼らはそもそも人間の姿すらしてませんから」

「え、じゃあどんな姿なんですか?」

「頭部から直接羽が生えた姿で、胴体はないそうですよ」

は?

七海は少し考えてその姿を思い浮かべた。

「なんだかなあ。でも確かに、あんまり現れて欲しくないビジュアルですねえ」

「まあねえ。言わば空飛ぶ生首ですからねえ。もしかしたら特大の」

うげ。

鼻くそとかどうやってほじってるんだろう、とつまらないことを考えながら、七海はふと瞬きした。

「あ、でも魔王とか、ええとルシファーって言うんですか、あれも上位の天使だったんですよね?」

「はい、彼は最高位のSeraphimセラフィム、邦訳では熾天使してんしだったとされています」

「けど、羽の生えた頭部とか言われたら、あんま怖くないですねえ。あ、いや、薄暗くなった帰り道に角を曲がった時にばったり出くわしたらやっぱりちょっとビビるかな」

「下校途中の角の先にルシファーがパタパタ飛んでいるということはないと思いますがね」

賢人が肩を震わせた。

で、としばらく考えた後、半眼になった七海は賢人を見た。

「で、ガブちゃん係長」

「そう、ガブちゃん係長」

なんでそうなるんだろうか?

再び賢人がくすくす笑った。

「以前に、ぼくがまだ入部したてのころにOB方が遊びに来てくださってこんな話をしてくれたんですよ。その方、名古屋の方の中堅メーカーに勤めていたんですが、うちの会社って、天使の世界に似てるんだよなあ、って」

はい?

「カリスマ的な創業者の会長がいて、役員を務めている彼の親族は経営よりも会長におべっかを使うのに忙しくてあんまり会社にも顔を出さない。会社を支えているのは叩き上げの部課長クラスで、下っ端は上からの無茶振りへの対応も含めてヒイヒイ言いながら現場を走り回ってる、ってね」

それで?

「そんな話をしている時にガブリエルの話が出まして。ガブリエルなんて特にそうだよなあ、って。よく絵になっている『受胎告知』なんか、一見感動的な話に見えるけど、ガブリエルからすれば、ある日突然上司から呼ばれて『ガブリエルくん大変なことになったよ。うちの会長が人妻を、その、なんだ、まあ無理やりヤッて妊娠させちゃってさあ。でも相手の女性まだ妊娠していることに気づいていないみたいだから、きみさ、ちょっと行って彼女にさ、あなた妊娠してますよ~、って言って来てくれないかなあ』てね。ガブリエルからすれば、いやちょっと待ってよ、っていう話なんだけど、しぶしぶマリアさんというその女性の家を訪問して『ええ、突然やってきてこんな話を大変申し訳ございませんが、あなたうちの会長の子を妊娠されておられます』『あはは、まさか。私そんな方に会ったこともございませんわ』『あ、いえ、あなたが気付かないうちに無理やり・・』『ええっ』。確実に訴訟ものですね」

いや、そうなのかもしれないが、女の声音まで使って伝えなきゃならないことか、それ。それも昼メロ風に。

「それも天使の仕事って無報酬な上に、365日24時間無休でしょ?転職市場もないし、超ブラックな職場と言っても過言ではないかもしれませんね」

イメージ崩壊というか、聞きたくない話だ。

「そんな話をしているうちに、我が部では哀悼と激励、親しみを込めて、大天使ガブリエルをガブちゃん係長と呼ぶことが伝統となりまして」

もっとマシな伝統はないのか。

でもねえ、とどこか楽しそうに賢人が続けた。

「天使の世界を会社組織に例えるのは言いえて妙という気もしますね。例えば、業界を独占している企業のカリスマ経営者が居て、若く野心的な役員がそれの方針に異を唱えるが聞き入れられずに結局会社を飛び出し、同業他社を立ち上げる」

それってルシファーのことでしょうか?

「相手は業界の巨人、それに徒手空拳で挑んでいく若き経営者率いるベンチャー企業。頑張ってはいるが実力差は歴然、預言でもハルマゲドンで神が勝利することとなっていますからいずれ敗れ去ることは確実、でも叶わぬまでも一矢報いる、決して自ら膝をつくことはないぞ、と」

判官びいきの日本人としてはなんとなくルシファーを応援したい気分になるから不思議だ。

「天使の側からも裏切者、つまり堕天使が出るんですが、その多くがエクスシア(Exousiai)、能天使と呼ばれる天使です。これは中の下の天使ですから会社組織だと課長クラスの中間管理職、ということになりますかね。会社でも、上からは怒られ下からは突き上げられる一番辛い立ち位置で精神的にも参っているでしょうから、ああ天使やめて~、って気分になるのもなんとなく頷けます。でも堕天使になる以外に天使やめる方法って思いつかないもんで、ええいっ、もうやけくそだ!悪堕ちしちゃえっ、て、ね?」

悲哀だな~~。

七海はため息をついた。

「なんか・・天使のイメージ大崩壊、って感じですね」

おや、と賢人が嬉しそうに七海の顔を見直した。

「逆にサキちゃんの天使のイメージってどんなんだったんですか?」

「え?そりゃあ、いつも人間を見守っていてくれて、危機に陥ったら助けてくれるとか。大抵の人がそんな感じなんじゃないですか?」

なるほど、なるほど、と楽しそうに賢人が頷いた。

「ずいぶんと人間にとって都合のいい存在なんですねえ、天使って」

ニコニコと言う賢人に、七海はむっと唇を尖らせた。

「なんかひっかかる言い方ですねえ。じゃあ、賢人さんはどう思っているですか」

「まあ僕の話は置いておいて、さっきも言ったとおり天使って『株式会社天国』の社員でしかないんですよね。そして、その社命は絶対です。じゃあ彼らに指示を出している会長、ああ、キリストに社長を譲って今は会長職に退いた神様って、人間にそんなに優しかったですっけ?ほら、大洪水を起こしたり、風紀が乱れているっていうだけの理由で街を滅ぼしたり」

とゆーわけで、と賢人がタブレットパソコンを操作した。

「この絵(http://kaiga-date.com/wp-content/uploads/2020/07/peste_rome_orsay.jules_elie_delaunay01.jpg)を見てください」

「やっぱり絵ですが」

「やっぱり絵です。美術準備室ここにいる限りは全て絵です。全ての話は絵に通ず、ここまでの話は絵の話をするための、まあ言わば“つかみ”ですね」

えらく長く掴んでいたものだ。

大きくしましょうか、とタブレットをいつもの巨大スクリーンに繋いだ賢人に、あれ、と七海が不思議そうに瞬きした。

「これ、これってまさに天使そのものって感じじゃないですか?」

「ふむ、じゃあサキちゃんはこれはどんな絵だと思いますか」

「どんな絵って・・そうですねえ。人が苦しそうに倒れてたり死んでる人もいるかもしれない・・多分悪い奴か怪物でも出たんですかね。そしてそこで粗末な槍一本を持った勇敢な若者が立ち上がる。扉の向こうにいるのだろう“それ”に向かって槍一本で戦いを挑もうとしている。その背後では天使が『恐れることはない、私がついている。いざ行かん!』て感じで扉の方を指差して若者を鼓舞している、って感じですかね。この若者って、のちに英雄か聖人かになる偉人の若き日の姿とか」

おおっ、と賢人が小さく拍手した。

「すごいですね」

「あってます?」

「大外れです」

にっこりと賢人が笑い、七海がジト目になる。

「じゃあなんなんですか、その拍手は」

「いや、たった一枚の絵からそこまでストーリーを思いつくなんて凄いなって。サキちゃん、作家の才能あるかもしれませんよ」

「バカにしてます?」

「いやいや、本心ですとも」

ここまで黙って二人のやりとりを眺めていた夏樹がくすくすと笑っている。 ため息をついた七海はもう一度じっくりとその絵を眺めた。

「じゃあ、何なんですか、この絵」

「この絵はジュール・ドローネーの『ローマのペスト』です。あなたが若者だといったその人は実は悪魔で、天使が魔力だかなんだかで悪魔を操って疫病で人間を殺戮して回っている絵ですよ。この場面は、天使に命じられた悪魔がその扉を槍で突くと、突いた数だけの死体がその扉の家から運び出されることになります」

はあっ?

「ただこれはドローネーの想像の産物ではありません。元ネタは十三世紀に書かれた『黄金伝説』と呼ばれる聖人列伝です」

なんで“聖人”列伝にそんな恐ろしい記述があるというのか。

「見てくださいよ、この天使の顔。若さゆえの無知と傲慢にあふれた無表情で、なんのためらいもなく悪魔に殺戮を命じている。絶対者に盲目に従う感情無きロボット、教祖に心酔するカルト教の若者が教団の命ずるままに凶行に及ぶ時もこんな顔をしているかもしれませんね」

いや、と目を細めてその絵を見ながら、賢人は少し声を落とした。

「超ブラックの『株式会社天国』で心を病んだ天使は、案外弱いものをいじめるようなこんな仕事こそ嬉々としてやっているのかもしれません」

弱者が抵抗もできずに死んでいく姿を見ながらあふれそうになる高笑いを隠すための、逆に無表情かもしれませんね・・

そこまで言った後言葉を切った賢人は、そのまま無言でその無残な絵を見つめ続けた。


なんとなくため息をつきたい気分でいつもより早く美術準備室を辞した七海は、今度ははっきりとため息をついた後廊下を歩き始めようとして、ふと視線の少し先で開いた美術室の扉に足を止めた。

そこから出てきた長身の女生徒が七海には気付かずすぐに背を向けて廊下を去っていき、その姿は階段に通じる角に消えた。

歩みを進めて開いたままになっていた扉からなんとなく中を覗き込んだ七海は、ほっと溜息をつくようにしてそこに歩み入った。

一人残って、目の前の机の箱から一つつまんだ菓子を食べようと口を開いた姿勢で動きを止めた三田環奈の目が七海を向き、軽い調子でよっと手を挙げる。

「さっきの三輪さんだったよね、あの人よく顔出してるの?」

ああ、と環奈が七海の視線を追うようにして扉に目を向けた。

「よく来てるよ。放課後はいつも自習室に行ってるみたいだけど、なんだかんだ理由つけて抜けて来て、人の喰ってる菓子を適当に食い散らかして帰ってくよ」

「理由?」

環奈と向かい合う席に座った七海に環奈が頷いた。

「今日は、自習中ふと顔を上げたら、周りのみんなが目を血走らせるような感じで必死こいて勉強してるの目について、自分もその一人だと思ったらげんなりして気分悪くなったからちょっと休憩、とか、つまらない理由。単なるサボる口実だね」

あの人、見かけほど優等生じゃないのかな、と七海はハハハとうつろに笑った。

「食うか」

「あ、サンキュ」

環奈が向けた菓子箱に手を伸ばしかけた七海は、ふと箱の一点を見つめてそこで手を止めた。

しばらくじっと“それ”を見つめたその目が、ゆっくりと環奈を向いた。

「ねえカンナ」

「ん、どした?」

「あんたさあ、森〇のマーク(https://news.mynavi.jp/techplus/article/20130610-mrng/images/004.jpg)のこのエンジェル、この笑顔の下で実はよからぬことを企んでるんじゃないかとか、想像したことない?」

「とーとつに何言い出すんだよ、お前」

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