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カンショー!  作者: 安城要
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(番外編)Loser(山田さんと川口さん)

名古屋駅前通りの繁華街に立つ商業ビル、レジャック前の日陰に立った山田はスマホを取り出すと時間を確認し辺りを見回した。

ナナちゃんの前にするか、と先日の電話で提案した山田に、二十も後半に差し掛かったおっさんがナナちゃん前もあるまい、と苦笑しながらレジャック前を指定したのは川口の方だった。ただ、約束の五分前、川口は時間に正確な方だったがまだその姿は見えなかった。

学生時代からの友人、川口と久しぶりに飲むのに山田の顔色はさえ無かった。

山田は三重県四日市市出身、そして川口は岐阜県岐阜市の出身で、名古屋に大学に通っていた二人は共に自宅生であり、そして二人とも愛知県に拠点を置く会社に就職した。そのため、大学卒業後もしばらくは一月に一度くらいはどちらからともなく誘って飲みに出ていたが、川口からの久しぶりの誘いは、京阪神方面の支店に異動していたが久しぶりに本社に復帰したとの報告と共にあった。

川口が指定してきたのはレジャック近くでかつて通いなれた『天狗』であったが、今は系列の別に店になっていると告げると驚き、逆にその店を見たいとそこに決まった。

その電話が先週の土曜日のこと。

たまには新規開拓するか、と自分の地元、四日市に招待するか、川口の地元岐阜まで行くのも悪くないな、となんとなく岐阜市の地図を眺めていると、岐阜県美術館というのが目についた。

西洋の絵画を見るのが趣味の山田であったが、国内の地方の美術館などどうせ大した作品など収蔵されていまい、と東京上野の国立西洋美術館くらいしか行ったことがなかった。

ただ、美術館を見に行って、その帰りに、近くまで来てるぜ、と急に電話すれば川口は驚くに違いない、そして奴の行きつけの店でも案内させるのも面白いな、と、今日の土曜日、朝から岐阜市まで足を延ばしたのだ。

そして、と山田は暗い目つきで、変わった信号に一斉に歩き出した人々から地面に視線を落とした。

それは、川口の家をサプライズ訪問する前の前座のはずであった。そう、そのはずだった。

だが、とレジャック前に立った27歳のサラリーマンは顔を歪めて涙ぐんだ。

だが、おれは完全に打ちのめされた。

オディロン・ルドンという画家の作品が多数収蔵されていることは美術館のリーフレットで知った。

しかし、その画群の前に立った時、その衝撃に立ち尽くした。

一瞬、自分がどこにいて、何をしているかすらわからなかった。

何故だ、岐阜県民・・

それしか考えられなかった。

何故なんだ!岐阜県民!

そう叫びたかった。

そう。

他にいくらでもましな画家があろうに、オディロン・ルドンとかいったか、何故こんな珍妙奇怪、奇妙奇天烈な絵をせっせと収集したのだ。

税金だぞ?県民の血税で運営してるんだぞ?

それがなんでこんな絵を。

何故なんだ・・岐阜県民・・・

自分以外の、そこに居るその絵の鑑賞者に縋りついてそう問いただしたかった。

そして思った。

こんな絵を収集するとは、なんという芸術への理解、パリジャン以上だ!そしてこんな絵をせっせと収集することに血税を注ぎ込むことを許容する寛容なる心の広さ、懐の底知れぬ深さ!

全身に戦慄が走り、涙が出そうであった。

正気の沙汰ではなかった。とても同じ日本人みんぞくとは思えない。

そして思った。

三重県民おれたちは、今後百年は岐阜県民こいつらには勝てない・・

いや、どの県民も、東京都民ですら岐阜県民こいつらに勝てないに違いない。

と。

その時の事を思い出すと再び涙が浮かんだ。

「わりい、ちょっと待たせたか」

声に顔を上げると、変わらない川口の顔があった。

「『天狗』なくなったって?」

ああ、となんとか笑顔を作りながら山田は目の端を拭い、並んで歩き始めた。

「まあ行って見てみればわかるさ」

巨大な笹島交差点で信号を待ちながら、山田はちらっと河口の横顔を盗み見た。

これは、と唾を飲み込む。

これだけは確認しておかなければならない。

川口さ、とわざと軽い調子で語り掛ける。

「川口、生まれも岐阜なのか?」

ああ、と川口も軽い口調で答えた。

「生まれも育ちも岐阜だよ。どうしたんだ、急に」

いや、なんとなく思いついただけだ、と笑顔で首を振ってから俯いた山田は息を吸い込んだ。

やはり、こいつ岐阜県民じゅんけつしゅかよ。

店に入り、生ビールを待つ間、山田は思い切ってこう切り出した。

「実はさ、今日俺、岐阜県美術館に行ったんだ」

そして探るような眼で川口を見たが、へえ、と川口はたいして驚いた風もなく頷いただけだった。

「なら、ちょっとうちに寄ればよかったのに」

そのつもりだったが、あの時はそれどころではなかったのだ。

岐阜県美術館ね、と川口は何かを思い出すかのような目で宙を見た。

「そんなのがあるのは知ってるけど、俺は行ったことはないなあ」

俯いた山田は、ギリッと奥歯を嚙み締めた。

行ったことがない・・行ったことがない、だとう?

岐阜県民でありながら、あのルドンの作品を見たことがないだと?

そこではっと瞬きした山田は、くっと横を向いた。

見るまでもない、ってか?くそっ、これが絶対王者の余裕って奴かよ・・

ビールが運ばれ、適当に注文した後、近況を報告してくる川口に適当に合わせながらも、山田の頭の中にはまだあの昼間見た画群が渦を巻いてた。

くそっ、もうだめなのか、三重県民おれたちはずっと岐阜県民こいつらの足元にうずくまって憧れを持って見上げることしかできないのか・・

県内に長島スパーランドとパルケエスパーニャの二つの巨大テーマパークを持つ三重県民おれたちが、ジェットコースターに乗るには僻地の恵那峡ワンダーランドに行くより県境を越えてモンキーパークへ行く方が近い岐阜県民こいつらに負けたままなのか。

岐阜県民こいつら、海なし県民に!

だが、と昼間見た絵を思い出すと絶望が胸を占める。

三重県民じぶんたちが誇る最強の松阪牛ほこ伊勢海老たてを持ってしても、岐阜県美術館たったいっぽんのけんに勝てる気がしなかった。

おい、という声にはっと川口を見る。

「どうしたんだ、浮かない顔して」

ジョッキを小さくあおった川口はそれを置くと、正面から山田を見た。

「悩み事か?俺でよければ相談に乗るぞ?」

な・・・・。

山田は茫然と川口の顔を見つめた。

なんだ、このいかにも頼りになる感じは?

すぐに思った。

こ、これが、ルドンの絵あのコレクションを保有しているの余裕なのか?その自信が岐阜県民こいつらにそう振舞わせるのか?

山田は、いや、なんでもないんだ、と笑顔を作るとぬるくなったジョッキを一気にあおり、おれ、これもう一杯飲むがお前もなんか頼むかと、問いかけた。

しかし、頭の中では繰り返した思考がぐるぐると回っていた。

大学のアメフト部では共に一年からレギュラーだった。それぞれ同規模の中堅メーカーに就職し、同期から頭一つ抜けて主任になったのも同じだ。

こいつとおれは対等だと思っていた。

しかし違った。

こいつは初めっから岐阜県民としてぎんのスプーンをくわえて生まれてきたのだから。

努力だけでは絶対埋められない決定的な差が、三重県民おれ岐阜県民こいつにはある。

もう、もうだめなのか・・・三重県民おれたちは、もう・・・

川口に合わせて適当に談笑しながらも、今にも涙が溢れそうだった。

そこで山田ははっと瞬きした。

違う!まだ終わりじゃない!

そう三重県は伊勢神宮を奉り、いにしえより東西の交通の要衝の地。

ミキモト真珠、イオンなどの起業精神溢れる土地でもある。

三重県民おれたちはまだ膝を屈しない!

岐阜県に岐阜県美術館あらば、三重県には三重県立美術館がある!

県庁所在地つしよりも名古屋に近い市よっかいちしの方が人口が多いといういびつな県の美術館だ、そこには無駄に歪んだひねくれた作品群が収蔵されているに違いない。

そう、そして三重県ここはかつて改革派として鳴らした北川元知事あのおとこが知事を務めた県だ。政治家としての評価は知らないが、彼ならばその先進的なセンスで、奇妙奇天烈で驚天動地な作品を買い集めてくれているに違いない、そうに違いない!

おれは北川元知事あのおとこ全てを賭けるオールベットする

明日、おれは三重県美術館に行く。

だがそこでおれが見るのは絵ではない。

そこでおれが目にするのは三重県民おれたちの完全なる勝利だ!

ぐっとテーブルの下でこぶしを握り締めた山田は、運ばれてきたばかりの冷えたジョッキを手にとるとぐっと半分まで一気に煽った。

そしてそれをテーブルに叩きつけるようにして置くと、笑いながら川口を指差す。

「なんだお前、全然飲んでねえじゃねえか、もっと飲め、ほれ!」

にやっと笑った川口は、やっといつもの調子が出てきたな、と言いながら自らのジョッキを干し、通りかかった店員を呼び止めた。

ビールと追加の料理を注文する川口の横顔を見ながら、山田は笑みに頬を歪めた。

そうだ、全ては明日だ、全ては明日決まる・・・



つづく





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