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カンショー!  作者: 安城要
132/238

遠方より来たる

ある日の土曜日。

汗を拭き拭き、ふへ~い、という挨拶ともうめき声とも知れぬ声をあげながら美術準備室ぶしつの戸口に現れた七海は、賢人しかいない部室の中を見回すと、あれ?と言った。

「他のみんなはまだ来ていないんですか?」

「今日はあなたとぼくだけです」

ぱっと廊下に飛び出して顔半分だけのぞかせながら、七海はじっと賢人を見つめた。

「ま、まさ」

「まさかは有りません。有り得ません。“秘めたる思い”とか打ち明けたりしませんので入ってください」

ちっと舌打ちしながら七海は部室に入ってきた。

「なんです、打ち明け話とか欲しかったですか?」

いーえ、と言いながら七海は首を振った。

「それはノーセンキューですが、せっかくの休日を潰すのですからそれなりのイベントを期待しただけです」

「潰すのではなく、有意義に過ごすと考えましょうよ」

んで、と七海はジト目で賢人を見た。

「せっかくの休日に、なんで私だけでお呼び立てなのでしょうか?何もなければ、早く家に帰ってゴロゴロしたいのですが?」

「それこそ無駄な休日の過ごし方では?」

「いーえ、何もしない時間、それこそが現代社会においては一番贅沢な時間なのでございます」

物は言い様ですね、と嘆息した賢人は頷いた。

「今日はお客様がありますので、一緒にご接待をお願いしたいのです」

むっと顔を歪め、バンッ!と机を叩いた七海は、椅子にふんぞり返って座ると腕を組んだ。

「つまりは、せっかくの休日にのこのとこやってくる、気の利かない、空気読めない、しみったれた糞客様の相手をすればいいわけですね?」

「はい、そのとおりです、と答えにくい聞き方しないでください」

なんだよ、そいつら!と七海は再び机を叩いた。

「平日に来いよっ、平日にっ!放課後なら捨てるほど、というか実際に捨ててる時間が余ってるのによっ!」

「つまり、ぼく達と一緒に絵を見ている時間は捨てている時間だと?」

「そこまで露骨に口に出しては言いませんが?」

「言ったんですよ、あなたは今その口で」

そんなことを言っているうちに遠くの廊下に足音が響いた。

体育会系はともかく、芸術系の部も研究系の部も来ていない校舎は静かであった。足音の主は件の来客に違いなかった。

戸口にわずかにその姿が現れた瞬間立ち上がった七海は、貴様かっ!!と叫びながらそちらを指差した。

「貴様がせっかくの休日にのこのとこやってくる、気の利かない、空気読めない、しみったれた糞客かっ!!」

次の瞬間満面の笑顔になった七海は両手を広げた。

「ようこそ我が絵画鑑賞部へっ」

全然歓迎されてる気がしないな、とぼやきながら入ってきたシルエットを見た七海は、おや、と言った。

「あなたは確か、池上高校の美術鑑賞部長の・・・誰でしたっけ?」

「霧島だ。もう忘れたのか」

やだなあ、と七海は霧島に向かってひらひらと手を振って笑った。

「霧島さんは知ってますよ、忘れたのは下の方の名前ですよ」

「貴様に下の名を名乗ったことはない!田中〇栄のような誤魔化し方するんじゃない!」

いえいえ、と澄ました顔で七海は手を振った。

「聞いたことがなかったからお伺いしたのですが、何か変ですか?」

勢い込んで何か言おうとした霧島に、霧島さん、と背後から彼の肩に手を置いた賢人が諦念的に首を振った。

「口ではこの子達には絶対かないませんから止めといた方がいいですよ」

会話の切れ間を待っていたのか、こんにちわ、ともう一つのシルエットが戸口に現れ、それを見た七海は、おおうっ、と声をあげながら駆け寄った。

「なんだ、クロちゃんも来たのかい」

どうも、と笑顔で軽く頭を下げた黒田にすり寄った七海は、肘で黒田の腰を突いた。

「この前聞いた峰中四天王の話面白かったよ。実はさ、あの後さ、結構荒れて面白い話になったんだよ。ねっ、聞きたいっしょ?聞きたいよね?聞くよね?私は喋りたいよ?」

「い、いや、あんまり聞きたくないような」

それで、と七海が霧島と黒田の顔を交互に見た。

「それで、今日は池上のデコボココンビが何の御用で?」

「なんでデコボコなんだよ」

と霧島が同じくらいの身長の黒田を見てから七海を向いた。

いや、と七海が黒田を指差した。

「優秀と」

その指が霧島を向く。

「ポンコツと。これでデコボコで」

また何かを叫びそうになった霧島に、賢人が慌てて、まあまあ、と手を振った。

「立ったまま話もなんですので、お二人ともどうぞお掛けください。サキちゃん、お手数ですがお二人お茶を差し上げていただけますか」

はあい、と七海はうれしそうに頷いた。

「じゃあ、粗茶でも入れますね」

「何?その初めっから美味しい茶を入れる努力をする気すらありませんみたいな言い方?」

「ぼくも含めて、絶対歓迎されてませんね」

椅子に腰かけた二人は同時に半眼になると、スキップを踏むようにして水屋に向かう七海の背中を見つめた。

既に賢人が電気ポットの準備をしてくれたおかげで、七海はすぐにお盆を持って戻ってきた。

目の前に置かれた湯呑を手に取り一口すすった霧島は、うむ、と頷いた。

「なるほど、粗茶だ」

「あんたも何故人からポンコツ呼ばわりされるか少しは自分を見つめ直した方がいいんでない?」

それで、と賢人が口調を改めて霧島を見た。

「今日はどのような御用で?」

ええっ、来る目的も聞いてなかったの?と叫ぶように言った七海の異議申し立てをいなしながらじっと霧島を見た賢人に、霧島は軽い調子で言った。

「いや、別に何か用事が有るってわけじゃないんだ」

帰る、と一瞬で背を向けた七海の制服のすそを掴んで引き止めながら、賢人が、それだけですか、と聞いた。

いや、と霧島がちらっと隣の黒田を見た。

「お前らがこの前、池上うちに来たじゃん?それで、黒田の奴も一度陵上の絵画鑑賞部を見たいってな。ほら、普段放課後だと距離あるし来難いだろ?」

ほらほら、と賢人が座ってやっとわずかに見上げるようになる七海の顔を見た。

「先日ぼく達が訪問したお返しに来ていただいたんですよ。サキちゃんも最低限のご接待はすべきなんじゃないですかね」

むっと賢人を振り返った七海は、わかりました、と顔をしかめたままで頷いた。

「最低限でいいんですね?」

「それは言葉の綾です」

それで、と賢人がにっこりと黒田を向き直った。

「どうですか、我が絵画鑑賞部の部室は?」

そうですね、とここまで階段を上がってきた後水分を取ったせいか、額の汗を拭き拭き美術準備室を見回した黒田が頷いた。

「暑いですね、ここ」

「もっと美術鑑賞者らしい感想はないのか」

呟いた七海を無視して、黒田は賢人を見た。

「隣の美術室、前を通った時にクーラー入ってるの見えましたけど、あっちは使えないんですか?」

実は、と言いながら俯いた七海が低い声で言った。

「あっちは“奴ら”に支配されていて使わせてもらえないのです」

「奴ら?奴らって?」

はい、と泣きそうな目で七海は黒田を見た。

「奴らとは、元峰中四天王の一人、狂える野獣こと白石剛とその一党」

黒田の顔が引きつり、賢人が慌てて七海に顔を寄せた。

(何いい加減なこと言ってるんですか?)

(嘘じゃないっしょ、あっちのボスは白石部長なんだから)

それじゃあ仕方ありませんね、と黒田はあっさりと引き下がった。

(おお、峰中四天王の伝説は未だ健在ですな)

(可哀そうなことしてあげないでください)

じゃあ、と七海はちらっと黒田に視線を走らせてから更に顔を寄せて声を落とした。

(じゃあ、自習室行って三輪さん連れてこようか。今日はモグモグタイムが無いから、既にこの時間でボロボロになってると思うし)

(もっと可哀そうなことしてあげないでください)

お前ら何こそこそ喋ってるんだよ、と、バッと一閃で広げたセンスで自らを仰ぎながら霧島が胡散臭そうに言った。

「せっかく俺らが来てやったんだから、何か面白い絵の話とかねえのかよ」

「嫌ならお引き取りいただいても当方に何の支障もございませんが?」

これこれ、と七海の肩を叩いてため息をついた後、賢人は、そうですねえ、と少し考えた。

「今更、霧島さん相手に、霧島さんが見たことがないような面白い絵を見つけました、というのはないと思いますが」

お前もわかってきたな、と霧島が満更でもない顔でパタパタ仰いだ。

ふうむ、と声に出しながら考え込んだ賢人に、七海が背後で手を挙げた。

振り返った賢人に、七海は無表情に頷いた。

「先日の、やる気の無い岐阜県民の絵はいかがでしょうか?さすがにあれは見たことないっしょ?」

やる気の無い岐阜県民?と霧島と黒田が顔を見合わせる。

岐阜県民?と言われた当の賢人もしばらく考え込んだが、ああ、と二人の来訪に備えてあらかじめスクリーンにセットしてあったタブレットを手に取る。

それを見た黒田が、おお、と感心したように賢人を見た。

「この大画面のスクリーン部の備品ですか?さすが陵上、すごいですね」

いやいや、と七海は遠くを見る目で手を振った。

「私ら“帰る家がある”集団に、そんな予算が来るはずもありません。これはあくまでも学校の備品でございます」

ぼくだって帰る家はありますよ?と不思議そうに言っている間にスクリーンに一枚の絵が映し出され、なんじゃこりゃ、と霧島が叫んだ。

「これが岐阜県民を描いた絵なのか?」

「そうなのです。これが岐阜県民の本来の姿なのです」

こ、これは、と黒田がごくっと唾を飲み込んだ。

「ぎ、岐阜県民あなどるべからず」

だしょ、だしょと言いながら、七海はバンバンと黒田の背中を叩いた。

「やっぱあんた気が合うよ、もう、もうさ、二学期から陵上に編入しなよ、そして絵画鑑賞部うちにおいでよ、な?な?」

「なんできみにぼくの人生を決めらねばならないのですか?」

それ!と言いながら手を打った七海は黒田を指差した。

「秒でその突っ込みが入るところが素質ありだよ、ね、賢人さん?」

知りませんよぼくはと言った後、賢人はスクリーンを見た。

「ちなみに、これは岐阜県民を描いた絵ではなく、岐阜県美術館に収蔵されている、オディロン・ルドンの『「夜」 Ⅲ. 堕天使はその時黒い翼を開いた』です」

おお、オディロン・ルドン、と霧島と黒田が顔を見合わせて頷く。

「言われてみればそんな雰囲気あるな」

「ていうか、ルドンの絵と言われてみれば逆にインパクト弱めですね」

そうなの?と賢人を向いた七海に、そうですね、と賢人も笑った。

「ルドンとくれば、例えばこれ、『泣く蜘蛛』!」

おおうっ!

「そして、こんなのも有ります。『サボテン男』」

ひえええっ!

「これはどうです?『森の精神』です」

あうちっ!

次は、と言いかけた賢人に、七海は慌てて手を振った。

「オッケーすっ、もうお腹一杯です!」

どうした、と霧島がからかうように七海を見た。

「さすがのお前もこういうのはダメか?」

グロすぎっしょ!と七海はゼイゼイという息の下からなんとか言った。

「私というより、女子一般が苦手とする系統の絵です」

女子?と言いながら顔を見合わせた霧島と黒田が同時に七海を向いた。

「お前は女子というより、どちらかと言えば地蔵だろ?」

「ぼくも同じことを思いました」

うんうんと頷いた賢人が七海に微笑みかけた。

「予備知識の無い二人がそう言うんですから、やっぱりあなたは地蔵なんですよ」

わたしゃ戸田七海だよ。

地蔵といえば、と黒田が、賢人からタブレットを受け取り、一枚の絵を映し出した。

「これ、同じくルドンの『仏陀』という絵なんですが」

そこにいた全員が半眼になってその絵を見つめた後、一斉にため息が響いた。

「なんか勘違いしてますよね?」

「ああ、どうみても地蔵だよな、これ」

「西洋人あるあると言ってしまえばそれまでですが、この勘違いはあまりにも」

そういえば、と再びタブレットを操作して一枚の絵をスクリーンに映し出した黒田は一同を見た。

「この前、ルドンの『キュクロープス』について調べていたら面白い記述を見つけましたよ」

おお、とその絵を見た七海は頷いた。

「同じ怪物でも、さっきまでのに比べればまだかわいいですな」

そうですね、と賢人も相槌を打った。

「この大きな目が無垢な動物を思わせる絵ですよね。ちなみにキュクロープスとは一つ目の巨人のことです」

ほうほう。

「一つ目の巨人て、まるでサイクロプスみたいですね。そういや名前も似てるし」

「え?」

「は?」

はい?

サキちゃんと賢人がため息をついた。

「サイクロプスが、キュクロープスのことなんですよ」

はや?

「ラテン語でキュクロープス(Cyclops)は英語ではサイクロプス(Cyclops)と読むんだ」

そんなことも知らねえのかよ、と勝ち誇ったように言った霧島に、七海がむっと口を尖らせた。

戸田さんは、と霧島に何か言葉を浴びせようとした七海を慌てて遮るようにして黒田が言った。

「ギリシャ神話は詳しい方ですか?」

「いーえ、私は『のらくろ』派でしたので」

のらくろ?と顔を見合わせた黒田と霧島に、内輪でしかわからないジョークをすみません、と嘆息しながら賢人が頭を下げる。

けど、と七海が続ける。

「ルドンが、発想の優れた画家だったのはわかりますよ」

ほう、と賢人が首を傾げた。

「それはまた。して、その根拠は?」

だって、と七海の小さな手がスクリーンを指差す。

「一つ目の巨人、て言われたら、普通は人間が大きくなった姿で描くでしょ?それをいかにも純真無垢な小動物を思わせるような姿で描くって、なんていうか、今までの常識を突き破るとでもいうのか、そんなんなんじゃないっすか。絵って、そういう今までになかった表現をする画家が現れる度に、次の段階に進んでいくってイメージなんですけどね」

どうです、と言わんばかりに誇らし気に霧島と黒田を見た賢人に、ふん、と霧島が鼻を鳴らした。

「まあ、常識だけどな、そんなもん」

ただ、と再びむっとした顔になった七海に霧島は続けた。

「ただ、自分でそれに気づいたのなら、まあ褒めてやらんこともない」

素直じゃないっすね、と七海がスクリーンを指差した。

「この純真無垢なつぶらな瞳を前にしてそんな毒のあるセリフを吐いて、恥ずかしくないですかね?」

「いや、別に恥ずかしくはないが?」

そこはぼくも霧島さんに賛成です、ぼくもです、と賢人と黒田が頷く。

それによ、と頭の後ろでくんでわずかに体を反らして座りながら霧島は七海を見た。

「それに、お前は純真無垢、純真無垢、って繰り返してるけど、この後ポリュペーモスが何するか知らないだろ?」

ポリュペーモス?

なにそれ?

「黒田、教えてやれよ」

ええっ、と小さく言った黒田は、少し嫌そうに七海を向いた。

「ええとですね、戸田さん」

「はい、なんでしょうか黒田くん」

なんなんだよ、その会話、と霧島が目を細める。

「キュクロープスというのは固有名詞ではなく種族の名前で、その中にポリュペーモスという者がいるのですが、ポリュペーモスはさっきの戸田さんの話ではないですが、ギリシャ神話の中では普通に人間が大きくなった姿の人を喰らう凶暴な一つ目の巨人と書かれています。ルドンはそれをこのようなどこか愛くるしい姿に描いたわけですね」

ほう。

「神話の中でポリュペーモスはガラティアというニンフに恋をします」

まあっ、と目を見開いた七海が口を押えた。

「まさか人妻に横恋慕?その上妊婦萌え?」

は、と瞬きした一同に、あれ?と七海は賢人を向いた。

「ガラティアって、確か石像から人間になってピグモンとかいう王様と結婚した人じゃなかったでしたっけ?」

ピグマリオンです、と嘆息した賢人は首を振った。

「ギリシャ神話ではガラティアっていう名前の人が何人か出てきて、あれとは別人なんですよ。それと、妊婦じゃなくってニンフ、妖精のことです」

後の方は知ってます、これはネタです、では続きをどうぞ、と重々しく頷いた七海に、賢人はもう一度ため息をついた。

続きいいですか?とどこか疲れたような表情で言った黒田に、どうぞどうぞ、と七海が小さく拍手して、黒田にため息をつかせる。

これ、と気を取り直したように黒田はスクリーンを示した。

「この絵は、シャイで純真なポリュペーモスが、ガラティアの無防備な寝姿をまともに見ることできず、彼女の眠りを妨げないように物陰から見守っている様子を描いたものとされています。まるで大人の女性に恋する少年のように、ですね。しかし、ポリュペーモスは知りませんでしたが、ガラティアには既にアキスという名の恋人がいたのです。そしてある日二人が一緒にいるところを見たポリュペーモスは怒りに二人に向かって大岩を投げつけます。ガラティアはからくも海に逃れますが、アキスは岩に押しつぶされて死んでしまうのです」

うえ。

これが、と黒田は続けた。

「これが大人の巨人の姿のポリュペーモスがやったと考えれば嫉妬に狂った男の無様な行為、と考えることもできますが、これ、ルドンのこのポリュペーモスがやったと考えると、またちょっと変わってきませんか?」

黒田の問うとも語り掛けるとも知れぬ口調に、七海は黙って続きを聞いた。

「もし、この子供のようなポリュペーモスの行為と考えると、彼は気に食わない状況に出くわし、反射的に愛するガラティアごと二人を殺そうとした、と考えることができます。自分の行いがどのような結果を生み出すのかその稚拙な頭では想像すらできず、ただ目の前の嫌なものから目を逸らすのと同じくらいの感覚で、小さな子供が癇癪を起して手に持っていたお気に入りのおもちゃを床に叩きつけて壊してしまうようにして」

そりゃあ、と七海は顔をしかめた。

「物陰からこそこそ女付け回して、どこにあるかわからんスイッチ入ったとたん凶暴化するって、ストーカーみたいなもんじゃん、こいつ」

まさしく、まさしく、と、うまく表現しましたね、と賢人が頷いた。

「だから、この一見愛らしい絵も、ギリシャ神話をきちんと知っている人にとっては、凶悪な悪鬼のような一つ目巨人を描いた絵とは別の恐怖を感じさせる絵である、ということです」

なんとなく上手くまとまったようにしばらく沈黙してじっとその絵を見つめた彼らの、賢人が突然、そういえば、と言った。

「さっき黒田くん、この絵で、何か面白いものを見つけた、って言ってましたけど?」

え、と一瞬何を言われたかわからないとでもいうかのように瞬きした黒田は、ああ、とすぐに頷いた。

「ああ、そうでしたね。白石さんもご存じとは思いますが、キュクロープスはギリシャ神話では鍛冶の神で、神々の武器を作ったりもしました」

「はい、それは承知しています」

ところが、と黒田はわずかに両手を広げるような仕草を見せた。

「『日本書紀』にも天目一箇神あめのまひとつのかみという鍛冶の神がでてくるらしいのです。目一箇とは一つ目のことらしいのです。東西の鍛冶の神が一つ目、というは偶然にしては出来過ぎていると思いませんか?」

ほう、と賢人は頷いた。

「それは面白いですね」

「はい。調べていると、鍛冶職人は鉄の具合を確かめるために何度も炉を覗き込むため目を病んでしまうのでそこからこのような神話が生まれたという説も書いてあるんですが、はっきりしないんですよね」

ほい、と言いながら七海は手を挙げた。

「それって、常識じゃないんですか」

おや、と賢人が瞬きして七海を見た。

「サキちゃん、何か知ってるんですか?」

はいな、と七海は頷いた。

「鍛冶職人が何度も片目で炉を覗き込んで熱や火の粉で目を傷めやすい、たたらを踏むので膝を傷めやすい、っているのは良く知られてるんじゃないですかね。ほら、ギリシャ神話でヴィーナスの旦那」

「ヘーパイストス?」

「そのパイストスさんも鍛冶の神で足が悪かったはずですよ」

ほう、と霧島が面白そうに身を乗り出す。

そんでもって、と七海が続ける。

「ヤマカンの語源となった戦国の武将山本勘助」

「武田信玄の軍師ですね」

「さいです。彼は片目片足が悪かったのですが、それは実は彼が鍛冶の一族の人間で、鉱床を求めて山々を歩く彼らは様々な情報網を構築しており、知略とともにその情報網が彼の力の源ではなかったか、とかいう説が最近読んだ漫画(『宗像教授異考録~第一集~』星野之宣 小学館)に書いてありましたが」

これはこれは、と賢人が嬉しそうに音の無い拍手をした。

「これはなかなか面白い話が聞けましたね」

そうですね、と黒田も嬉しそうに頷いた。

「この間の疑問が解決しそうです。この件は他の神話も含めもうちょっと深堀して調べてみるのも面白そうですね」

えっへん、と七海がわずかに胸を反らせた。

「絵の話はともかく、歴史系とか、そっち方面は任せてください」

「絵画鑑賞部員に有るまじき発言だな、おい」

呟くように言った霧島に賢人もため息をついた。

「いつものことです、はい」









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