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カンショー!  作者: 安城要
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クールに行こう!

風を通すために最近開きっ放しの美術準備室ぶしつ戸口に現れた賢人は、中を見た途端、わっ、と声をあげた。

七海と早紀がだらだらと汗を流しながらいつもの大机に突っ伏していた。机の上には小さな水たまりが2つできていた。

「ど、どうしたんですか」

いや、と七海が力無く言った。

「どうもこうも」

「もう暑くて、力出なくて」

危ないですね、と言いながら賢人は美術準備室に入った。

「ちゃんと水分を取らないと、熱中症になってしまいますよ」

「はい、そう思って先ほど大量の水分を摂取したのですが」

「そのとたんに汗が華厳けごんの滝の如く」

「華厳の滝が出た時点で、音声を変えてしまえば女子高生の会話とは誰も思わないでしょうね」

ともかく、と、ハイと七海が突っ伏したまま手を挙げた。

「このままではぶっ倒れてしまいます。なんとかしてください副部長」

「何故肩書で呼ぶのですか?」

いくらなんでも、とハッハッと犬の如く舌を出しながら早紀も言った。

「いくら日当たり良好が売りの陵上とは言え、この暑さは酷すぎますよぉ」

陵上高校わがこうのウリは、充実した教育環境と自由な校風であって、そのような賃貸情報のようなウリは聞いたことがありませんが」

仕方ありませんね、と言いながら奥の倉庫に行ってタブレットパソコンを出してきた賢人は、それをスクリーンにつないで電源を入れた。

「あ、電化製品入れないで下さいよ。ますます暑くなっちゃいますよ」

我々絵画鑑賞部員たるもの、と賢人が重々しく言った。

「厳しい暑さの中の涼も、絵画の中に求めようではありませんか」

え~~っ、と言いながらわずかに顔を上げて見合わせた七海と早紀は、賢人を向いた。

「そんな、欲しいものは全て土俵に埋まっている、みたいなことを言われたって」

「そうだそうだ、どんな絵を見たって気温は下がらないぞ」

物は試しですよ、と賢人はタブレットを操作した。

「例えば、これなんていかがでしょうか?」

それは?

「これはルノワールの『舟遊びをする人たちの昼食』です。どうですか、水面を渡る風の清涼感を感じませんか?」

むりっす、と七海と早紀は即座に言った。

「全然川見えないし」

「全員厚着だし」

「リラックスした服装の男性もいるでしょ?」

「そんな、どうだい俺って涼しそうだろ、と言わんばかりの暑苦しい、重苦しい、押しつけがましい、の三拍子そろった髭面のおっさん見せられても、清涼感よりも強烈な汗の香りを感じるだけです」

ではこれなんてどうでしょう、と賢人が別の絵をスクリーンに映し出す。

こ、これは・・?

「これはレンブラント・ファン・レインの『水浴びする女』です」

なんていうか、と七海が半眼になる。

「水浴びの清涼感を、おばはんのいかつい体格が帳消しどころかマイナスにしちゃってるよな」

「こんな、暑苦しい、重苦しい、押しつけがましい、の三拍子そろったおばはん見せられても、うげってなるだけですよ」

「その三拍子は流行はやってるのですか?」

「今、強引に流行はやらせようとしているところですが?」

「前にも同じようなことやってませんでしたか?」

ため息をついた賢人は、じゃあこんなのではどうですか、と次の絵をスクリーンに映し出す。

「これは同じくレンブラントの『アクタイオンとカリストのいるディアナとニンフの水浴』です」

「妊婦の入浴?」

「ニンプではなくニンフです」

なんだあ、と七海は肩をすくめた。

「全員下っ腹が出てるので、妊婦かと」

「毎度のことですが、わかって言ってますよね、それ?」

ため息の後、賢人は、ちょっと趣向を変えましょうか、と更に次の絵を映し出した。

「ちょっと雰囲気を変えて、思いっきり寒そうなこんな絵はどうですか。これはピーテル・ブリューゲルの『雪中の狩人』です」

ほおう、と七海は頷いた。

「これは、絵に描いたような雪景色ですな」

「いえ、これは“ような”ではなく、絵に描いた雪景色ですが」

しかし、とやれやれと早紀が首を振った。

「リアルな雪景色に入ってその寒さを体感したことが余りない人間に、ほら雪景色ですよ、涼しそうでしょ、はないもんだよな」

「文句や罵りの言葉は、呼吸するように自然に出てくるのですね、あなた方は」

ふっふっふっ、と七海が肩を揺すった。

「何を今更」

「賢人さんて、おっくれてるう~~っ」

「その正調バブル風のあおり言葉も自然に出てくるのですか?」

「いえ、これは少し努力が要ります」

「そんな努力は別の所でしませんか?」

「ご安心ください。私は合理的な人間ですので無駄な努力は一切いたしませんので」

どこがですか、と嘆息した賢人は、じゃあこれはどうですか、とまた画面を変えた。

「寒がっている人を見ればなんとなく自分も寒くなったような気分になれないですか?」

ほおう、と七海がじっと画面を見つめた。

「これは以前にも見たことがあるドラえもんのナポレオンの絵ですな」

「いえ、これはポール・ドラローシュの『アルプスを越えるボナパルト』ですが」

はい、と七海が頷いた。

「だから、ドラえもん」

「いい加減、カタカナの名前を覚えるのが苦手という自分の現実を正しく受け入れた上で、きちんと覚える努力をしてはいかがでしょうか?」

ご安心ください、と七海は胸に手を当てて賢人に向かって丁寧に礼をした。

「私は合理的な人間ですので無駄な努力は一切いたしませんので」

「画家の名前を覚えるのを無駄な努力と言い切りましたか」

「っていうか、私の真似すんなよ」

しかしふむ、と賢人は腕を組んだ。

「しかし困りましたね。水遊びもダメ、冬景色もダメ、とくると」

「いいえ、水遊びの絵がダメというわけではありません。同じ水遊びの絵でも、もっと他にないのか、という話なのでございます」

では、こういうのはどうでしょうか。

そう言いながらスクリーンに映し出された絵を見た途端、七海はわずかに、わっ、と声をあげた。

「こ、これはまた」

はい、と賢人は頷いた。

「これはピーテル・パウル・ルーベンスの『メデューサの首』です。どうですか、見た途端ぞくっとする絵だと思いませんか?」

ううむ、と早紀が唸った。

「グロとスプラッタと長物ながもので来るとは。一般的な女子高生が苦手であろう物の三位一体攻撃で来るいやらしさはさすが賢人さん」

「絶対褒めてないですよね、それ?」

メデューサって、と七海が首を傾けた。

「確かギリシャ神話でしたよね?どんな話でしたっけ?」

「そうですね。絶世の美女メデューサはアテナの神殿で海神ポセイドンとオセッセしたせいでアテナの呪いを受けて、その顔を見ただけで恐怖で石になってしまうという恐ろしい怪物に姿を変えられてしまいます」

「あ、今はニャンニャンじゃなくってオセッセって言うようになったんですか」

「でも、なんか初見でも意味が通じるよな、この手の言葉。そんでもって相変わらずおさかんだな、ギリシャの神様」

「他に、呪いを受けたのは自分の髪がアテナの髪よりも美しいと自慢したせいだとする説も有ります」

二人の軽口を無視して、賢人はため息をつきたいような顔で続けた。

「そして、最終的には、アテナのアドバイスを得て直接メデューサの顔を見ないようによく磨いた盾にメデューサを映しながら戦ったペルセウスによって首を切られ、その首はアテナに捧げられてアテナはその首を自らの盾の飾りにします」

「おさかんな上に相変わらずやることがえげつねぇなあ、ギリシャの神さん」

そこで七海は、ペルセウス・・?と少し考えた。

「ペルさんて、他になんか有名なエピソードがあったような?確かそれも怪物やっつけたような?」

ああ、と少しうれしそうに賢人がタブレットを操作した。

「それは多分、怪物の生贄いけにえにされた王女アンドロメダの話ではないでしょうか。ポセイドンの怒りを買った母のせいで、アンドロメダは海獣ケートスに捧げられてしまいます。それを、たまたま通りがかったペルセウスが助けるのです。このエピソードは有名で多くの絵がありますよ。例えばこれ、パオロ・ヴィロネーゼの『アンドロメダを救うペルセウス』です」

なにこれ、と七海が半眼になった。

「『私を助けたい?だったら私の代わりに怪物に食われてちょうだいっ、ええいっ!』って感じでアンドロメダがペルセウスを大口開けた怪物に向かって投げ飛ばしてるじゃん、これ。何?助けたってそういう助け方なの?」

いえいえ、と慌てて賢人がタブレットを操作した。

「ヴィロネーゼの絵がたまたまそういう風に見えてしまうだけです。ほら、他にもフランソワ・ルモワーヌの『ペルセウスとアンドロメダ』や、ティツィアーノ・ヴェルチェッリオの『ペルセウスとアンドロメダ』なんかもありますよ」

う~む、と顔をしかめた七海は腕を組んでじっとスクリーンを見つめた。

「やっぱり、どの絵もアンドロメダがペルセウスを怪物に向かって投げ飛ばしているようにしかみえんのだが」

そして、と賢人は慌ててスクリーンの絵を消した。

「そしてペルセウスは助け出したアンドロメダと結婚しようとするのですが、実はアンドロメダには別に婚約者がいたのです」

ああ、と早紀があきれたように手を振った。

「生贄にされそうになったのを助けようとしなかった時点で婚約破棄だね、それ」

わからんぞ、と七海が早紀を向いた。

「助けようとしても助けられないような場所に居た可能性もあるからな。例えば、水攻めにしていた城を放り出して必死に駆け戻って来る途中だったのかもしれない」

「何の話してんだ?」

そして、と賢人は頷きながら言った。

「婚約者一行は婚礼の場に乗り込んで、いえ、攻め込んでくるのですが」

ですが?

「ペルセウスは婚約者達を全員、メデューサの首を見せて石にしてしまいます」

だあ~、と言いながら七海は脱力したように椅子の背もたれにもたれかかった。

「略奪婚あーんど虐殺って、ペルセウスくん何やってくれてんだよ」

それって、と早紀が首を傾げる。

「石にされたの婚約者達だけか?なんだなんだって言いながら戦いを見てた結婚式の参加者も全員石にされちゃったんじゃないか?」

「あっと気付いたら、アンドロメダも石になってたりして」

そして、と早紀は頷いた。

「それを見たペルセウスくん、ずっと歳を取らないこの姿も萌えかも、とぽっと頬を赤らめる」

「おおっ逆ピグマリオンですな」

なんの話をしてるんですか、と賢人が嘆息した。

「ちょっと話が脱線しましたね、例えば・・」

待てっ、と言いながらぱっと手を広げた早紀は、そこで耳を澄ませるかのようにじっと固まった後、賢人と七海を順に見た。

「どうしたチイちゃん」

うむ、と早紀は頷いた。

「なんか賢人さんの言葉じゃないが、絵の話をしてたら本当に涼しくなったような気がしてさ」

不思議そうに早紀を見た七海は、確かに、と言いながら部室の中を見回した。

「言われてみれば、風もちょっと爽やかになったような気がするな」

はい、と賢人は頷いた。

「ただそれは絵を見たせいではなく、夕方になって日が傾いたせいだと」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「何か?」

いえ、なんでもないっす、と半眼になった七海はかばんに手を伸ばした。

「じゃ、涼しくなったし帰ろっか」

「そだね、かえろっか」

「なんなんです?言いたいことがあったらはっきり言ってください」

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