(番外編)クリエイター登場(前編)
その日。
陵上高等学校漫画研究部の部室は風雲急を告げた。
部長、と呼ぶ声に、漫画研究部部長の坂上直樹は談笑していた別の部員と同時に振り返った。
「お客様ですけど」
お客様?と不思議そうに首を傾けた坂上に、その一年生の部員はわずかに上半身を傾けて顔を寄せながら、例の企画の、と囁くように言いながら目だけで背後の入り口を流し見た。
部員の一人が家で古くなったものを持ち込んだソファセットに案内されてきたその小柄な女生徒を見た途端、坂上はぎょっとしたように彼女を見つめた。
「き、きみは・・・」
はじめまして、と彼女はサングラスを外しながら無表情に坂上に頷きかけた。
「同人作家の、ペンネームはミス・ナナリンと申します」
(おい、あれ地蔵の右じゃないか?)
(言われてみれば、確かに顔だけ座敷童だ)
(下から上に残念なのも本当だぞ?)
遠巻きに見つめながら囁き合う部員達に、いやはや、とソファに腰かけ満更でもなさそうに首を振ったナナリンは再びサングラスをかけた。
「人気者は辛いですな」
有名なのと人気は関係ないんじゃないか、と思いながら、彼女の向かいに座った坂上は、ごくと唾をのみ込みながら彼女に頷きかけた。
「ところで、今日は例の企画のことでとか?」
はい、とナナリンは頷いた。
「学校新聞に掲載された、漫画の原作大募集という貴部の記事を読みましてね、こうやって企画を持ち込ませていただいたわけです」
ほう、と興味深そうに坂上は身を乗り出した。
その記事が掲載されたのは前々号の新聞だったが、今のところ反応はなかったのだ。
「それで、それはどのような?」
はい、とサングラスで表情の見えないナナリンは頷いた。
「オーソドックスな勧善懲悪物です。魔法少女に変身して戦うのですよ」
坂上の口にあざけるような笑みが浮かんだところで、ナナリンはたたみかけるようにして言った。
「万年ニート、子供部屋おじのおっさんが」
ざわっと、部室にえも言われぬ緊張が走った。
ま、と言葉に詰まった坂上は数度咳をした後、どこか怯えたような表情でナナリンを見つめた。
「何故、中年無職の男性が魔法少女に?!」
考えてみてください、とナナリンは相変わらずの無表情、無感動に続けた。
「例えば中学生の少女が魔法少女に変身して怪獣と戦うのだとしましょう」
魔法少女でも怪獣は無理だろ、せめて怪人と戦わせてやれよ、と聞いていた誰もが思った。
「しかし彼女達はまだ義務教育の子供、怪獣の出現に戦うために教室を飛び出していこうとしたら、教師に止められるに決まっています。その点奴らは24時間365日時間が有ります。それといつも子供部屋に閉じ籠っていて日の明るい内は外に出ることがなく近所の人すら顔を見たことがない奴らなら、その正体がばれることはないでしょう」
彼らも、無職親のすねかじりの少女に“奴ら”呼ばわりはされたくないに違いない、と坂上はふと思った。
「それに、昼夜逆転生活を送っている奴らならば夜に怪獣が出てきても対応可能です」
昼に出たらどうすんだよ?
「また、いつも子供部屋に閉じこもっている奴らが怪獣の出現に駆け付けようとしたことに気付いた年老いた母親がどこに行くのかと問いただした時も『うるせえな、コンビニだよ』の一言で納得するに違いありません。少女が教師に見咎められることもなく授業中に抜け出して戦いに行く、というよりもこの方が格段にリアリティがあると思われませんか?」
あのう、と坂上は言いにくそうにナナリンを見た。
「随分と彼らの生態に詳しいようですが、家族にそのような人が?」
そのような事実はありません、とナナリンは無表情に首を振った。
しかし、と坂上は苦渋の表情で腕を組んだ。
「不摂生な生活を送っている彼らに、戦う体力があるでしょうか?」
ご心配なく、とナナリンは頷いた。
「彼らは自宅警備員としての長いキャリアがあります。守りに軸足を置いた戦いならばなんとかなるでしょう」
それに、とナナリンは続けた。
「奴らが戦いに敗れて3話のような悲惨な死に方をしても、悲鳴をあげる者などだれもいないでしょうから」
「何の3話の話ですか?」
それに、と坂上の疑問を無視してナナリンは続けた。
「中年ニートの死など珍しくありません。
中年ニートの不審死 → よくあること。
中年ニートの怪死 → よくはないが珍しくもない。
と世間の人々は思うに違いありません」
「自分で言っていて良心の呵責は感じませんか?」
全然、と首を振ったナナリンは再び続けた。
「奴らが戦いに倒れても、次の逸材はいくらでも日本にはおりますから」
「“逸材”って言葉の意味知ってます?それと、わかって言ってたら尚たちが悪いってわかってます?」
「奴らの死が日本経済に与える影響は、わずかばかりの牛肉とチーズの消費量の減少だけです。問題はありません」
「そう言っているあなたの道徳観念には大いに問題があると思いますが?」
「あなたは否定ばかりされるが」
少しムッとしたようにナナリンが言った。
「これは奴らにとっても悪い話ではないのです」
例えば?
「例えば、変身して鏡を覗き込めば、そこにはいつでも夢にまで見た理想の“ヨメ”がいる。それも魔法少女のコスプレ姿で」
「コスプレじゃないですよね?それに中の人はおっさんですよね?」
「そして死に逝く時、深手を負って魔法が解け元の姿に戻る。そんな奴を、仲間の魔法美少女達が取り囲んで涙ながら見つめ、抱きしめられながらその腕の中で息絶える。こんな理想的な死に方がありますか?」
「でも、その美少女達も中の人はおっさんなんですよね?」
「本来のおっさんの姿の時は出来るだけ小汚い方がいいでしょうね」
と再び坂上のツッコミを無視したナナリンは続けた。
「それと変身後の美少女の姿のギャップが読者を惹きつけるのです」
例えば、とナナリンはスケッチブックを取り出して開き坂上に向けた。
うっと、わずかに顔を仰け反らせた坂上は手の甲で鼻を押さえた。
「な、なんとすさまじい絵だ・・まるで汗と男臭い香りが漂ってくるようだ」
ナナリンは頷いた。
「知り合いの漫画好きに描いてもらいました。聖人の絵に憧れて弓矢を受けた男の写真をベースに、脂肪分を120%増量、髭と髪を伸ばし、度の高い眼鏡をかけさせました」
そして、とページをめくる。
「これが変身後の姿です」
無理だ、と坂上は涙を流した。
「こんなかわいい魔法少女の絵を描けるなんてなんて画力だ、と感心しつつ、さっきのおっさんの絵が凄まじすぎて、この子の体から脂ぎった汗臭が漂ってくる」
それと、これがバトルシーンです、と更にページをめくる。
それを見た坂上は再び涙を流しながら両手で目を押さえた。
「なんて激しいバトル!戦う彼女の凛々しい表情!と思った次の瞬間に、汗を飛ばし、三段腹を揺らしてヒイヒイ言いながら戦ってるおっさんに脳内変換される・・」
そんな坂上をじっと無表情に見つめたナナリンは、突然薄笑いを浮かべた。
「なかなか病んでいらっしゃる」
「お前のせいだろがっ!」