表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
カンショー!  作者: 安城要
115/238

異端児

その日。

午後の授業が終わってからかなり時間がたってから現れた七海と早紀を、夏樹が不思議そうに見つめた。

「こんにちわ。今日は遅かったのね?」

はい、と七海がげんなりとした顔で頷いた。

「ちょっと教頭先生に呼ばれて教育的指導など。あ、二人とも」

それは、と賢人も不思議そうに二人を見た。

「それは、この間の地蔵の件ですか?」

それもありましたが、と早紀もどこかげんなりとした顔で頷き、そこまでオルセーの絵画特集が掲載された古い雑誌を見ていた沙織も少し興味深そうに顔を上げて二人を見た。

「そっちの方は形ばかり注意されましたが、実質は褒められました」

褒められた?

陵上うちは真面目な生徒が多いがイマイチ面白味が足りないっていって。あれは面白かった、って言われました」

夏樹と賢人が顔を見合わせて何とも言えない顔をする。

「注意されたのは、ご近所からの苦情の件で」

「また何かやらかしたんですか?」

“また”ってなんだよ、私達がいつも何かやらかしてるみたいに。

「今度は一体何をやったんですっ?!」

そんな、母ちゃんみたいに詰め寄るなよ。

いや、と七海は手を振った。

「わたし共といたしましては、何も悪いことをしたつもりはございません」

「そーだ、そーだ、賢人さんの言いがかりだぞ」

「しかし、教頭先生に呼ばれて怒られるってよっぽどのことじゃないですか?」

いやいや、と七海は手を振った。

「いや、今回は本当に誤解なんですって」

「サキちゃん、今回は、はよせ。本当にいつもやってるみたいだぞ、それじゃ」

それで、と夏樹が不審そうに二人を見る。

「一体何があったの?」

はい、と七海は頷いた。

「なんでも、下校途中にしょっちゅう、貴様、とか、お前、とか罵り合いながら歩いている女子生徒がいる、小学生の通学路にもなっている道で、あまりにも教育上よくない、という父兄からの苦情の電話が」

は?

「それが、小学生と見紛うような小柄な、座敷童か地蔵を彷彿とさせる風体であったとの通報に、職員室にいる先生方の満場一致で私達のことに違いない、となったそうです」

鞄を机の上に置いた七海は、不満そうな顔で椅子に腰かけた。

「ご近所の方々は勘違いしてらっしゃる」

は?

「お前とか、貴様とか呼び合えるのは、私達が心を開きあっており、既に呼び方など超越してる証拠なのです」

と早紀もむすっと椅子に座った。

「超越ですか?それは一体?」

例えばでございます、と七海が顔をしかめたまま賢人に頷きかけた。

「私が賢人さんのことを、貴様、と呼んだら多少はムッとするでしょ?」

「まあねえ。おちゃらけた話をしてる時なら別ですけどね」

沙織さんだって、とそちらを向き直る。

「沙織さんだってそうですよね。私らに、貴様、って呼ばれたら?」

いえ、と沙織は首を振った。

「私は嬉しいです」

は?

ニヤニヤと笑いながら、沙織は舌なめずりしそうに目を細めて七海を見た。

「久しぶりに命知らずなチャレンジャーが現れたか、って」

なんか、この人だけには何をやっても勝てる気しね~。

と、ともかく、と七海は賢人を向き直った。

「私とチイちゃんの場合はそんなものは超越してるのでございます」

「そうなのです、私がサキちゃんのことを貴様と呼んでも、それは、貴様と俺とは同期の桜♪、な感じなのでございます。それを世間様はわかってらっしゃらない」

わかってらっしゃらないし、わかりたいとも思ってらっしゃらないでしょうね、世間様は、と賢人が半眼になる。

しかし、と賢人が額を押さえてため息をついた。

「この前の地蔵の一件といい、もう2年生で二人のことを知らない生徒はいないと思いますよ」

もう一度ため息。

「変に悪目立ちしちゃいましたね、二人とも。こんなことが続いたらぼく達まで変な目で見られてしまいそうですよ」

っていうか、私達が入部した日には既に白石部長から変な者呼ばわりされてたじゃん、あんたら。

そのうち、と夏樹がからかうように言った。

「陵上四天王とか呼ばれるようになったりして」

四天王っていい意味に使うもんだと思ってたが、峰中四天王辺りからなんとなく意味合いが変わってきたな、なんか。

ともかく、と賢人も頷く。

「目立ったからと言ってイジワルするような生徒は陵上にはいないとは思いますが、奇をてらって変に目立つのは感心しませんね」

いえいえ、と七海と早紀は同時に顔の前で手を振った。

「別に目立ちたいからやってるわけではありません。私達はただ純粋にひたすら他人をからかいたいだけなのでございます」

「そうなのです、ただ純粋に、ひたすらに、求道的ぐどうてきに」

道は別のところで探してください、と賢人が嘆息する。

「まだ1年生の1学期だというのに、ちょっと生き急ぎすぎじゃないですかね?」

「それは、やっていることには異論はないがやるタイミングだけがまだ早い、と受け止めさせていただいてよろしいでしょうか?」

「そうではありません」

そもそもからして、と早紀が口をとがらせる。

「画家の奴らだって、目立ったら勝ち、早いもん勝ち、って奴結構いるじゃん」

奴らって、と一瞬絶句した後、それでも絵の話が出たことで興味がわいたのか、賢人は早紀を向き直った。

「例えば?」

「例えば・・ほら、日本ブームが来た時には、こぞってオリエンタルテイストとちりばめてきた画家とかいたでしょ。ゴッホにしろマネにしろ、モネにしても」

特にモネなんて、と続ける。

「同じ構図の絵を何枚の描くっていうのは昔からありましたけど、モネの『水連』や『積みわら』みたいに一つのテーマでいろんな絵を描くって、日本の浮世絵の『富岳三十六景』とか東海道の絵とか真似てそれが受けたんでしょ?Oh! Japanese Cool!とか言って」

クールジャパンはなかったんじゃないですか、そのころは、と賢人が嘆息する。

しかし、腕を組んだ七海も、うむ、と頷いた。

「今チイちゃんが挙げた画家の時代って、とにかくちょっと人と変わったことすりゃ受けた時代だよな。この前部長がヒットラーの絵の時に時代が味方しなかったって言ってたが、てんでたいしたことないのに、運よく時代が味方したから有名になれた、って奴も結構紛れ込めたに違いない」

うむ、と早紀も頷いた。

「正月に遊びに来た叔父さんも言ってたな。叔父さん、バブルの大量採用時代にてんで大したことない大学卒業して公務員になったらしいんだが、バブルはじけて翌年から採用が大幅に抑えられて、一浪して頑張って国公立行った同級生とかが結構採用試験落ちてたって。大酒かっくらいながら、俺は持ってる男だ、とかなんとか」

「例えば?」

は?

賢人が無表情に続けた。

「時代が味方して、ちょっと変わったことした画家って誰で、どんな変わったことしたんですかね?」

う・・・

イジワルねえ、とつぶやきながら夏樹がクスクス笑いながら賢人の背中を見つめる。

ほ、ほらあれだよ、と言いながら、七海が狼狽したように早紀を見、早紀もどこかおろおろと七海を見返しながら、あああれだ、と頷く。

「あれって、何ですか?」

うう・・・

た、と七海は苦しそうに息を吐きだした。

「例えば、マネがえっちい絵を描いて、それでオーソドックスな絵を信奉する美術界から非難されたことで返って注目されて有名になったとか」

「なんで非難されたんですか、マネ」

む、無表情に迫るな、圧きついって、圧が。

「そ、それは、昔はえっちい絵を描く時ってサンキューで神話とか聖書とかのエピソードにかこつけてたのを、そこら辺で裸になってる絵描いたからでしょ?」

「サンキューじゃなくってエクスキューズじゃないのかい、サキちゃん?」

フォローを入れた早紀の言葉までを聞き終えた賢人が頷いた。

「まあ、及第点ということにしましょう」

ほっと溜息をついた二人に、他には?と再び無表情になった賢人が畳みかけた。

そ、それは・・・

言い淀んだ後、七海は、クールベさんとか、と今度は小さな声を言った。

なるほど、と賢人は頷いた。

「ギュスターヴ・クールベですね。じゃあ彼は何をしたのでしょうか?」

それは、ええと・・

はっと早紀が賢人を向いた。

「例えば、田舎のおっさんの葬式を、まるで英雄が死んだ時のように描いたこと、とか?」

なるほど、と再び頷いた賢人はタブレットを手に取ると一枚の絵をスクリーンに映し出した。

「それはこの『オルナンの埋葬』のことですかね?」

あーはいはい、と早紀は頷いた。

「それでご」

「これのどの辺りが英雄の葬式のように描かれているのでしょうか?」

早紀に皆まで言わせずに畳みかけた賢人に、夏樹が苦笑のような笑いを浮かべる。

七海と早紀はスクリーンをじっと見つめた。

参列者の数か?

いや、葬儀を取り仕切っている聖職者の階位が高いんじゃないか?服装でわかるとか?

う~む・・・

さあ、と賢人がぐいっと二人に顔を寄せた。

「どこが、英雄の、葬式、な・ん・で・す・か?」

さあ、さあ、さあ、さあさあさあさあさあさあさあさあさあさあさあさあさあさあっ!

賢人の襟首を掴んでぐいっと引き戻しながら、夏樹が、いやらしい仕返ししないの、と笑った。

そして笑うと下弦の弓のようになる目を細めて二人を向き直る。

「いくら見つめてもダメよ、二人とも。実はこのスクリーンの絵の中にはヒントはないもの」

は?

絵にはね、と夏樹がにっこりと笑う。

「既にご存じのアトリビュートなんかの他にもいくつもの約束事があるの、その一つが」

と二人に頷きかける。

「描くテーマによって、絵のサイズが決まっているということ」

は?

それって、と早紀が瞬きしながら夏樹を見る。

「それって、例えば宗教画を描く時はAナニ版みたいに決まっているってことですか?」

「そこまで厳密なものじゃないけど」

笑った夏樹はしたり顔で言った。

「『オルナンの埋葬』って確かクールベの叔父の葬儀の風景だったと思うの。こういう庶民の生活を描いた絵は風俗画と呼ばれるのだけど、風俗画はあまり大きなサイズでは描かないというのが、まあ暗黙のルールになっていたわけね。そこにクールベは歴史画を描くような大きなサイズで風俗画を描いたわけ」

ハイと半眼になった七海が手を挙げた。

「じゃあクールベさんは普通とは違うサイズで絵を描いただけで売れた画家、というわけですか」

そうではありません、と賢人が苦笑する。

「クールベは写実主義レアリスムといって、今まで誰も絵の題材とは考えていなかった働く庶民の様子など、その辺にある風景をそのまま絵に描いて、それも鑑賞に足る芸術作品のレベルで描いた画家だったのです。革新性に加え、それだけの表現力や構成力を持った画家だったのですよ。博するべくして人気を博した画家だと思いますよ、ぼくは」

例えばですが、と賢人が頷きかける。

「先日のヒットラーの絵、彼自身はいろいろな絵を取り入れて自分なりの作風を作り上げたと言っていたといいますが、几帳面な性格のせいで、写実的ではあっても、結局既存の枠から抜け出せない面白味の絵しかかけなかったのではないかと思います」

その分別のところで突き抜けちゃったもんな、あのおっさんは。

しかしまあ、と賢人は再び頷いた。

「19世紀中頃以降は、確かにいろんな芸術の方向を模索し始めた時代でしたので、従前だったら門前払いされていたような絵でも世に問うことが許される雰囲気が醸成されていたという利はあったでしょうね」

そうね、と夏樹も頷いた。

「それもいきなり変わったというのではなく、賢人が言うように徐々に“醸成”されていったというのが正しいのでしょうね。例えばムンクとか、新古典主義の時代の真っ最中にいきなりあの画風で登場していたらおそらく受け入れられていなかったでしょうからね。印象派やポスト印象派などの後、多様な絵が受け入れられる素地ができてからの登場、という意味では、彼も時代が味方した画家と言えるかもしれないわね」

そうだね、と賢人も頷いた。

「そのムンクだって、ドイツの画壇に初めて登場した時は大騒動になって展覧会は一週間で打ち切られたらしいからね。それでも少数ながら彼を擁護する人が出てきた中で活動が続けられたわけで」

ふむ、と七海は首を傾げた。

「確かに、そのころって世界的な変革期でもあったわけですよね。王政がなくなったり、産業革命後の急激な社会の変化だったり」

「まあそうですね」

「そんな時代の中で、乱世の梟雄みたいなタイプの画家が台頭できた、と?」

乱世の梟雄、はどうですかねえ、と賢人が苦笑する。

「一つは、やはり絵画のすそ野が広がったことがあることはあると思いますよ。庶民も、絵は買えなくとも展覧会とかに行く時代になってきていましたからね」

「まあそれもあるでしょうけど、やっぱり時代の変わり目のどさくさに紛れて評価された有象無象も多いんじゃないですかね、やっぱ」

「誰が有象で誰が無象ですか?」

「ゴッホが有象でアンリちゃんが無象です」

「そこまではっきりと言いますか」

ため息をついた賢人に、いや、と早紀も腕を組んだ。

「人間て、平時に活躍する人間と、乱世に活躍する人間とがいるからな。特に乱世に活躍する人間は時代が呼んだとも言われるぞ」

なるほど、と七海も頷いた。

「つまりは、私やチイちゃんは陵上の乱世が呼んだわけか」

「いえ、陵上高校わがこうは本日もいたって平穏ですが?」












評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ