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カンショー!  作者: 安城要
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呪いの絵

早紀と談笑しながら美術準備室へ通じる廊下を歩いていた七海は、大きな衝立を廊下に置いて汗をぬぐっていた二人組の男子生徒の脇と通り過ぎようとして、急に衝立を持って背を向けたまま背後に動き出した男子生徒とぶつかりそうになりあっと声をあげた。

慌てて振り向いた男子生徒が体勢をくずして衝立を落とし、倒れそうになったそれを辛くも支える。

おい、とその男子生徒は咎める風でもなくそう呼びかけた。

「気を付けろよ」

見るともなくその男子生徒の襟章を見て2年生か、と思いながら、七海はわずかにすねたように言った。

「いや、いきなり動き出すとは思わないじゃん」

このちっちゃな1年生が言い返すとは思っていなかったのだろう彼は、そんなもん見りゃわかるだろ、と言いながら七海を睨んだ。

じっと半眼で彼を見た七海は、ああ、と納得したように頷くと、自らの胸を押さえながら男に向かって身を乗り出しながら目を剝いて少し高い声で叫んだ。

「それってあれですか?俺よ?この俺がやってるのよ?見りゃわかるだろ?わかんねえってお前頭悪いんじゃねえのっ?」

体勢を戻しながら、再び半眼になった七海は声を戻した。

「って、こんな感じっすかねえ?」

なんだとお、とさすがにムッとしたように男子生徒は全身で七海を向き直った。

もう一度・・と言いかけた男子生徒を七海から見て衝立の奥側の持っていた男子生徒が、おいっと小走りに駆け寄り、七海と絡んだ手前の男子生徒に耳打ちした。

(放課後この辺にいるって、こいつら絵画鑑賞部の、呪いの双子地蔵、じゃないか?)

いっ、と息を詰まらせた手前が目を剝いて七海と早紀を見た。

しばらく凝然と二人を見つめた手前は、はっと気づいたように奥側に向かって、ふんっ、ふんっ、と衝立に向かって顎を振り、と、ともかく気を付けろよ、としどろもどろに言いながら衝立を持ち、逃げるような足取りで廊下を去っていった。

少し向こうから聞こえた、二人の言い交す

(飯島の奴が彼女と別れそうになってるの、絵画鑑賞部の展示会で奴らに会ったからなんだろ?)

(貸した漫画も返ってこないらしいぞ)

という怯えた声を聴きながら見送った七海は、いや後の方は呪いと関係ねえだろ、と思いながら二人の背中を見ながら半眼になった。

美術準備室にたどり着いた七海は開口一番、ああムカつくっ、叫びながら鞄を机に叩きつけた。

「なんなんだよっ、あいつらっ」

机に鞄を置きながら早紀が、ねえ賢人さん、と不思議そうに二人を見ている賢人に向かって首を傾けた。

「呪いの双子地蔵、って知ってます?」

ああ、と納得したように賢人が頷いた。

「それはチイちゃんとサキちゃんのことですよ」

断言しやがったな、こいつっ!!

ため息をついた賢人が情けない顔で二人を見た。

「企画展の時に、何かやらかしたらしいですね、お二人とも。その悪い噂と共にそのあだ名が生まれたらしいですよ。2年生の中ではそれなりに広まりつつあります」

「懇切丁寧に絵の紹介をさせていただいたに尽きますが?」

「そーだ、そーだ、それは言いがかりだぞ、賢人さん」

もういいです、とため息をついた賢人は、それで、とげんなりした顔で二人を見た。

「それで、今日は何をやらかしたんですか?」

七海が、時々男子生徒に対する呪いの言葉を挟み込みながら先ほどの出来事を早口で説明すると、賢人は再びため息をついた。

「そんなものは、すみませんでした、の一言で済む話じゃないですか。なんでわざわざ言い返しますかねえ。そのラ・マンチャな生き方はどうにかした方がいいと思いますよ」

ラ・マンチャ?

だって、と七海はすねたように賢人を見た。

「そいつの顔がちょっと賢人さんに似てたんでムカついて」

「なんで僕に似てたらムカつくんですか?」

まったく、とここまで黙って聞いていた沙織が呆れたように首を振った。

「そうやって注意された時は素直に聞くものです。人間、叱ってくれる人がいるうちが華ですよ?」

叱ってくれる人がいなくなった人がなんか言ってるぞ、おい。

しかし、と早紀がため息をつきながらちらっと七海を見て再びため息をついた。

「サキちゃんのせいで変なあだ名ついちゃったな」

「“あれ”はお前がやろうって言いだしたんだろが。ひょっとこの面まで持ってきてノリノリで」

やっぱり噂は本当だったんですね、と賢人が嘆息する。

「ちなみに、何がどうなってるのかはわかりませんが、双子地蔵は実際は一人ではないか、という説もあります」

どーでもいいよ、そんなもん。

なるほど、と頷いた沙織が二人を見た。

「面白そうですね。どうです、いっそのこと『呪いの三仏立像』をやりませんか。私が観音菩薩で二人が脇侍ということで?」

お断りさせていただきます。っていうかなんでわざわざ自分から呪いの仏像やらなきゃならないんだよ。

しかし、と早紀が頭を抱えた。

「このままではサキちゃんのせいで峰中時代の沙織さん化してしまう。何とか手を打たねば」

「何度も私のせいを強調して既成事実化しようとするな」

どうでしょうか、と沙織が頷いた。

「せっかくですから、今日は呪いに関する絵でも見ませんか?」

何がせっかくなのでしょうか?

「毒を持って毒を制す、と申します。別の呪いの話をすれば、呪いも弱まるのでは?」

「いえ、私らはあなたと違って呪いとは関係ないところで生きてますから」

しかし、と絵の話ときて興味がわいたのか、賢人が表情を変えて楽しそうに身を乗り出した。

「呪いの絵と言われても、急には思い浮かばないものですね」

おまかせください、と沙織が自らの胸を押さえた。

「その方面は得意分野です」

そうでしょうとも。

例えばと、手を伸ばして机の上のタブレットを手に取った沙織はスクリーンを見た。

「ズジスワフ・ベクシンスキーの絵です。題名はありませんが、ネットでも「呪いの絵」で検索すれば上位に来る絵です」

それは、世界が滅んだあとのような荒涼な景色の中に豪華な椅子が置かれ、どうやら女性の頭部だけが生きているように目を開いて置かれている絵であった。

「ちなみに、この絵は「三回見れば死ぬ」という呪いの伝説があるそうです」

1回見ちゃったよ、もう。

ズジスワフ・ベクシンスキー、と興味深そうにその絵を見ながら賢人が瞬きした。

「聞いたことがない画家ですね。こういう作風は19世紀後半以降のものでしょうが」

「彼の生年は20世紀に入ってからですから、賢人くんのカバー範囲外なのでしょうね」

彼にはこんな絵もあります、と沙織が次々に画面に絵を映し出していくと、賢人は興味深そうにそれを見つめた。

「どこか、ラブクラフトの世界観に通じるような絵ですね」

確かに、と沙織も頷いた。

「ラブクラフトが死後名声を博してきた時期が、彼の少年期から青年期くらいではないでしょうか。影響を受けている可能性はあります」

「それと、後のH・R・ギーガーにも影響を与えたかもしれませんね」

いえ、と沙織が首を振る。

「それはどうでしょうか。二人の生年は10年ほどしか離れてはいませんから、どちらがどちらに影響を与えたかと言われると私も調べてみないとわかりませんね」

ギーガーって、と七海は興奮状態の賢人の肩をつんつんする。

「誰ですかね?」

「知りませんか?『エイリアン』の造形をした人ですよ」

映画は見たけどそこまでは押さえてねえよ、マニアじゃないんだし。

そして、と沙織が一度置いていたタブレットを再び持ち上げる。

「これがエドヴァルド・ムンクの『死せる母と子』という絵です」

ムンクの呪いの絵、とか言われても違和感ないなあ、なんか。

これ、と早紀が沙織を見る。

「なんか、母ちゃんが死んで子供が可哀そうな感じの絵ではありますけど、どんな呪いがふりかかるんですか?」

これは、と沙織が頷いた。

「呪いを受ける、というよりも、絵が呪われているらしいのです。この絵を見ていると、子供の目が動いたり、母親の布団の衣擦れの音が聞こえてくるらしいのです」

衣擦れの音が聞こえてくる?と少し考えた後、七海は早紀を見た。

「衣擦れの音が聞こえてくるって、母ちゃんが動いたってことじゃん。死んだと思ってたのに生きてたよヤッター、なんじゃないのか、それ?」

「例え生きてたんだとしても、絵から音が聞こえたら怖いだろ、やっぱり」

そもそもからして、と沙織も頷く。

「絵の題名で死んだと言い切ってるのに、その体が動いたら更に怖くないですか?」

いろいろ出てきますね、あなた方は、と賢人がため息をつく。

そういえば、と早紀がハイ、と手を挙げた。

「以前に見た『泣く少年』の絵も、家に飾っておくと火事になるっていう呪いの絵ではなかったでしたっけ」

ああ、と沙織が頷いた。

「以前見たあれですね。あの後、早速ネットでポスターを買って部屋に飾ってあります」

何やってるんだよ、この人。

さあ、と沙織が舌なめずりした。

「ポスターでも燃えるものか、燃えないものか」

「あのう、そういうラ・マンチャなことはしない方がいいと思いますよ?」

「早速使わないでください。それとその使い方は微妙にニュアンスが違うような気もしますが」

もう、と七海が賢人を見ながら口を尖らせた。

「賢人さんさっきから文句ばっかりですね」

「“ばっかり”と言われるほどは言ってませんが?」

「そんなに言うんなら、賢人さんも沙織さんみたいに少しは呪いの絵を教えてくださいよ」

「だからあ、そういうのは直ぐには思い浮かばないんですって」

そう言ってしばらく考えた賢人は、やがて一つ頷くと、ちょっといいですかと沙織に向かって手を伸ばした。

タブレットを受け取った賢人がそれを操作した後スクリーンを見る。

「呪いの絵というわけではありませんが」

と言いながら七海に頷きかける。

「呪いっぽい絵、ということではどうでしょうか?」

な、なにこの絵?

「これはフランシス・ベーコンの『ベラスケスによるインノケンティウス10世の肖像画後の習作』です。何か呪いでも受けて苦しんでいるような絵じゃないですか?」

なんなんだ、この絵は?

「もともとはベラスケスの『インノケンティウス10世の肖像画』のオマージュ作品ですが、ベラスケス作品と比べ教皇の口が大きく開いています。ベーコンはこの絵で、叫んでいる人ではなく『叫び』そのものを表現したかったらしいですね。前にかかった透明なカーテンが更に強烈な印象を絵に与えています」

七海と早紀が顔を見合わせる。

「ベラスケスって誰だっけ、聞いたことあるような」

「番犬だよ、サキちゃんの言うところの」

おおっと七海が手を打ちながら頷いた。

「心得いきました」

シントク、って日常会話で使いますかねえ、と賢人がなんとも言えない顔をする。

「地獄の番犬が描いた絵のオマージュ作品ならなるほど、呪いの絵にふさわしい」

「ベラスケスのことを地獄の番犬と言っている人は世界中でサキちゃんだけじゃないですかね?」

「賢人さんも今言いましたよね?」

そういうのやめましょうよ、と賢人がため息をついた。



翌日、部活を早めに終えた七海は賢人と早紀と一緒に校門に向かい歩いていた。ちょっと教室に忘れ物をしたんで先に帰ってくださいと言った賢人に、どうせ暇だし、と2年生の教室が並ぶフロアまでついていく。

おっ。

声に出したつもりはなかったが、気配だけで察したのだろう賢人が、どうしました?と七海を向いた。

「あれ、昨日の人じゃん」

昨日の人?と少し考えた後、賢人が、ああ、と顔をしかめてその男子生徒の方が見た。

「あの、ぶつかりそうになった?」

「その、ぶつかりそうになった」

その男子生徒と七海を見比べた賢人はため息にも似た声で言った。

「今のうちに謝っといたらどうですか。こっちには些細なことでも、向こうは案外根に持っているということもあるかもしれませんよ」

ちらっと早紀に目配せした七海は、うす、と言いながら小走りに駆けると、背後からそうっとその男子生徒に近づき、いきなりそれぞれ片足をにしがみついた。

いいっ、と驚きの声をあげながら見下ろした男子生徒を目を見開いて見上げながら、二人はニヤニヤと彼に笑いかけた。

「昨日はわるかったよ~、許してよ~」

「ごめんよ~、ごめんよ~」

ひいいっ、と声をあげて逃れようとした彼の足をぎゅうっと抱きしめて歯を剝いてニヤニヤ笑う二人に、男子生徒は、ひいいっ、もういいからっ、許すからっ、と叫んだ。

目配せした二人が、ほい、と言いながら脚を放すと、その名も知らぬ男子生徒は、ひいっ、ひいっ、と悲鳴のような声をあげながら廊下を走り去り、向こうの角に消えた。

それを見送ってから賢人の元に戻った二人は、びしっ、と敬礼しながら賢人に頷きかけた。

「誠心誠意謝ってまいりました」

驚いて教室から飛び出してきた生徒達がきょろきょろ見回す廊下にため息が響き渡った。

「ああいうのは謝ったとは言いません」

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