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カンショー!  作者: 安城要
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思いがけなく

風を通すために最近は部活中開け放しになっている美術準備室ぶしつの戸口に姿を現した途端、やあ、待ってましたよ、という賢人の声が七海を迎えた。

「面白い絵を見つけたんで一緒に見ませんか」

「ふっふっふっ」

「それ止めてもらえません?そもそもからして、ぼく今までにふっふっふっ、って言ったことありましたっけ?」

「とりあえずお約束ということで」

そんな約束をした覚えはありません、と賢人が嘆息する。

それで、と賢人が言ったように既に待っていたように一枚の絵画が映し出されたスクリーンを振り返る。

「この絵はなんなんですか?」

「逆に、この絵はどういう状況だと思いますか?」

どういう状況?

入り口から入ってきた男を、部屋の中の中の人々が一斉に振り返り、どこか驚いたように見つめている絵だ。

頭は短く刈り込んでいるのに髭は伸び放題の男は、こけた頬の顔の目だけを見開いている。着ている上着はどう見てもサイズが合っていないように見える。かなり不審な姿だが、楽しい家族の団欒に不審者が乱入したというのではないようだ。ただ、扉を開いて彼を部屋に招き入れたのはこの家の使用人の女性のようにだが、彼女の目もどこか驚きに見開かれ、彼の来訪が予定されたものはなかったことを伺わせている。

部屋の中には男の他に4人。彼の登場に思わず立ち上がったように見える老女の後ろ姿、椅子に座った少年は驚きながらも嬉しそうだ。一方その隣の少女は明らかに警戒と不審を込めた視線を男に送っている。奥のピアノから振り返った年上の少女の目も見開かれ、その口がぽかんと開いている。

この男の思いがけない登場に、この家の中の人々全てがどこか驚愕しているようだ。

サキちゃんて、と賢人が嬉しそうに言った。

「サキちゃんて、こういう絵好きじゃないですか?」

うむう、と小さく唸った七海は軽く数度頷いた。

「まあ、嫌いではないですね」

でしょ、と賢人が嬉しそうに言った。

「最近、なんとなくサキちゃんの好みの絵というのがわかってきました。サキちゃんは静謐せいひつの中にもストーリーが有る絵に心動かされるのではないかな、ってね。ちなみにこれはイリヤ・レーピンの『思いがけなく』という絵、それの主人公が男性バージョンの方です」

せいひつ・・?と少し考えた後、七海は頷いた。

「なるほど、確かに。自分の好きな感じの絵って、上手く言葉に表せなかったんですけど、今の表現結構合っているような気がします」

んで、と七海はあらためてスクリーンを見つめた。

「結局、この絵、結局どういう状況なんですか?」

この絵は、と賢人が頷いた。

「革命家の父が久しぶりに家に帰ってきたシーンとされています。政府に追われながらも自分の理想を追い続け家庭を顧みることはなかった男が、突然家に戻ってきて驚く家族。一番手前が彼の母、彼を見て思わず椅子から立ち上がったその瞬間を描いています。少年は彼の息子でしょう。久しぶりの父の姿に無邪気に喜んでいるようです。隣は娘でしょうか、彼が最後に家に戻ったのは彼女が幼いころだったのかもしれません。彼が父とわからず、この不審な男を警戒しながら見ています。奥のピアノの前に座っているのが彼の妻、彼女もあっけにとられたような表情で彼を見ています」

が、とそこで賢人は声を強めた。

「これが、Wikiに書かれている人物構成です。ただ、いつもはWikiに頼りきりのぼくですが、この絵に関してはぼくは違う解釈を持っています」

え~~っ、と言いながら七海は顔をしかめた。

「賢人さんの知識って、専門書とか見て覚えたんじゃないんですか」

「部長はそうですが、ぼくは違います」

じゃあ、とすねたように七海は口を尖らせた。

「絵の解説、Wiki見ればいいだけですよね。それだったら賢人さんいらないじゃないですか」

「ぼくが絵を解説する以外に存在意義がない人間だとでも?」

嘆息した賢人はスクリーンを向き直った。

「Wikiの解説には一つおかしな点があります。机に向かっている白い服の少女を次女と解説しているのです。では長女は?」

「しらね~っす。友達とカラオケか、近所のコンビニでも行ったんじゃないっすかねえ?」

「それは本気ですか?」

「やや本気です」

「残りはヤル気ですか?」

よくぞ覚えていてくれました、と七海がうれしそうに拍手し賢人が嘆息する。

「ぼくは、ピアノの前の女性こそが長女だと思います」

だから?という表情で七海が賢人を見、それでは、と賢人が頷いた。

「彼の妻はどこに行ったのでしょうか?」

「しらね~っす。近所の世間話好きのおばはん連中とカラオケに行ったか、ジャージにスリッパ履きで近所のコンビニでも行ったんじゃないっすかねえ?」

「何故わざわざ自堕落な主婦風な表現を?」

今日何度目かのため息をついた賢人は、見てください、とスクリーンを指し示した。

「母親や子供達の服が何故黒いのかを」

はい?

「Wikiでは男のことを革命家、としていますが、ぼくはもう一歩進んで、彼は政治犯か何かの罪で収監されていた、それが何かの事情で釈放されたのではないかと考えています。厳しい牢での生活で、釈放の際に返された収監される前に着ていた上着のサイズは合わなくなっていた、彼はそれを身にまとい息せき切って戻ってきた。愛しい家族の、妻の元へ。しかし部屋の扉を開いたとたん目に飛び込んできたのはいるはずの妻がいない部屋、そして家族は黒い服を身にまとっている。思わず目を見開く彼。何故、何故このタイミングなのだ、もう少し早く釈放されていれば」

これは、と賢人が静かに続けた。

「この絵は、長らく不在だった父が久しぶりに戻ってきたことを驚きをもって迎える家族の喜びを描いた絵ではなく、彼の戻った、戻ることができたタイミングの悪さ、運命の残酷さを描いた絵なんですよ」

「つまりは、奥さんは別に男を作って逃げた?」

は?

「もう少し早く戻っていれば、その間男の首根っこを引き抜いてやったのに、なんてタイミング悪い?」

いや、と賢人が首を振る。

「ぼく何度も、黒い服着てるっていいましたよね?」

は?

しばらく考えた七海は、おおっ、と手を打った。

「母ちゃん、死んじゃったんですか?」

「これだけ言わないとわからなかったんですか?」

いや、と七海は頭を掻いた。

「なんで賢人さんが服の色を強調してるんだろうと疑問には思っておりました、はい」

「そこは普通気づきましょうよ」

そして、と気持ちを切り替えるように言った賢人はタブレットを操作して再び一枚の絵をスクリーンに映し出した。

「そしてもう一枚、これが革命家女性バージョンの方で、題名は同じく『思いがけなく』です。構図はさっきの絵とほぼ一緒ですね。最初の絵の方がなんとなくインパクトがありますが、実はこっちの絵の方が先に描かれたんですよ」

その絵をじっと見つめた七海は、やがて納得した科のように頷いた。

「整いました」

え、と賢人が瞬きした。

「整った、って、何がですか」

では、と腕を組んだ七海が賢人を向いた。

「私がこの2枚の絵について解説してあげましょう」

はあ、とどこか不思議そうに賢人が七海を見た。

これは、と七海がスクリーンを指差した。

「この女性は夫を出稼ぎに行かせ、生活が苦しいという手紙を何度も夫に送りせっせと働かせながら、自らは自堕落で贅沢な生活をしていました。今日も、全く家に居ない夫に代わって子供達の世話を一人でやっているのだからたまには自分にご褒美をあげてもいいわよね、という身勝手な理由を付けて、子供達を姑にまかせて友達と黒海沿岸のリゾート地の二泊三日グルメツアーに出発するところです。そんな彼女に、気の弱い姑も何も言えません」

ここまでいいですか、と問うように賢人を見た七海に、賢人はどこかげんなりしたように、どうでもいいように続けるようゼスチャーする。

「ところが二枚目、そこに数年ぶりの休暇がとれた夫が帰ってきた。生活が苦しいと訴える妻の手紙に、子供達のためにと昼は工場で、夜はラーメン屋でとダブルワークで働く彼はげっそりとやつれていたが、久しぶりに家族に会える喜びに息せき切って帰ってきた彼は扉を開いたとたん不思議そうに部屋の中を見回し、あれ、かみさんは?と聞いたため家族一同大慌て」

神妙な面持ちでそこまで言った七海は、確信を持って賢人に頷きかけた。

「こんなところでいかがでしょうか?」

「いかがでしょうか、と言われても。どんな答を期待しているんですか?」

「できたら賢人さんの魂の叫びのような感想を聞きたいです」

それは無理です、と賢人が嘆息する。

それにしてもあれですねえ、七海はあっけらかんと言った。

「ロシアの女性って、若い頃は美人なのに年を取るにしたがって太って見る影もなくなるって、あれどうなんですかねえ?」

「それは何か答を求めているのですか、それとも単に悪口を言いたいだけですか?」

それはおまかせします、といった後、七海は大きく伸びをした。

「しかしなんですね。こんな話していたらさっき賢人さんが言ったせ・・なんだっけ・・静寂?」

「静謐ですか?」

その静謐のナントカとか、と七海が頷く。

「なんか全く感じなくなっちゃいましたねえ。この絵を見ても何も感動しなくなっちゃいましたよ」

「それは自業自得でしょ?」

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