(番外編)契約書(あるいは攻略本)
今日は、といつもの席に座ったまま無表情に言った沙織に、美術準備室で適当に美術本を漁っていた七海と早紀が振り返った。
「今日は怖い話をしましょう」
それって、と七海も緊張した面持ちで頷き返した。
「それって、いつまで経っても一学期が終わらないという話ですか?」
「いえ、それとは違う怖い話です」
「どうでもいいですけど、美術準備室では絵の話をしませんか?」
「お前が言うなよ、って説もあるけどな」
茶化すように言った早紀に、実は、と沙織がわずかに伏目になった。
「私は気づいてしまったのです」
「何をですか」
はい、と沙織の何時になく真面目な顔が七海を向く。
「旧約聖書というのをご存じですか?」
むしろ知らないとでも?
「旧約の“約”は翻訳の“訳”ではなく契約の“約”なのです」
契約?
「契約、って、なんの契約ですか?」
「おそらくは、神と人間の契約、このようにすれば最後の審判の時に天国に行けますよ、という道を示すものではないかと私は考えています」
それで?
「古い言い伝えでは、最後の審判の時に天国に行けるのは二万人に一人、と記述している本を読んだことがあるような気がします。そこでですが七海さん」
私?
「例えば、あなたがオープンワールドのゲームをしているとします」
はあ?
「そこに、新エリア『天国』が配信されることになりました。しかし、そこに行けるプレイヤーは登録プレイヤー数二万人に対して一人、先着順という極端な制限がかかっている。そしてどうやったら『天国』に行けるかの条件を記した攻略本をあなたが持っていたとして」
沙織は睨むような目で七海を見ながら頷いた。
「あなたはそれを公開するでしょうか?」
はあ?
よく考えてみてください、と沙織は硬い表情のまま続けた。
「今世間に流布している旧約聖書が本物の神との契約の書であれば、その記述を参考にし実践すれば、最後の審判の時に天国に行ける確率はぐんとアップします。そんな都合のいい攻略本の内容を、あの利に聡いユダヤ人が本当につまびらかにするでしょうか?」
一度早紀と顔を見合わせた七海は沙織を向き直った。
「つまりは、何を言いたいんですか?」
沙織は頷くと静かに口を開いた。
「七海さんもご存じのとおり、旧約聖書はユダヤ人の歴史書のようなものです。とても神との契約の書とは思えません。“あれ”はユダヤ人が神に祝福された民族であるということを広めるためのプロパガンダの書であり、そしてそれを世界中に流布させるために、これこそが神との契約書であると偽って広められたものではないでしょうか」
そして、と沙織は続けた。
「ユダヤ人は本物の神との契約の書を密かに独占し、自分達だけが天国に行こうとしているのではないでしょうか」
そして、と沙織は更に続けた。
「そしてそれに気付いた人々は彼らのその欺瞞を責め立て罵った。これこそが歴史上ユダヤ人が迫害された真の理由ではないでしょうか」
と、と言いながら、沙織は鞄から出したスマホの画面を七海に向けた。
「と、いう説を、今言ったのの十倍くらいどぎつい言葉にしてネットに書き込んだのですが、今のところイイネ、も、ダメネ、も1件もついてません」
「一見学術的なように見えて全く中身のないトンデモ説過ぎて誰もついて来れないんじゃないですか、それ」
「っていうか、それ以前にヤバい奴だと思われて関わりたくないんじゃないですかね、みんな?」