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カンショー!  作者: 安城要
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再び 親子

こんにちわ、という声に、今日はどの本を見ようかなと書架に並んだ美術本を眺めていた七海は振り返った。

足早に美術準備室に入ってきた沙織は大机に鞄を置くといつもの席、元々は加納のいつもの席だった席に座った。

そこまでが瞬きする間だ。その動きは一切の無駄など有り得ないといわんばかりに素早く、そしてどこか洗練されている。

顔に垂れてきた黒髪を耳の後ろにかけながら、さて、と七海がさっきまで見ていたタブレットに手を伸ばす沙織を、七海はどこか呆然と見つめていた。

こうしてあらためて見直すと、やっぱ沙織さんて美人だよなあ・・・

夏樹や西園寺、そしてババ臭を漂わせながらも三輪だって美人だが、中でも沙織の美しさはは頭一つ抜けている気がした。

単に美人というだけではなく、それに加えて、どこか冷ややかな目つきや漂わせている雰囲気になんとも言えない色香というか、妖艶さがあるのだ。

しかし。

とそこで七海はため息にも似た吐息と共に俯いた。

この人の妖艶の"妖”は妖怪やいかがわしい、に通じる“妖”だからなあ。

タブレットを開いたとたん、なんですか、これ、と沙織が声をあげ、あっと七海は手を伸ばした。

「ごめんなさいっ、ちょっとさっきニュース見てて」

なになに、と言いながら沙織が画面を拡大した。

「少年が刃物で母親に切り付け・・」

そうなんですよね、と七海は嘆息した。

「隣の町なんですよ、それ。クラスでもちょっと話題になっていて。最近そういうの多いですよね」

「母親は命に別状なし・・」

そこで沙織はチッと舌を鳴らした。

「仕損じたか」

鬼畜か。

これは、とタブレットを置いた沙織は七海を向き直ると頷いた。

「これはやっぱりあれですね、刺しに行かなかったのがまずかったですね」

は?

「古来より、暗殺は刺殺を持ってしとす、と言います。江戸城松の廊下で浅野内匠頭あさのたくみのかみ吉良上野介きらこうずけのすけに“切り”掛かり仕留め損じたことについて、誰かが、殺す気なら何故切り掛かるのではなく刺しに行かなかったのか、そんなことで上様の馬前が守れるのか、これでは士道不覚悟として御家お取り潰しとなったのも止む得まい、と書いているのを見たことがあります」

誰だよ、そんなトンデモ説ぶち上げた奴は。

しかしふむ、と七海がわずかに考え込み、そんな彼女を沙織は不思議そうに見つめた。

「どうしました」

いや、と手を振った七海は背後の『わが子を喰らうサトゥルヌス』のポスターを振り返った。

「ここでも沢山の絵を見ましたけど、親子仲良くという絵はあんまり見たことないな、っていう気がして」

「聖母子像とかは?」

「あれはまあそうなんですけど、いかにも宗教っぽいあざとさが」

それにほら、と『わが子を喰らうサトゥルヌス』を見つめたまま七海は続けた。

「それにこれだって、本来は丸呑みのはずなのに、ゴヤにしてもルーベンスにしても踊り食い風にしてわざわざ悲惨な感じにしてるのってどうなのかなって」

七海の視線を追ってじっとそのポスターを見つめた沙織は、では、と頷いた。

「『パリの三ツ星レストランで20年間修業したフレンチの達人が赤ワインで2日間コトコト煮込んだ我が子を喰らうサトゥルヌス』では?」

それだと初めっから喰う気満々で子供作ってないか、サトゥルヌス?

それに、と七海は全身で沙織を振り返った。

「ドラクロワの『怒れるメディア』にしても、カラバッジョやレンブラントの『イサクの犠牲』にしても親が子供を殺してますし。ヨーロッパの絵画って凄惨なの多いですよね」

「『イサクの犠牲』は結果的に殺してはいないのでは?」

「でも天使止めなきゃ殺っちゃってますよね?それに、レンブラントの方は「おお、すまなかった息子よ」「いいんだ、父さん」と泣きながら抱き合った後、二人で一緒に神に生贄を捧げて、肩を組んで語り合いながら家までの道を帰りそうですけど、カラバッジョの方は、アブラハムにナイフ刺そうとした時のあの目を見開いた無表情で「すまなかった、息子よ」と言われたって、イサクもう絶対アブラハムのこと信じないですよ。絶対その日の内に『#さっき親父に殺されそうになったけど何か質問ある?』ってスレ立っちゃいますよ?」

それは、とクスクスという笑いと共に戸口で声が響いた。

「面白そうな話ですねえ」

出たよ。

ため息をついた七海は入り口を振り返り、そこに立っていた賢人に、こんにちわ、と頭を下げた。

「ちなみにいつから話を聞いていたのですか?」

「赤ワインのあたりでしょうか、廊下まで声が響いていたので聞くともなく。あ、ちなみに帰宅部の男子がちょうど前を歩いていまして、「なんか美術準備室ガチから猟奇殺人の話が聞こえてこないか」「普通じゃん、それ」と話しておりましたが」

う・・。

ちなみに、と美術準備室に入ってきた賢人はカバンを机の上に置くと七海に頷きかけた。

「実際のところ、絵画では家族仲良くという絵の方が圧倒的に多いですよ。家族の肖像画って沢山ありますから。ただ、そういう絵は面白味がないですから、余り話題にのぼらず、サキちゃんの場合はたまたまここまでの間にちょっと嫌な感じの絵に当たってしまっただけです。例えば」

待ってください、と鋭く言いながら沙織が手を挙げ、賢人がタブレットに伸ばしかけていた手を止めた。

「家族団らんの絵ということであれば私も心当たりがあります」

そう言いながら賢人が取ろうとしていたタブレットを攫うようにして手に取る。

「最近、美術準備室ここに来ても時代劇などの話で盛り上がってしまい、七海さんにも誤解されているようですが、私も一応絵画に関してはそれなりの知識は有しているつもりです。ここは一つ私に解説させていただけませんか」

誤解をしているつもりは一切なく、そういう人だと正しく理解しているつもりだが?

ほう、と賢人も楽しそうに言った。

「そういうことなら是非。ぼくも楽しみに聞かさせていただきます」

では、と沙織がタブレットを操作し、賢人が、ちょっと待ってください、とそれをスクリーンに繋ぐ。

すぐに一枚の絵がスクリーンに映し出される。

水路か運河を行く船。中央に黒服、黒帽子の立派な体格の男が立ち、その前の赤と白の服の女性が子供と一緒に白鳥に餌を与えている。

身に着けているものも立派でいかにもブルジョア、裕福そうに見える家族の、船に乗っている他の人々は従者ででもあろうか。

絵にかいたような高貴な一家の家族団らんの絵であった。

「これはチャールズ1世とその家族です」

ほう。

「なんか金持ちそうには見えましたが、イギリスの王様一家でしたか」

「正しくはイングランド王ですが、まあニアリーですね」

「なんか、幸せな家族旅行のポートレートって感じですね」

そうですね、と沙織も頷いた。

「これは『チャールズ1世の幸福だった日々』という絵です」

何故過去形?

その題名を聞いただけで、船の後ろの雲が、もくもくと立ち込めて来た暗雲に見えて来たぞ?

あのう、と七海はおずおずと沙織に手を伸ばした。

「ちなみに“だった”というのはどういう意味でしょうか?」

はい、と沙織は頷いた。

「チャールズ1世はこの絵のような幸福な時期を過ごしていたこともありますが、波乱の人生を送った国王でもあります。彼は国内の議会運営に失敗し、後に内戦に敗れて斬首刑にされています」

もしかして、と沙織はにっこりと七海に微笑みかけた。

「もしかしてこの絵は、斬首される寸前に駆け抜けた走馬灯の光景かもしれませんね」

笑えねー、どこが家族団らんの絵だよ、これの。

次行きますね、と沙織がタブレットを操作した。

おや?

豪華な部屋の中。

数々の絵や品が、この一族の歴史と富を感じさせる。

そこに、ひげの男がワイングラスを光にかざして見るようにして掲げている。その隣で同じようにグラスを掲げている少年は彼の息子ででもあろうか。ご機嫌な親子だ。

椅子に座った妻らしき女性が、少年に飲酒をさせる夫を咎めるように手を伸ばしている。窓際の老女は男の母、いわゆる大奥様で、向かいで彼女に向かってうやうやしい仕草をとっている老人は執事ででもあろうか。

大金持ち、おそらくは貴族。しかしどこか下品な感じが漂う男の様子は、公爵や伯爵ではなく、下級貴族の男爵バロンといったところか。

わかりにくいが画面の右奥で何者かが作業のようなことをしている。今日は少年の誕生日ででもあって、飾り付けでもしているのだろうか。

金持ち一家のどこか慌ただしい日、でも楽しそうな一日の光景だ。

この絵は?と沙織を向いた七海に、はい、と沙織は頷いた。

「これは、ロバート・アルティノーの『懐かしい我が家での最後の一日』という絵です」

最後って何?この一家に何があった?!

この、と沙織が男を指差す。

「この男がギャンブルにのめり込み、一家は破産して今日を限りにこの家を出ていかねばならなくなったのです」

そ、と七海は言い淀んだ。

「それにしては、このおっさん陽気に振舞っていますね?」

はい、と沙織が再び頷く。

「空元気か、それともおめでたいオツムの持ち主で本当に自分に訪れた事態を理解できていないのか。ぐったりと椅子に座った妻はそんな彼に何か言いたそうに手を伸ばしていますが、もう何を言っても無駄たとでもいうかのようにその手を下ろそうとしています」

この、とその白い指が少年を指差す。

「この少年も、父親に何を吹き込まれたのか、悲壮感は無く呑気に構えていますね。一方で妹らしい少女の方は、ただならぬ気配を感じて固まっています。やはりこういう時は女性の方が現実的ですね」

窓際の、とその指が動く。

「窓際の女性は彼の母なのでしょうね。長年仕えてくれた執事に5ポンド札を差し出しながら、長年の苦労に報いられぬ恥ずかしさに顔を見ることもできず俯き、そんな彼女の心情を慮ってか、執事の方も優しい表情で彼が長年管理してきた屋敷の鍵を返そうとしています。机に乗っている紙は貸家情報のようですね」

この、と更にその指が動く。

「右下、床に落ちている紙はオークション会社のクリスティーズの商品目録です。サー・チャールズ・プリン男爵と書かれているのは、おそらくこの男の名前でしょう」

やはり男爵であったか。

「よく見てみると、この部屋の絵や家具に小さな白い紙が貼られていますが、これが競売の商品番号なのでしょうね。奥で作業している男は、おそらくクリスティーズの社員ででもあるのでしょう」

ちなみに、と沙織は七海を向いた。

「この絵は架空の家族を描いた、ギャンブルに気を付けろという教訓画ですが、これには面白い後日談がありまして」

「面白い話ですか?それはどんな?」

「アルティノーは詳細まで描いて絵にリアリティを持たせるために、知り合いのトーク大佐という貴族に頼んでその屋敷をモデルに使って絵の背景を描きました。そして絵が完成して間もなく、トーク大佐は四百年以上の歴史を持つその屋敷を手放すことになります」

そこで言葉を切った沙織は七海に頷きかけた。

「ギャンブルのせいで」

それのどこが面白い?

あのう、と七海は控え目に手を挙げた。

「今日は、楽しい家族団らんの絵、という趣旨ではなかったのでしょうか?」

「はい、絵ずらだけ見れば楽しそうな家族団らんの絵でしょ?」

絵ずらだけならな。

あのう、と七海はため息をついた。

「絵ずらはともかく、本物の家族団らんとか親子愛とか描いた絵ってありませんか?」

もちろんあります、私は絵に詳しいのです、と沙織はタブレットを操作した。

「これなんてどうでしょうか。これはイリヤ・レービンの『イワン雷帝とその息子』という絵です。頭を殴られて血を流す息子、つまりは皇太子をイワン雷帝が必死の形相で抱き締めている親子の愛を感じさせる絵です」

それは頭から血を流して横たわる若者を、髪の毛を振り乱して涙ぐんだ目を見開いた老人が必死の顔で抱き締めている絵であった。

確かに絵ずらだけみれば悲惨な絵ではあるが、雷帝のその表情から、子供への強い愛を感じさせる絵だ。

これは、と七海は頷いた。

「これは確かに、親子愛を感じさせる絵ですね。で、この後息子はどうなるんですか?」

残念ですが、と瞑目した沙織が首を振る。

「病死という説もありますが、この時の傷が原因で亡くなったという説が有力です」

「なんでこんなことになってるんですか?前に落ちている棒みたいなのに血痕がついてますけど息子をやったのは誰なんです?仮にも皇太子ですよね?クーデターかなんかですか?周りに家来とかいないみたいですが、とりあえず医者を呼ばないと、医者!」

はい、と沙織が頷いた。

「やったのはイワン雷帝です」

医者よりも先にけーさつ呼べ!警察っ!

「それに先立ち、彼はささいなことで皇太子妃も杖でぶん殴って流産させ、そのことで意見しに来た息子もこのとおり」

見てください、と沙織が力強く頷いた。

「雷帝のこの表情。そこからは息子への強い愛と、そして激しい後悔が感じられます」

事ここに至っては、愛してるから何?としか思えねえよ、もう。

「実際のところ彼は本当に跡取りの一人息子を非常に愛していましたが、カッとなると見境なくなるところは雷帝と呼ばれた面目躍如というところでしょうか。嫁に続いて実の息子まで、これで明日のお昼のワイドショーはイワン雷帝一色でしょうね」

ロシア帝国にお昼のワイドショーがあるならな。

「インタビューを受けた近所のおっさんいわく。ああ、あの暴力親父な、いつかはとんでないことやらかすに違いないとは思ってたよ。イワンこっちゃないぜ全く、と」

常人ならスルーしてしまいそうな昭和臭漂う微妙なギャグを混ぜてくんなよ、もう。気付いちゃった自分を嫌いになりそうだよ。

ちなみに、と沙織が七海に向かって頷きかけた。

「本日ご紹介させていただいた絵は全て、中野京子さんという人の『怖い絵』というシリーズの本に掲載されていますのでご興味のある方は是非御一読ください」

「何、そのナレーションみたいな語り口調?それと今日のお題は『家族団らんの絵』じゃなかったの?なんなの、その『怖い絵』って?」

どうです、と沙織は誇らしそうに賢人に向かって胸を反らせた。

「七海さんはこうやっておちょくるのですよ」

なるほど、と賢人が感心したように頷いた。

「勉強になります」

するなよ。

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