(番外編)私は戦う
昼休み、遊びに行った早紀の教室で小ネタを仕入れてきた七海は早速環奈に披露してやろうと教室の中を見回した。
おんやあ?
窓際で窓枠に両手をつき頬杖をついて物憂げな表情で外の風景を眺めている環奈を見つけた七海は、カンナ!と呼びかけながら足早にそちらに向かって歩いて行った。
「カンナ!おい、カンナっ?」
そこで初めて気付いたかのように環奈がぼんやりと振り返る。
「どうした、なんかあったのか?」
ぼんやりと七海を見つめた環奈は、不意に瞬きすると額に手を当て、なんでもない、と身を翻して七海に背を向けて歩き出そうとした。
その肩に手を置いて引き止めた七海は環奈の前に回り込んでその顔を見上げた。
「なんでもないって、あるかよ。絶対なんかある顔だろが?」
じっと七海の顔を見下ろした環奈は、不意に悲しそうな笑みを浮かべるとそっと七海の手を外し、逆に自らの手を七海の肩に置いた。
「ほんと、大丈夫だから。ありがとね」
それだけ言って頷いた環奈は、そのまま七海とすれ違って教室を出て行った。
すれ違う瞬間の環奈の、私は負けないから、と自らに言い聞かすような呟きだけが七海の耳に残った。
「なるほど、それは心配ですね」
美術準備室を訪れた七海はすぐに賢人にそのことを打ち明けた。
全てを聞き終えた賢人は苦渋の表情を浮かべた。
「なんとも三田さんらしくないですねえ、それ。よっぽどのことがあったに違いありませんね」
「ですよねえ」
七海はため息をついた。
「最初はいじめとか、考えたんですけど」
「それは、三田さんのキャラからしてちょっと考えにくいですけど」
だよね。
「あいつ、絵に描いたような陽キャで、もうクラス全員友達みたいになってくるくらいだし」
「まあ、そんな三田さんの性格を妬んで、っていうのはないわけではないですけどね。そして、正体を隠しながら陰から陰湿な嫌がらせとか、そういうのならあるかもしれませんね」
「あいつの場合はこっそりと陰湿な嫌がらせとかされても、だれじゃああっ、こんなことしやがった奴うううっ!!と全校に聞こえるくらい絶叫して発散してしまいますよ。クヨクヨ落ち込むタイプじゃないっす」
まあ、とやれやれと首を振る。
「人生日の当たる場所ばかり歩いてきた賢人さんじゃ、まさかそんなこと、な、陰湿系のいじめは想像できないかもしれませんけど」
いえ、と賢人が小さく手を振る。
「暑くなってきたので、最近はできるだけ日陰を歩くようにしています」
「思わず、お後がよろしいようで、と口走ってしまいそうになるボケかますのやめてもらえます?」
ノックの音とともに、こんにちわ、と控えめに扉が開いた。
「おや、らっしゃいミワちゃん」
そっと部屋の中を見回して、二人の他に人がいないことを確認したミワは、ほっとしたように小走りに七海に駆け寄った。
ちらっと賢人を見てから、あのう、と言いにくそうにミワが口を開いた。
「あの、サキちゃん、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いい?」
「ん、いいよ。どしたの?」
あのう、ともう一度言った後、ミワは意を決したかのように七海を見た。
「環奈ちゃん、何かあったの?」
七海と賢人は顔を見合わせた。
あの、と再び言ったミワは悲しそうに俯いた。
「あの、その、さっき見かけたんだけど、明らかに様子がおかしくって」
これは、と七海を向いた賢人が頷いた。
「どうやらサキちゃんの気のせいではなさそうですね」
突然扉が開き、おいっ、と言いながら早紀が飛び込んできた。
「おいっ、サキちゃん。カンちゃんがやばいことになってるって話、聞いたか?」
えっ、と七海と賢人は顔を見合わせたあと早紀を振り返った。
「やばいことになってるって、カンナがそう言ったのか?」
ああ、と早紀が机の上に鞄を投げ出した。
「なんか、学内のヤバい連中の情報を掴んだとかなんとか、学校の中でなんか起こってる、って」
え、と七海が瞬きした。
「チイちゃんにはそこまで話したのか?」
「うん、様子がおかしいんで声をかけてみたら。最初は渋ってたんだけど、精神的ゴーモンを加えたら喋った」
やめてやれ。
ヤバい連中、学内での何か、と顎に手をやった賢人が考え込んだ。
「まるで何かの陰謀論みたいですね」
ああ、と七海は手を振った。
「あいつは全然そういうのじゃないから、むしろ反対側にいる人間だから」
ですよねえ、と賢人も頷いた。
「ぼくも、彼女が面白半分に陰謀論を説いて回る人間とは思えません。ならば、よっぽど確かな証拠を握ってると考えてもいいのではないでしょうか」
「その辺り、カンナ何か言ってたか?」
いんや、と早紀が首を振る。
「それ以上の話はいくら聞いても言わなかった。それどころか、巻き込まれるとマズいからしばらくは話しかけてくるな、と警告までされちゃったよ」
「巻き込まれる?」
そう、と早紀が重々しく頷いた。
「“奴ら”の存在に気付いた人間がいると知ったら、“奴ら”がどういう行動に出るかわかんないから、って」
ひいいいっとミワが怯えた表情で耳を塞ぐようにして頭を抱え、これは、と賢人が絶句した。
「これは、どうやらぼく達だけの手に負えるような話ではなくなってきましたね」
早くはやくっ、と嬉しそうに手を引くミワに促され、美術準備室の扉を開く。
とたんに環奈はわずかに息を飲んだ。
そこには、いつもの絵画鑑賞部のメンバーの他に、部長の白石、三輪まで、わずかに微笑んで立っていた。
ミワに促されて環奈が大机に向かう椅子に座るのを待ってから、わずかにそっぽを向いたまま微笑んだ白石が、寂しいねえ、と少し大きな声で言った。
そして、はっと振り返った環奈を見下ろす。
「おれって、そんなに頼りにならない先輩だったかねえ」
あ、と思わず腰を浮かそうとした環奈に、三輪も優しく微笑みかける。
「そうよ。帰宅部とは言っても、同じ部の先輩後輩なんだから、困った時は頼ってくれないと。寂しいよ」
絵画鑑賞部だ、と加納がむっつりと腕を組む。
環奈の両眼に涙が盛り上がった。
すみません、と俯いた環奈は俯いた。
「でも・・・そいつら本当にヤバそうなやつらで、みんなを巻き込むわけには・・」
「言ってわからん奴だな」
加納がむっつりと腕を組んだまま言った。
「おれらの方から、巻き込んでくれ、って頼んでるんだぜ?」
と白石が続ける。
そうだよ、と早紀も笑う。
「カンちゃんが言う“奴ら”が正体を知られることを恐れているなら、いっそどんどん広めちゃおうよ。そうすりゃ、秘密を知ってるって狙われることなくなるだろうし。いっそ全校放送しちゃえ」
それはやり過ぎ。
どうでもいいですが、と沙織が腕時計を見た。
「7時から『水戸黄門』第三部を見なければなりませんから、間に合うように帰れるよう、とっとと喋ってしまいなさい」
わずかにしゃくりあげながら、環奈は今にも涙がこぼれそうな顔でうれしそうに頷いた。
そこでふと気づいたように三輪を見た環奈が頷いた。
「そういえば、三輪さん、お姉さんならミワちゃんと同じ峰山中の出身ですよね」
「ええ、そうだけど?」
なら、と環奈は震える両手で自らの肩を抱いた。
「こんな名前を聞いたことはありませんか?」
その目が怯えた小動物の目で、他に誰も聞いているはずのない美術準備室の中を見回した。
「峰中四天王」
は?
そいつらっ、と環奈の唇が紫色に変じる。
「おまえんとこだけ昭和かっ、と突っ込みが入るほど変な荒れ方をしている峰山中の最悪最強の世代、その中でも四天王と呼ばれていた連中が、どうやら全員示し合わせたように陵上高校に潜り込んでいるらしいという情報を私は掴んだんです。でも、それほどの奴らなのに、入学してからここまでそんな奴らの話聞いたことがない、周りの皆も知らないって。その上、調べていくうちにその中の一人は絶対名前を言ってはいけない、峰中の教師達にさえ箝口令が敷かれているほどの奴らしくて。そんな奴等が、陵上の中で気配を隠して何をしているのか・・・そいつら、絶対何かヤバいことを企んでいるに違いないんですっ、でも、その正体を掴もうとしても・・・おい、ちょっとみんなどこ行くの?人が喋ってるんだぞ?」