(番外編)ミステリーステーション
ひゃくわ~、ひゃくわ~、と駅名を告げるアナウンスと共に扉が開いてその老婆が出ていくと、車両の中の客は七海と早紀だけになった。
隅の方の席に座った制服姿はこのローカル鉄道のどこかの駅の交代要員だろうか、帽子を目深にかぶりわずかに俯いた顔の表情はわからない。
蛍を見に行かないか、と早紀に誘われたのは昨日の放課後のことだった。
なんでも早紀の祖父母の居所近くに蛍の名所があり、今年は特にきらびやかなので友達でも連れて遊びに来い、と電話があったそうな。
車で一時間程度の距離だそうだが、生憎と早紀の両親は今日は用事があったため、このローカル鉄道に乗ってえっちらおっちらやってきたわけだ。
いつ廃線になってもおかしくないような単線のローカル線で、車で一時間の距離が各駅停車と対抗列車との行き違いの待ち合わせで一時間半かかる。
首を巡らすと、2両連結ワンマンの後ろの車両にも乗客はいなかった。
雷鳴が響いた。近い。
天気予報は晴れ時々曇りであったが、途中から一天にわかにかき曇り、窓に雨粒が当たった。通り雨ででもあろうか。
まだ昼の2時だというのに急な曇天による暗さのせいだろうか、電車が走り始めるとともに車内の蛍光灯が灯った。
「なあ、チイちゃん。蛍って雨の後でも出るのか?」
さあね、と早紀が投げやりな口調で言った。
「蛍に友達いないからわかんない」
いや口コミ意外にも情報得る手段はあるだろ、文明の利器使えよ?
しかし、といつも七海が通学に使っている電車と違いなんとも趣のある車内を見ながら、七海がため息のような声を出した。
「田舎の路線とはいえ、ホント、お客さんいないね」
「なんか廃線の噂もあるらしいよ」
「なんか残念だね。こういう市民の足こそ、税金投入してでも残して欲しいよね」
しばらくゴトゴトと走る電車に並んで揺られていた二人だが、暗い雰囲気に耐えかねたのか、再び七海が、なあ、チイちゃん、と言った。
「怖い話でもしようか?」
「なんだよ、いきなり」
さっきさ、と七海は続けた。
「さっきさ、ひゃくわ、って駅を通過したよな?」
「ああ」
「そんでもって、今六月中旬じゃん?」
「そだね」
私達さあ~、と七海が引きつった笑いを浮かべて低い声で呟くように言った。
「私達、いつまで一学期やってるんだろ?」
びくっと体震わせた早紀は、慌てて口の前に人差指を立てると、しぃ~~~っ、と言いながら怯えたような目で自分達ともう一人しかいない車内を見回した。
「なにいきなり恐ろしい話ぶち込んてきてんだよ!そ、それは禁句だぞ。みんなが薄々気づいてたのに、誰も言わなかった奴だぞ」
「そうなのか?」
ともかく、と咳払いした早紀は、この話はここで終わりだ、と短く言い切った。
再び、しばらく無言で揺れに体を任せていた二人であったが、今度は早紀の方が沈黙に耐えかねたかのように、しょうがねえなあ、と言った。
「今度は私が怖い話でもしてやろう」
さすが、と言いながら七海が頷く。
「チイちゃんはわかってらっしゃる」
何を?と思いながら早紀はさらに声を落とした。
「『きさらぎ駅』って聞いたことないか?」
七海は不思議そうに早紀の顔を見た。
「石〇さゆりの?」
「え、石〇さゆりってそんな歌、歌ってたの?」
「いや、知らん。いい、忘れて。続きをどうぞ」
たくう、と言いながら早紀が顔をしかめる。
「『きさらぎ駅』ってのは2chで投稿された有名なホラー話だ」
「2chというと、Eテレのことか?」
「違うわ!ちなみに2chは今は5chって名前になってるが」
おおっ、と七海が頷く。
「我が愛しのローカル局ですな」
「違うってんだろ。なに、早紀ちゃんちのテレビのチャンネルそいう設定になってるの。なんかうちと違うぞ?」
「かあちゃんの実家がそんな感じ。慣れ親しんでるからって、わざわざ手間かけてマニュアルでそういう設定にしたらしい」
んで、七海は早紀に向かって頷きかけた。
「石〇さゆりの歌の駅がどうしたって?」
「サユリン歌ってないんだろ?」
「実は歌ってないのにこれで通じるんだから、言葉ってホント不思議だよね」
自分で言っておいて不思議がってどうするんだよ、と早紀が嘆息する。
「『きさらぎ駅』ってのは、コメ主の、なんか電車がずっと駅に止まらない、みたいな投稿から始まった、2chの中の投稿のやりとりのなかからホラーな展開が進んでいく有名な話だよ。そんでもって、やっと止まったのが『きさらぎ駅』で、彼女はとりあえずそこで降りるだけど、なんか変な感じの駅で、彼女はスレ民逹に助けを求めながら行動して行く。実は『きさらぎ駅』っていう駅は検索しても日本のどの鉄道にも実在しない、じゃあここはどこ?みたいな感じで」
ほら、と早紀が窓の外を見る。
黒い雲に覆われた空に昼間とは思えないほどの暗さ、遠くで光る稲妻に電車のガタゴトという音をかき消すように轟く雷鳴。
「まるで異界への入り口みたいな天気じゃないか。このまま乗ってて、ふと気が付くとあの」
と言いながら、車両の隅の席で石造のように動かない鉄道員に軽く顎をしゃくる。
「あの駅員がすぐ傍に立っていて、陰気な無感情な声で、終点だから降りて、と言われて降りた駅が『きさらぎ駅』で」
「そしてふとホームを見ると、石〇さゆりが新曲のプロモのためにこぶしを回しながら歌っている、と」
「一度掴んだものはとことん使い倒すところは褒めてやるよ」
言っているうちに電車はゆっくりと速度を落としながらホームに滑り込んで止まった。
しばらく待ってもなかなか発車しない電車に、七海はホームの方を見た。
「遠いねえ。チイちゃん、あとどれくらい?」
「私にもわからん。単線だから、列車の行き違いやなんかで、同じ距離でもかかる時間が時間帯によって違うらしいし。駅名見てくんない?時刻表調べてみるから」
ホームに目を凝らした七海が、突然早紀の肩を強くつかんだ。
「ち、チイちゃん・・」
どした、と言いながら早紀は鉄道会社のHPを探すためにスマホの画面をなぞった。
「駅名、見える?」
こ、と声を詰まらせながら七海が唾をのみ込んだ。
「ここ・・『きさらぎ駅』だ」
ほうほう、とスマホの画面を見つめて指を動かしながら早紀が楽しそうに言った。
「んで、サユリンはホームで歌ってるかい?」
「冗談言っとらんで見てみろっ!!」
早紀の首根っこを掴んだ七海がその顔を窓ガラスに押し付ける。
すぐ目の前のホームの柱に『きさらぎ駅』の看板がかかっていた。
な、と早紀が絶句する。
「な、なんだ・・2chの投稿の後、新駅ができたのか?」
「んなことあるかい。駅舎見てみろよ、どう見ても還暦以上だぞ?!」
「駅の築年をそんな表現するか?」
け、けどと七海が目をこする。
「これ、絶対『きさらぎ駅』だよな?な?」
「なんで気づかなかったんだっ?」
「そういえば、駅に着いた時に、アナウンス入ったか?」
「と、とにかくもっとホームをよく見てみろ!もしかして美〇ひばりが歌ってないか?もしヒバリンがいたら、ここは間違いなくあの世だぞ!」
「何どさくさに紛れて不謹慎なこと叫んでんだよ!それに何でお前はそう余裕なんだ?わたしゃもう一杯一杯だぞ?!」
「余裕なんかあるかっ、私だってもう自分が何言っているかすらわかっとらんわっ!」
あのう、と背後から突然響いた声に、窓の方を見ていた二人は、ひいっと抱き合いながら振り返った。
いつの間にか、あの鉄道員がすぐ近くに立って二人を見下ろしていた。
目深に被った防止のせいで相変わらず表情は見えないが、青白い顔にその声も生気が感じられなかった。
その色の薄い唇が、ぼそぼそとつぶやくような声で言った。
「降りられないんですか?」
早紀と抱き合ったまま、お、と目を向いた七海は、だってっ!!と必死に窓の外を指差した。
「だってっ、雨降ってるじゃんっ、降ってるじゃんっ!!」
「まてサキちゃん、そこじゃない気がする」
あの、と青白い筋ばった手が扉の脇のボタンを指差した。
「あのボタンを押せば扉、開きますよ?」
と頷くと左手の手首に目を走らせる。
「あと十分は停車してますから、どうぞ」
いや、と早紀が首を振る。
「降りるつもりないから」
ええっ、と鉄道員は意外そうな声を出した。
「いいじゃないですか、せっかくなんだから降りてみたら?」
「何故貴様はそうまでして私達を降ろそうとする。冗談はよせ」
冗談なんかは言いませんしやりません、と彼は首を振った。
「せっかくなんですから是非、あ写真撮りますか?」
と早紀の手のスマホに手を伸ばし、早紀がびくっとそれを背後に隠す。
「と、ともかく、去れっ、去ってくれっ!」
「いや待て、なんか変だぞ」
言いながら七海は外のホームを指差しながら鉄道員を見た。
「ここって『きさらぎ駅』ですよね?」
「ええそうなんですよ。だから是非」
いや、だから待てって。
「『きさらぎ駅』って、あの『きさらぎ駅』?」
ええそうなんですよ、とうれしそうに鉄道員が帽子をわずかに上げた。
思ったよりも年齢が行っていた。三十代半ばくらいか。
「以前に『きさらぎ駅』が有名になった時、冗談のつもりで廃駅に『きさらぎ駅』って看板をつけてみたらこれが結構話題になりまして。あ、私が考えたんですよ、これ」
「冗談のつもりってなんだよ。あんた、さっき冗談はしない、って言ったよな、確かに言ったよな!」
「おかげで、この駅目当てに若い子達が電車に乗ってここまできてくれるようになりましてね。最近はめっきり減ってしまってはいたんですが、休日のこの時間に久しぶりに若い方を見かけたんで、てっきり」
「違うわっ!さっき廃駅って言ったよな?じゃあ何?わざわざその“冗談”のためにこの電車ここで止まってるの?」
え?と不思議そうに早紀を見た鉄道員は、直ぐに納得したかのように前の運転席の方に駆けていくと扉を叩いて呼び、運転手と何かを話した。
直ぐに車両の中にアナウンスが響いた。
(特急列車行き違いのため、約15分間停車いたします。15時38分の発車までしばらくお待ちください)
駆け戻ってきた鉄道員はにこにこと二人を見て頷いた。
「なんか、放送忘れてたみたいです。これでよろしいですか?」
「いや、全然よろしくねえよっ!!」
「何アバウトな運営してんだよ、とっとと廃線になっちまえよっ!!」