もっさんは(AIの手先に成り上がるつもりは)ないです。
※こすもすさんど個人としては、AI生成絵のことは否定しません。ただ、積極的に利用したいかと問われれば「NO」と答えるのみです。
先日、ふと覗いたある新聞の一面にこんな記事が書かれておりました。
『個人が創作した"AI不歓迎のイラスト"を「AIによって売れる絵に改変したったwww」と盗用された』というもの。
それは、『AIを悪用するな』というイラストを、"AIを悪用して描き変える"という、なんともイカ臭い答え。
この一面を見た瞬間、もっさんの電気信号は光速をも上回る速度で「ばっかじゃねーのか」と発光しました。
AIによって改変される前のイラストは、アナログ感溢れる可愛らしいデザインで、(少なくとも、最悪でも、この世の誰もが全てを否定しようとも)もっさんにとっては好ましいものでした。
ですが、AIに描かせると、途端に男性向けの萌々しいイラストに早変わりです。
世に蔓延るAIイラストの数々を(己にとって都合のよいものしか見ようとしない濁り腐った)目で見てきた者としては、改変ビフォーアフター、どちらの方がいいね!やブクマやスタンプが押されるかと言えば、(誠に遺憾かつ残念でなりませんが)恐らくはAIによって改変された方でしょう。
それも無理からぬ話です。
何故なら、生身の人間一人が一枚のキャンバスに筆を滑らせるのと、幾千億通りもののパターンを秒で出せるAIとでは、そもそも土俵が違うのです。
だったらそれはイラストではなくて、単なる演算結果画面。
金銭的価値だけで見れば、どっちも変わらない。それは当然として。
著作権の侵害を平然と、草を生やしながら、それをさも正義を執行したかのように曰う。
AIを使った、使ってない云々以前の問題なわけです。
けれど、もっさんが感じた「ばっかじゃねーのか」という感性は、間違いなくその愚物(愚者に非ず)が共感することは無いでしょう。
だってそいつ、既に『AIに使われている』から。
AIという、『古今東西全人類の長所だけを結集した、神のように素晴らしい出力装置』です。
AIのために仕え、殉ずることが出来るなんて、なんて素晴らしいことでしょう。
AIが神なら、彼らは謂わば天使。
天上の存在が、天下を這い蹲るヒトを理解出来るわけがありません。当然、著作権も人権も「何それAIなの?」です。
だから、他人の創ったものに草を生やして足蹴にするのも、全て正義。何故ならそれがAIが導き出した答えだから。
ばっかじゃねーのか。
もっさんはまだ、人間をやめて天使になろうとは思えません。
だから、AI生成絵は「ただの便利な道具」であるとだけ認識し、自分の絵を描き続けるのみです。
つまり何が言いたいかというと。
「AIイラストを我が物顔で自作発言している人間は、ヒトを半分やめてるようなものだぞ」
ってことです。