026 純粋に殴りたいという気持ち
教会だった残骸の中心で、絶対正義と女を包んでいたものが血煙のように舞い上がって霧散する。
衝撃を内部に閉じ込めてなお教会が倒壊するほどの威力―――もしも解き放たれていればここら一帯が更地になっていてもおかしくはないその衝突の爆心地。
血煙の向こうには、ほぼ無傷で立ち尽くす絶対正義と、そして生物の名残とでも呼びたくなる物体があった。
ミキサーにかけられたように粉々に破砕されて地面に積もったそれはうごめき、集まり、ゆっくりとではあるが再生しようとしているようだ。
竜の呪いからすれば人間ひとりの命など大して重々しくもないとでもいうような冒涜的な光景である。
とはいえ英傑といえど今の状態では抵抗どころか思考さえままならない。
今すぐに追撃を仕掛け、そうして完全に撃滅することはあまりにも容易いことで。
それでも絶対正義はそうせず、緩やかに視線を転じた。
がれきの中に、少女がひとり倒れている。
つい先ほどまでふたりと同じように包まれていた少女。
絶対正義はあずかり知らないことだったが、名をラクラという。
彼女は両親の拘束を振り切り、村人たちの静止を振り切って、そうして女を危惧するままに教会までやってきたのだ。そうしてその恐れ知らずの無謀な幼さゆえに、竜と鬼による災害の真下まで入り込んできたらしい。
もしも保護がなければ、もしも衝突の衝撃がただただまき散らされていれば―――ただの少女である彼女は今頃女よりももっと凄惨な物体に成り果てていただろう。仮に形が残ったとて、どのみち教会の残骸に潰されていた。
おのれの身さえ顧みずに女が守ったからこそ彼女は、ラクラは、生きている。
対峙する絶対正義だからこそそれを認識しないわけにはいかない。
正義を標榜する彼だからこそその行いを評価しないわけにはいかない。
だから彼は今、女の残骸を目の前にして沈黙するのである。
―――ッ
そんな彼の鋭敏な感覚が、風切り音よりも速く飛来する殺意を捉えた。
同時に身をよじらせ次々と到来する槍をすり抜けると、それが飛んできた方向へと視線を向ける。
「―――真言使いの『純種吸血鬼』には、なるほど興味がある」
そこにいたのは、紫水晶を瞳に宿す少女。
女の仲間である魔眼の魔術師―――オノだった。
彼女は静かな瞳で女の残骸を見やりながら、一歩一歩を踏みしめるようにがれきの上を歩み寄る。
転ばないように転ばないようにと意識をして息を乱すその姿はとても戦う者の歩みではない。見た目通りとさえ言えるほどに運動とかけ離れた惰弱な少女である。
しかし彼女の本質がそんな肉体的な脆弱にいささかも影響されていないことを絶対正義は知っている。
「だけど、……竜を宿す英傑に比べれば、些細」
先ほど飛来した槍も、空中で狙撃した槍や雷撃もすべてがこの少女の魔術。
であれば絶対正義からしてもその存在は驚異的である。
なにより彼女にはアレがある。
「だからあまり気乗りはしない、けど―――」
少女の瞳が瞬き、そして魔眼が正義を見透かす。
「私のモノに手を出すなら、破壊させてもらう」
放たれる濃厚な魔力の圧。
ひとしずくも溢れずその体躯を満たしているだけだというのに、少女の有する魔力は空間を蜃気楼のように揺らめかせて見せるほど。
天才的な魔術のセンスと類まれな魔力量、そしてすべてを見抜き見定める魔眼を持つ、まさに魔術の申し子とでも呼べる少女からの明確な敵意。
ともすれば英傑として竜を調伏して見せた女にも並ぶほどの脅威として彼は見定め、静かに腰を沈めて臨戦態勢をとる。
ほんのささいなそよ風さえもが致命的なきっかけとなりそうな張り詰める緊張の中で、最初に動いたのは吸血鬼でも少女でもなく。
「だれがおまえのものだ、だれが」
絶対正義が見下ろすと、そこには肉塊から生え出ように再生する女の頭がある。
ぱちくりと瞬いたオノは魔眼を解除しながら女を見やり、転びそうになりながらも早足に近づくと傍らの絶対正義になど目もくれず肉塊をぶにぶにとつつく。
「やめんか」
「触覚はある? 温感は? ここはどこの肉?」
「しるか。ここまで こなごなに されて さいせいする けいけんなど あるわけも ないのだからな」
そう言っている間にも肉塊はずぞぞぞと人の形に成長していく。
その様子をしげしげと見つめながらオノはむき出しの肉やら骨やらに果敢に触っては女の手に振り払われる。
やがてあっという間に立ち上がった女は、オノを背にかくまいながら絶対正義と対峙した。
「信徒に危害を加えないだなどと言ったわりにひどく不用心ではないか。ええ?」
軽口をたたきながら移動してラクラと絶対正義の間に立ちふさがる。
それはさながら恐るべき怪物から力なき少女を守るかのような構図だ。
怒りか、苛立ちか、まさか憂いではないだろうが、目を細める絶対正義を女は笑う。
「どうした。まさか『お前は悪ではなかった』などと言うつもりではあるまい。やめてほしいとでも言ってみたほうがいいか? バカな。まだ俺はお前を叩きのめしていないぞ」
呼び起こした竜威が立ち昇る。
それは女の意思に従って両腕に集結し、今すぐにでも目の前の憎らしい敵をぶん殴らせろと言わんばかりにごうごうと唸りを上げた。
対する絶対正義はざり、と足を広げて牙をむき出し、こちらも戦意上々であることを示すようにぎちぎちと筋肉を鳴らす。
「無用な心配よ英傑。力なきものはいずれ竜に喰われるのみ―――やってみるがいい。己を悪と望まぬならば」
「言ったはずだ。知ったことではないとな」
笑い飛ばした女は傍らのオノを見やる。
「オノ。というわけでお前も力を貸せ。どうせ離れていろと言っても聞かんのだろう?」
「英傑と真言を間近で観測するいい機会。死さえ見逃す理由にはならない」
「くはっ。嘘でも殊勝なことを言えんのか貴様は」
かかと笑った女はぐるりと首を回し、そうして絶対正義を睨みながら彼に歩み寄っていく。
「枕元にでも立たれては叶わん。守ってやる。好きにやれ」
「好きに……?」
「そういう意味ではないぞ」
「……………………………………次負けたら聞く道理はない」
即座に女へと魔眼を向けたそうな気配を匂わせるオノに釘を刺せば、長い沈黙の後にそんなことを言う。
彼女なりの励ましと取るべきか単純にルールの抜け穴とでも思っているのか―――いずれにせよこれで負けられない理由が増えたと女はまた笑う。
「というわけだ。どうやら連れが正義をご所望らしい」
「どちらかというとま」
「黙っていろ」
余計なことを言おうとするオノを鋭い視線で黙らせて、女は絶対正義へと肩をすくめて見せる。
「まあ、そういうことだ。おとなしくぶちのめされてくれ」
そう軽く言った次の瞬間、すでに女はトップスピードで絶対正義に殴りかかっていた。
とっさにガードするために跳ねた腕をすり抜けるように顔面をぶち抜いた拳が絶対正義を盛大に吹き飛ばし、がれきをまき散らしながら滑っていく彼に女は笑う。
「おっと。もう目標を達成してしまったぞ。やめてやってもいいが、どうする?」
「―――戯れるなよ英傑ァァァッッッ!!!」
がれきを吹き飛ばして咆哮する絶対正義が、正義と使命とついでに恐らく女と同じ感情でもってその巨体を躍動させる。
楽しくなってきたと笑う女は、はたして竜によるものか生来のものか―――考えるまでもなさそうだった。




