021 家族
ラクラに連れられたのは、彼女の住まう家の裏手にある畑だった。
畑というよりは菜園のようなものだろう。三人家族ではもてあましそうな量の野菜たちが青々と茂っている。
石畳の道に沿って転々と並ぶレンガ造りの家々も同じような構造になっていて、どうやらこの町の住民は部分的に自給自足をして暮らしているらしい。
ラクラの両親は気のいい中年の夫婦で、歩けるほどに快調な女の目覚めをそれはもう我が子のことのように祝ってくれた。
片親―――それもあの《戦鬼》と恐れられる義母の下で育った女にはその暖かな祝いがなんともむずがゆく、終始戸惑いながらも確かに笑みながらそれを受け取った。
その後早速この村を後にするのだと伝えると当たり前のように反対され、体調が万全になるまでは泊っていくようにと、一心な気遣いから懇願される。
英傑である女の身はすでに万全も万全なのだがそんなことを正直に伝えるわけにもいかず、どうすれば穏便にこの好意をはね退けられるものかと女は頭を悩ませることになった。
そんな状況に終止符を打ったのは、意外にもオノの言葉だった。
「あと数日、休んでいけばいい」
「なんだと?」
なんなら完全に無視して退屈そうに蝶の飛ぶのなど目で追っていた少女の突然の言葉に、女は驚愕しつつも視線を向けた。
オノはそれをひととき見返し、かと思えばまたふいと視線を外して、独り言を呟くように言葉を続ける。
「姉さんが気づいていないということは、しばらくは猶予があるということ。どのみち追いつかれるなら、しっかり休めばいい」
正論のような楽観視のような微妙なオノの意見。
普段と比べて随分とあいまいで―――けれどそれ以前に女には非常に気になることがあった。
「姉さん……?」
「―――なにか問題でも、ある?」
またしても向けられる紫色の瞳が、今度はじぃぃぃ、と穴のあくほどに女を見つめる。
女はややたじろぎ、それからああと納得する。
なにせ見るからに怪しげなふたりだ。
それがさらにマフィアから逃げる者と共和国領を目指す逃亡者であるなどとくればきっと今のような待遇にはならなかっただろう。軍警察にでも即時通報で終了だ。
それをごまかすために姉妹という設定をとってつけたのだと女はそう予測した。
だとすればそれこそボロを出さないうちに距離を置くべきだとも思ったが―――
「……そう、だな。妹よ」
女は『かわいい妹』の頭をくしゃりとなでながら夫婦へと笑みを向ける。
「コイツにも窘められてしまったことです。お言葉に甘えて……数日か、長くとも一週間ほど。お世話になってもよろしいだろうか」
「ほんとぉ!? やたっ!」
女の提案は夫婦の安堵とラクラの大喜びによって受け入れられる。
かくして女は、この森林に面した穏やかな村でしばらく身を潜めることとなるのだった。
■
―――村での女の朝は早い。
そもそも寝ていないので朝も夜もないが、それはさておき。
見るからに生活リズムが狂っていそうなオノは思いがけず早寝早起きであり、夜のとばりとともに瞼を下ろし太陽とともに瞳を覗かす。
必要があれば三日三晩寝なかったり昼夜逆転の生活をしたりと臨機応変なこともあるらしいが、基本的にはそのほうが体調を一定に保ちやすいのでいいのだという。なにせ見たとおりに貧弱なので、魔術研究のためにも資本である身体はそこそこ大事にしているとか。
「だったらむやみに……というより俺に魔眼を使うのはやめろ」
「臨機応変、だから」
初めてこの話題が出た時のふたりの会話である。
これについて論じることが極めて生産性のないことだと女は十分に理解した。
そんなわけでオノが目覚め、それに合わせて女は朝の時間を始めることにしている。
そもそもオノが女の腕を枕に眠っているのでその間は下手に動けないのだ。
いつかエリーゼに腕枕をしたときは腕が痺れて半日も引きずったものだったが、英傑になったおかげか夜通し腕を差し出していてもなんら負担は残らない。なんなら眠っているオノの髪や頬をさりげなく起こさないように弄って暇をつぶすくらいの余裕さえあった。
「―――……ん、」
オノが目を覚ましてむくりと起き上がると女もそれに合わせて起き上がる。
顔を覆う灰色のカーテンをそっと手で開いてやり、ぼんやりとした瞳が自分に焦点を合わせるのを確認して笑いかける。
「おはよう、妹よ」
「…………おは、よう」
いつもオノは妹と呼ぶと不本意な顔をする。
自分が作った設定なのだからいい加減慣れてくれと苦笑しつつ、女はオノの頭をぽんぽんと撫でてベッドを降りる。
同じように下りたオノと手をつなぎ、開けたままにしている扉を通って廊下に出ると、そのままなるべく音をたてないように家を出た。
ラクラたちの家の裏手―――菜園の脇には井戸があって、森が貯えた地下水をくみ上げることができる。これがまた冷たくおいしい水で、眠気という概念と別れて久しい女にとっても目が覚めるような心地になるのだ。
そんな水で顔を洗うというちょっとした贅沢をオノとともに済ませると、井戸端に腰掛けながら、山脈のほうから顔を出す太陽を拝む。
この時期の太陽は比較的低い谷間のちょうど真ん中に生まれるため、ほかの季節よりも日の出が少し早いのだとラクラが自慢げに笑っていた。
「今日はよく眠れたか、オノ」
「普段通り」
「そうか。それはいいことだ」
「……アルトは。もう、眠くない?」
「ああ。まったく便利な体になってしまったものだよ」
森を白く染めていく日の出を眺めながらふたりはのんびりと語り合う。
さほどこれといった話題もなく、思いつくままに語り、思いつかないならそれはそれとして沈黙を楽しむ、静かなふれあいのひととき。
もとはといえば道で偶然にも遭遇しただけの相手とそうしている。
きっとはたから見れば親密にも見えるだろう今の状況が女には少し不思議で、けれど悪くはない気分だった。
ここまできてほっぽりだすというのも酷な話だろう、恐らく長い付き合いとなるだろうオノと、すくなくとも険悪ではない関係であることは女からしても望ましいと思えた。
そうしているとやがて起きだしてくる夫婦に挨拶をし、菜園の手伝い―――主に水くみなどの力仕事に貢献しているうちに朝食時になる。
その時間になるとねぼすけなラクラを起こしてやるのもここでの女の仕事となっていて、やはりオノとともにラクラの部屋をノックする。
が、もちろんラクラはその程度で目覚めやしない。
この穏やかな村で部分的とはいえ自給自足をしているというのに早寝早起きの習慣がついていない彼女はずいぶんと甘やかされているようだが、夫婦もそれを当然と思っているようだった。
「まったく。まるで姫のようではないか」
そんな風に呆れつつも、ラクラなら仕方がない、とでも言いたげに口元を緩ませる女もこの短時間ですっかりラクラに毒されているらしい。
扉を開いて、夫婦の寝台の真ん中で布団に埋もれる彼女をずるりと引きずり出す。
「んぁー……わぷっ?!」
それでようやく四分の一くらい目覚めるラクラの顔に、オノが情けも容赦もなく水の塊をぶつける。
一応口と鼻を避ける形状に成形されたそれはオノがまた独自の魔術で井戸から持ってきたラクラの目覚まし用の水であり、飛び跳ねたり散ったりしても自動で元の形に戻るというなんとも便利な代物である。
そうやって強引に覚醒させられたラクラから水を取り去れば、タオルなんかの必要もなく、そこにはすっきりした様子の彼女だけが残る。
「おはよー!」
「おはようラクラ」
「オノちゃんもいつもありがとー!」
「ん」
彼女は寝起きに水をぶっかけられても気にしないどころかお礼を言うというタフなメンタルの持ち主である。
なにはともあれ目が覚めたラクラとともに食卓に向かい、朝食が出来上がるまでのどこか浮ついたひとときを女とオノ、それから妻は大人しく待つ。
この家では食事は夫の仕事であり、ラクラは花嫁修行だなどと言って自分からそれを手伝っている。
夫としては複雑である。
なにせラクラは一度として『パパと結婚する!』とは言ってくれなかったのだ。選ばれたのは夫でも妻でもなく姉で、今より幼いころのラクラは『ねちゃとけっこんするー!』と一日中付き従っていたらしい。晩酌に付き合った際に嘆いていたのを、女は笑いをこらえながら聞いたものである。
やがて朝食ができるとみんなで席について食事になる。
席の関係上オノかラクラが女の膝の上で食べることになり、今日はラクラがその日だった。
うれしいことにラクラは女にとてもなついてくれているのだ。その間オノが何を考えているのかは相変わらずの無表情でうかがえないものの、なんとなくうかがわないではいられない女だった。
―――そんな、穏やかな朝である。
「……さすがにどうかと思い始めてきたのだが、なあ」
軍と絶対正義に追われる逃亡者とは思えないほどに平和な日々が、むしろとてつもなく不安に思えてくる女。
朝食後、のんびりと与えられた部屋でくつろいでいる時にふと思ったことだった。
それを聞いたオノは当たり前のように無視をし、一緒に寝転んで古びた本を読んでいたラクラは首を傾げた。
「なにがー?」
「ああ、いや。気にしないでくれ」
もちろんラクラになど言えることではない。
女がラクラの頭をなでてごまかせば、彼女はすこし不思議そうな顔をしたもののあっさりごまかされてくれる。
「……」
そろそろいい加減村を出たほうがいい。
女の理性がそう告げている。
いまだ絶対正義の影はないとはいえ、そもそも彼女を追うのはそれだけではないのだ。いつここに行商とともに手配写真なんかが届くかさえも定かではない。
それなのに、すでに一週間が経過しようとしている今になってなお、女はここにいる。
「んんー? アルト姉、これなんて意味?」
「……あ、ああ。どれ。ふむ。これは不倫という意味の―――待て、ラクラお前なにを読んでいるんだ」
「お姉ちゃんの置いてったやつ」
「それは……内容は分かって読んでいるのか?」
「あんまわかんなーい」
「そうか」
こてんこてんと首をかしげて見せるラクラに、女はほっと安堵した。
そして同時に、内心で独りごちる。
これがもしかしたら……家族というものの感覚なのかもしれない、と。




