020 村
闇―――しかしそれは深い暗闇ではない。
熱と光がしみ込むような、まるで太陽の下で目を閉ざしているときのような。
「ぅ……」
やがて女は自分が閉眼していたことを知る。
まるで閉じている状態が自然であるかのような不可解な感覚があって、だから瞬くように光を取り込んだときようやくそれを知った。
眠っていた、とは違う。
そうはっきりと彼女にはわかった。
気を失っていたのか、それとも―――
「ん?」
ふと、傍らに見慣れた灰色の頭があることに気がつく。
女は質素な寝台の上にいて、少女がそこに体を預けて寝息を立てている。
少なくとも生きているところを見るに、意識のない間に好き勝手してはいないようだった。
「オノ」
「んむ……」
女が呼びかけると灰色の頭がむくりと起き上がる。
ぱちくりと瞬いた紫水晶が澄み渡って、少女はくぁとあくびをした。
「おはよう」
「ああ、おはようオノ」
女はオノを引き寄せて腕の中に抱き、迷惑そうに顔をしかめられても気にせずなでなでり。
「世話になったなオノ」
「そう思うなら離して」
「ふふ、すまんすまん」
拒絶に従ってあっさりとオノを解放する女。
軽く自分の手をぐっぱぐっぱと開閉しながら周囲を見渡して、見覚えのない光景に首をかしげる。
「それで、ここは一体?」
女とオノがいるその場所は古めかしいレンガ造りの寝室となっている。
窓から見える景色には木々と陽光、そして青空という絵画のような自然が広がっていた。
少なくとも女の記憶にはない場所だ。
どこかの村か何かだろうか。建物の雰囲気からして少なくとも都市部ではない。
女の問いかけに、オノは淡々と、
「村」
そう答えた。
なるほどやはり村。
それにしたってもう少し具体的な情報はないものかと思う女だったが、相手はオノなのであきらめることにした。
そもそも自分はあの後どうなったのか―――
思い返してみても、オノの痛ましい姿を最後に記憶がなかった。
それ以前もずいぶんと記憶はおぼろげで、なにかとても暴れまわっていたような気がするが絶対正義がどうなったのかさえいまいち覚えていない。少なくとも勝利していないのは間違いないだろうが……
と、そこで女は人の気配に気が付く。
部屋の扉の向こう―――廊下だろうか? 歩み寄る気配がある。子供のようだ。
それとなくオノをかくまうようにしながら扉のほうを見やる視線の先。
扉が開きひょこっと顔を見せるのは、赤銅色の髪をおさげにした少女だった。
緑青色の瞳が驚きに見開かれ、ずだだだだ! と駆け寄ってきた彼女は女の間近まで顔を寄せる。
「お、起きてるー!?」
「あ、ああ。つい先ほど」
危うく衝突しそうなくらいの勢いで鼻先が触れ合うほどの距離までやってきた少女に、たじろぎながらもうなずく女。
少女はおぉー! と歓声を上げて万歳した。
「やったね!」
「やった、な?」
当事者である自分よりも喜ばれてどう反応すればいいのか分からない女へと、少女はしばらく黙って両手を上げ続ける。
……
もしかして、と思い、女もまた両手を挙げてみる。
「はいふぁーい!」
ぺちーんと鳴る手と手。
そのままきゅっと指を絡めて嬉しそうにぴょんぴょんする少女に、女までなんとなく楽しくなってくる。状況もなにも分からないが、少なくともこの少女が危害を加えてくるような相手には見えなかった。
というより。
「ところで、もしかしてここはキミの家なのだろうか」
「うん! ここわたしの部屋! おねえちゃんがトカイに行っちゃったからコトシからわたしの部屋になったの! いいでしょ!」
「それはすごい。そんな部屋をお借りしてすまないな」
「ううん! えへへ、ほんとはひとりで寝るのってさみしいからいっつもママたちといっしょなの」
そういって少女はてれてれ笑う。
なんとも愛らしい少女ではないか。
女がその頭をなでてやれば嬉しそうに表情をほころばせてじゃれついてくる姿など、オノとは正反対の可愛げがある。最近はオノの無表情にも見慣れたものだが、やはりこういった愛らしさには無条件で心を和ませるものがあるのだろう。
「わたしラクラ! おねーさんはなんていうの?」
―――ラクラと名乗った少女は、どうやらこの家に両親とともに暮らしているらしい。
森の中で気絶していた女とオノを彼女が見つけて、彼女の家で療養してくれていたという。
どうやら女とオノは空から降ってきたというらしく、よくもまあそんな怪しい人間を拾ってくれたものだと女は思う。
けれどこの少女を見ているとなんとなく納得できる気もして、とりあえず感謝の言葉を伝えておいた。
さらに話をしていくうちに、女は自分がおよそ三日三晩ほど眠り続けていたらしいということを知る。
自分が竜の呪いを受けた英傑であるということを考えれば驚異的な時間だ。
驚く彼女だったが、少女からすればそれは笑いごとらしい。
「アルトおねーさんはねぼすけさんなんだね!」
「ねぼすけ? ……ふふっ。ああ、そうだな。ここ最近はあまり眠れていなかったのだ」
「ええー! うふふ、でもおねーさんはもうおっきいもんね! しっかりねむったらわたしもおねーさんみたいになれるかな?」
「俺のようにか? ふむ。きちんと食べ、きちんと運動をすればなれるだろう」
「ほんと?! ならわたしはバッチリね!」
嬉しそうに笑う少女をまた撫でてやりながら女は自分の身体について考える。
絶対正義との血みどろの死闘。
普通の人間であれば何度死んだか分からないほどの激戦と損傷は、英傑たる身にも大きなダメージを残したらしい。
あるいは理性と引き換えに引き出したあの竜の威―――闘争の衝動とともにあふれ、あふれるほどに心が軽く、軽く、理性の鎖を一重一重蒸発させていくかのようだったあれが理由なのかもしれない。
いずれにせよ、英傑は不死身ではないということなのだろう。
ひどい損傷を受け、死力を尽くせば回復のために寝込むような―――そんな生き物として当たり前の機能があるらしい。
そんなことが、女を少しだけ安心させる。
それと同時にひとつ気がかりなのはやはり絶対正義。
彼がいる限り、そんな些細なことで安心しているような場合ではないのだ。
恐るべき『悪』への嗅覚はすでに女を捉えているだろう。
それなのにいまだ襲撃がないのは、彼もまた深いダメージを負っているのかそれとも―――
「ラクラ。ご両親にもご挨拶をしたいのだが、今は留守にしているのだろうか」
いずれにせよ襲撃がないことに変わりはない。
あの離れても離れても喰らいつくような獰猛な闘気がないということは、近くにもいないのだろう。
であれば今のうちに最低限の礼を告げて人里から距離をとるべきだと女は考える。
ひとたび戦闘になれば余波で悲惨なことが起きたとしてもおかしくはない。
「うん! パパもママもいまはお畑!」
「そうか。では案内してほしいのだが」
「いいよー!」
「ありがとう」
快活に笑うラクラに女は礼を告げてオノを見る。
彼女も異論はないらしく立ち上がって、ふたりはラクラとともに畑へと向かうのだった。




