019 正義と悪
ぴくり。
ひとときの静止。
しかし目の前の悪と比べれば些事である。
ほんの刹那の間をぶち抜いて神罰は下される。
きっと、もしもそれだけならば、女は塵すら残さず消え去っていたのだろう。
―――魂を見透かされる感覚。
どこか恐怖にも似た不快感が女を強引に引き戻す。
いまわの際、女の脳裏に浮かんだのはおのれの過去ではなく、命の輝きを失った瞳から血涙を流す少女の幻想であった。
「ァァァアアアアア―――ッッッ!!!!」
咆哮。
振り下ろされる一撃に半身をえぐり取られながら女はその身を弾ませる。
逃れるようにクレーターから飛び出して、もはやまともに着地もできず無様に地をはずむ。
全身を走る脈動は未だ収まらない。
荒れ狂う竜は尚も闘争を求め叫ぶ。
今にもクレーターに降り立って敵と対峙するのだと身体が震える。
それらすべてを捻じ伏せて、女は視線を巡らせた。
そしてクレーターの縁に倒れ伏す少女を見つけた女は、ふらふらになりながらも立ち上がって彼女の元に駆け付ける。
「―――ッ!」
咆哮とも言葉ともつかない女の声。
けれど彼女は確かに応え、息も絶え絶えといった様子で女を見た。
「そ、のま、ま……ねててくれれば……さいごまで、みえ、た、のに」
血涙を流し、顔を青ざめさせながらも不満げにそんなことを言うオノ。
女は笑う。
「――ッ―ナ、アイにクおれハよるニハ強イノだ」
女の身を走る脈が鎮まっていく。
断末魔とすら思える怨嗟の声を上げる竜をその身に秘めていく。
女はふらつきながらオノを抱きよせ、腕の中にしっかりとぬくもりを感じる。
弱くはあるが、確かに呼吸をしている。
いくつめかの安堵を吐息にする頃には、女はすっかり剥き出しの裸体を晒していた。
身体の中を荒れ狂う憤怒にも似た衝動に身を震わせながらただただオノを抱きしめる。
そんな女の傍らに、絶対正義はズゥンと降り立つ。
歪な腕が軋みとともに形を変え、傲岸不遜に腕を組む。
反応のない女をしげしげと見下ろし、それから彼は足を振り上げた。
天を衝くかのように高く、高々と。
肉が怒張し、骨が変形し、赤黒く脈打つ天斧が成る。
オノもろともに女を叩き潰すことは絶対正義にいささかの痛痒も生まない。
正義に寛容も感傷もなく、故なればこその絶対の名。
そして天罰は振り下ろされ―――
「ぬぅっ……!」
びゅおうっ!
吹き荒れる血色の暴風雨。
ウロコのように鋭利な雨粒が絶対正義の全身をずたずたに引き裂きその巨体を吹き飛ばす。
そのまま穴を転げ落ちた絶対正義がひとっ飛びに舞い戻るころには。
そこにはすでに、女と少女の姿はなかった。
「……あるいは、か」
冷ややかな風にその巨躯を晒しながら、絶対正義は眼下に広がる森林を見渡した。
やがて彼は身をひるがえし、凄絶な破壊の跡だけがそこには残った。
■
「あると……?」
どこかも分からないどこか。
山頂から遮二無二飛び、そして墜落した森林にて。
「……そう」
不死身とさえ思えた女の亡骸に抱かれ、少女はそっと目を閉じる。
竜に呪われた肉体など、彼女からすれば興味は尽きない。
じっくりとその身の隅々までを検分して、それからその魂の内奥までを見透かしたいと、そう思う気持ちはひどく純粋で。
本当ならもはやためらう必要はない。
知的欲求を満たすことこそが、彼女の最重要であるといっても過言ではない。
けれど。
「起きたらまた、怒られる、し……」
だれにともなく―――もしかすると自分に、つぶやいて。
彼女もまた魔眼の反動でひどく疲れ果てていたので、今はただ、眠ることにした。
「―――女の、ひと……? 女の子もいる! と、とりあえず、とりあえず……どどどどうしよう!?」




