017 空中戦
オノから距離を取るために駆け出す女を、思惑通りにワイバーンは追った。
瞬く間に山肌へと迫る彼は抉り抜くような転換により暴風をまき散らし、吹き飛ばされる女を追って再加速、弾丸のごとく女を狙う。
女は全身を駆動させ空中で強引に回転すると、勢いを存分に乗せた拳を飛竜へと叩きつけた。
ギン―――ッッ!!!
生体同士が放つとは思えない硬質な音色。
空中で弾き飛ばされる両者、しかし空中で踏ん張るという人にはない動作で即座に体勢を取りなおしたワイバーンがぎゅるりと回転しその鋼の尾で女を打ち据える。
「ッ……!」
とっさに受け止めようとした腕ごと身体をへし折られた女はすさまじい勢いで打ち上げられながら血反吐をまき散らし、しかし迫る顎をしかと見据えた。
ガォッ!
空気を噛み砕くワイバーンの牙握、女の両の手が上下の殺意を強引に食い止めた。
手の平を貫通する牙、弾ける血をものともせず、女は腕の力でもって強引にワイバーンを投げ飛ばす。
踏ん張りの効かない空中のことである、当然に山肌に叩きつけられて肺の空気を吐き出す女の視線の先で、黒閃が次々とワイバーンへと畳みかけられる。
オノによる援護射撃、絶対正義にさえ通用した黒の槍。
ワイバーンはしかしそれを呆気なく飛び越えると鬱陶しげに意識をオノへと向け、その喉をぐぷぅと膨らます。
悪寒。
女は即座に駆け出し、なおも槍を放ち彼を狙うオノの元へと向かう。
「オノ!」
「ん」
まるで当然のように腕を突き出して抱っこを求めるオノを速やかに抱き上げ、女は逃げるように駆けだした。
だが空を泳ぐ彼からすればそれはあまりにも遅すぎる。
羽ばたきひとつでたやすく飛び越える飛竜がふたりを見下ろし顎を開く。
煌々と輝きがその喉奥に揺れて。
そして白熱の奔流が放たれる―――ッ!
「掴まっていろよッ!」
「……」
集中しているらしく目を閉じるオノをしっかりと抱きしめワイバーンへと背を向ける。
みちみちと筋繊維が鳴くほどの力を込め、背後の熱に追われながらも女は跳躍した。
バウッ! と山肌を抉り抜く跳躍で、女は空気の壁に追いすがる。
迸る白熱のブレスから逃れた彼女は山肌を滑りながらも着地、その口中より白煙を上げるワイバーンを睨みつけながらオノをその場に座らせると即座に駆け出した。
「―――次は外さない」
届く声。
背後に爆ぜる魔力の気配に背を押されるように前のめる女は、次の瞬間全身を貫く衝撃に意識を消失した。
それと同時。
バヅンッ!!!!!!!
唐突に弾けた飛竜の全身。
一瞬その身体が二倍ほどに膨張して見えるほどの衝撃に、絶叫を上げた飛竜は地に墜ちる。
ずぅんッ!と地を踏みしめた飛竜が苦し気に「カルルルル……!」と鳴きながら全身から白煙を上げる中、女は自分が倒れていることにさえようやく気がついてわけも分からずに振り向く。
女の視線を受けたオノは、しかし自分も応えられるような余裕はないらしくべしゃっと倒れ伏して女を見ている。
女はなにかを口にしようとして、しかし未だ戦意上々らしいワイバーンが突進してくるので慌ててオノの元へと向かう。
うぐぐ、と動こうにも動けないらしい彼女を抱き上げれば、彼女はどうにか視線を合わせぬようにと顔を逸らした。
「おい、今のはなんなのだ」
「……独自魔術式18重。固有魔力反応と現象発生起点間に電気抵抗を極限まで低下させた通路を構築し雷撃を通した」
「それで?」
「魔術による電気抵抗の低下率が想定よりも低く周囲に電撃が拡散した」
=雷を撃ったら感電した。
ついでに、女に関しては下手したら通り道に被っていたくらいの勢いで雷撃が通ったのだろう。
オノの説明によりおおむねどういうことが起こったのかを理解した女は顔をしかめて苦言を呈そうと口を開き、そのとたん背筋を走る悪寒に飛び退る。
その瞬間まで女のいた場所を焼き焦がす白熱のブレス、勢い余って通り過ぎるワイバーンがその翼をはためかせ、身体を浮かばせぎゅるんと振り向く。
女は即座にワイバーンの懐に潜り込むと跳躍と共にその顎を勢いよく蹴り飛ばす。
がぢっ、と顎をかみ合わせたワイバーンの口中でブレスが弾け絶叫が上がるのを背に、距離を取りながら女はオノを見下ろす。
「ともあれ助かった。いい一撃だったと言っておく。説教は後だ」
「試作に失敗はつきもの」
「命あっての成功だろうが」
ぎろりと睨みつけてもオノは悪びれた様子もなく肩をすくめる。
やはりどうにもオノは自分の身を大事にしないという悪癖があるようだ。
女は嘆くようにため息を吐き、気を取り直してワイバーンへと向かう。
雷撃と口内の爆発に甚大なダメージを受けたらしいワイバーンだったが、亜とはいえ竜の名を冠するだけのことはありその回復速度は目を見張るものがある。忌々し気に女たちを見やる彼は、その翼をはためかせまた空へと舞った。
かと思えば女たちへと襲い掛かることもせず、空中からただ見下ろすばかり。
体力の回復を待っているということか、それともオノの雷撃を警戒しているのかは分からなかったが女は歯がゆそうに舌を打つ。
「空中に飛ばれると手が出せんな」
「思いの外魔力を喰った。もう一度には時間がいる」
「それほどか?」
「さっき心臓が止まったから。蘇生に少し雑に魔術を使ってしまった」
「…………そうか」
どことなく悔し気なオノにさらりと心停止宣言されてやはり今すぐにでも説教をすべきだろうかという葛藤があったが、前言を翻すのもなんなのでしぶしぶ頷く女。
「とすると、私がやるべきか」
「後押しをするくらいはできる」
「頼んだ。自衛分くらいは残しておけ」
「善処する」
「約束だ」
「……分かった」
なぜかしぶしぶと頷くオノにため息を吐き、女は首をぐるりと回す。
オノを遠ざけた彼女はぐぐぐと膝を曲げてぎちぎちと拳を鳴らした。
心臓が弾み血が巡る。
熱を持った女の体表が赤みを帯び、うっすらと赤黒い脈が透ける。
岩肌に足跡がめり込むほど沈み込んだ彼女は、そしてワイバーンを見上げる。
「行くぞ……ッ!」
バォウッ!!!
蜘蛛の巣状に走るヒビ。
叩き込まれた衝撃をあますところなく反発し、大地は女を空に打ち上げた。
―――悪寒。
それが背後から来るものと理解した女は三日月に頬を歪めた。
次の瞬間、女の身は爆裂する空気に押されて弾丸のごとく加速する。
女の身体であってさえ衝撃で骨の砕ける一撃に叩きのめされながら哄笑を上げ、そして彼女は飛竜に至る。
しかし飛竜はまっすぐと飛来する女を迎え撃つことをしなかった。
すれ違い、追いかけるように飛竜は飛んだ。
雲を突っ切り女は天上に至る。
黒く染まっていく星の天蓋を見上げた。
やがてほんの一瞬だけあらゆる鎖から解き放たれた彼女へと、飛竜は猛然と突き進む。
くるりと振り向いた女は飛竜の頭突きを見下ろして、まるで抱き留めるように腕を広げた。
らんらんと見開かれる瞳の奥に竜がごとき傲慢が満ちる。
そして両者は接触する。
飛竜の厳めしい頭部が女に叩きつけられる。
全身がバラバラになるほどの衝撃に血反吐を撒き散らし、ぎゅんぎゅんと上昇する飛竜と空気の壁に挟まれながら、女はさらに高く高くへ。
飛竜は踊る。
ねじ込むような横回転、すかさず弾き飛ばした女を飛び越えて、飛竜はその身を翻す。
振るわれるは鋼の尾。
風を切り裂き叩き込まれる一撃が、女の身を強烈に撃ち抜いた。
一回転して尾を振り抜いた飛竜は、しかし女を叩き落していないことに気がつく。
飛竜の尾を掴み取りついた女は、気がつけば飛竜の翼の根元にいた。
「いい景色を見せてもらった礼だ―――貴様にも俺の景色を見せてやる」
女の手が飛竜の翼を握り締める。
湧き上がる危機感に飛竜は全身をくねらせ女を吹き飛ばそうとするが、女は一息に飛竜の翼を一対引き千切った。
上がる絶叫。
女はさらに、もう一対の翼をも根元から引き千切る。
身悶えする飛竜が傷口から地を撒き散らしながら宙に浮かんだ。
「これはおまけだ、受け取っておけッ!」
両腕を組み合わせて振り上げた女が、そうして作り上げた拳を叩きつける。
飛竜の背を叩き据えた拳は飛竜と女を当然に吹き飛ばし、女は地に降っていく飛竜を見下した。
わずかな時を、女は宙で過ごす。
やがて重力の鎖が再び彼女を捉えるころ、空を仰ぐ彼女は見た。
―――天上領域と呼ばれる場所がある。
雲を突き抜けた先の先、未だ明かされぬ自然発生の魔術により支配される場所。
天蓋の向こう、ただただ青く澄んだ空に浮遊する孤島群、人類が未だ開拓の手を伸ばせぬ翼持つ者だけに許された場所。
女の放つ濃密な竜の芳香に、応えるように咆哮は降り注ぐ。
空を満たす数多の敵意が、夕暮れの天蓋を突き抜けた。




