臨死女はかく考えき
考えたこと
私がここにいる理由、人生の理由について。今にして思えば、私の人生で最も幸福だったのは小学校の頃だったように思う。甘やかされ、傷一つなく柔らかく生きていたころ。最も人生が輝いていたのは高校のころか。大人へと背伸びしていた青い私。誰も私を止められるはずなどなかった。あるいは、止めるものに反抗していた。
あの頃の私が何を考えていたかなんてもう思い出せないし、思い出したとて、きっと今とは別人のようなものであろう。人生に理由を見出していたはずの輝かしいあの頃の記憶が、別人のものとして遠のいてゆく今、私には生きる理由がなかった。
この部屋は平凡なアパートの平凡な一室。ここに越してきてから二年近くになるが、おそらく誰にも会っていない。誰かに見られたことはあったのかもしれないが、ここで会話をした記憶はないので、誰も話しかけようとしなかったのだろう。ほかの住人にしてみればこの部屋だけが落ちくぼんだようなものである。が、私には、私以外が落ちくぼんだようにしか考えられない。
仕事以外で外出などしたことがない。もっとも誰にでもできるような仕事である。食事やなんかも全部そのついでに買ってきて食べていた。運動も周りにうるさくないよう配慮して(落ちくぼんだ彼らに配慮などしたくはなかったのであるが)行っていたし、健康を保つことと他者とかかわらないことが、私には両立できていたのである。よく精神科医だとかカウンセラーだとかいう何の仕事だかわからない人間たちは他者を大事にするように説くが、私は例外だった。家の重い扉を開くことは、私にとっては拷問に等しかった。
ルーティンと化した私の人生を、多少なりともお判りいただけただろうか。
さて、死のう。退屈に飽きて命を絶つなんてのは、きっと先進国住民の特権である。自然界においても、死を肯定する生き物は、裕福な人間以外のあらゆる生物には見られない。そんな貴重な、しかし数多き富裕層たちと同じように私は逝く。
後で発見されたとき、私はどうなじられるだろう。まだ若いのに、バカだ、情けない……。お母さんは、なんて言うかな。怒るかな、やっぱり悲しむかな。お父さんは、そういえば喧嘩したままだったな。何とか仲直りしようとした時期もあったな。
なるほど、自死に際してそれを此世にとどめようとするのは、最後は他者なのか。この瞬間になって、他者が大切である考えを理解することになろうとは。
前々から準備していたロープを見る。この部屋は事故物件になる。私が入ったときは結構高かったから、この部屋に次に住む人はラッキーだ。ほかの事故物件と違って、私は霊障を残したりしないから安心していい。
毎日つけていた日記。一生続けられたのは素直にうれしい。これも、警察の人なんかが見るのだろうか。いや、あとのことなんて気にしていたら、いつまでも死ねない。ペンを置く。他者に縛られていては、凡人の域を超え得ない。
そうだ。高校のころは、そういう特別なものになりたかったのだ。それだけが理由だったのかはわからないが、それは理由の一つだった。他者に縛られたくなかった。なんだ、今と同じじゃんか。こういう発見も走馬灯に含まれるのか。
首をかける。この台を蹴ってしまえば終わり。やるぞ、やるぞやるぞ……。
豆腐屋の宣伝車が通った。また思い出した。昨日は、「明日の夜は豆腐のみそ汁にしよう」と思っていたのだ。
よく考えたら、死ぬのはいつでもできるのだ。いつだって他人を振り切って死ねる。ロープはちゃんとそこにある。空き巣だってこんな汚いロープは持って行かないだろう。
ならば、みそ汁を飲んでから死ぬことにしよう。いや、やっぱりあさってのドラマを見てからにしよう。いや来週の……。
冷蔵庫の中身を思い出すが、豆腐は……ないか。食べようと思っていたのに、準備していないとは、まったく愚かしい。
よし、買いに行こうか。
重かった扉は、たやすく開かれた。
世界が少しだけ、ましに見えた。